第50話 虎の尾を踏む⑤
「ようやく人の話を聞く気なったようだな」
ジオルグの言葉にデミトルは壊れた人形のように何度も頷いた。どうやらこの段階でようやくジオルグという人間の恐ろしさの実感が追いついてきたようである。
「さてデミトル、先ほどのアーゼインとの会話からも分かるようにお前がガルヴェイトに来たのはジルヴォルの思惑によるものだ」
「……」
「当然我が国の陛下、王太子殿下もそのことを知っている」
「そ、そんな……」
デミトルの口から呆然とした言葉がこぼれ落ちる。
「だからこそ陛下は監視のために私にお前を預けたのだ。そしてガルヴェイトのためにならないと判断したら
ジオルグの口から語られる事実にデミトルは呆けた表情を浮かべていた。衝撃的すぎて感情が追いつかないのであろう。
「そもそもお前は自分の意思でガルヴェイトに来たわけではない。ガルヴェイトへの亡命を促したのはアーゼインだろう?」
ジオルグの問いかけにデミトルは静かに頷く。
「お前はジルヴォルの命を受けたアーゼインによってこのガルヴェイトにやってきたわけだ。ではここで質問だ。お前は一体何のためにこのガルヴェイトに送り込まれてきた? ジルヴォルの狙いはなんだ? 答えてみろ」
ジオルグの言葉にデミトルは答えることができない。この時、デミトルは事実を叩きつけられた衝撃に思考できるような状況にはなかったのである。
「ふ、考えられる状況にないか」
ジオルグの嘲笑う声にもデミトルは怒りが湧かない。デミトルの心にあるのは目の前にいるジオルグが恐ろしいという感情のみである。
「アーゼイン、お前の口から説明してやれ」
「は、はい」
ジオルグの指名を受けたアーゼインは体を震わせて返答する。ジオルグがザーベイルの家臣であろうと容赦なく殺すという意思をもっている以上、ここで対応を誤れば自分の命のみならず、ガルヴェイトとザーベイルの戦争へと発展するやも知れないと思えば緊張せざるを得ない。
(一体、ザーフィング侯はどこまで掴んでいる?)
アーゼインは心の中で不安に押しつぶされそうになっていた。ジオルグの諜報網がどこまでザーベイルの思惑を掴んでいるのかをアーゼインは全く把握していないのである。
(俺がデミトルをジルヴォル様の指示でここに連れてきたというのはバレてる。思惑は流石に推測はしてるだろうが……)
アーゼインは迷う。それは決して長いものではない。時間にすれば一〜二秒であろう。だが、この状況下においては一時間にも等しい時間のようにアーゼインには感じられた。
「アーゼイン、私は駆け引きなどもはや不要と伝えたはずだが?」
「くっ、申し訳ございませんでした」
ジオルグの言葉にアーゼインは項垂れつつ返答する。ザーベイル軍の音の通信方法を知っていたという事実をアーゼインは思い出したのだ。これは
それだけ、アーゼインの中でジオルグは巨大かつ恐ろしい存在となっていたのである。
「ザーフィング侯のお言葉通り、ジルヴォル様によりデミトルはガルヴェイトへと送り込まれました」
「な……」
アーゼインの言葉にデミトルの口から絶望の声が漏れる。既にジオルグの口から語られた内容であるのだが、ジオルグのそれはあくまでも可能性であったのに対し、アーゼインの口から語られたことでそれが確定してしまったのである。
それは自分は
しかも自分はそのことを全く知らなかったという事実がさらにデミトルにとって惨めに思えて仕方ないのである。
「目的はガルヴェイト王国に介入させそれを破ることで旧中央貴族領の民達の支配権を確立させることです」
アーゼインの続く言葉にジオルグはニヤリと嗤う。このことがアーゼイン自身の口から語られたことは大きい。デミトル同様にジオルグはほぼ正確にジルヴォルの思惑を見抜いていたが、それは推測であり、なんら物的証拠は伴わないものである。ジルヴォルが惚けれれば追及する術はジオルグにとって
(アーゼイン、どこまでも運がいいな)
ジオルグはアーゼインの運の良さに内心苦笑していた。ジルヴォルへ追及する決定的な手段が無かった以上、無理矢理作るしかなかったのだ。それは
しかし、アーゼインは決定的なことを自白した。この瞬間に証拠保全のためにアーゼインは保護の対象となったのである。
