短編「坂路の丁半 前」
《舞台となるは、とある坂道》
その坂道の詳細を紹介しよう。問題の道路は一軒家が集結するA町の住宅地エリア内にあり、B町に通じる下りに通じている。
上りから下りに移るまでの距離が普通車両二台分、車線が片道一本で中央線が無く、道幅が行きと帰りの車両がすれ違うにはやや狭く感じる程度。
両端を林に挟まれており、見通しが悪い為に、狭い道に信号機付きの電柱が建っている。電柱に対向の上り車両を見るためのミラーが設置してある。
歩行者が通るには勾配が辛く、普段から東に迂回して緑化公園を突っ切る通行人が後を絶たない。車も他に走りやすい道がある始末だ。
割と古い歴史があり、時間が進んで道の周りが開発されていった経緯がある。
時代の経過につれ、もっと使いやすく、もっと疲れない道がほしい等の要望の影に埋もれて、忘れられた道である。
さて、最近になって、この坂道の利用者が増えている。
その目的はこの坂道で神様との賭けをする事――願いを叶えられるという噂を信じて。
ここは鉄火場なのである。
道路脇に苔生して頭の潰れた石像が傾いている。像の前に汚れた陶器茶碗が置かれている。
椀の中には、雨水が溜まって乾いた跡が残っていた。
____________________
《人生逆転》
「今月は十七万の請求……。
給料日が三日後だろ。そんで、家賃と保険と借金の返済で……残んのは一万三千円かよ。夜勤まで入れてこれだけか」
坂道の頂点で止まっている宅配車の車内で、制服を着崩した男がスマホの画面に映る今月の電子明細を眺めながら、ぼやきを漏らした。
冷房を付けず窓を開けている。外は曇っていて、今にも雨が降り出しそうで降らない天気である。
仕事の合間に無断で、長めの休憩時間を取って業務エリア外で停車している。
今月の生活が厳しいと考えるだけで億劫な気分になる。気を紛らわせる為に荒々しくタバコを咥えて、安いライターで火を付ける。
「ふー……あ~ダル」
紫煙を吐き出しながらそう呟き、助手席の新聞を掴む。
ささっと裏返し、今週末の競馬欄を流し見る。
「……チッ。大穴狙うしかねえか」
返金額が高くなりそうな賭け先を探す。人気の馬など眼中にない。はした金が当たっても嬉しくも、勝利の歓びもない。ただの手癖で賭けている。
すると、無意識に欲望丸だしの言葉が漏れる。
「人生には大逆転の勝利が必要だ、一発当てなきゃ始まらない」
タバコを咥えて、車の天井を見上げる。
「受験戦争、就職活動、エトセトラ。
この競争社会じゃ一回の劇的な勝利で人生は変わる。変えられる筈なんだ、変えられるんだよ」
男はスマホをいじり、当たりをつけた馬になけなしの金を賭けている。競馬で当てようと思っていない。コレは暇潰し。
人生を変える大一番は競馬じゃない。
ある程度終わったら、また紫煙を吐いてスマホをスマホ置きに設置する。
スマホが待機画面を表示する。数日前に届いた一件のショートメッセージがあった。恋人の女からの「わかれてほしい」という内容のメッセージ。未読のままだ。
窓から腕を投げ出し、タバコを指で叩く。
タバコの先っぽの灰が落ちる。
「勝利を得る。そんで今日、俺の人生は変わるんだ。
女も金も、全部がガラリと変わるんだ」
男が待ち遠しそうに窓の外を眺める。
この男が今日、この場に居るのには理由があった。
彼は賭け事をしにきた。《神さまとの賭け》――勝てば願いが叶うゲーム。
賭場は坂道、賭けるは命。
「ホントに神様なら……宝くじの一億なんか目じゃねえ。生涯、金が溢れるんだろうなぁ。神様に勝った。誰が俺をバカにできる? 自分だってバカにできやしない。
クソな俺の人生が変わるんだ」
気持ち悪い暑さだが、眠くなってきた。
様子見に待機して三十分経とうとしていた。男が暇そうに空の雲を眺めている。
ピコン、とスマホにメッセージが届いた事を報せる通知音が鳴る。
ちらりと視ると、ゲームアプリの自動メッセージで「戻ってきて」と復帰を促していた。
「……うざ。消し忘れてたか」
男は帰還のメッセージを無視し、タバコをあと一本吸おう。そう思っていた。
――トントン
助手席側から固いものを叩く音がした。
ぼーっとしていた男がゆっくりと音のした方を向く。
助手席に黒い老人が座っていた。黒いボロ布をまとっている。助手席と運転席の間にいつの間にか板が渡されており、その板を老人の枯れ木のような左手が叩いて、男を呼んでいた。
