7

 ギルドルグは戻ってきたユウの肩に手を置き、労をねぎらう。

「気を付けてギル。あの人……」

「お前に言われなくても分かってるって。ありゃあ一番警戒しなきゃならん相手だな」

 そしてギルドルグは円の中央で、最後の敵と相対する。

「最初に言っておくけど、ボク怪我するの嫌いなんだよね。血とか見るの結構苦手だし」

 魔法を使える間合いに入った後、ライドは楽しそうに話しかけてきた。

 ここに来て会話を楽しむというわけではないだろう。いつでも魔法が放てるように、剣技を受け流せるように構えをとる。

 ――御し難い。ギルドルグは思考する。

 何を考えているか分からない、というのはそれだけで脅威だ。次の動きを読むことも、出来ない。

 仮面のような笑みの裏で、この男は一体何を見ているのか。

「……何だよ急に」

「だからボクとギルドルグ君の戦いにおいて、ボクが負けだと判定した場合はどんな状況であれ降参するよ。いいですよね? ピクさん」

 ライドが、己の視線のやや先で座るピースベイクに声をかけた。

 ギルドルグにとっては、まさかの発言であった。結局実力を見せろということなのか、ここに来てこちらの難易度を下げてくれるとはありがたい。

 ただこれには当然、警備軍の仲間内でざわめきが起こった。

 出番を奪われたクリスも、黙って観戦していたディムも、怒りをあらわにしてライドに異を唱えた。

「何勝手なこと抜かしてやがるライド! テメェどういうつもりで――」

「いいだろう」

 何を思ったか。国境警備軍を統べる男、ピースベイク将軍は立ち上がり、ライドを見据えた。

 驚いたように、誰もが彼の方を見つめたが口は開かない。時が止まったかのように、あたりは静寂に包まれていた。

 ライドとピースベイクの視線が交差する。ライドは鷹のようなその目にも怯まず、永遠のような数秒を平気な顔で過ごしていた。

「その代り……お前の全力を出してみろ」

 安心したのか、提案したライドはホッと溜息をついて、再びギルドルグと向き直る。

 そしてピースベイクのところまで届くか分からないほど、やや声を抑えて彼は言った。

「何言ってるんですかピクさん。ボクはいつだって本気ですよ」

 言い終わった直後、ライドはギルドルグの眼前にいた。

 ギョッとしてギルドルグが慌てて左手から魔法を放ったが、それを簡単に回避してライドは彼の背後に回る。振り向きざまに剣を振るい牽制しようとするも、その剣は既に振るわれていたライドの剣を防ぐに留まる。

 薙ぐようにして振るわれていたライドの剣を、ギルドルグは力で跳ね返した。やや後ろに下がったライドだが、すぐさま距離を詰めて今度は縦に剣を振るう。同時にギルドルグが剣を振るい、そのまま鍔迫り合いの状態となった。互いの力を示しあうように。

「国境警備軍ともあろう奴が……不意打ちかよッ!」

「戦闘中にそんなことを言ってる場合ではないよね。君も経験豊富な戦士の端くれだと思っていたけど、ボクの見込み違いかなっ」

 ライドは素早く一歩後方へ下がり、左手を滑らせてギルドルグの右側へと幾つかの氷柱を放った。ギルドルグはすぐさま炎の壁を顕現させて氷柱を融かしたが、今度は逆側から放たれた氷柱に対応が遅れ、数本が彼の脇腹へと突き刺さる。

 苦痛の表情を浮かべるギルドルグ。ライドはそれを表情を変えずに見つめる。

「そんなのでよく生きてこれたね。逆に褒めちぎってあげたくなるくらいだよ」

「アンタこそ、そんなもんが本気とは、出番を譲ったクリスとかいう上司が泣くぜ?」

「アハハ、軽口叩く余裕はまだあるみたいだね」

 怒涛の攻撃が再開される。魔法は一切使わない剣技のみの攻勢だったが、ライドは楽しそうに笑っていた。一歩違えば自分が深い傷を負うというのに、それすら恐れるに足らないと言わんばかりに。