「デミトルはご存知の通り、真剣さが足りない。この一週間ザーフィング侯に何ら諸侯の支持を得るために要望を出していないことからもお分かりでしょう?」
「ああ、普通は檄文の草案を考えたり、ガルヴェイトの有力者へ働きかけようとはするな」
アーゼインの言葉にジオルグは冷笑と共に答えた。ジオルグの冷笑がデミトルの心を抉る。
「デミトルを見れば与し易しと判断して中央貴族領の併合に動くということでした」
アーゼインはそういうとジオルグを見た。その様子はそれが自分の知っている全てですという意思表示に思えたのである。
「そういうことだ。理解したか?」
ジオルグはデミトルへと視線を移し問いかけた。デミトルの顔色はもはや青白いどころか死人そのものである。
「さて、アーゼイン。お前はジルヴォル王へ先程の旨を伝えろ」
「はっ!!」
「ロイ、
「承りました」
ロイの返答は快諾という表現そのものである。もちろん、ここでいう手伝うというのは監視の意味合いが入っているのは明らかである。
「さ、いくぞ」
「は、はい」
ロイに連れられ、アーゼインは執務室を出て行った。
「さて、デミトル」
「え……?」
バギィ!!
「あ、あがが…」
ジオルグがデミトルの顔面を殴りつけたのだ。デミトルは顔を押さえて蹲まった。
「アイシャを犯そうとは随分と舐めた事を考えたな」
「ヒィ!! お許しください!!お許しください!!」
ジオルグの言葉を受けて、デミトルはひたすら慈悲を乞い懇願していた。それはもはや傲岸不遜な王太子ではなく奴隷が主人に許しを乞う姿そのものである。
「アイシャ、どうする? ここでこいつを始末しても私は一向に構わないぞ」
ジオルグはアイシャへと問いかけた。
「いえ、ここでデミトルを始末しない方がジオルグ様としては選択の幅が広がると思います」
「そうか」
ジオルグの返答は短いものであるが、アイシャとすればジオルグが自分にデミトルの処分を選択させたのは嬉しい事である。ジオルグにとってデミトルはジルヴォルに対する取引材料の一つである。当然のことながらジオルグもそのことを理解しているのである。だが、ジオルグは
「ジオルグ様、ありがとうございます」
「ん? 何のことだ?」
アイシャはここで口にすべきではない言葉をつい口にしてしまった。捉えようによってジオルグの優しさ、弱み、甘さを指摘したようなものだからだ。
ジオルグは冷徹で容赦ないがそれはジオルグの一面でしかない。配下の者達に対して敬意と情が厚いのである。配下の者達はその事を知っているからこそジオルグの非情な命令にも従うのである。
「い、いえ!!」
アイシャは慌てて先程の言葉を取り消そうとして首を横に振った。そのアイシャの様子にジオルグの表情に微笑みが浮かんだ。
それを見たアイシャの頬が染まった。そしてそれに気づいたジオルグも少し頬を赤くしたのである。
(まったく。不器用な二人だ)
その様子を見ていたカインは心の中で苦笑する。あれほど冷徹に物事を進めるジオルグが年相応の反応を見せることに苦笑したのである。
(さて、片づけるとするか)
カインはそう判断すると主人に向かって進言する。
「お屋形様、部屋を片付けますので、しばしお時間をいただきたく」
「あ、ああ」
「アイシャ、お屋形様をご案内した後、
「え…? は、はい!!」
「カイン、何を言っている!!」
「は?」
カインの言葉に対してのジオルグとアイシャの反応にカインは呆けた返答を行った。
カインは血のついたままのアイシャがジオルグの給仕をするわけにはいかないという判断からの言葉であったのだが、どうやら二人は
そのことに気づいた三人はそれぞれの表情を浮かべた。一人はニヤリと笑い、二人は顔を赤くしたのである。
「さて、それではまずそのゴミをお渡しください。別室へ放り込んでおきます。アイシャはお屋形様をご案内せよ」
カインはそういうとなおも蹲り慈悲を乞うデミトルの襟首を掴むとそのまま引きずっていった。
(く……俺としたことが)
ジオルグは自分が失敗した事に気づいて心の中でため息をついた。
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