七章 【英雄】
1
ギルドルグはこの局面において、冷静にこの戦いを分析していた。
ピースベイクとダズファイルの戦いは、贔屓目に見てもピースベイクの劣勢だ。彼以上に強い兵士がこちらにいない今、ピースベイクの敗北はエルハイムの敗北だ。
他はといえば、国境警備軍の面々は霧の悪鬼たちを一人数体は相手取る戦闘に移行している。
悪鬼たちの問題は、先ほどまでの戦いと同様に、数で押し切られてしまうおそれがある、ということだ。人間ではない魔物であり、一体を切り捨ててもいつの間にか新たな悪鬼が顕現している現状を見るに、数の劣勢は揺らぎそうにない。
宝狩人として培ってきた経験が、彼に警鐘を鳴らしている。
逃げてしまえと。
ここで人が死のうが、お前には関係のないことだと。あの洞窟での遭遇と同じように。逃げてしまうのが一番だろうと。
そうだ。この場さえ切り抜けてしまえばあとはどうとでもなるだろう。自分だけが悪鬼たちと戦闘状況に入っていない今、今逃げてしまうのは容易い。
天井が崩落した今、出口は広々と開いている。
多少夢見は悪くなるが、命あっての物種だ。国境のいさかいは、国境警備軍が処理すべきだろう。
第一、自分のような一般人がこんな戦場にいること自体が間違っているのだ。
自分は父親のように天才でもないし、国に命を捧げる兵士でもない。何の能力を持っているわけでもないし、あるのはただ偉大な父親の幻影だけだ。
事実だ。紛れもない、どうしようもない事実だ。
エルハイムに捧げられる力など、才など、命など、何もない。
案外別の国に移っても、今までの経験があれば宝狩人として生き抜いていくことは問題ないだろう。
自分を無理やり納得させる。
実際には一秒にも満たない僅かな時間だが、ギルドルグは永遠とも思えるような時間を立ち尽くした。
そして。
「いやぁ。だめだな」
たどり着いたのは、たった一つのシンプルな
ダズファイルの目的がエルハイムの滅びなら。
ギルドルグの目的は。ギルドルグ・アルグファストの目的は、エルハイムの守護にある。
宝狩人としての自分は引き続き警鐘を鳴らし続ける。その警告を振り払うように、ギルドルグは頭を振った。
この国の民として。英雄の息子として。
逃げるわけには、いかないのだと。
「親父が救った国だ。親が守ったものを、子はずっと守っていかなけりゃいけねぇ」
そして思い出した。
彼の母が没する直前に、彼へと残した遺言を。
何故忘れていたのかも分からない。英雄の妻の、愛する息子への願い。
『ギルドルグ。あなたは、ただあなたらしく生きなさい』
生きて。
最後の遺言には、あまりにもそぐわないちっぽけな願い。しかしギルドルグには、その小さな願いの重さをようやく理解した。
母は、ただ生きていてほしかったのだ。
死んで英雄になった父親のようになるのではなく。どんな形でも。名を残さなくても。英雄になんて、ならなくても。
ただ彼は、彼らしく――
「見せて。貴方自身の可能性を」
思考はそこで中断される。
いつの間にか彼の右肩には、戦っていたはずのユウの手が置かれていた。
彼女に他の言葉はなく、ユウは彼の傍らで剣を握っている。ゼルフィユは二人を守るように、霧の悪鬼たちとの戦いに身を投じている。
「ユウ、お前」
「過去なんて関係ない。今日という日を乗り越えて、私は私らしく生きるだけ」
ゼルフィユとダズファイルのやり取りが耳に入っていたのだろうか。彼女には珍しく、寂寥感が、悲愴感が織り交ざったような表情を浮かべている。
しかしその一瞬後には、いつもの無表情。しかしながらギルドルグには少し違った表情に見える。
それは決意と決別の表情だ。悲劇的な過去とは、今日この場所でケリをつけるのだという、小さいが、確かな誓い。
「あれほどの鍛錬を積んでも、届かないかもしれない。勝てないかもしれない。もしかしてそう思ってるの?」
「……見られてたか」
「特別な魔法も、能力もないなんて気にしすぎ。才能なんて必要ない。数えきれないほど挫折をして。血の滲むほどの努力をして。そんな人は、最後は報われる」
私は、そう思ってる。
ユウが紡ぐ。
二人の視線と視線がぶつかる。それを合図に、ユウは彼に問いかけた。
「貴方もそうでしょう。ギルドルグ・アルグファスト」
名前を呼ばれる。父と母が名付けた、誇らしきその名を呼ばれる。
嗚呼、本当に。
どこか幸せそうに微笑むと上を向き、溜息をつく。
そこまで理解されていると、最早彼も己の決意を固めるほかなかった。
ギルドルグは心の底から、あの日の出会いに感謝した。
出会って間もない人間に、こんなに勇気をもらうとは。
彼はもう一度奮い立つ。全身の感覚が研ぎ澄まされ、汗腺から汗が流れていくのも、共に戦う仲間の心臓の鼓動も、傍らのユウが固く剣を握り締めたのも、全て自分のことのように確かに感じる。
臆病さは、弱い心は、その場に全て置いていく!
「おおおおおおお!」
ギルドルグとユウが叫んだのは、全くの同時だった。
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