 互いの剣はほとんど拮抗し、甲高い音を何度も宙に響かせた。ギルドルグは何度か魔法を使用したが、距離をとるための時間稼ぎであることをライドに看破されている。

 致命傷でなければ構わないと言わんばかりに、彼はギルドルグの首を正確に狙ってきた。今まで戦ったことがない、狂気的ともいえる攻めだ。ギルドルグに魔法を使う隙も与えられないほどの接近戦となってしまう。

 再び鍔迫り合いの格好となった。これを好機としたか、突然猛攻を止めると、ライドが語りかけてくる。

「君ってなかなか強い方だとは思うよ。軍にも所属していない。誰にも師事したことがない。今まで一人で生きてきてそこまでの域に達したというのは感服する」

「褒めてくれてんのか?」

「でもあくまでそれは、の域を出ない」

 膝を突き上げてライドの腹部を狙うも、察知されたのか後方へと下がられる。

 今度はこちら側から距離を詰めるかギルドルグは思考したが、ライドの言葉によって先手をとられた。

「才能って、あるじゃない」

 ざわ。と、何かがギルドルグの琴線に触れた。

 ギルドルグの動きが、止まる。

「んだよ、急に」

 何を言い出すかと思えば。ギルドルグは少し乱れた息を隠すように、ライドの言葉に返答した。

 いや、本当に余裕なのだ。舌打ちしたい気持ちを強く抑える。

 しかし動揺を見せてはいけない。隙を見せてはいけない。このような男には、特に。

「才能っていうのは基本的に親から子へと、血によって受け継がれていくものだ。君は誇り高き英雄の血をひいているんだよ?」

「……何が言いたい」

「君に、英雄の名を継ぐ資格はあるのかい?」

 冷水に打たれたように、彼の思考も止まった。

 放たれた言葉は、簡単なものだった。

 否定。疑問。ギルドルグ・アルグファストは、真に英雄の息子と名乗る器はあるのか。

 ライドは目を開いて、こちらをしっかりと見つめている。謎の笑みを浮かべていた時よりも、何か不穏なものを感じる。

 時間の無駄だと、これ以上やっても実力差は歴然としていると、彼は判断したのだろう。ここで心の底から彼が満足する回答が得られなければ、勝負を決めに彼は攻撃を再開するに違いない。

