サクラコミック・ハッピーエンド

@XXXsyousetu

あの忌まわしい約束

 僕こと田子夏場が、あの忌まわしい約束をしたのは十年前のこと。ちょうど小学二年生に上がったばかりの春だった。


「よっ、あやせ!」

 業間休みのチャイムが鳴る。クラスのみんなが校庭に飛び出していったのを見計らい、教室の隅にいた女の子に声を掛けた。

 背中がピクリと震える。

それから、前髪に隠れた瞳が、おそるおそる僕を見た。

「なんだ、ナツバか」

 女の子はホッとため息をつく。

「学校来るときに言ったろ! おはなし、書いて来たんだ。約束どおり一番最初に見せてやるよ」

 そう言い、手に持った自由帳をあやせの机に置いた。

 その途端、少女の態度が一変、瞳がきらきらと輝きだす。

「それって、この前のつづき?」

「その通り! 読むか?」

「読む!」

 勢いよく返事をした少女は、自由帳の一ページ目を勢いよくめくった。


 帰り道。

自由帳五ページにわたる大作を読んだあやせの興奮は、放課後になっても止まらなかった。

「やっぱりナツバ、凄いよ! 小説家になれるよ!」

「ま、それもいいかもな」

 だけど少しだけ考えてから、あやせは悲しそうな顔をした。

「ナツバが小説家になったら、最初におはなし読ませてもらうの、難しくなっちゃうかな」

「確かに人気の小説家だったら難しいかもな。ほら、こないだ習ったろ、著作権ってやつ」

「そ、それは、やだ」

 うつむく瞳にあれよあれよと涙がたまっていく。

「ああ……。そんなんで泣くなよ、な」

「だって、ナツバのお話、好きなんだもん」

 少しだけ戸惑った僕だけど、すぐに名案を思い付いた

「そうだあやせ。お前、絵描くの好きだったよな」

「……うん」

「だったらあやせ、漫画家になれよ!」

 両手で涙目になったあやせの肩を掴む。

「僕がデビューして、日本、いや世界で一番の小説家になる。そしてあやせは世界で一番の漫画家になってくれ!」

「ま、漫画家?」

「ああ! 二人とも世界一になったら、僕が話を書いてあやせが絵を描く。世界で一番の漫画をつくろう! 絵を描く係だったら、話もすぐに読めるだろ?」

 僕のナイスアイデア。

 それを聞き、あやせの顔に、パッと笑みが咲く。

「なる! 私もナツバのお話かいて、たくさんの人に読んでもらいたい!」

「決まりだな!」

 焦げ付く夕日の下で、僕らは指切りをした。


 よくよく考えなくても、つっこみどころだらけの話だ。

 できるなら、タイムマシンに乗ってこのクソガキを殴りに行きたい。

 でも、この頃の僕は本気でこの夢を叶えようとしていた。叶えられると思っていた。

なんなら自分は凄い才能を持っていて、プロになるなんて朝飯前、ぐらいに思っていた。

 まあ僕が、現実は厳しい、そんな当たり前の事実に気付くのに月日は必要なかった。

 いいや、厳しいなんてもんじゃない。

僕を待ち受けていたのは、考えられる中で、一番残酷な未来だったんだから。

「また小学生の頃の夢か」

 ジリジリと鳴る目覚まし時計。まぶたを開き、舌打ちした。

 小学生の頃の夢。幼馴染と交わした約束は今の僕にとっては悪夢だ。

「最っ悪の朝だ」

 布団から体を起こし、伸びをする。

 その拍子に、机の上の手紙が目に入った。

 小説賞の選考シート。

見慣れた形式のそれには、いつもどおり『一次選考落選』そう書いてある。

 部屋の壁際には本棚が三つ。そのどれにも、付せんまみれの本がパンパンに詰まっている。

 床には、アイデアノートが散らばっていた。

「なんでだよ」

 努力が報われない現状。

 滲む悔しさをため息に変え、もう一度ふとんに倒れ込む。

白い天井は、とうぜん返事をくれない。

「そっか、今日も学校あるんだったな」

