夢章 【母親】
ギルドルグは気付くと、夢の中にいた。
あまりない経験であったが、感覚的になんとなく、夢の中に今自分はいるのだと感じた。
何の夢を見ていたか。夢の内容と思い出そうとした瞬間に、うすぼんやりとした白い世界からぐにゃぐにゃと当たりの景色が変化し、やや薄暗い、けして広いとは言えない一部屋に場面は変化した。
そこは寝室だった。彼の髪色のような橙の陽光が部屋にさしている。
部屋の中にはベッドで苦しそうに息をする黒髪の女性と、ベッドの傍らから、彼女の布団に突っ伏して泣きじゃくる橙の髪の少年がいた。
そんな二人をギルドルグは、俯瞰的に見ている。
ギルドルグが幼き頃を過ごした家にいた。おぼろげながら覚えているのは、この家は母の親戚の家で、父親が亡くなって一年も経たないうちに引っ越してきた家で、最期に母と過ごした家だということ。
今思えば、英雄の家族としては質素な暮らしであった。それを苦としたことは一度もないが、国から何らかの支援、恩賞をもらってもなんらおかしくないはずなのに。
キキョウ・アルグファスト。母親のことを、ギルドルグは思い出していく。
芯の通った人だった。肝が据わった人だった。
ギルドルグの父親、つまり夫を亡くしてからは少し柔らかくなった気もするが、母親に対してギルドルグは優しい母親というイメージはもっていない。
ただ、彼が十の歳になる前に病に伏せ、見る見るうちに衰弱していった。
凛として立っていた母は、最期には立ち上がることも難しくなっていた。
少年のギルドルグからでも、母の命の灯はそう長くはないことを悟ってしまうほどに。
一人にしないでと。おいていかないでと。ギルドルグが泣かない日はなかった。
元気だった頃の母であれば、『情けない』と一喝されてしまっていたかもしれない。しかし最早怒ることすら叶わず、そのことがギルドルグをより一層悲しませた。
だがいよいよとなったとき。お世話になった親戚も部屋から出てもらい、家族二人だけの時間を母は作った。
この場面は、ギルドルグの紛れもない記憶の一場面。母との今生の別れの場面だった。
母親は幼き日のギルドルグを、自分の顔の近くに招く。
それはもう、まともに声すら出なくなっていたから。あの凛とした、けれど優しくギルドルグを包んだ声は、今や小さな掠れ声しか出ない。
「ギルドルグ……」
母親がギルドルグに言葉を託そうと、口をゆっくりと開いた。
「今日は豚肉がいいかな……」
「……はぁ?」
途端に、場面が暗転する。
夢の中からギルドルグが戻ってくると、彼はベッドで頭を枕に乗せていた。鍛錬から戻った後、いつの間にか眠っていたようだ。
そして今のは、ゼルフィユの寝言だった。
母親の遺言から急転直下、今日の飯の話である。
多少怒りを覚えたが殴ってしまうと起きてしまうので、ささやかな復讐としてゼルフィユの口元まで厚いシーツを上げ、呼吸を妨げる。ゼルフィユは息苦しそうに呻いた。
若干ではあるが溜飲が下がり、ギルドルグは小さく笑う。
母の遺言は、まだ思い出せない。
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