No.34 ~労働のために大量生産された凡人の一人が反逆を試みる~

綾森れん@TS魔法少女👑連載中

第1話、意図せぬ逃亡

 窓の無い建物がぬっと建っている。

 空はどこまでも朱を流したように赤い。その平たい建物にも朱が流れ、灰色の壁は赤く染められてゆく。

 中では大勢の人間たちがただ黙々と動いている。

 青白い蛍光灯が冷たく照らしだす中、震えるような機械音だけが間断無く続く。

 若者も年老いた者も皆、胸と背中に番号札をつけている。

 ベルトコンベアーの横に立ち、単調な形の製品をにらんでいる、透明な手袋をはめた男は「25」の布を下げ、彼の傍らに積まれた箱を運んでいく者は「48」の布を下げている。曲がりくねった太い配管に三方を囲まれた「58」の布を下げている少年は、ベルトコンベアー上を流れる部品を二種類にわける作業を何時間も続けている。

 ベルトコンベアーは減速し、がたんと大きな音を響かせ停止する。工場全体の機械音が止んだ。

 いやに大きな夕日が、窓の無い建物を赤く照らしていた。配管が一本、外壁の上にも這っている。夕日に照らされぬらりと光る。

 作業員たちが、工場の隅にあいた長方形の穴からぞろぞろと出てきた。コンテナを運びだす作業が延々と続けられる。運び出されたコンテナから順に、貨物列車に積み込まれていく。

 その最後尾で「34」の布を下げた男が、次々と運びこまれるコンテナを奥から順に並べている。

「重い……」

 声には出さずに唇だけを動かして、男はひとりごちた。そうして遠くに目をやる。

 だがその先には何もない。

 茶色の草に覆われた大地の上、赤い日を受け鈍く光っている線路が一本、地平線の彼方まで続いているだけだ。風さえ吹かぬ。

 夕日があかく照りつける。

 休もうにも男の意志とは無関係に、コンテナは次々と運ばれてくる。男はふらふらと、積み終えたコンテナの陰に寄っていった。

「疲れた……」

 また唇の先だけで呟いて、男は腰を下ろす。全てのコンテナを積み終えれば、列車がゆっくりと動きだすことを男は知っていた。あとは工場の中へ戻ればいい。夕食まで休むだけだ。

「眠い……」

 男は瞼を閉じた。


 冷たい風を感じて目を開けるが何も見えない。重いものを転がすような轟音と揺れを感じる。

(しまった……!)

 心臓が跳ね上がった。

 ――列車が発車してしまった。寝過ごしたのだ。

 意味もなく自分の鼓動ばかりが耳をつき、咄嗟に頭が真っ白になる。

 彼は身を起こした。

(とにかく戻らなければ)

 ゆっくりとその場に立ちあがり、飛び降りようと下方に目をやる。だが暗くて何も見えない。そこにあるのはただ硬い地面のみと頭で分かってはいても、闇の中に身を躍らせることはそう容易ではない。彼は躊躇した。じっと闇を見つめる。

 夜風が冷汗をかいた首筋に吹きつける。

 一瞬、光が射られた。――地面が凄い勢いで後方へ去る。

 彼は即振り返った。

 しばらくするとまた光が見えた。彼にとっては初めて見る、町の明かりだった。

 街灯や店や民家の明かりが現われるにつれて、列車は速度を落としていく。コンテナの陰からのぞく地面は、目で追えるほどのスピードになった。

 一度大きく息を吸い込んで、「34」は列車から飛び降りる。

 走り去る列車の後ろ姿がはっきり見えるほど、辺りは明るかった。

(夜なのになぜ、こんなに明るくしているんだろう)

