第59話 反省会
台風のあった夜、日中のような悪天候は嘘だったかのように弱まり、風もどこかに消えてしまう
それでもフラクタールの通りには人はおらず、人々は自然が与えてくれた休息を家で過ごす。
しかし、この街にも天候なんて関係ないと言わんばかりに働く者はいた
冒険者ギルドのロビーは暗く、カウンター奥に見える職務スペースには一人の男がやる気無い表情で書類とにらめっこをしている
『明日税理士に聞くしかないか。俺にはさっぱりだ』
ガンテイ・フラッター
欠伸をし、手に持っていた大事な書類を机に置き直す。
依頼書の記載日毎に整理し、複雑な依頼に関しての依頼主から説明を受ける為の面談日時、そして事務から渡された書類にサイン
彼はアクアリーヌ戦で溜まった仕事を休みに出勤して片付けていたのだ。
部下に回すことも出来たが、それは雑務のみだ。
大事な仕事だけ残したつもりが、予想より多かった事に肩を落とす
(妹が帰ってくるから仕方ないか)
久しぶりに家族で過ごせる
ならば無理をしてでも時間を作ろうとガンテイは仕事に勤しむ
『はぁ…雨も少しは弱まったか』
ギルドの屋根に落ちる大雨の音は大きかったが、今は弱まってきている
そして、昼を過ぎた辺りまで仕事をしていると、ギルドのドアを叩く音に彼は驚く
こんな天候に?幽霊?酔っぱらい?
その答えは扉の向こうであり、ガンテイはカウンターを飛び越えて扉に近づく
『誰だ?』
ガンテイは扉の前で口を開く
すると『雨で困ってる、入れてくれないか?』と言う女性の声に慌てて扉を開いたのだ。
そこで彼は再び驚いた
フラクタールにはいない顔のエルフであり。彼も今まで見たこともないくらいの美人だったのだ。
(こんなエルフ、いるんだな)
雨用のローブを羽織り、フードを被っていても綺麗な顔は彼女をより際立たせた
『助かる』
そう呟いたエルフは近くの椅子にローブを干し始めた
どこから来たのか、ガンテイは首を傾げて考えたが、どこかで見たことがある気がしてモヤモヤした気持ちが膨れ上がった
(超美人だが…いや誰だ?)
あまり話しかけても邪険にされそうな雰囲気にガンテイは負け、一言だけ彼女に声をかけた。
『満足したら帰るんだぞ』
その時、エルフの女性は少し驚いた顔を浮かべた、しかしガンテイにその意味はわからない
彼にはエルフよりも仕事の方が大事であり、直ぐに机に戻ると書類とにらめっこしながらサインをする作業だ
雨の音だけが響くギルド内、会話はある筈もなく時間だけが進む
『エステだ』
ふとエルフの女性が口を開くと、ガンテイは視線を向けずに彼女に話し掛け始める
『ガンテイ・フラッターだ。ファーラット公国の者か?』
『シドラードから人探しにちょっとね』
また訪れる静寂、ガンテイは唸り声を上げながら書類にサインをしていく
だが仕事をしながらでも、彼の意識はエステにも向けられている
仕草が只者ではなく、何か目的があって来たのだろうと予想を立てていた
それが自分達に関係しているとは思いもしない
『グスタフという男を知っているか?』
『…』
ガンテイの動いていた手が止まる
ただの静けさではなく、それは緊張感へと変わっていく
エステは彼の反応を見る為に顔を向けていたが、ガンテイは溜息を漏らすと静かに顔を持ち上げる
目を細め、答えぬ様子にエステは知っている男だろうと思い、口を開こうとした途端にガンテイは彼女に言い放つ
『あいつの女か?』
『…』
深夜になり、フラクタールの街は台風が過ぎた事で小雨が降る程度の天候と変わる
真夜中にもかかわらず、急ぐ予定の商人は馬車で隣町に行くために通りを走らせていた
他に通りを歩こうとする者はいない、今日はどこの家でも休息日として時間を過ごしているからだ。
しかし、落ち着けない者が1人フラクタールにいた
グスタフ・ジャガーノートは欠伸をしながらも長袖に半ズボンというアミカの鍛冶屋で生活する時の寝間着で外を練り歩いていたのだ
雨も気にする程度じゃないと思ったのか、急ぐ様子も見せない彼は周りの建物から漏れる灯りを見ながら通りを楽しむ
(いいもんだな…)
屋台通りと言われる普段ならば屋台が立ち並ぶ事が許されている地区、彼の知る光景は無く、そこは静かな通りであった
