5

 崩落があったとはいえ彼らが移動できる範囲は広がっていた。瓦礫の上、そして元々外だった山肌まで移動範囲と含めるのなら、だが。バランスを崩しかけながらもギルドルグは瓦礫の一つに飛び乗り、後ろから迫ってきた『影』を迎撃する。

 ――そういえば、全ての悪魔、悪鬼がどうたらとか言ってたな。

 開放的になった広間のおかげで冷たい風が全員へ平等に吹き付ける中、ギルドルグはダズファイルの言葉を元に考える。

 『ヴァルプルギスの夜』とやらが発動した後に、霧の兵士たちとは一線を画する影たちは姿を現した。先程までと違うのは、敵にもこちらの干渉が及ぶようになったことだ。突進や斬撃などの物理干渉による攻撃が効くようになったことで、相手が完全な霧であった場合よりも戦いやすくはなった。

 戦い方を変えながら、ギルドルグは相対する影を斬り捨てた。

 影と言っても先ほどとは違い顔の判別が出来るようになり、より人間相手に戦っているような錯覚を受ける。だが顔や体型、動きに至るまで大きな違いはなく、斬っても血を流すことなく消えていくなど自分たちとは決定的に違う。

 ギルドルグは便宜的に彼らを霧の悪鬼と呼称し、近くにいたユウとゼルフィユの援護に向かう。

「大丈夫かユウ! ゼルフィユ!」

「あら、ギルじゃない。崩壊に巻き込まれて埋まったと思ったわ」

「チッ、生きてたか。しぶといなお前も」

「こっちは心配してるんですけど! 君たちのことを心配して援護に来てるんですけど!」

 援護に来たのに散々な言われようで、ギルドルグは心の中で涙した。

 先ほどのダズファイルとの対峙の際に蹴り飛ばされていた腹を、時折ゼルフィユは抑える。ただ外の風を浴びて落ち着いたか、先ほどのように激高している様子はない。

 ユウを見れば深手こそ負っていないものの、所々に赤い線がついているのが確認できた。とりあえず一安心するが、ここは今や戦場だ。それぐらいの傷で泣き言を言っている暇はない。事実彼らのもとには新手が三体もやっていていた。

 全くもってキリがない相手だ。一人一体を相手取るのが精いっぱいだというのに、悪鬼たちは際限なく湧いて出てくる。防衛軍の四人は数体を相手取り闘っているものの、苦戦は免れないだろう。最低でも、目の前の一体は自分自身で倒すしかないのだ。

 ギルドルグとユウは魔法を駆使し、主に炎と氷で敵の動きを封じた後に的確な剣で倒していく。ゼルフィユは「餓狼鋭爪」を両手に顕現させて敵を切り裂く。一体であればそれほど苦労はしなかったが、問題は敵の数だ。悪鬼が霧消したと思えばすぐさま次の悪鬼が目の前に躍り出る。息をつく間もなく、気が抜けない状況だった。

 しばらく場に変化はなかったが、着実にユウの周りに悪鬼の数が増えていっていた。やがて三人対四体、三人対五体というように数で圧され始めてしまう。彼らの距離も離れていき、戦いやすくはあるが助けには向かい辛くなった。

 何の意思もなくこちらを襲っているだけだと思っていたが、悪い意味で期待を裏切られた。意思もなく向かってこられた方がずっといい。悪鬼たちは力の弱い女から、即ちユウから殺してしまおうという魂胆だろう。

 フォローをするためにゼルフィユが餓狼鋭爪を一振りして目の前の悪鬼を霧消させた後に駆け、ユウの放った炎で怯まされている悪鬼へと攻撃を仕掛ける。

「俺の前で、コイツを付け狙ってんじゃねーよ!」

 その時だった。

 怯んでいたはずの悪鬼が突如ゼルフィユの方を向き、剣を振りかぶった。それだけではない、ユウを襲っていたもう一体も彼の方へと槍を突きだしてくる。

 目を見開いて驚愕し、ゼルフィユは身を仰け反って回避するが、避けきれなかった槍が彼の脇腹を抉った。痛みに顔をしかめる暇すらなく、今度は彼の後方から悪鬼が現れ、たちまちゼルフィユが三体に囲まれる形となる。

 ――これが狙いだったか!

 初めからユウを囮にする予定だったのだ。ゼルフィユをおびき寄せた後、囲んで撃破するつもりだったのだ。単純な策だが、してやられた。正面と左右から攻撃を受け、ゼルフィユは防戦一方となっている。

 ユウも気付いたようで、顔を少し歪ませた。だが悪鬼たちは単調に武器を振るうだけだ。そこになんの感情もない。

 ギルドルグは悪鬼と打ち合いながら、ゼルフィユの方へとゆっくりと進んでいた。今は大丈夫だが、いかにゼルフィユと言えども体力の限界はあるはずだ。そこを突かれれば終わりだ。幸いにして他の悪鬼が顕現する様子はない。不意打ちも今はないだろう。

 だが彼の見込み違いだった。柱の陰から新たなる悪鬼が姿を現した。しかも丁度彼の進行方向である。怒りに身を任せて剣を薙いで悪鬼を一体霧消させると、新たな悪鬼と対面して剣をぶつけ合った。

