ビニール傘
「傘が1点、キャンディが1点、合計2点で748円になりますぅ」
気の抜けたようなコンビニ店員の声を聞き終わらないうちに、小銭を乱暴にトレーへ出す。4枚もある10円が煩わしい。でも、出さないと財布の中が煩わしい。そもそも半端な合計金額なのが一番に鬱陶しい。
店員はあたしの機嫌の悪さに気づいたのか、顔に視線をちらりと投げてくる。加えてストックがない唐揚げと端がピンクのレシート。早く帰れと圧を感じる。梅雨のただ中の午後、ゴキゲンなのは流行りのアイドルグループのコラボ店内放送だけだ。
呼び出されたのは今日の昼すぎだった。買い物あるから付き合って。いや、あたしにもあたしの用があるんだけど。心底悪態をつきながら眉だけ描いて、Tシャツジーパンのまま家を出てきた。
今日は朝からとびきりの雨模様。それもまた調子の悪さに拍車をかけた。急な呼び出しに雨模様、電車の遅延、センスのない彼氏の革靴、ハゲかけたネイルと充電の残り時間。あらゆる間が悪かった。
端的に言えば、あたしはまた恋人とケンカをしたのだった。
彼氏に付き合って古着屋を回って、喫茶店に入って休憩して。そして、へそを曲げたまま不満を垂れ流してもめてる間に、店先の傘立てに立てた傘を持ち去られていた。
ビニール傘は盗まれやすいからやめなってこの前言ったじゃん。そのボヤきが遂に火をつけた。あのさいつも後からそうやってさ、だから言ったじゃんとか言ってくるのムカつくんだけど。え、なに、怒ってんの。怒ってないし。てか傘はお前が聞かないからだろ。は、お前って何?
雨はまだ止まない。少し前までのつまらない回想を、頭を振って落とす。
コンビニから出ると、彼氏が待っていた。駅までなら俺の傘に入ればいいじゃん。なにか言ってたけど、無視した。
買い足した傘の包装を剥ぐ。ボーッとしてて包装取ってくださいって言い忘れたな。周囲を見渡すも、ゴミ箱はほしい時には大概見つからない。
そのまま無言で駅まで歩いて、じゃこの後バイトだから、と分かりやすい嘘をつく。特に追及もされない。改札の人混みに消える彼を横目で見て、逆方向に歩き始めた。
駅の構内を歩く人はみな傘を手に持っている。赤い傘。青い傘。骨の多い傘。折りたたみの傘。黒い取手の透明なビニール傘。あたしの手にも新品のビニール傘。
このうち一体どれほどの人が、わざわざこれが好きで使ってるんだろう、と思う。紋切り型で無個性で、コンビニ価格で税抜500円。
急な夕立に買い足し、紛失に買い足し、そして今日は置き引きに買い足し。そうやって買い足されたビニール傘を、家の傘立てに転がしてある。
何本目かも分からないビニール傘に、八つ当たり気味に舌打ちした。また買っちゃった。今日の気に入らないことがまた増えた。
何もかも気に入らないけれど、今日濡れないで帰るには必要だった。そして、ビニール傘なんてつまらないと言いながら、ならば一本かわいい傘を買おうなどとは不思議と思わないのだった。
気分転換にと、傘と一緒に買ったキャンディを口の中で転がす。柑橘の酸味が5ヶ月前の日暮れのことを思い出させて顔をしかめた。あいつははじめから気の利かない男だったな。そう思うとどうでもよくなる。
そりゃあ、あたしだって憧れてる。
ずいぶん悩んでからいいものを買ったり、あるいは店先で一目惚れして買ったりして、その傘を寿命になるまで使う。羨ましくないわけがなかった。
SNSの写真を止めもしないでスクロールする。止めなくても目の裏に張り付いている。あたしのはいつでも、どこにでもある無個性なビニール傘だ。だけどあの子の傘は、一昨年の夏から変わらない、イエローカーキの小花柄。よく似合っていた。
大層なものはあたしにはもったいない。どうせすぐなくすから。お気に入りなんていらない。いずれまたなくすのに。そんなに好きになったら、なくした時には私の一部まで持ち去られてしまう。
綺麗でかわいい傘を見ると思い出す。「彼氏が最近そっけなくて」いつも飄々としていたあの子が神妙に言うもんだから戸惑ったものだ。入った喫茶店でも、借りてきた猫のようにおとなしく、注文した紅茶ラテにも大して手を付けない。彼女のそんな様子は初めて見た。そして、その程度のことにどうしてあれこれ悩むのかが全く分からなくて、言葉がなかった。
つくづく思う。あたしにはビニール傘がぴったりだ。
手軽で、便利で、替えがいくらでもあって、あたしの心を少しも掴まない。置き忘れても盗まれても、探しに行くほどのものじゃない。それくらいが一番都合がいい。
あ、そうだ。思い立ってチャットを開いた。
よ、今日空いてる?
どうしたの、久しぶり
元気かなと思って!
なにそれ笑 ヒマだよ〜笑
ちょっと飲みに付きあってよ
軽いやりとりが小気味よい。しばらくすれば来るらしい。都合ついてラッキー。もうしばらく帰らなくてよくなった。
さっきまで彼氏とケンカしてたくせに、あたしってサイテー。心の中でペロッと舌を出す。彼氏とのチャットには、新着メッセージがあります、なんて表示されていたけれど後でいい。
先にぶらついていよう。駆け足気味に階段を上り、2番出口から飛び出した。
雨は止む気配を見せない。シャワーみたいに降り注ぐお天気雨は、あたしたちを照らすミラーボール。憂鬱だったはずの雨が表情を変える。気分屋のあたしみたいに。
光の粒の中に向かって、新しい傘を大きく開く。そのまま水たまりを蹴って、あたしは繁華街へと躍り出た。
恋愛SS Y @yohaku
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