 ただ、ギルドルグにもプライドはあった。

 挑発のつもりだろうが、生憎そういうコトは聞き飽きてるんだ。才能がない? 凡人? 上等だ。

 言われるまでもなく、そんなことはのだから――

「親父と比べられることが多かった人生だったけどよ」

 父が死んでしばらく、幾度となく言われた。

 君が、彼の息子か。

 彼らに他意はないのだろう。彼らにとって自分とは、単なる興味、単なる関心を惹かれる存在でしかないのだろう。

 故に彼は、人生の早い段階で察してしまった。自分だけを見てくれる人間というのは、この世界にはほんの一握りしかいないのだと。

 知り合った誰もが、一種の敬意を持って彼と接した。一種の色眼鏡を通して、彼を見た。

 孤独な人生だった。表面上の付き合いは上手くしてきたが、本心から語り合えるような友とは巡り会わなかった。

 上司であり友であり、彼の理解者であるキョウスケと出会うまでは。

 半ば強引に入れられたキョウスケのギルドで、色々な人と巡り会うまでは。

 ギルドルグは太陽の如く燃える瞳で、氷のように冷たい目をしたライドと視線をぶつけた。

「何を受け継いでいるのか、どこが似ているのかジロジロ見られる人生だったけどよ」

 彼は構えていた剣を右手で上げ、その切先を相対者へと突きつけた。

 俺は、まだ負けちゃいないぞ。

 相手に、不屈の決意を誇示するように。己の魂を鼓舞するように。

 ここで思い出すのは、謎の預言者に言われた言葉。指摘された言伝。託された言霊。


『足りないのは、あと一歩じゃよ』


 たしかに足りていない。

 ギルドルグが一番、そのことを理解していた。

 あと一歩どころではない。あの英雄を、あの偉大なる父親を追うには、あまりに遠い。

 だが始めよう。

 英雄へと続くたしかな一歩を、ここから踏み出してみせよう。

 いざ、才あるもの達へ。

 反逆の狼煙を、ここから上げてみせよう。

「そういう奴らに認めさせて、証明すんだよ。俺が英雄の息子だってよ!」

 そして、咆哮。

 叫びながらギルドルグはライドへと突進した。

 気でも触れたかと、周囲の兵士たちがざわめき始める。しかしそんなものは、もう既に関係ないのだ。

 極限まで研ぎ澄まされた彼の思考は、周囲の雑音を鼓膜から締め出した。最後にはそれすらも無駄と判別し、唯一の目的のみを残して思考をも排除する。

 即ち、目の前の敵を倒すこと。ライド・ヘフスゼルガを己の剣で認めさせること。

 今度はギルドルグが怒涛の勢いで攻める番だった。先ほど一方的に攻めていたライドの剣技は身を潜め、後ろに下がりながら攻撃を受け流すことだけに努めている。

 ただギルドルグは効率的に魔法を使用し、ライドの運動範囲を狭めていた。爆炎や氷柱が飛び交い、地面にいくつもの窪みが生まれる。剣と剣が甲高い音を奏で続ける。

 薙ぐように、ギルドルグの剣が振るわれた。だがその重い一撃を防ぎ、バランスを崩して二、三歩後ろに下がるライド。

 両者との間には、先程までにはなかったスペース。

「あれは……!?」

 観客全員が気付くが早いか、ギルドルグは前へと跳躍した。

 ジャンプによって体の旋転運動における軸を安定させ、地面を蹴った反動で腕の振り上げを勢いづける。何よりこの動作は隙こそあれ、相手に与える心理的効果が大きい。意表をついて派手な動作を行い、さらに上から迫ってくるような錯覚を相手に与える。

 ライドは攻撃の隙を突こうとしていたが、呆気にとられて動けない。それは一般人であるギルドルグが知るはずもない技だったからだ。

 兵士となった者が教育される、軍式剣技の型の一つ。

 通称、英雄の懐刀ジャックナイフ

 奇しくも十五年前の英雄が創出し、彼が最も得意とした型であった。

「あら」

 ライドがやや間抜けな声を出し、そのまま何かに足をとられてバランスを崩す。それはギルドルグが先ほどの猛撃によって生まれた窪みであった。

 いつの間にかライドの後方にも窪みを作り、じわりじわりと追い詰めていたのだ。

 それは全て、計算の上だったのか。

 それとも。

「嗚呼、成程ね」

 斬撃を放つ刹那、振り絞った力を解放するその瞬間、ギルドルグは確かに聞いた。

 彼にしか聞こえないような微かな声。しかしそこに、満足げな何かが混ざっている。

 ギルドルグは誰の力も借りず、かつての英雄の境地へと届き得た。ライドには、それだけで十分だったのだ。

「受け継ぐ意思は、固いみたいだね。……足りないところは、ちょっとばかし多いけど」

 ギルドルグは体勢をそのままに、己の剣を横へと振るった。だが細身の体躯を切り裂くはずだったその一閃は、神速の剣による防御によって防がれた。届くことはなかったが、力で勝ったギルドルグの攻撃はライドの守りを弾き飛ばす。ライドの剣は勢いよく横へ転がっていき、砂埃と共に動きを止めた。

 肩で息をしながら息を整えるギルドルグと、得物がなくなり諦めたように天を仰ぐライド。

 余力は対照的な二人だったが、勝敗は決した。

 辺りが静寂に包まれる。

「ピクさん! ボクの負けです」

「……そういうことにしておこう」

 ピースベイクが頭を振って言うと、周りの兵士からは自然と拍手が沸き起こった。

 そこにあるのは、たった今行われた好勝負への純粋な称賛。敵も味方もそこにはない。

 褒め称えるべきは褒め称える。当然のことではあるが、ギルドルグには何故かとても爽やかに感じられた。




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