男が目を剥いて驚いていると、老人が黒い布の懐から椀を取り出した。
板に置かれた椀の中でカランコロンと、二個のサイコロが転がった。
「丁半 ヤロウ ゼェ」
ラジオのノイズみたいなしゃがれ声。聞き取りにくい。
よく見ればこの老人、酷い猫背だ。丘のように背骨が突き出して見える。いや、姿がよく見えない。
白髪で目が隠れた顔とにやけた口元、痩せ細った左腕だけがハッキリ見える。
突然現れた浮浪者のような老人に驚くも、別の理由で宅配スタッフの男の胸が高鳴る。冷や汗を流しながら、男の口角が緩む。
「現れやがった。お前を待ってたんだよ、神様ッ」
「丁半 ヤロウ」
「やろうやろう!」
男が財布を取り出そうとすると、黒い老人が手で制する。
「勝ッタラ願イ叶エル」
「負けたら命を貰うってか?」
老人の左手が足元を指差す。
「
「は?」
「踝 モラウ」
「……命よりゃ格落ちだな。けど、悪くないリスクだ。乗った」
自分の知っている話と違うが、目の前の老人が神様だと疑わず勝負に乗った。
老人が椀の中のサイコロを掴み上げる。
手の中で転がして、器用に指の間に挟んで男に見せつける。
_______________
《賭け》
宅配スタッフがルールを整理する。
「親も子もなしで交互に振ろう。あんた、俺の順。順に2回ずつを一勝負として三回繰り返す。三本勝負だ。
出目の丁半を当てたら一点、勝ち点が多い方が勝ち、引き分けは仕切り直し。いいか?」
黒い老人が頷く。
老人の左手がさっと動き、手の中でサイコロを弄ぶ。
早くも神性とのゲームが始まった。
「両手を使わないのか? ミスしてもやり直しはなしだぜ」
「ヒッヒ」
笑う老人がサイコロを上に放り投げた。
左手が素早く動く。椀を取り、落下途中のサイコロをすくい、逆さまにして遊戯盤に叩きつけた。
一連の動作は素早く、手先の動きが捉えられないほど。老人の手捌きが熟練である事に疑いの余地はない。
「ハッタァ ハッタァ」
「……やるね」
男は老人の左手が乗った椀をじっと見つめて、
「丁」
と口にした。
老人の左手の人差し指が椀の底を掻く。
「ヨゴザンスネ?」
「ああ」
男の言葉を待って、老人が椀を開く。
『二、一の三。半』
男の予想が外れた。
「くそ」
「次」
左手が椀から離れる。
次は男の番だ。
サイコロを掴み、イカサマの細工がないか確かめる。もちろん、バレないよう握った手の中で指先の感覚だけを頼りに探る。
軽く古いサイコロだ。店で売っているような安物ではなく、触った事のない材質、見慣れない材料で作られている。傷がついているので使い込まれている。
だが、重みが偏っているような細工はない。あくまで、お気に入りの、特注のサイコロというだけのようだ。
小馬鹿にするように老人を流し見る男。
「……イカサマは嫌いか?」
「――」
老人はにやけるだけで答えようとしない。相手の狙いを探ろうとしたが失敗のようだ。
対戦相手の用意した勝負の場など欠片も信用ならない。サイコロを手の中で転がす。男は仕掛ける腹積もりだ。
――サイコロのイカサマ技なんていくつもある。
――あんたを確かめてやる。
男がサイコロを椀に放る。小気味いい音がしてサイコロがはねる。
椀を遊戯盤にひっくり返す直前、気付かれないように注意しながら少し横に振る。ぶつかった衝撃で中のサイコロを操作した。
カンッ。椀を老人の方に突き出して、決断を迫る。
「丁か半か、張った」
「――」
「どうした? ニヤけるばかりで、サイコロが見えなかったか?」
男が老人を煽る。
老人は左手の人差し指で板を叩く。悩んでいるのか。
――あの技、俺の腕なら八割で丁になる。
――これは試しだ。見抜く目があるのか試す。効くならストレート勝ちだ。
努めて顔に考えが出ないようにする男。
黒い老人が左手の人差し指と中指で、歩くようなジェスチャーをしてみせる。
椀を掴む男の注意が逸れる。
「? 張った張った」
「ヒッヒ 半」
「ファイナルアンサー?」
「半」
わずかに眉を動かした男が沈黙を守ったまま、椀を持ち上げる。
六、三の九。半。
「アタリ。運がいいのか、汚い白髪の下にある目がいいのか。どっちなんだ?」
「――ヒッヒ!」
男の耳には老人の引き笑いが癪に障る。
イカサマを見抜かれた、と思いもしたが、別の考えも過る。
――見抜かれたからなんだ。ペナルティがあるとでも?