 ゼルフィユの頬や足の傷が分かるほど、先程よりも近付いている。ただ届かないのだ。遠いのだ。目の前の悪鬼はそれを分かっているのだろうか。心なしか冷たく笑っているようにも見える。

 不愉快な顔面を剣で貫き、ようやくギルドルグは目の前の悪鬼を片付けた。

 その瞬間、ゼルフィユの足は槍で突かれた。悔しそうな顔をして彼は倒れこむと、同時に彼を囲む三体の悪鬼は彼を貫こうと剣を振り上げる。

 ギルドルグはすぐさま剣を構えて彼の元に向かおうとしたが、あまりに距離は絶望的過ぎる。ユウも彼の元へ向かおうとしていたが、ギルドルグとそう距離は変わらなかった。

 しかし剣がゼルフィユに突き刺さる時は、悪鬼の内一体を文字通り薙ぎ払いながら現れた襲撃者に防がれる。

「一つ教えてやるよ、子犬ちゃん」

 壁を蹴りながら跳躍した勢いで、そのまま剣を振るったのはディムであった。

 彼は返す刀でもう一体を吹き飛ばし、言葉を紡ぐ。

「救いというのは、それを本当に求めた者に必ず与えられる」

 それを聞いたかは定かでないが、最後の一体の腹部をゼルフィユは手刀で貫通させる。

 状況が落ち着いて、ギルドルグとユウも彼らのもとに辿り着いた。

「……どうも」

「ん~? 聞こえんなぁ。ほらもっかい」

「おしまい! はい喧嘩になるからおしまい!」

 どこでも喧嘩になる二人である。ただ会話もできる余裕が生まれ、ギルドルグは位置の確認のために辺りをもう一度見渡した。 

 入り口は崩壊に巻き込まれたようで姿が見えない。一番入り口に近い柱には彼ら四人がおり、二本ほど先でアルドレドとライドがたった今悪鬼を打倒した。ピースベイクとダズファイルの姿が奥の玉座の方に視認でき、近い内に剣を交えるであろうことが見て取れた。

 雪と瓦礫はほとんど中央を境として、広間を二分するように流れ込んでおり、右側に残された三本の柱の根元は雪と瓦礫に埋もれ、先端は虚空へと伸びるだけである。

「ディムさん、その剣は」

「あん? そういえばお前らこの剣見るのは初めてだったか」

 ゼルフィユとの決闘では拳のみで勝って見せたので、剣を振るう姿自体見るのは初めてだが。

 そして剣に目を向けたが、その異質さにギルドルグは首を傾げた。一瞥するだけで、どんな人間でもその剣の異様さに気付く。事実彼ら三人も、彼の剣に疑問を覚えた。

 瓦礫の方から、三体の悪鬼がこちらに向かっているのが視認できた。ゼルフィユは足を怪我し、ユウは傍でとりあえずの応急処置を行っている。となればギルドルグも戦いに身を投じるべきだが、前に出たディムに手で制される。

「いくぞ『アリゲイター』。エルハイムの勝利をその顎で掴め」

 彼の振るう剣は、普通のものとは一線を画している。材料として、鰐の牙が使用されているのだ。一般的な剣は刺し、切り裂くために形を成す。しかし彼の剣はその形状と材料から、刺して切り裂くことは難しい。

 ディムは緩慢とも言うべき動きで大上段へと剣を振るい上げた。それに止まらず左脚をやや前に出し重心を後ろにすると、そのまま腕を軽く曲げて右側に体を捻り、切先を正面に向けるような独特な構えをとる。しかし悪鬼たちが彼の前方から三体ほど、彼の隙を狙って既にやって来ている。

 ギルドルグはそれを視界に捉え、彼の援護をしようと一歩踏み出した。しかし振り向いたディムと視線が合うと、たちまちにして足が止まる。

 ここまで暴力的な信頼が生まれたのは初めてだった。心の底から信頼させるのではなく、そうせざるをえないほどの絶対的な何かを、ギルドルグはディムの瞳に見た。

 悪鬼たちには意思が、知識が、自我があるかも分からない。だがあるのだとしたら、彼らは確かに見ただろう。自らを食らおうとする、王者のあぎとを。

鰐王ギュスターヴ

 ディムは何を思ってこの牙剣とでもいうべき剣を使用するのか。

 答えは、敵を叩き潰すためであった。砕けぬ強固な剣でもって、彼自身の力でもって、目の前の敵を粉砕するためだった。如何なるものでも貪り食らう鰐の牙を、彼は対人戦においても余すことなく利用する。 

 暴力的なまでの勢いで剣は横に薙がれ、走ってきていた悪鬼たちは三体とも吹き飛ばされたと同時に霧に散る。そのままディムは再び振り向くことなく他の仲間の援護へと向かった。

 鰐の突進のようなすさまじい一撃だった。まさしく鰐の王ギュスターヴを冠するに相応しい技だ。

 やがてユウはゼルフィユの傷を氷で固めるという荒々しい応急処置を終え、二人が立ち上がった。

「ギル」

「あぁ……いくぞ」

 彼らは再び戦場へと身を投じる。

 そしてギルドルグが悪鬼の一体と剣を交えたのと、玉座へ臨む階段の前でピースベイクとダズファイルが対面したのは、ほとんど同時だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る