 と、見上げた先には赤や青のネオンがまぶしいバーの看板。店内からは軽快な歌と歓声が流れてくる。

 遠く、列車の走り去る彼方をあおぎ見れば、高層ビルにあいた規則正しい窓のひとつひとつから、冷たい光の雫が紺の夜空へと散りばめられる。

 彼はビル街に背を向け、明るい店を左にみながら、貨物列車で来た道を戻りはじめた。

 ふとおもてをあげた「34」の目に、近付いてくる二人連れがうつった。電灯の薄明りに浮かび上がった彼等の顔に、「34」は叫び声をあげかけた。だがその前に、彼の足は近くの建物の陰に逃げ込んでいた。

 二人連れが通り過ぎるのを待って、「34」は忙しく考えだした。

(あんな顔の人間は一度も見たことがないぞ。ここに住んでいる奴等は皆あの顔なのか……? それとも――。一体おれはどこに来てしまったんだ)

 だがそれは考えと呼べるほど、まとまったものではなかった。建物の闇にへばりついたまま、彼は二人のうち小さいほうを思い浮べた。

(あの右側の人は一体何なのだろう…… あの、何て言うか……)

 彼は言葉にならないものを感じた。それは彼が初めて見る、女という生物だった。

 まだ新しい壁に身を預けていた彼は、ふと背中ごしに窓をのぞいて再び驚愕する。

 部屋の中では白衣を着た人々が、男も女も皆、精力的に動き回っていた。

(皆見たこともない奴等ばかりだ。顔も背格好も、工場の仲間とは全然違う)

 部屋の中央に薄緑色の台が置かれ、向かって左側には流しとその奥に縦長のロッカー、右側にはガラス戸棚が並び、後ろのドアは半開きになっている。その向こうにごく短い廊下がちらと見える。壁には色とりどりのポスターが貼られ、台の上には様々な実験器具がそろっている。

 その中で彼らは、互いに言葉を交わし合い、笑ったりうなずいたりしていた。

 何を話しているのかは分からない。だが「34」はずっと部屋の中を見ていた。

 彼らは台の上に散らばった実験器具を、戸棚や台の下に片付けている。やせた長身の男が、白衣を脱ぎロッカー内のハンガーに掛ける。彼は一言二言何か言うと、その場の人々に片手を挙げて挨拶し、奥のドアから出ていった。

 すぐにその男は外に出てきた。口笛を吹きながら去っていくその後ろ姿を、「34」は飽きもせず眺めていた。

 視線を再び室内に戻して、彼は思わず息を呑んだ。見慣れた顔の人間がいたのだ。驚愕はやがて安堵に変わる。

(良かった。ここにもおれと同じ顔の奴がいるんだな。いや、もしかしたら工場の人間かもしれないぞ)

 「34」より少し若いその人物は、紺色のヘアーバンドをした髪の長い女性と笑いあっていた。女性はこちらに背を向けたまま流しですすいだ試験官を「34」と同じ顔の人物に手渡す。試験官の縁を転がる雫が一瞬光って落ちる。「34」と同じ顔の人物は水を切り、試験官立てに逆さに差し込み戸棚にしまった。

 一人二人と帰っていく。

 「34」は自分と同じ顔の人物が部屋から出るのを待った。


***


 カップに残ったコーヒーを全て喉の奥に流し込むと、その男はひとつ息をついてから口をひらいた。

「つまり問題は土地だけなのでしょう」

「汚染物資もです」

 向かい側に座っている髪の薄い、眼鏡をかけた男がたたみかけるように付け足す。

「だからそれは言い換えれば倫理問題だ。作業員の健康問題なのだからな」

 始めの短髪の男が大きな声で言った。狭い会議室にその声はよく響く。彼の声だけを聞いていると、たった三人で談合しているとは思えない。これはこの男の性質なのだろう、そのままの音量で彼は言葉を続けた。

「倫理問題については保留すると。近い将来確実に訪れるであろう危機を回避するほうが先決だと。そのためには工場の増設が必要だと。ずっと昔に結論を出したとおりなんだ。話がどうどう巡りをしている」