次に当てる番である男が、黒い老人のにやけ面を睨む。
――勝ちに来たんだ。イカサマでもなんでも、やってやる。そして、見抜いてやる。
男が意気込んでいると、ふと遊戯盤の上の変化に気付いた。
「白い……骨……?」
平べったいサイコロのような骨。遊戯盤の上に、無造作に一個だけ置かれている。骨の上面には、サイコロと同じような出目が描かれている。四。
男が突如現れた骨を気味悪がっていると、老人の人差し指がそれをつつく。
「如何様 バレタラ 折檻」
「……ッ」
釘を刺したつもりか。真意が読めずとも、自覚のある男には効いた。
――次は無い、ってか。
――けど、それなら逆に利用してやる。お前のイカサマを見抜いてやる。
老人がサイコロを空中に投げた。もう次のゲームが始まっている。
「丁カ半カ、ハッタァハッタァ」
またも早業でサイコロが椀に隠された。
――また見えなかった。
――向こうはイカサマが見抜けて、こっちは目も追いつかない? なんてひり付く勝負だ。こいつはイカサマをやる、俺にはわかる。
車内にこもる熱気のせいで、緊張の面持ちの男の顎に汗が伝う。
「……丁」
「ヨゴザンスネ?」
頷きを返すと、椀がゆっくりと持ち上がる。
『二、六の八。丁』
同点になった。だが、安心はできない。
――次当てられたら、神様が一点リードする。
男が右手に椀、左手にサイコロを構える。
さっきのようなイカサマをしようか一瞬迷うが、今はまだ劣勢でもない。自分から弱みを作る真似は避けるべきだと判断した。相手の戦略を見抜く事に注力する。
「いくぞっ」
腕を前で交差させる。すれ違いざま、サイコロを椀に投げた。サイコロが椀に入ったのを確認して、すぐさま椀をひっくり返して遊戯盤に押し付けた。
老人に問う。
「丁か半か」
「――丁」
即答。
『六、二の八。丁』
奇しくも両者同じ出目。老人がニヤリと笑い、男が歯噛みする。
そして、
「ヒッヒ!」
老人が楽しげ引き笑いを上げた。男の耳には癪に障る。
男が眉間に皺を寄せ、貧乏ゆすりを始めた。
「うるさいっ」
男が語気を荒げた。リードされた事に焦りを感じる。
一回戦もまだ終わっていない。そう思う事で冷静さを取り戻そうとする。
不安が顔を覗かせ始めたのを感じ取り、気を紛らわせる為に老人へ質問する。
「あんた、神様なんだろ? 神通力でも使ってるんじゃないのか?
言っとくが、それもイカサマだぜ」
「――」
老人はにやけ面を浮かべたまま微動だにしない。
自分は気付いている、というカマかけでもあったが、表情が読めない相手で効果が薄い。
何故か、老人はサイコロを持ったまま次のゲームを始めない。ずっとサイコロを手の上で転がしている。カチャカチャとうるさい。
集中を乱されないように男は現状を考える。
――そうだ。こいつは神様、神通力だとかイカサマがある。
――でも、どうやってそれを証明する? どう出し抜く?
