怪談日和 (楓トリュフ 短編集)
楓トリュフ
第1話 ノイズキャンセリング
クラスメイトの談笑は、私には喧騒でしかなかった。
修学旅行に向かうバス。私は窓の外を眺めながら、
耳にイヤホンを挿した。
別に音楽が好きな訳ではない。雑音を遮断してくれる
ノイズキャンセリング機能が気に入っているのだ。
また、日頃からこうすることで、余計な会話をせずに済む。
言っておくが、私はいじめられている訳ではない。
ただ、喧騒が苦手なのだ。
まあ、クラスで、浮いていた事は事実だが。
バスが峠に差し掛かった時だった。
外をぼんやり眺めていた私は、座席を後ろから蹴飛ばされ、驚いて視線を車内へ戻した。
するとさっきまで、楽しい修学旅行に浮かれていた車内は一変、地獄絵図となっていた。
皆一様に、苦悶の表情をして耳を両手で塞ぎ、中にはブランケットを頭から被っている者も
いた。
「な、なにこれ、みんなどうしたの?」
思わず、立ち上がった時だった。私は急な振動に体を大きく揺らした。
ガタガタガタガタ!!!
バスは道から外れて、路肩に飛び出していった。
ガリガリガリガリ!!!
カーブ手前の壁に、側面を擦りながら走行し、カーブミラーに衝突したところで、
バスは停車した。
静まり返る車内。うめき声も、泣き声も、誰かの息づかいさえ、聞こえない。
衝撃で自分の席に押し戻されていた私は、少しだけ身を乗り出し周囲を伺った。
この時、片方のイヤホンが無いことに気がついたがそれどころでは無かった。
反対側の席を見る。そこには、私の数少ない友達の、みな子が座っていた。
私は、恐る恐る近づき、みな子の肩を揺さぶった。
「大丈夫?みな子、ねえ、大丈夫?」
ゴロンと、みな子の頭がこちらへ向く。
とても可愛らしい顔立ちの、みな子。しかし今は、見るも無惨な姿だった。
綺麗だった瞳は、真っ赤に血走り、頬は風船のように膨れ上がり、血管が浮き出ている。
口から液体が溢れたとき私は思わず、支えていた手を離してしまった。
後部座席で、バカ騒ぎしていた連中も、真っ赤に瞳を染めてコポコポと口から液体を垂らしている。
(そうだ、先生.....)
私は、前方に座っている、担任の所まで行くことにした。
途中、クラスメイトの顔が目に入っていたが、出来るだけ見ないように移動した。
もう、手が届く距離まで着た時だった。
不意に担任の隣で誰かが、こちらを向いて立ち上がった。
その子は、ヘッドフォンをしていた。
長い前髪で顔がよく見えないが、たしか、森田さんだ。
ほとんど、学校には来ていなかったが、何故か数日前から、再び学校に来るようになっていた子だ。
担任の山下先生は、森田さんが修学旅行に行きたいと言ってきたときに大喜びした。
バスの座席も特別に俺の隣にしてやるぞ。なんて言って、はしゃいでいた。
自分を慕って学校に来るようになったとでも思っていたんだろう。
「森田さん、大丈夫?...みんなの様子がおかしいんだよ。ねえ、先生は大丈夫かな?」
私の問いかけに、口をパクパクさせる彼女。肩をヒクヒクと震わせている。
「何?ごめん、ちょっと聞こえない。どこか怪我でもしてるの?」
私がそう問いかけた時だった。
「あははははははは、ざ、ざまあみろ、わ、わたしを、キモイとか言うからだ。」
「お、お前ら、自分の顔、見てみろよぉ、キ、キモイだろぉ」
「今、このクラスで、い、い、1番可愛いのは、わ、た、しだろ?」
今まで、聞いた事のない、大声だった。長い前髪の隙間から、覗いている瞳は
ギラギラと鈍い光を放っていた。
私のことを舐めるように、凝視した彼女はゆらりと通路に出てきた。全身が見えた時
右手に何かを持っているのが見えた。私はそれが何かすぐには分からなかった。
口元にそれを持ってきた時私は、咄嗟に耳を両手で塞いだ。
(ブオーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー)
彼女はラッパを吹いた。
鈍い銀色の細長いラッパだった。
いびつな笑みを浮かべて吹いていた。
その音色は低く、鋭く私の耳から入り全身を侵食して、私を体内から食い破ろうとしてきた。内側らか絶望が押し寄せてくる。人を憎む気持ちを彼女はラッパに込めたんだろう。
私は、その場に倒れてしまった。
きっとイヤホンをしたままだったから、侵食が遅れたんだろう。僅かに感覚の残る左目で
彼女の方を見た。何かの音楽でも聴いているんだろう。頭を上下左右に振り、何やら踊っている。
今度は、髪を束ね化粧を始めた。顔を真っ白に塗り気持ちの悪い模様を描いていく。
まさに奇行だ。気が付けば上半身も真っ白に塗りたくっていた。
満足したのか、ふうっ、と一つ息をすると、おもむろにラッパを口元に運んだ。
(私は死を覚悟した。)
もう耳を塞ぐ気力も、無い。イヤホンも倒れた衝撃で、目の前に転がっている。
ガシャン!
勢いよく、フロントガラスが割れた。彼女は気が付いてないみたいだ。
恍惚の表情でラッパを咥えている。
開け放たれた窓に、大きな人影がある。裸にライオンの頭。2メーターはあろう男だ。
男は森田さんの、背後に立ち顔を覗き込んだ。
「おい、おじょうちゃん、人様のラッパになにしてんだ?これは、ガキのおもちゃじゃ
無いんだよ。それになんだよ、この死体の山は。嗚呼、品が無いなあ。」
乱暴にラッパを取り上げると、彼女を蹴り飛ばした。
「ごめんな。悪魔が相棒を盗まれるなんて冗談じゃ無いよな。こいつ、喰って良いからな。」
ラッパは、大きく口を開けると、彼女を丸呑みにした。
「ばくり、もぐもぐもぐ。」
私は気を失っていたようだ。気が付いた時には、すっかり辺りは暗くなっていた。
悪魔は闇へと溶けていった。
遠くでラッパの音がした。
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