第327話 延期
りんどうが待っているベンチに戻ると、二つ並んだ隣のベンチには、さっきまで誰も居なかったのに、今は椿さんが座って化粧を直している。
なぜ、この面倒くさいタイミングで姿を現すんだ?
椿さんの目の前には、大量の荷物を抱えたバルボッサ(ユリの親父)が立っている。
・・・すっかりと忘れていたが、俺は椿さんを迎えに来たんだった。
さて、どうしよう? 椿さんの隣で、りんどうと話を続けるのは具合が悪い。
万が一、妊娠中の椿さんに、幽霊の楓が取り憑きでもしたら、どんな影響が出るのかわからない。
それなのに、あのババア、手鏡を見ながらパールピンクの口紅を塗りたっくっていやがる・・・少しは
くちびるがテカテカ光る椿さんを見ないようにして、
それから、りんどうに事情を話して、明日の午前中にまた会う約束をすることにした。
「りんどう、それから楓さん? 申し訳ないけど、話を聞くのは明日に延期をしてくれないか? 明日の10時にここで待っている」
「それはいいけど。紋次郎君、ボクの力になってくれるの? もしもそうなら、凄くうれしいです」
「まあ、取りあえず話は聞いてやる。だけど、俺が力になれるかは別問題だぜ。なにせ、俺はただの凡人だからな」
「それでもいいんだ。今までは誰も力を貸してくれなかった。話も聞いてくれなかった。だけど、紋次郎君は違う。話を聞いてくれる、力になろうとしてくれる。そういう人がいるって分かれば、姉ちゃんは満足すると思う」
「そうか、じゃあ、明日の10時な。それと、楓さんだっけ。帰り道で事故に遭わないように、ちゃんとりんどうを見守ってやれ」
「もんじろう・・・もしも、約束を破れば、おまえに取り憑いてやる。死ぬほどつらい目に遭わせてやる」
「ちっ、初めて喋ったと思えばそれか。いいか楓、よく聞け。俺を
「そうだよ姉ちゃん。そんな言い方をされると、姉ちゃんだって嫌でしょう。ごめんね紋次郎君。あとで注意しとくね」
「いや、その必要はない。
「ねぇ、それが
「だって、仕方がないだろう、本当の事なんだから。楓さんにしげしげ見られて、俺は怖かったんだから」
「紋次郎君って、正直で格好を付けないところが良いよね。お
「いいか、りんどう、そんなお
「それって、ボクの姉ちゃんが言った事と同じだよね。でもそうなんだ、もう結婚してるんだ。ちぇ、紋次郎君みたいにおもしろい人が、ボクのタイプなんだけどな」
「いいから、さっさと帰れ。それと、これからは人が居る場所で楓と話をするな。楓もその辺は気を付けてやれ。おまえの方が年上なんだから」
「もんじろう・・・わたしは誰も信用しない。だけど、りんどうだけは別。そのりんどうを裏切ることは許さない。それだけは憶えておきなさい」
「けっ、舐めるなよ。今日した約束を明日忘れるほどバカではないぜ・・・・
「たったの
「いいから、そこを追及するな。大人になると覚える事がたくさんあって大変なんだから。じゃあ、気をつけて帰れよ」
「待て、もんじろう、ひとつ聞かせろ。おまえの苗字は真貝と言ったな、桃代という名も出てきた。では、真貝桃代はおまえの知り合いか?」
「そうだけど、なんで楓は桃代の事を知ってるの? もしも、桃代に害をなすようなら、俺はおまえの力にはなれないぜ」
「安心しろ、わたしが真貝桃代に害をなすことはない。それは約束する」
「そうか、それだったらいい。桃代は、さっき話した、もの凄いヤキモチ焼きの俺の奥様だ。だから、お願いです。桃代さんに変な告げ口をしないでください」
「なっ! なにッ、あの鉄仮面が奥様? 信じられん・・・あの真貝桃代が結婚をしているなんて・・・」
「鉄仮面って・・・おい、りんどう。おまえの姉ちゃんはそこそこ失礼なヤツだな。いいか楓、桃代はな、鉄仮面とは無縁のやわらかさなんだぞ」
「ボクの姉ちゃんがイケないんだけど・・・ねぇ、紋次郎君、そういうのは人に言ったらダメだと思う。それじゃあ、ボクは帰るね。明日の10時に待ってるから、今日はありがとう。キーコさんにもありがとうって伝えてください」
桃代の発想はやわらかい。そう言ったつもりだったんだけど、何か勘違いをさせたのかも知れない・・・まあいいや。
りんどうはベンチの近くに止めてある、自転車で帰って行った。
あれ? おまえは電車で来たのではないのか?
取りあえず母屋に戻り、桃代に相談をしないと・・・でも待てよ、桃代を知っているということは、桃代も楓を知っているのか?
まあ、聞けばわかるよな。
俺は、りんどうを見送ったあとで、急いで車に戻った。
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