――……どんな突拍子もない事でも、作戦かもしれないって疑う事ぐらいしか対策がないな。
勝負に臨むスタンスを決めると、自然と遊戯盤の上に男の視線が移った。
――また、例の骨のサイコロが増えている。
――どっから……いや、いつの間に……。
今度は三個。いや、老人が手の中で弄んでいるサイコロにも一個含まれているので、四個増えている。
「おい、さっきから何だ。それは?」
「賭ケ 二 勝ッテ 作ッタ」
それだけ言うと、老人が一回戦最後の手番を始めた。
男がそれ以上、骨サイコロに興味を持つのを遮るように。
_______________________________
《横槍》
投げられたサイコロが落下する。
男は運任せを嫌い、なんとか落下するサイコロを目で追おうとする。
しかし、唐突に後ろから窓を叩く音がして、そちらに気を取られた。
「すいません。警察ですが、誰かいらっしゃいますか?」
と声がして、思わず男が振り返る。
汗を流した警官が車内を覗こうとしていた。ずっと坂道で停まっているから、近所の人間に通報されたのかもしれない。
だが、それだけだと男は意識を切り替える。既にゲームが始まってしまっている。
遊戯盤の方に意識を戻す。椀がひっくり返っている。
すると、また窓が叩かれる。
「警察です。誰かいらっしゃいますか?」
「くそ、しつこい。
……いや、おかしいだろ。どうして、中が見えないんだ?」
不思議に思い、また振り返る。
窓の外の、警官の若い顔がよく見える。しかし、警官の顔は怪訝そうだ。
覗こうとして中が見えないみたいな表情だ。この車は仕事用のトラック、規則があるからマジックミラーは勿論、遮光フィルムだってつけていない。窓から車内で丁半をやる自分たちの姿が見える筈だ。
男が警官の探るような顔をじっと見ていると、
「丁カ半カ、ハッタァハッタァ」
と、真後ろの老人がゲームを進行させようとしてきた。
「ま、待て。待ってくれ。警察が来てるんだ。追い払うから」
「待ッタ ナシ 言エナキャ 負ケ 踝 モラウ」
「追い払ったらすぐに言う。邪魔されてゲームが流れないようにだな――」
「違法駐車か? けど、エンジンが動いてるんだよな。どうせ、中で寝てるのか」
また、警官が窓を叩く。今度は強めに、中の人間を起こすつもりで。
老人の左手が椀から離れ、枯れ枝のように細い人差し指を男の顔に向けた。
「賭ケ 途中 デ 止メル事 出来ナイ」
「止める気はない! 警官に邪魔されないよう――」
「まったく、なんだってこんな所で停まってるんだ? 違法駐車もいい所だ」
また、窓が叩かれた。まるで割ろうとしている勢いで。
男が前と後ろ、両方に気を取られる。
「ハッタァハッタァ」
「すみません! 警察です! ……まさか熱中症か?」
言葉の後、窓の外から重い装備が擦れる音がした。
男が振り返ると、警官が肩の通信機を握る姿が視認できる。
「こちら、A町交番の原灰。不審車両発見、運転手に熱中症の疑いあり。応援と救急車の手配を――」
警官が応援を呼ぼうとしている。人が集まれば、それこそゲームどころではない。
そして、老人が、
「丁カ半カ ハッタァハッタァ」
と、椀の底を左手で叩き催促する。
「くそ、神様には人間の社会ってのが理解できないのかよっ」
悪態を吐くも、悩む時間は稼げない。
男は老人の方を向き、
「半! 半だ!」
叫んだ。そして、振り返って窓を降ろした。
開いた窓から顔を突き出す。
「な、何かありましたか?」
目を剥いた警官が汗を拭ってから、口を開いた。
「……ああ。運転手の方?」
「ええ。ちょっと寝てまして……」
「そう、ですか。随分、汗をかいてますね。冷房も付けずにこの暑い中で?」
「ええ。つい、うっかり……」
「……ここ、道路の真ん中ですよ。どうして駐車を?」
「普段、誰も使わないんで、まあいいかと思いまして……すんません」