夜になれば全ての景色は変わる、それが面白いという子供の様な感覚を彼は味わう
『昼寝し過ぎたのがいけなかったかぁ』
台風でやることが無さ過ぎて寝る事に殆どを使った彼は後悔している
クズリと外で訓練をしていたこと以外、グスタフは本当に何もしていなかったのだ
歩けば眠気が来るという浅はかな考えを抱き、今こうして彼は歩く
『おや?グスタフさん』
遭遇したのは街の警備兵
若い男と中年の男であり、腰には小さな鉄鞭を装着して街の犯罪を守る警備協会の者である
グスタフは良く散歩をする為、フラクタール警備兵とは仲が良く、会話で時間を潰す事もしばしあるのだが、今回ばかりは警備兵も台風後の被害状況確認で相手は出来ない様子だ
『散歩も遅くならないよう、頼みますよ』
『わかっている。ご苦労様だ』
数秒の会話ですれ違うと、グスタフは肩を落とす
しかし、そうして諦めがついた彼は仕方なく戻る為に歩き始めた
(色々落ちてるな…)
バケツや靴、タオルなど台風で飛ばされた物が通りに点々と落ちていたのだ。
女性の下着に視線がいくと、彼は直ぐに通りに顔を戻す
『確かに警備兵は大変だな』
今日、何度目かの欠伸に彼は疑問を浮かべた
眠くないのに何故欠伸をするのか
腕を組んで考えても、答えは出ない
(人体のそういうのは詳しくないからな…。それにしても…)
雨も止み、微弱な風だけが街に流れ込む
秋に相応しい涼しさ、ようやく夏が完全に終わったとわかると彼はホッと胸を撫で下ろす
『歩くの面倒になった』
通りの裏に移動し、ワープで瞬間移動したグスタフはアミカの店の中に着地し、真っ直ぐ2階に上がる。
クズリもインクリットも寝ている時間だが、この日はアミカが珍しく起きていた為に今居間は彼女がゴロゴロしながら干し肉をかじる姿がグスタフの視界に写った
『起きていたのか?』
『おかえりー』
どちらも小声、グスタフがちゃぶ台の前に座ると、アミカが立ち上がる
何故アミカが起きていたかの理由はグスタフにとって都合が良い理由であった
『小腹空いてるでしょ?お茶漬けあるよ』
グスタフの頭は今日最後の活性化を見せた
寝るための食事、体に悪いと言われても彼は止めないだろう
満腹で寝るのは最高の至福だからである
高まる期待に待ち遠しい至福
グスタフは仮面の下で笑みを浮かべ、その時を待つ
彼の期待を裏切るかのように直ぐに出されたお茶漬けは刻み海苔だけではなく、梅干しの果肉が米から顔を出していた
『梅茶漬けか』
『へっへーん』
胸を張るアミカ、しかし胸は無い
そんな事どうでも言いグスタフは香る味を鼻で感じ、右手が箸を掴む
『じゃあいただきますっ』
『加護のもとに、いただきます』
二人は手を合わせ、真夜中の罪深き食卓の時間へと突入していく
体に悪い?太る?そんな事よりも大事な物がグスタフにはある
だから彼は少し熱いお茶漬けを吐息で熱を飛ばしながら口にいれたのだ。
そこで夜だからこそわかる味が彼の口に広がる
(なんと…これは)
なんと優しく、包み込むような味
梅干しの果肉がお茶によって適度に薄まり、優しく口内に広がるのだ。
夜食ならば物足りなさはあった。だがこの時間だからこそ許された味
だから朝にお茶漬けは合うのだとグスタフは知る
鼻から呼吸をしても香る味、口と鼻からの城攻めに彼の体内はどうぞどうぞと言わんばかりに味の侵攻を許す
『美味い、流石だ』
『料理はアンリタちゃんより上手いからねっ』
アンリタも料理が得意だが、アミカは更にその上をいく
だからこそグスタフの期待は実ったのだ。
『明日はどうする?』
『開店するけど売り子ちゃんは連休だから来ないよ』
『店はアミカか』
『グスタフさん頑張ってね』
笑顔のアミカ、そして仮面から目が飛び出すグスタフ
しかし飯の恩もあり、居候の身であるからこそ断れないグスタフ
そしてアミカはその間、店周りの掃除である
台風後のため、通りは物で散らかっているから近所で掃除という文化が密かにあるらしく、グスタフはそれなら仕方ないと店を任される事となる
次の日、台風が嘘だったかのように天候は快晴
早朝には地区でゴミ拾いをし、そこでアミカが参加してから仮眠をする
代休の売り子、仮眠のアミカとなれば店にいるのはグスタフだけ
今日はグスタフがカウンターで客の対応をこなすために陣取る
