霧話 【過去】

 ダズファイル・アーマンハイドは、愛国心あふれる家庭の中で、末の男の子として生を受けた。上には三人の兄と、二人の姉。先祖代々が霧厳山脈の麓一帯を守護する名家で、噂では建国から霧厳山脈の守護を司る血族として名高い家系だった。、 

 両親の国への愛は紛うことなき本物の愛であり、家族への愛もまた本物であった――その愛は、およそ普通の家庭では考えられないほど歪んではいたが。

 アーマンハイド家の男は十の歳を迎えると、国を守り、他国を滅ぼすための屈強な戦士となるべく、苛烈な訓練を課される。それは主に霧厳山脈で行われ、命を落としかねない、あまりに危険な試練である。

 この血族の男は霧厳山脈を守護すべく、霧厳山脈を誰よりも憎み、そして誰よりもその恐ろしさは体に刻まれるのだ。

 ダズファイルも例に漏れず、十歳になったその日には霧厳山脈奥地に剣一つで放り込まれ、山脈に潜む獣たちと命の奪い合いを始めた。

 獣だけではない。霧厳山脈の恐ろしさはその気候である。慣れた大人ですら何の準備もなしでは命を落としかねないほど、この山脈は常に霧にまみれている。

 空腹の獣に、深い霧。そして複雑に入り組んだ地形。その名の如く、霧厳山脈は人にとってはあまりに厳しい。現にダズファイルが十五になる頃には、三人いた兄は一人になっていた。

 一番年が近く、唯一生き残った兄も、ダズファイルの目の前で巨大な熊に喉笛を引き裂かれて死んだ。

 その光景を間近で見、熊の首を一刀で両断した後、ただの屍になってしまったかつて兄だったモノを見て、ダズファイルは考えた。

 『この残酷な世界は誰も、自分を助けてくれない。信じられるのは己の力のみ』だと。

 三人の兄は、ダズファイルに無償の愛を捧げた。飲み物を、食べ物を、戦闘の技術を、最後には自らの命さえも。厳しい山脈の中で、ダズファイルに優しかったのは三人の兄だけだった。

 だから死んだ。

 他者に優しさなど見せているから死んだのだ。

 兄たちの犠牲をよそに、一族の歪みを一身に背負ったダズファイルの道は、さらに歪んだ形で進んでいた。

 二十の歳になる頃には、その年としては異例のスピードで軍の中核を担う存在になり、ダズファイルの父共々、オスゲルニアを背負う名家の戦士として名を馳せた。

 しかし名家の出との名声と裏腹に、戦闘となればどんな手段を使ってでも敵を殺した。不意打ち、騙し討ち、味方を盾にすることなど何のためらいもなくやってのけた。数年後の戦争においては、近くにいた父親をためらいもなく弓矢の雨の盾として使い捨て、周囲にいた味方をも恐怖させた。

 彼に親への反逆心があったのかは分からない。

 ただ、親の犠牲をも厭わずに目的を遂行するダズファイルの姿を見て、オスゲルニア軍の上層部はある作戦の柱に、彼を据えることを決定した。

 それが今から二十五年前。当時のエルハイムの王都を襲撃し、王国に決定打を与える侵略作戦だった。

 オスゲルニアとエルハイムの国境は霧厳山脈で分かたれており、その霧厳山脈からもほど近いエルハイムの王都は、容易い侵略になった。

 否、なるはずであった。

 計画の立案から十年後、ダズファイルは霧厳山脈の霧を操り、霧厳山脈から軍勢を隠してエルハイム王都に奇襲をかけた。

 奇襲は鮮やかに成功し、オスゲルニアの軍勢はエルハイム王都の守護隊を蹂躙した。王都の目の前に、突如として大軍勢が現れたのだ。エルハイムは対応のしようがない。

 幼少の頃から鍛え上げられたダズファイルという紛れもない強者は、その暴力を以てしてエルハイムを蹂躙した。

 ダズファイルの目の前に、ジャック・アルグファストが現れるまでは。

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