すると、男が警官とやり取りしている後ろで、老人が「ヨゴザンスネ」と言って返事を待たずに椀を上げた。
男が身体で車内を警官の探る視線から隠しつつ、脇目で後ろを確認する。
『三、五の八。丁』
男が外した。
「っ! くそ」
「どうかされました?」
「え、ああ。暑くて――」
負けの損失を支払う時だ。
「一回戦 オ前 ノ 負ケ
約束 踝 モラウ」
老人の言葉が終わると同時に、左手が男の右足首を掴む――筈だった。
左手はずぶり、と泥に沈むように男の肉を通り抜けて、男の骨を直接掴む。
違和感に男が振り返ると、
「新シイ サイコロ 作ル」
「なっ!?」
「車内に何か?」
男が骨を掴まれる感覚に怖気を感じていると、老人が足首の骨だけをキレイに引き抜いた。血すら付着していない。
ぶらん、と男の足首から先が中身を失くして垂れさがる。痛みが無く、ただ唐突に軟体動物のようになってしまった感覚だけがある。それが更に気持ち悪い。その気持ち悪さに男が悲鳴を上げる。
「う、うわあああ!?」
「どうした!?」
悲鳴を上げた男がドアの方に身を寄せた。
外の警官が男を心配して身体の方を見、男の中身が無くなり、まるでタコの触手になったような右足首を発見する。
「あんた、足が――どうなってんだ!?」
混乱しながらも警官は男を助けようと車のドアに手を掛ける。
男がそれに気付き、咄嗟に声を上げる。
「ダメだ、開けるな!?」
時既に遅く。警官がドアをわずかに開けた。賭場に踏み込んだのだ。
闖入者の横槍に気分を害した老人が警官を睨み、
「小者 捕リ物二来タ 楽シイ賭ケノ邪魔シニ来タ」
と老人が言うと、突然警官が苦しむ声が上がる。
「――あがっ!? ぐぎぎ……」
「な、なんだ? おい、あんた!?」
突然倒れた警官を観ようと、窓枠に身体を預けたまま男が身体を捻じる。
その背後で、
「続キ シヨ?」
と老人がにやける。左手が空中の何かを掴んでいるような形になっていた。
男の目の前で警官が驚愕の表情を浮かべ、喉の前を掴もうとして何度も空振りする。彼の喉が見えない手に掴まれているように凹んでいる。
やがて、倒れた警官が苦悶の顔で泡を吹いて、ピクリとも動かなくなった。
男の肩は震えている。
振り返った男が老人を問い詰める。
「おい、これが見つかったらどうする気だ!? それこそゲームにならない。いや、あの警官応援を呼んでた。応援要員が来たら終わりだぞ!」
ゲームに勝って人生を変えるつもりなのに、このままでは悪い方向に進む。男はそれを心配していた。
「ヒッヒ オ前 ノ 番」
老人がそう言うと、サイコロの入った椀を男の方に押し出した。
しかし、心配事に気を取られる男が文句を言おうとすると、
「次 左ノ踝 モラウ」
男の右足首の骨を遊戯盤の上で撫で回しながら、そんな事を言う。
よく見れば、自分の骨と他の骨サイコロの形が近い。骨サイコロは老人の戦利品なのだろう。
足に痛みがないから、異質な違和感ばかりを強く感じる。
文句を言っても仕方ないと判断し、男は腕を使って運転席に座り直す。
自分とて、この程度で勝負が流れる事を望まない。だから、自分の骨を見て聞く。
「……それを取り戻すには?」
「賭ケ デ 取リ戻セ
賭ケ金 ヲ 払ッテ」
「踝の他も欲しいって? 業突く張りめ」
「首ノ骨 一番 サイコロ ガ 似合ウ」
「それは……」
首の骨が無くなれば死ぬ。医学知識のない自分でもそんな事はわかる。
つまり、奪われた物を取り戻すには命を懸けるしかない。
軟体となった自分の足を見下ろす。
骨が無いせいで奇妙に捻じれた足がそっぽを向いている。痛みがない。傘の骨だけを抜き取ったみたいだ。
「いいぜ、賭けよう。
人生変える為に来たんだ。五体満足で最高の人生を送りたい」
「ヒッヒ」
元より、勝利の為に命懸けの覚悟で来た。骨を抜き取るなんて芸当を前に恐怖したが、気を持ち直す。
男が改めて勝負の席に着いた時、車の外の警官の姿が黒い靄と共に消えていた。