入ってくる客は一瞬驚く者が多くが、いつも通り店内の品を眺めて回る
(インクリットは帰省か…)
アンリタだけでもいてくれればと僅かに小さな希望を浮かべる
頬杖をつき、彼は客を眺めて時間を過ごす
『あの…』
『む?』
顔を向けるグスタフは若い男性に声をかけられ、無意識に彼を査定し始めた
装備は軽量の革装備、武器は腰に片手剣をしており指無しグローブをしている
立ち方にまだ覇気がない事からグスタフは新米の冒険者だろうと推測し、顔を僅かに持ち上げた
『見ぬ顔だな』
『先週に冒険者資格を取ったもので…』
なるほどな、とグスタフは納得する
見た感じで悪い部分は無く、聞かれるとなると指南だろう
そう思いながらもグスタフは彼との会話を楽しむ
『新米か、どうした?ガンテイが意地悪でもしたか?』
冗談を交えると、新米の冒険者はキョトンとした顔を浮かべ、そして理解する
緊張が僅かでも解れた事により、ようやく彼の口から要件を聞く事となった
『僕らは3人パーティーでして…』
こうした指南を聞きにくる者は少なくはない
邪見に扱えば店の評価にも繋がるが、グスタフはそうは思っていない
小さな付き合いにも小さな面白さを感じるの事を彼は求めているからである
そんな彼をこの街で知らぬ者がいない
グスタフは今やフラクタールの英雄として密かに噂されているのだ
アクアリーヌ大戦での功績は光の速さで街に轟き、その武力を知らしめた
誰もがその吉報に納得を浮かべたのだ
閻魔蠍を赤子の様に倒した男だ。人間相手ならば…と
グスタフが客との会話をしつつ、商品の会計もして昼を過ぎた頃
シューベルン男爵の屋敷の応接室ではこことは違う空気が流れていた
テーブルを挟んで顔を合わせるはフラクタールを統治するシューベルン男爵
反対側にはヴェルミナント・ル・エルグランド伯爵と雇った手練れの傭兵が2人
ヴェルミナント伯爵はラフタ鉱山の件でこの屋敷に来たはずが、予想外な展開に額から汗を流しながら顔を強張らせる
入口付近の椅子に座る男、ジキットというノアの聖騎士に顔すら合わせる事が出来ないでいるのだ
『まぁ俺の言葉に反論すんなら王族にたてついたっつぅ事になるのはわかる筈だ。しかもここに来るときに聞いたがお前らあの馬鹿にちょっかいかけたろ?馬鹿傭兵2人よぉ』
『くっ…』
『ノア様が認めたファーラット公国の特S傭兵の野郎だぞ。よく首刎ね飛ばされなかったな?あぁ?』
傭兵2人は顔を真っ青に染め、生きた心地がしなかっただろう
特S傭兵は王族に認められた者だけが名乗れる称号、そして武力を持つ存在
人ならざる人でありながら兵器でもある存在
手練れだからこそ、自分たちがした事がどういう意味が理解ししているのである
『ラフタ鉱山はシューベルン男爵に権利を委ねるという書類だが…、じきにこの屋敷に届く、フルフレア王子様の怒りの達筆付きの印章でな』
グスタフの知らぬ所で1つの問題は吹き飛んでいく
客の対応をする彼は午後には似合わぬ服装へと変わっており、普段着にしては不気味だった
肌寒い気温、季節に合わせた黒いチャックの長袖に犬のワンポイント
そして茶色い長ズボンに誰もが何度もチラ見している、似合わないと言いたげに
(視線が可笑しい)
しかしグスタフは視線の意味を理解しない
目が合う傭兵はビクンと反応すると、苦笑いで誤魔化す
(…わからぬ)
そんな彼のもとに、思わぬ客が舞い込んでくる
誰もが入り口から入ってきた美人に目を奪われ口を半開きにしている
それはエルフであり、肌は白く美しい
彼女の目はカウンターにいるグスタフに向けられたが、格好に気付いて歩みを止めてしまう
目を細め、引きつった笑み
予想とは違う様子に彼女の何かが砕け散る
『……』
来訪者に固まるのは彼女だけではない
視線の先にいるグスタフも、固まったのだ
『…人違いだ』
そう信じたいエルフの女性の名はエステ・リエ・リリーというシドラード王国エイトビーストの一人である傭兵だ
こんな生活をする男なのか?と何度も自身に訴えながらも、彼女は冷静を装い始める
(あの男なのか!?なんだあの格好は?ダサいぞ…)
彼女の性格が今、言葉となる
『格好がダサいぞグスタフ』
全ての客に衝撃が走った
何故口にした?何故それを本人の前で言った?