 人差し指をソーサーの縁に細かく打ちつける。そして意見を求めるように、細長い会議室の一番奥、窓を背にして座っている男をあおぎ見た。

「半径十二キロ以上に渡って民家及びその他の建築物が無く、工場建設に適した土地をもっと探さねばならない」

 半ば禿げあがった頭と小さな目が老いを感じさせる。だがその瞳には未だ衰えぬ気迫と威厳が満ちている。重々しい物言いに、短髪の男が相手の顔色をうかがうように尋ねた。

「地下に造るのではやはりコストの関係で不可能でしょうか」

「建設のコストもかかるが、地下では汚染物質が蓄まりやすい。地上に排出するとしても、下手に出せば地下工場の存在が露見する。やはり人のいない土地の下にしか造れぬのであれば、地下の意味があまりない。問題の無い物質のみを排出したとすれば、中で働いている人間は三十年か……どのくらいだろう」

「二十年もてばせいぜいというところだと思われます」

 眼鏡の男が答える。

「作業員たちを創る費用も馬鹿にならない。それではもとをとれないだろう」

「はい」

 短髪の男は心底納得した風情だ。

「やはり汚染物質を減らせれば、民家の近くに建てても問題は無いわけですし……」

 眼鏡の男がカップの取っ手を撫でる。が、即短髪の男が、

「倫理問題」

 と、合いの手を入れた。

「最も大切なのは機密を守ることだ。作業員を創ったのはそのためだ」

 口を開きかけた眼鏡の男をさえぎったのは初老の男だ。「もちろん汚染物質が多く排出されているということもある。だがそれさえ、毒性も明らかでない物質を辺りに撒き散らしているという、知れてはまずい機密なのだ。

 工場で働く人間全員が、完全な機密保持に努めるとは考えにくい。だから、工場の回りの汚染物質にやられた枯野を見ても不思議を感じず、自分の働く工場で作っているものがなんであるかの興味も持たないような人間が必要なのだ。そしてすなわちそれが、作業員たちだ。作業員を創った理由を忘れないでほしい。

 目的を忘れてもらっては困るな。まあ、君たちはプロジェクト当初のメンバーではないから仕方の無いことかもしれないがね」

 と、口の端を笑みの形に歪める。だが瞳は笑っていない。自分の前で頭を低くしているふたりの男に、かわるがわる冷たい視線を注ぐ。

 交錯するふたりの視線は互いに、「お前が悪いんだぞ」と如実に語っている。

 初老の男がカップをゆっくりと口元に運んだとき、ノックとほぼ同時にドアが開いた。ノブを片手に握ったまま、若い男がこわばった顔をしている。

「逃亡者が――」

「何だって……?」

 初老の男は口をつけずにカップをソーサーに戻す。

「作業員がひとり逃げました」

 ドアノブを握っていた手をおろし、起立の姿勢ではっきりと言った。

「どちらの工場だ? 湯浜か鷲原……」

「鷲原です。三十四番の作業員だそうです。コンピュータのカメラによると工場内に姿が見当たらないとのことです。探して連れ戻しますか?」

 若い男の言葉に初老の男は、しばし答えずカップの中を見つめていた。右手でカップをゆっくりと揺らす。茶色い液体がねむたそうに円を描く。

「連れ戻す必要はない。放っておけ」

 初老の男が低い声でゆっくりと言った。

「はい、失礼致しました」

 歯切れの良い返事を残して、若い男はこうべを垂れた姿勢のままドアを閉める。立ち去る足音が遠ざかるのを待ち、初老の男は口を開いた。

「工場は町からは十キロ以上離れておる。逃げたところでどうにもならん。食べ物もなく人もいないのならば工場の方がずっと環境が良いはずだ。そのうち戻るだろう」

 残りの二人は謹聴の姿勢だ。

 初老の男は再びカップを口元へ運んでゆく。目を細め、じっと虚空を見据える。「だが問題はなぜ逃げ出そうなどと考えたのかだ。作業員には何の欲も不満もないはずだが……。あのような環境では意欲など湧くはずはないのだが……」


***

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