早めに羽化したセミが鳴いている。
____________________
《引き際》
二回戦。結果は男の勝ちだった。
横槍の邪魔もなく、勝負は三回戦目に持ち込まれる。
冷房を付けない車内の熱気は、勝負師たちの発する湿気と相まって最高潮に達していた。まるでサウナで博打をやっているような環境だ。
目元の汗を拭う男。
汗一つかかない黒い老人。
現在、三回戦、二番目の老人の手番。
「零 ト 零
ヒッヒ 楽シイ楽シイ」
「お前のにやけ面が歪むのが楽しみだ」
老人が素早い手捌きでサイコロを椀に隠す。出目を見るのは諦めている。
左手の指が遊戯盤を連続でタップする。
「うるさいな、止めてくれ」
「ヒッヒ」
タップ音が続く。止める気がないようだ。
椀を見つめる。
――これを外したら……負ける。
――負けたら、死ぬ。
ひり付く状況に男の歓喜が止まない。
彼の顔にも、老人に似た笑みが浮かんでいる。
「サァ ハッタァハッタァ」
「……半」
「ヨゴザンスネ ヨゴザンスネ」
「ああ、半だ」
椀が持ち上げられる。その下に――。
――コンコン。
運転席側の窓ガラスがノックされた。
男の注意は外の誘惑に惑わされず、じっと椀の下を見ていた。だが、正解がまだわからない。
椀の動きが途中で止まっている。老人が動きを止めたのだ。
「――おい、さっさとしろよ。何してるんだ」
「後ロ 後ロ」
「今更気を逸らそうってか? 急に幼稚だな、そんな手に乗るかよ」
「ヒッヒ」
老人は笑う。まだ手を動かさない。
男のイライラが募る。だが、数回の対戦で相手の強情な性格を理解しているので、仕方なく後ろを振り向く。
「は?」
窓の外に、見知った顔があった。
「ゆうか?」
先日別れたばかりの恋人。自分のギャンブル癖を知り、別れると言った短気で強気な女。そいつが、恨みがましい目で自分を睨んでいる。
その手には大きな石が握られ、男の元恋人はそれを振りかぶり、窓ガラス目掛けて振り下ろす。
「下らない。俺は人生を変える為に来たんだ、今更昔の女を振り返るかよ」
男がそう言い切った瞬間、元恋人と石が黒い靄となって消えた。
老人の方を振り返った男が黒い老人を追及するように指さす。
「お前の仕込みだってのは解ってるんだよ、マヌケ神。
どうせ、さっきの警察もそうなんだろう? 俺をビビらせる算段だったんだろう」
「――」
「そんで、トドメにゆうかだ。どうやってなんざ、どうでもいい。俺の罪悪感に訴えて勝負勘を鈍らせる気だったか?」
「――」
初めて、老人のにやけ面が悔しげなものに変わる。
スカッとした心持ちの男が言葉を続ける。
「勝負のツキは自信のある者の所にやってくる。俺は自信を得る為にここに来た。勝てるぞ、俺は!」
男が意気揚々と叫ぶ。
「半で負けた。なら、俺は半だ! 中身は半だ!」
止まっていた老人の手がゆっくりと上がる。
四、五の九。半。
男の勝ち。
「よっしゃあああ!」
歓声を上げた男が老人からサイコロと椀を奪い取り、
「ツキは逃さねえ、すぐに始めるぞ」
と宣言し、言葉通りに手早くサイコロを椀で隠した。
椀を老人に突き付ける。
「ここで外せば、お前の勝ちは無くなる。よくて、仕切り直し
――さあ、張った!」
「――」
「張った張った!」
にやけ面を失くした老人が、自作の骨サイコロのいくつかを握り締める。
ギチギチ、と骨サイコロが軋みを上げる。
「……ヒッヒ」
引き笑い。黒い老人の顔に笑みが戻った。
老人は椀を指差し、
「サイコロ イクツ?」
と呟く。
真向かいの男は老人の苦し紛れの言葉を吐き捨てる。
「言わないなら負けを認めたって事になるぜ? それでも――」
「盤ノ上 見ロ」
老人の言う通り、男が遊戯盤上に視線を巡らせる。
積み木で遊ぶみたいに骨サイコロが積み上げられている。
不思議な事に、男の記憶と骨サイコロの数が合わない。
「数が……」
「サイコロ 何処?