息を飲むような雰囲気に静寂が訪れると、グスタフは狼狽えた
『俺が…これがダサい…だと』
彼は大きなショックを受け、カウンターに伏した
客に宥められ、正気を取り戻したグスタフは溜め息を漏らす
客は一人、カウンター横の椅子に座って店内を眺めるエステだけだ
何をしに来たのかグスタフにはわからない
しかし戦いが始まる事は傭兵同士それは起き難い
『フラクタールに何のようだエステ』
『反省会よ』
『ほう…』
傭兵は戦争で敵同士であっても、終われば違う
だから二人は敵意を向ける事はない
将校とは違う生き方だからこそ、傭兵は将校に警戒される事は多い
アクアリーヌ大戦後、どうやってあそこまで戦況を変えれたのか理由を聞くと、グスタフは背伸びをしてから答える
『こちらも突撃には自信があったのでな、将校首2つはそちらの王族が殺したようなもんだ』
『気付いてたのね』
『まぁな。だがザイツェルンの出現は予想外だったから対応はしたぞ』
『あれあんたなのね』
『まぁな。今後シドラードは辛くなるだろうがエイトビーストはどうする気だ』
『そうね…、王族があれだから自然にクーデターが起きるでしょうね』
今の状況で誰が玉座に座っても意味はない
残された三人には器がまったくないからだ
そして派閥の規模を拡大するためにエイトビーストにも接触した筈が、彼らを裏切る形となってしまった
エイトビーストは完全に王族との関わりから離脱し、以前のように気分次第となった事をエステが話すとグスタフは小さく頷く
その距離が王族にとって致命的なのだ。
『話だけしにきたわけではあるまい?』
グスタフは口にすると、エステは表情を変えた
空気がとても冷たくなったかのような雰囲気、彼女の顔は真剣になる
本当は反省会ではない、彼女は聞かなければならない事を聞くために来た
それをグスタフは悟る
『ギュスターヴはどこ?』
敵意でもなく怒気でもない
行き場のない感情が店内を冷たくしていく
彼女の足元から僅かに氷が広がり、2人の口から吐息が漏れ始めた
これが本題だと言わんばかりの本気の状態に溜息を漏らすグスタフは頭を掻きながら静かに立ち上がる
『っ!?』
エステは僅かに目を見開いた。
目の前の男からの手にはファントムソードという黒い剣が現れ、体から黒い瘴気が漏れ始めたのだ。
本気と本気、彼女はそれでも退く事が出来ない理由がある
(馬鹿げた魔力量…。本当に魔法使いならば…)
不意打ちで先制できる?いや無理だと彼女は直ぐに悟った
何度も頭でイメージしても、勝てるイメージが一切沸かないからである
『頼みを聞くならば考えてやらん事もない』
『お前に抱かれるつもりはない』
『下衆な事は考えておらん。先ずは聞け』
彼はエステに依頼を持ちかけた
内容に驚きを浮かべてしまったが、対価としては彼女にとって十分だった
難しい頼みだが、エステの心は決まっていた
何としても、恩人でもある人間に会うために彼女は従うしかない
『良いだろう』
『ならば明日に一度シドラードに向かってファラに会うか』
『はっ?』
何馬鹿な事を言っている?
エステの心情はその言葉で埋めつくされた
2週間以上かかる道のりをこいつは1日で済まそうとしてる、可笑しいと彼女は思いながらも目を細める
しかし考えても答えは出ない
『明日にまた来い』
こうして、彼女は疑問を浮かべながら一度店を出ていく
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