第3話 山下さん

半年ほど前だった。


 始業三十分以前にいつものように出社すると、FAXがすでに僕のデスクの上に届いていた。

文鎮がわりにミント系の飴がその上に一粒置いてあり、FAXに貼り付けられたポストイットになにかメッセージが書いてあった。


 そのメッセージより先にFAXを読む。だいたい電話やFAXなんていい知らせなどほとんどないので、僕はおそるおそる、でもすばやく目を通した。悪い知らせはとにかく対応を急がないとろくなことがない…。あ~あ…、いいことないかな…。


 そうそう、昨日だって、酔っ払いに関わってろくな目にあわなかったっけ…。同僚の吉沢と二人でその酔っ払いを駅のホームで助けたのはいいけれど、こちらも倒れて、スーツのお尻部分を汚したんだった。最近いいこと本当にない。女の子とも縁がないし…。


 仕方ない、FAXの字面を追う。

 FAXの内容は懸案であった購入予定の部品構成管理ソフトの価格を、こちらの要求どおり下げて対応するとの知らせだった。当然、当該ソフトの保守や教育支援についてもこの購入先を利用することが条件とのことだったが、そんなことはこの業者から購入するにあたっては社内ではすでに取り決めていたことであったので、つまり、この案件、解決ということになる。


 いいね、朝から珍しくいい感じだ。早速課長と係長に報告だね。PCを開いて、メールソフトをあげて、課長と係長宛で、ソフトの件ですが…と…。

 ポストイットが視界に入った、飴も…。

「財務に来てました。飴もどうぞ  財務山下」


 報告メールを出し、飴をデスクにしまい、ポストイットはちょっと考えて、やっぱり手帳に貼り付けて僕は給茶機のあるラウンジへ向かった。ラウンジの横の給湯室からかなり汚れたマイマグカップを取り、給茶機にセットして熱い緑茶を選択する。

 いい音をたててカップに緑茶が満たされ、僕はやけどをしないように慎重にそれを取り出した。


 人の気配に気づき振り向くと、色白の小柄な女性がこれまた白いマグカップを両手に持って立っている。小首をかしげて、朝に似合う自然な笑顔で

「おはようございます」

 と、挨拶も元気だ。

「おはようございます」

 僕もとりあえず爽やかに返す。だってね、今朝は珍しくいい知らせからスタートしたし、それに、

「山下さん、FAXありがとう」

 そう、この色白で小柄で目のクリクリっとしたかわいい女性、というか女の子こそがFAXの届け人、幸運の配達人だったし、お礼までいかないけれど、いい挨拶ぐらい返さないと。


「いい内容でしたか?」

「おかげさまで…。非常にいい内容でした」

 彼女は彼女のイメージ通りのかわいい真っ白いマグカップを給茶機にセットし、紅茶を選んでボタンを押した。

「おまけもついていたし、朝からラッキーだったね…。なんだろう、きっと普段の行いがいいんだな…」

 彼女はマグカップをとりながら、

「そうですね」

 とにっこり笑った。


「あれ、おいしそうな飴だね。ラッキーだな」

 さらに彼女は笑ってくれた。まあね、そのつもりで言ったんだからね。

「あの飴、私好きなんですよ…」

 と言ってポケットからひとつぶとりだし、どうぞ…といいながら僕に差し出した。

「え…、あ…、ありがとう。いいの?」

「はい!」

 僕は片手でもらい受け、ポケットにいれるのもなんだし、そのまま握っていた。


でも、ここまできて僕は重要なことに気付いた。スーツのパンツのおしり、ほこりがついてないかな?っていうことに。さっき給茶機の前で見られなかったかな、山下さんに。

昨日、酔っ払いを助けたとき、倒れてよごしたはずなんだ…。まずいな~。振り向くのもおかしいしな…。


「なんかいいな、朝から…。めずらしくツイてるよ」

 僕は動揺を隠すため、壁に背というかおしりを向けながら言った。

「普段の行いじゃなかったんですか?」

 ああ、逆につっこまれた。でも、会話は自然だしなんか楽しい。

「もちろん…常日頃の、なにかな…、日々の努力っていうものかな?」


 ふふ、と笑っている。本当にツイてるな…。

うん…?ちょっと、いや、でもこんな雰囲気はそうはない。軽く、深刻にならずに、でも、今だよね…。どうだろう?やっぱり今だ、きっと今だ、たぶん今だ!


「あのさ、山下さん…?」

「はい…?」

「小杉君の普段のおこないってまだ効果あるかな…?」

「さあ…?」

「そうだ!そう、今日のFAXのお礼、飴のお礼、幸運の女神様に今度是非お食事でもと思っているですが…」


 反応が怖い…。朝から俺は何やっているんだろう。山下さんが少し考えるしぐさをしたあと、またちょっと小首をかしげて笑っている。

何…? なんて言われるのだろう。

「本気ですか…? 本気で言ってます? 冗談ですか? 」

 僕は首を思いっきり振って、

「本気だよ…。本当、ホンキ、ホンキ」

 と本当にまじめな表情で言った。


「どうしましょうか…、へへ、いいですよ。でも、本当に私でいいんですか…?

FAX持っていって、私もついてましたね。へへ、これも普段の行いですかね…」。


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