第一話 輪廻転生
——暗い。何も見えない。
闇すらも飲み込む漆黒が渦巻く中で、光を求めて腕を伸ばす。
暗闇の中に何があるのか、苦しみか、憎しみか、それとも人の魂か。それはたどり着いたものにしかわからない。乗り越えたものにしかわからない。
それは輪廻転生の渦。世界と世界を結ぶ奇跡の渦。その渦の中から出口を作り出すことはできない。
——何もできない。ただ待つだけか。
光は求める人のもとにやってくるとは限らない。いくらもがいたとしても光はやってこない。永久の時を過ごす者もいる。すぐに光を見つけ旅立つ者もいる。
ゆらぎのなかで光は生まれる。それは奇跡の光。その奇跡は一つの魂に与えられる。
その先に待ち受けるのは苦悩か、激情か、それとも安寧か。それはたどり着いたものにしかわからない。乗り越えたものにしかわからない。
——光だ。どれだけの時を過ごしただろうか。
それは輪廻転生の渦。光を与える救済の渦。
また一つ、渦に光が与えられた。また一つ、魂が救済された。
世界と世界がつながり、魂に肉体が与えられる。
暗闇の中で伸ばした腕は光をつかみ取る。奇跡をつかみ取った魂は光に吸い込まれていく。
「嗚呼、かの者に安寧があらんことを」
渦に揺られる幾多の魂はそう願う。そして願わくは我々にも救済があらんことを、と。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
——暗い。何も見えない。…いやうっすらと光が。
少しずつ目が開くと、眩いばかりの光が襲い掛かってきた。それと同時に、背中に何か軟らかいものが当たっていることに気づく。
——これはふかふかのクッションか?
どうやら寝転がっているようだ。永久に感じるほど長い時間眠っていた気がするが、今は何時だろうか。と、スマホを探すために腕を動かそうとするがうまくいかない。怪我でもしているのかと腕に目をやると、驚くほどに小さい腕があった。
赤ちゃんのような小さい腕に一瞬思考が止まる。が、ああそうか夢だろうなとすぐに納得した。夢の中なら体の自由が利かないことも理解できる。
しかし夢の中で夢と気づいてからはすぐに目を覚ますことがよくあったのだが、今回は覚める気配がない。
さらに腕の先に見えたのは、見事な彫刻が施された扉であった。あたりを見回すと、かなり広い部屋にいることが分かった。実際夢にしてはリアルな上に頭が冴え過ぎているという点も気になる。
——夢、じゃないのか?だとしたらこれは——
バタンという音とともに、キリっとした眉毛の金髪の男が扉を開けて入ってきた。その男はわき目もふらず近づいてくる。その直後、頬に不快な痛みが走る。その男が髭面をこすりつけてきたのだ。思わず「痛っ」と声を出したつもりだったが、出た声はあぅーというかわいらしいものであった。
——もう異世界転生しか考えられないな。ここまで髭の不快感を再現できる夢があるなら教えてほしいぐらいだ。
その男はバブーだのよちよちだの、完全に赤ちゃんをあやしている様子であった。ひとしきり顔をこすりつけた後、男は赤ちゃんを持ち上げ回し始めた。
「ごめんなークリストフ。パパがトイレに行ってる間寂しかったでしょ。ん-よちよち、もう大丈夫だからねー」
——どうやら俺はクリストフという名前で、この男は父親って感じらしい。言葉は理解できるのが救いだな。いよいよ異世界転生の実感が湧いてきたわけだが、死んだ覚えがないんだよな。
自分が19歳の内気な大学生であったことや家族、友達などの基本情報ははっきりと覚えている。普段通りに大学に通っていたはずだが、気づいたらここにいたのだ。ここに来る前の記憶だけがぼんやりとしている。
「ちょっとあなた!そうやって回すのは危ないからやめてって言ったでしょう」
母親らしき人物が部屋に入ってきた。見事なブロンドの髪をおろし、上品な衣服を身にまとっている。
貴族のような上品さに驚き父親のほうをよく見ると、顔は赤ちゃんの前では無力で残念な成人男性であったが、金の装飾が散りばめられた黒を基調とする豪華な服装をしていた。
「あ、ああすまんマリア。帰ってきていたんだね。この子を見ると可愛くてつい…。」
「もう、私が外に出ている間は不安で仕方ないわ。どうにか世話係でも雇えないものかしらね」
呆れた様子の母親を前に、この父親はクリストフをぎゅっと抱きしめる。
どれだけ赤ちゃん好きなんだよ、と少々面倒に感じてきたクリストフだったが、愛されているということは悪くない。
異世界転生といっても劣悪な環境に飛ばされるという話もよく見た。それに比べたら愛されているだけましかと謎の納得をするクリストフであった。
「マリア、執事もいるし生活のこともある。世話係はいらないと何度も言っただろう?私の仕事がないときは付きっきりで世話をするよ!」
それが心配なんだといわんばかりにため息をついたマリアと、わざと目を合わせないようにしている父親である。
——この二人の服装と部屋の豪華さから見るに貴族で間違いなさそうだ。また父親の溺愛ぶりをみるにおそらく俺は初めての子供。兄弟はいないとみてよさそうか。
ただ、この父親の愛におぼれて死なないかだけが不安。そう思ったクリストフは顔をしかめてマリアのほうを見た。
クリストフの訴えをマリアが見逃さなかった。よしよし、とクリストフの頭をなでた後、父親の顔を両手で押さえ自分のほうへ向けさせる。
「ちゃんと話を聞きなさい、フェルト。この子は私たちビナー家の大事な跡取りよ。いくらかわいいからと言って持ち上げて回したりしてはダメ。あと髭をこすりつけるのもやめて。顔に傷がついたらどうするの?普通に世話してくれる分には大歓迎なのに。今日はもうクリストフが嫌がってるわ、いったん寝かせあげて」
「わかったよ、マリア。今後は気を付けるから」
さすがに妻の凄みに負けたのか、フェルトはクリストフをクッションが敷かれた籠にしぶしぶ戻した。マリアがそれでよろしい、とフェルトの肩を軽くたたき、部屋の外へと出ていった。
フェルトは妻が部屋から出るのを見送るなりクルリと半回転。かがんだと思いきやクリストフの頬を少しつまんで、
「今度は髭を剃ってくるから待っててね」
とにやけながら言う。まだ懲りずに顔をこすりつけようとするフェルトであったが、耳の良いマリアはしっかりと戻ってきて、フェルトの後頭部にデコピンをした。
「ああもう、来客がよくあるからこの部屋でゆっくり寝てもらおうって話だったのに。やっぱりクリストフは広間に近い場所にいてもらったほうがよさそうね。私の目の届かないところにいるのは心配だわ」
「まあそのほうがいい、特に今週は来客の予定もないしな。あと私が世話をしやすい!」
懲りないわね、と言いながらマリアはクリストフを抱き上げる。フェルトにくらべ抱き方が優しく心地よかった。前世ではもう忘れていた母のぬくもりである。
フェルトが籠とクッションを広間から見える位置にある小さな部屋に運び、マリアがクリストフをその上にそっと置いた。
「さぁクリストフ、やっぱり今日からはここで暮らしましょう!執事さんにも手伝ってもらってお世話頑張らなくちゃ!」
こうして息子に溺愛する父と、それに呆れる母と息子である俺の家族三人、そして執事との生活が始まったのであった——
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