 最後にもう一度ため息をつき、身体を起こした。


「アンタねぇ、朝から死んだ表情して。シャキッとしなさいシャキッと」

「うん? ああ、うん」

 スーツ姿の母さんの言葉を適当に流した。

 制服に着替え、顔を洗っても頭はスッキリしてくれない。

ぼんやりしたまま、シリアルを口に運ぶ。

「目の下にクマ出来てるわよ。また遅くまで小説書いてたんでしょ」

「……ああ」

「気の抜けた返事して。そう言えばお母さん、今日は早く帰ってこれそうなんだけど、ひさしぶりにお寿司でもいかない?」

「うーん、小説書くので忙しい」

「いつもそればっかり。高校はどうなの? 友達できてる?」

「話しかけられたら、目をみて返事してる」

「それは最低限の常識じゃないの!」

「それ以外は……小説書いてる」

「あんたはどうして、こう、小説しか頭にないのよ」

「別に良いだろ。学校の成績だって悪かないんだ。自分の時間を、自由に使うくらい」

「限度ってものがあるでしょ。高校生っていうのは、友達とカラオケ行ったり、なんというか、謳歌するもんでしょ、青春を」

「それを言うなら、小説が僕の青春なんだ」

 母さんから逃げるように目をそらし、テレビの画面に向けた。

朝のニュースがやっていた。

『続いては、あの大人気漫画原作のアニメ映画。その魅力を直撃しました!』

 キャスターのお姉さんの、やたらはきはきとした声にスプーンを持つ手を止めた。

 画面では人気漫画『アヴァロンズ・サマー』の映画が紹介されていた。

 社会現象を巻き起こすほどの人気。

 漫画の売り上げ、〇千万部。

 映画の興行収入。〇百億円。

 グッズにイベント、謎に包まれた作者。

 でも、僕はその正体を知っている。

「あら、あやせちゃんの漫画でない。やっぱりすごい人気よね」

 半年くらい前から、どのメディアも『アヴァロンズ・サマー』の話題で持ち切りだ。

 この手の特集を見るのも、もう何十回目かわからない。

「あんたも鼻が高いんじゃない? 昔から仲の良い子が、有名人だなんて」

「何度も言ったろ。そんなこと思ってない」

「あら、そうだったっけ?」

 漫画の紹介コーナーが終わり、お天気お姉さんの笑顔が画面に映る。今日は一日、曇りらしい。

「じゃ、今日もお父さんは先に出てるから、あんたが戸締りよろしくね」

「わかった」

 ガチャンと思いドアが玄関から聞こえたのを確認。

 それから、ゆっくりと息を吸い込み、

「くそっ!!!」

 全力で机を殴りつけた。

ガツリ。

鈍い音がして、拳に痛みが染みて来る。

冬見あやせは売れっ子漫画家になった。

僕はただの高校生だった。

 ニュースの間中、僕が歯を喰いしばっていたことに、母さんは最後まで気付かなかった。

 戸締りを確認し、門の方へ振り返る。

 そこに立っていた人影に、思わず顔をしかめた。

「なんだよ」

「ナツバ……会いに、きた」

「馬鹿じゃないんだ。それくらい見りゃわかる」

 冬見あやせが僕の家に来たのは、久しぶりだった。

 僕と同じ燕河高校の制服に身を包むあやせは、今や美少女だ。

 最近、友達に美容院に連れていかれたらしい。

 長く伸びていた前髪は切られ、整った目元を隠すものはもうない。肩まで伸びる髪はパーマがかけられている。

雪みたいに真っ白な肌に、綺麗な目鼻がきちんと整列していた。

 クラスの隅っこでうつむいていた頃の面影はない。

 残っているのは周囲に怯える、おどおどとした態度だけだった。

「そ、その今日は相談があって来たの」

 そう言い、ちらちらと、こちらの様子を伺う。

 でも、僕はあやせを無視した。彼女の隣を通り過ぎ、つかつかと歩き出す。

すると、すぐにあやせも僕の後を追いかけてきた。

「今をときめく天才漫画家様が、僕ごときにいったい何の用だよ」.

