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「とりあえずこっちからも聞きたいことがあるから、聞くぜ?」

 ギルドルグの大きなわざとらしい咳払いは、そう広くない部屋を再び静寂させるには充分であった。部屋の全ての視線が、再度彼を向く。

「ダズファイル・アーマンハイドってのは何者だ」

 部屋にいる軍人たちは揃いも揃ってざわつき始める。ギルドルグの正面に座るピースベイクですら、軽く口を開けて驚いた素振りを見せる。

 国境警備軍が来なければ、まず間違いなく三人はダズファイルというあの男に殺されていただろう。

 くたびれた灰のような頭髪に、やつれたような肌と体躯。そして何より、幻影を操る謎の能力者。

 霧厳山脈で三人に姿を見せた襲撃者は、一体何者だというのか。

「その名を聞くのは本当に久々だ。――噂程度の話にはなるが」

 ピースベイクの傍らに立っていたアルドレドが、彼の方を見やる。

「その男は霧の魔物と契約を交わし、霧の力を手に入れたとされている。霧厳山脈の丁度向こう側の地域を治めていたが、その力を利用してある国の重要地位にまで上り詰め、とある戦争を起こした」

 彼は椅子に座りながら机の引き出しを漁り、ギルドルグの方へと一枚の紙を滑らせた。

 紙は風と重力に身を任せひらひらと宙を舞い、丁度ギルドルグの足元に滑り落ちる。

「かつてエルハイムの王都は古来より北東の地、オスゲルニアとの国境にほど近い場所に置かれていた。しかし十五年前のあの戦争において蹂躙され、今の王都の場所へと移った。そしてその戦の首謀者が、奴だ」

 ギルドルグは己の足元の紙を拾い上げ、そこに記されている『十五年前の戦争』の事実を垣間見た。

 一面に描かれていたのは、昨日命の奪い合いをしたばかりの男が、邪悪な瞳でこちらを見つめている似顔絵であった。やや若いうえに顔の傷もないが、あの不快で忌まわしい顔は忘れようもない。

 紙によれば、ダズファイルという男はオスゲルニア側の霧厳山脈付近を治めていた領主であり、かつて父が英雄として散った戦争の首謀者。

 つまり。

 実質的なギルドルグの仇であった。

「聞いたことねぇぞ、そんなこと」

「お袋さんから聞いてないのか。まぁ生きるうえで必要ないことだ、当然かもな」

 ピースベイクは背を向け、いつの間にか空を覆っている暗い雲を見た。

 この国を覆う不安と異常気象を憂い、燃えるような赤髪を撫でつけながら将軍は溜息をつく。

「あの戦争で我々は多くのものを失った。王都もやつらの侵略でボロボロになり、遷都を余儀なくされた。多くの国民を失い、エルハイムの大地は血に塗れた。何人もの民がオスゲルニアへと連れ去られ、今も帰ってこない人々がいる。過去最高にして最強と謳われた最上軍師、メルカイズ・サンチェンパーは王都侵略の責任を取り軍を退いた。一度の侵略で、エルハイムはガラリと状況を変えた。王都や民どころか国全てを奪われるという、最悪の事態は免れたにしてもだ」

 ギルドルグはここでハッと気付いた。

 預言者たるメルカイズが軍に今も組していない理由はここにあったのだと。

 数々の預言でエルハイムに貢献してきたが、王都の直接侵攻という類を見ない屈辱はたしかに、彼の実績に紛れもなく泥を塗っただろう。

 ゼルフィユは憎々しげに舌打ちし、表情の変化が薄いユウですら、苦虫を噛み締めたような顔でピースベイクの話を聞いていた。

 彼らだけでなく、この部屋、このエルハイムの民はオスゲルニアに対しての嫌悪感を拭えていない。

 かの侵略はギルドルグだけでなく、多くの人の人生を変えたのだ。今更ながら彼は実感する。

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