第5話 そうは問屋が卸さない。

どんなに非現実的な朝を迎えようと、日々のスケジュールは変わりなく進んでいく。今日この日とて例外では無かった。

ただでさえ頭に入って来ない、1限目の古文の授業が朝の出来事のお陰で更に遠くに過ぎていく。先生の声が全く耳に届いて来ない。

チラッと席の離れた幼馴染に視線を投げると、真面目な顔をしてノートを取っている。普段は天然炸裂の彼女だが、勉強はかなり出来るのだ。

うちの高校は1学年の人数が124人。25人のクラスが4つと24人のクラスが1つ。

テストの成績が廊下に貼り出される事はないが、個人に渡される順位結果表はクラスの人数では無く、学年の人数のうち何位にいるか分かるようにしてある。因みに友咲は、124人中堂々の3位を常にキープしている。


視線を交互にノートと黒板の間で行き来させていた友咲が、私の視線に気付いて親指を立てて見せた。動く唇を読むに「ミッションは完全にクリアだよ」と言っているらしい。友咲の中では蓮の葉を探す放課後は、既にミッションとして成立しているようだ。巻き込まれている私としては、ミッションクリアにならなくても良いから平穏無事に帰宅したい。


(読唇術まで身につけてしまったか…)


私はやる気に満ち満ちた友咲をスルーして窓の外に視線を向けた。教室には古文の先生が説明している声と、クラスメイトたちが黒板の文字をノートに移す音だけが響いている。古文担当の先生が厳しいということもあり、無駄話や携帯を弄っているような生徒は1人もいない。現実逃避を決め込み、外を眺めている私を除いては…


何というか…自分が意図していない方向に物事が転がっていくと、世界が自分1人を置き去りに回っているような感覚に襲われる。


夏の気配が消えた空は、秋らしくウロコ雲が浮かんでいる。


天高く馬肥ゆる秋。


夏のバカみたいな暑さが消え、ようやくだらけていた身体にヤル気が満ち始めていたのに、そのヤル気を根こそぎ吸い取られた感じがする。


もし、昨日幼馴染がドタキャンしなければ…

もし、ドタキャンされた時点で、出掛けるのをやめていたら…

もし、あの不審過ぎるおじさんと関わる事無く、全力ダッシュを決め込んでいたら…

もし…

もし…

もし…


頭の中に浮かんで消えるたくさんの「もし…」を目をキュッと閉じることで振り払う。今更どんなに考えても、浮かんでくる「もし…」は不毛でしかない。時間を巻き戻すことは出来ない。昔の人は言った。後悔先に立たずと。私は17歳にして先人の言葉を嫌と言うほど噛み締めた。

現実の私は浮かんでくる「もし」を選択せずドタキャンの連絡を貰った後、気になっていた駅近くの雑貨屋さんを覗いた。

その後、よく友咲と行く喫茶店に入って残暑が少し厳しいなんて思いつつ、マスターと他愛のない話をした。

どのくらいの時間、ゆったりとした時間を楽しんでいたか分からないけれど、ふと見た時計が思っていたよりも進んでいたことに焦って、マスターへの挨拶もそこそこに喫茶店を出て…そして、出会ってしまった。


急いで帰宅するつもりでいたのに、声を掛けられ立ち止まった自分が今でも不思議で堪らない。普段の私なら絶対に関わり合いにならないように避けていくはず。どんなに考えても、どうしてダッシュを決め込まなかったのか答えは出ない。今まで生きてきた長くはない人生の中でトップになる不可解さだ。

私は下に弟がいるせいか、どこか姉御肌気質なところがある。友咲が佐藤さんに説明していた通り、困っている人がいると放置出来ない性格をしている。友咲とだって新入生の印である花のバッチを胸に付けた子が、桜に見立てた紙の花が飾られた廊下をキョロキョロしながら歩いていたから声を掛けた。そんなに広い訳でもない幼稚園で、何故迷子になったのかは未だに分からないが、そのまま手を繋いで教室に戻り意気投合した母親共々、家が近所ということが分かったこともあって、翌日からは当たり前のように懐かれそこからずっと腐れ縁だ。


友咲の天然に振り回される事もあるけど、何だかんだ友咲と一緒の日常は楽しい。だからこそ、今まで親友としてやってこれた。


でも —


今回だけは無い!有り得ない!!

困ってるとはいえ、いい歳したおじさんが自分をコロポックルだと言うし、蕗ではなく蓮の葉を探してるとか、お金も無く住む家も無く仕事も無いとか…ダメンズなんてワードさえカッコ良く感じてしまう。


だがしかし、友咲のヤル気スイッチはオンになっている。どうにかしてオフにしたいところだけれど、どうするべきか…


思わず「くそぅ…」と声が漏れる。

私は天然な友咲に、1度たりとも勝てた試しがない。天然はどこまでいっても天然。常識に捕らわれたりしないのだ。


あの薄汚れたインナーシャツのオジサンを思い出す。

子どものように、コロコロ変わる表情は仔犬を相手にしているような感覚になる。おじさんなのにあの表情や目を見ると、まるで悪い事をしているかのような罪悪感が襲ってくるのだ。

何とかミッションを無かったことにするために、まずは友咲のヤル気スイッチをオフにしなければならない。


あの#丸顔のリアルの顔が頭を過ぎった。ただそれだけで、チクリと心に若干の痛みが走った気がした。私の性格上、例え見た目や発言に問題がありそうなおじさんであっても、困っていると分かっているのに放置するのは心にダメージがある。


「もう、二度と関わりたくないのに…」


私の本心とは裏腹に、頭では放課後友咲とあのおじさんを助ける方向で考え始めていた。

人生思い通りに事は進まないものである。

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