「え、えとね――――」

 なんでこいつ、嫌味ぶつけられて平気な顔してられんだよ。

 自分がプロになったから、余裕ぶってんのかよ。

あやせの心ひとつ揺らせず、腹がたった。僕は、彼女の言葉を遮った。

「ああ、待ってくれ。いま僕は猛烈に忙しいんだ。今月末に迫ってる小説賞の締め切り。そのアイデアを考えなきゃいけない。話なら手短に済ませてくれ」

でも、あやせはめげなかった。

なんでか知らないけど、あやせは昔から僕からの悪意に鈍い。

「あ、あのね……天馬先輩に告白されたんだ。それで、どうしたらいいのかなって」

「天馬先輩ってあのサッカー部のキャプテンか?」

「そ、その人」

 我が校の弱小サッカー部を全国大会まで導いた天才。そのうえイケメンで性格まで良い。少女漫画から出てきたような男だ。あまりにも現実味が薄いもんだから、彼をモデルに長編を一本書いた。結果は大失敗。完璧超人すぎて大して話が動かなかった。

「こ、告白なんて、はじめてだから……どうしていいかわからなくって」

 ムカつく。

 昔は、僕の後ろで小さくなっていただけのクセに。

 あやせは、売れっ子作家で、美少女で、学校で一番のイケメンに告られて……。

 僕は、遊びも、部活も、なにもかも小説につぎ込んでるのに。

 ムカつく。本当にムカついて、それで、

「付き合っちまえばいいだろ!」

 僕は叫んでいた。

「え?」

「その天馬先輩と付き合いたい奴が何人いると思ってんだよ! 可哀そうなフリして、幸せ自慢してるだけじゃないか! そんなんだったら、僕の前から消えちまえっ!」

 ………………あ。

 やってしまった。

 言い切ってから、我に帰る。

 でももう、すべてが遅い。

「そっか……。わたし、迷惑だったんだ」

 あやせの瞳に涙がたまっていく。

「わかったよ、ナツバが嫌なら、私も会わない、から。さよならっ!」

 背を向けた少女は勢いよく走りだし、路地の向こうに消えた。

 残された僕は頭を掻き、ため息をつく。

「仕方ないだろ、あやせが悪いんだから」

 言い訳をしてみても、モヤモヤは晴れない。

「ああ、くそっ! 最低なのは僕だっ! 明らかに言い過ぎたっ!」

 今から追いかけても間に合うだろうか。


 あやせはすぐに見つかった。

 横断歩道の向こう側。

 一回家に戻ろうとして、それから引き返してきたのだろうか。

 沈みこんだ表情をふせ、信号の色が変わるのを待っている。

「よかった……」

 すぐにあやせを見つけることが出来、ホッとため息。

 でも、次の瞬間、僕は声を張り上げていた。

「お、おいっ信号はまだ変わってないぞ!」

 車の通りが途切れた。それを信号が変わったと勘違いしたのか、あやせはフラフラと車道へ足を踏みだした。

 声は届かない。

角を曲がったトラックがあやせに近づく。運転手が気付く様子はない。

「恨むぞ、十分前の僕!」

 数秒の躊躇のあと、僕もまた、赤信号の横断歩道に飛び出した。

「あやせっ! このバカ!」

 あと一歩でたどり着く。そんな時、あやせはようやく顔を上げた。

「ナツバ、どうして――――」

 走る勢いのまま、小柄な身体を突き飛ばす。

それから、僕は生まれて初めてトラックに轢かれた。

 トラックにぶつかった体は、ボールみたいに跳ねて、空を飛ぶ。

 とにかく長い滞空時間。その後に、アスファルトにぶつかる。それでも勢いは止まらなくて五、六回転してようやく体は停止する。

 ジワジワと這い上がって来る痛み。

 おもしろいくらい力の入らない身体。

 重なる叫び声、ブレーキ音、集まって来る人。

「ナツバっ! いやっ! いやああああっ!」

 あ、死ぬ。

 大した功績も残せず、本の一冊も世に出せず、せいぜい地方紙の端っこでしか報道されない。

 そんな意味のない人生だった。

「こんなはずじゃ、なかった」

 ほんと、こんなはずじゃなかった。

 未来っていうのは希望で溢れていて、もっとキラキラしていたはずだ。

 努力の数だけ報われて、追い続ければ夢は叶う。

 高校生でデビューし一躍有名に。生み出す作品は次から次へと大ヒット。同じくデビューを果たしたあやせと、夢への道を目指していく。

 そうなるはずだった。

 僕はいったいどこで間違ったんだろう。

 どうしてこんなに惨めな死に方を、しなくちゃいけないんだろう。

「一生懸命、がんばったのに」

 掠れる声で呟いたのを最後に、意識を手放した。

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