第2話 ジョーの前日譚2

 どうせ前世の知識を使うなら、この国の医学を変えるのが良いということは分かっていた。


 手洗いうがい、消毒の大切さも知らず、原因不明の体調不良は瀉血しゃけつ――血液中に悪いものがあるせいで体調を崩し、その悪い血を抜けば改善するという考え方の処置――すれば治ると言う。


 皮膚病には辰砂しんしゃ――水銀の化合物――を混ぜた軟膏が有効だと言って水銀中毒を引き起こしたり……前時代的どころではない、一体いつの時代の医学なのだろうか。


 とは言え、今の俺はただの孤児。

 王や貴族が存在し身分制度のある国で、何の力も持たない孤児が現代医学に異を唱えたとして……どこの誰が相手にしてくれるだろう。


 俺が前世の知識を使って商品を開発しようと思ったのは元々、同じ孤児院に暮らす子供たちの生活環境を改善するためだった。

 ただそれと同時に、俺の名が国に知られてほんの少しでも発言力を増す事ができれば……医学について口出しできて、今間違った医療で命を落とす患者を減らせるのではないかとも考えていた。


 しかし結果、発言力を増して地位を得たのは院長だけだ。


 俺は子供だからと表舞台に出ることなく押し込められ――ある程度 成長した頃にはもう、既存の産業を軒並み食い潰した後だった。

 そんな状態で顔を出すなんて、とてもじゃないが無理だったよ。一体どれほどの恨みを買っていることか……街を歩いただけで刺し殺されそうじゃないか?


 そう考えるとあの院長は本当に胆が据わってるよな。

 自分の財力をひけらかすように護衛を雇って、肩で風を切りながら街中を闊歩かっぽできるのだから。


 すっかり独占販売の利権と利益の虜になった院長は、散々稼いできたにもかかわらず、いまだに秘匿した情報を世間に開示しようとしない。

 そんな状態で俺が医療について口を出し始めたら、とんでもないことになるだろう。

 その知識すらプラムダリアで独占しようと躍起になるだろうか。

 そうなれば国中の医者は廃業に追い込まれて、この孤児院から新たに大量の医者が誕生するかも知れないな。


 例えどうなったとしても、この体制が続く限り良い方向へ転がることだけはない。そう思ったらもう医学に口出しする気なんて消え失せた。


 全て俺が各所の分岐点で選択を誤り続けて引き起こしたこととは言え、この国に転生してから本当に良いことがない。

 親に捨てられて、自分よりも小さな子供たちが次々死んで行って……少しは金を稼げるようになったかと思えば、金に目が眩んだ職員に裏切られて、気付けば子供たちを人質に身動きが取れなくなっている。


 それはもう多少、頭がおかしくなっても仕方がない。無理やりにでも毎日ウェイウェイ言って、己を奮い立たせるしかないではないか。


 前世ではこういった友人は少なかったが、しかし全く居ない訳でもなかった。医学部にだってウェイは居るのだ。

 あの頃は毎日楽しそうで良いな、悩みなんてひとつもないんだろうなんて思っていたが、今は違う。

 きっと彼らにもウェイせざるを得ない理由があったに違いない。根っからの根明ねあかなんて居ない……俺の考え過ぎだろうか?


「ジョー! ジョー、来てくれ! とんでもない儲け話が舞い込んできたぞ!」


 今日もまた金の亡者こと院長が駆けてくる。

 彼が持ってくる儲け話とやらは いつも的外れのものばかりで、有益だったものなんてない。

 それでも話くらいは聞いてやらねばならない、下手に機嫌を損ねるとまた働き手の歯車子供を壊しかねないから。


 ……そう言えば言語の違いからか、この国の人間は日本風の名前の発音が苦手らしい。

 俺は今世の親から名付けられる前に捨てられてしまったため、仕方なしに前世の「雪之丞」と名乗っている。


 名乗っているのだが、職員も子供らも「ユゥキノジョー」とか「ユクィヌジョー」とか言いにくそうするため、最終的にただの「ジョー」になった。

 何もかもなくなった俺にとっては、唯一の宝物とも言って良い「雪之丞」。

 しかしこの名で呼んでくれる者すら1人も居ないのでは、本当に報われない。

 前世で両親よりも早死にした罰にしてはなかなかキツいのではないだろうか。


 ――いや? でも俺の「最初の後援者」だけは違ったな。


 灰銀色の長いストレートヘアーに青い色の瞳をした、まるで人形みたいな貴族の女の子。

 当時7、8歳くらいだったのに、孤児院のバザーで俺が作った紙を見て目の色を変えて……金ならいくらでも支援するからこの子供の好きに発明させた方が良い、なんて言ってくれたっけ。

 俺当時3歳ぐらいだったし、そもそも孤児が作った紙なのに売り物になると気付くなんて凄い審美眼だよな。


 名前を訊ねられて「どうせ発音できねえのに」なんて思いながら答えたら――ずっと澄まし顔だったのが初めて破顔して、「雪之丞、良い名前ですね」って。


 今 思えばあの人は俺と「同郷」だったんじゃなかろうか。

 相手は貴族だし俺は孤児だし、突然「後援者になる」なんて言われて動揺していたから何もできなかった。

 ちゃんと名前と連絡先を聞いておけば良かったな、院長が後援者を全部切ったせいでもう二度と会うことはないだろう。


 とは言えそう簡単に同郷の仲間を諦め切れなくて、俺はいまだに仲介者を通してあの人に新作を贈り続けている。

 こちらから会いに行くことはできないから、あの人から会いに来てくれるのを待つしかない。

 こっちが一方的に後援切りしておいて勝手極まりないが、俺が作り出したもので満足してくれれば、いつかまた会いに来てくれるんじゃあないか――なんて期待しているのも事実だ。


 ……別に恋じゃない、いくら相手がキレイなお姉さんだったとしても恋じゃない。

 ただあの人との出会いは……淀みなく「雪之丞」と呼んでくれたあの人の存在は、このツラ過ぎる世界の中で唯一の安らぎみたいなものだった。

 そもそもあの人が俺の後援者に名乗りを挙げなければ、プラムダリアは「奇跡の孤児院」になってない……なんて野暮は言わない。


 だから、これは恋じゃないぞ。絶対にだ。

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