此処? 其処?」
老人が言葉と共に椀を指差す。
「お前、サイコロを仕込んだのか……」
「数 指定 ナイ
増エタ 増エタ 出目 解ル?」
「そんな脅しに意味があるとでも? サイコロの数が増えたからって丁半のルールが変わる訳じゃない。出目の奇数偶数を当てるだけ、シンプルな二択だ」
「デモ オ前 見エナイ」
余裕のにやけ面で、老人は枯れ枝のような左手を振る。
彼の言う通り、男は散々見せつけられた。老人の手による早業の数々を。
男の思考にとある可能性が過る。
――こいつは何時増やした?
――俺が勝った時は確かに二つだった。手番が回ってサイコロを持った時も二つ。
――この椀に入れれるタイミングは……振り下ろしている間だけ。
思い至った可能性を否定したくとも、今まで老人の早業を見抜けなかった体験が邪魔をする。
この神様ならやってのけるのではないか、と。そう思うと、もう一つ懸念が生まれる。
――サイコロを増やしただけか? 早業で出目を操作されてたら?
――いや、むしろ用意したサイコロが『ゆうか』みたいに自由自在だとしたら?
――サイコロ全部がコイツの自由自在なんだったら、出目を好きに出来る。
「……」
先程までの意気軒昂とした様子は消え、男は打って変わって大量の汗をかき始める。勝ちのイメージが薄れてゆく。
「ヒッヒ」
「……」
丁半を答えろ、と言いたくとも、開いた口から上手く言葉が発せられない。
顔面蒼白ながら、ぐるぐると頭はフル回転で思考している。
――コイツの仕込みは横槍だ。俺の気を反らして、その間に……。
――……あの左手で色々出来たのに、しなかった。
――だから、横槍がコイツの戦略だと思って、勝算だと思って……。
「……ハメられた」
男は老人の戦略に気付いた。
早業を何度も見せつけのは印象付ける為、横槍を演出したのは早業の印象を薄れさせる為。全てはこの瞬間に男の心に大ダメージを与える為だけに、性悪な盤外戦略を仕掛けてきたのだ。
老人の思惑に気付き、男が呆然と対戦相手を見つめた。
「……性悪め。最初から、賭けで勝つ気なんてなかったんだな
お前、丁半で勝負なんかしてなかった」
「ヒッヒ」
男の心から勝算の光が失われ、椀を持つ手の力が抜けて、だらんと下がる。
彼の左足首に黒い靄が手の形となって這う。首にも這う感覚がある。
だが、抵抗する気力さえ男から失われていた。
完全なる戦意喪失のまま、男は負けを認めてしまった代償を支払う事になる。
その筈だった。
______________________
《真の横槍 誠の闖入者》
勝敗が決した賭場。車の外。
振り上げられた小さく赤いハンマーが、運転席側の窓ガラスに振り下ろされる。
今度は老人の幻ではなく、本物のハンマー。
ガラスが破られ、黒い靄に絡まれる宅配スタッフの男を、ガラスを割った張本人――スーツ姿の男が引っ張り出す。
スーツの男が失意の宅配スタッフを抱えてコンクリの地面に倒れ込む。
サングラスをかけた顔を上げ、背後の人物を呼ぶ。
「マサミちゃん、出番だよ」
「――名前で呼ぶな、おっさん。気持ち悪い」
身長は中学生ぐらい。声の若さもそれぐらい。どこかの学校の制服を着た、眼鏡をかけた真面目そうな女の子。貞淑な女学生の見本のようだ。
しかし、風でなびいた髪の下――右耳にはいくつもピアスが付けてある。
不機嫌な顔で制服の首元を緩めながら、マサミという名の女の子はわざと男たちをまたいで車に近付く。
ドア越しに中の黒い老人に宣言する。
「私は盾作正美、龍の妻だ。黄金鳥の名代として、お前を捕まえに来た。私と勝負しろ、
女の子の首元には、鳥の羽根のような痣が巻き付いていた。
―― 後編に続く
____________________
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
久し振りの夏企画です。前回とは違いショートショートではないですが、まあ、夏企画という括りで、カテゴリ分けは大目に見てください。
後編はすでに半分ほど出来ております。
後編の投稿予定は8月です。
次回もお読みいただければ幸いです。
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