第3話 英雄または戦場の悪魔
「あなたはみんなのために戦い、そして死にました」
見えげれば青い空がどこまでも広がっている。
一人の老人が石畳の広がる広場に現れた。円形の広場の中心には石像が立てられていた。
老人は石像に花を添える。それが彼の日課だった。
しかし、今日は違った。
今日は特別な日だ。
老人は息子夫婦と二人の孫に連れられてゆっくりと石像に向かう。
石像にもたれかかり、一息つく。
物思いにふけるように目を細める。
老人の前にひとりの少女が現れた。白い少女だった。
その瞬間、世界が静止した。
飛び立つ鳥は空中で停止し、噴水の水さえもその動きを止める。
近くではしゃぐ孫たちの声も消えていた。
停止した時間の中で動いているのは老人と少女の二人だけだ。
突然に現れたのに老人は一つも驚いたぞぶりを見せない。
「おやおやお嬢さん、いかがなされましたかな?」
のんびりとだが、油断のない目で老人は少女を見る。その目は歴戦の戦士のそれだった。
「私は死神のミライ。あなたの命は今日限りとなりました」
老人は一瞬目を見開いたが、すぐに閉じた。
「そうですか。やっとですか・・・」
「死ぬ前にあなたの願いを叶えてあげます」
老人はどこか楽しげに笑った。
「私の願いは決まっています。叶わない願いが・・・でも、その前に私の昔話に付き合ってもらえませんか」
少女は小さくうなずき老人の横に座った。
「あれはもう五十年も前の事です・・・」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
曇り空の下。
飛び交う銃弾の音で間を覚ます。
本当に最悪の気分だ。
ざんごうで見張りをしていた戦友が昨日の夜間襲撃で死んだ。
今朝の砲撃で部隊長が死んだ。
おかげでオレは朝一から昇格し、部隊長になった。
部隊といっても隊員はオレを入れてもたったの九名しかいない。
もう部隊ともいえない。
先ほど伝令から伝わってきた命令は「撤退」。周囲を敵に囲まれすでに退路はないに等しい。
その中で、
「奮闘し後退されたし、最善の成果を期待する」
それはオレ達に華々しく散れということか。これまで死んでいった戦友たちにお前たちの死は無駄でしたと胸を張って言えということなのか。
銃弾が頭上をかすめた。
「全員荷物をまとめろ。銃弾の予備も忘れるな!」
部隊員が少なくなったせいで、銃弾は余るほどあった。
どれだけの敵がこれから後退する進路上にいるのか想像もつかない。
最後に敵味方の分布図からして、このまま南に進むことが最善だと言えた。
「南に後退する。お前は偵察を行いながら進め。しんがりはオレがする」
「しかしコック隊長・・・」
コック隊長という名はオレのあだ名だった。兵として徴収される前はオレはコック見習いとしてレストランで修行中だったんだ。だから「コック」これは、戦死した前隊長がつけてくれた名だ。
オレはこの名前をけっこう気に入っている。
「つべこべ言わず。進むんだ!」
朝が早いということもあり止みと霧が濃い。朝霧にまぎれて逃げ出すことが最良だ。
時間が経てばたつほど不利になる。
暗がりの中を手探りで進む。
木々はまばらで身を隠す場所が少ない。少人数とはいえこのままでは見つかってしまうのも時間の問題だった。
虫の声が消えた。
シンとした空気が冷たく重い。
囲まれた?
いや、それどころか仲間の気配すら消えた。
仲間とはぐれたのか。そんなはずはない。
戸惑うオレの前にひとりの少女が現れた。
幻覚か・・・恐怖のあまり神経がイカれてしまったのか。
「私は死神のミライ。あなたの命は残り三日となりました」
いきなりとんでもないことを言われた。
「そうか。それはいいことを聞いた」
オレの言葉にミライはおどろいた風だった。
少なくとも今日死ぬわけではない。ショックなどではなく逆に安心してしまった。
「あなたは死ぬのが怖くないの?」
「マイクは被弾したオレを背負いながら敵の銃弾で死んだ。アンダーソンはオレの前を歩いていて地雷を踏んで死んだ。アニンはオレの代わりに夜に見張りを交代して夜間攻撃で死んだ」
戦場ではよくあることだ。しかし、
「少なくともオレは三人分の命でここにいる」
命は地球よりも重い?命は何よりも尊い?
それはどこの夢の国の話だ?
それはここではない。少なくともこの地ではない。
命は何よりも軽く。簡単に失われる。
「今までのツケが回ってきた。それだけの話だ」
簡単なことだ。だから死ぬと言われても「やっとオレの番か」ぐらいの感想でしかない。
しかし、三日というのは中途半端だ。いや、考えてみれば撤退完了は三日後の予定だった。
完ぺきではないか。
「死ぬ前にあなたの願いを叶えましょう」
「そいつはありがたい。ならば今夜ゆっくり眠れるように添い寝してくれ」
「あなたの命は、本日限りになりました」
「冗談だって!!!」
こいつは魔法の精か何かか、それとも実は悪魔で願いと引き換えにオレの魂を地獄に送り込むのだろうか。
まあ、どちらでも構わない。願いを叶えてくれるというのなら、叶えてもらおうじゃないか。
「それじゃあ、この隊の中で最初に死ぬのをオレにしてくれ」
これが願い。今のオレの願い。
叶うかどうかではない。オレが叶えなければならない願い。
「自分自身の願いでなくていいの?」
「何も望まない」
「若いのに・・」
「あんたの方が若いだろ」
どう見ても見てくれだけで言えば十代の少女と三十手前のオレとでは比較にすらならないだろう。
「私って・・・若い?」
なぜに疑問形?とりあえずは大きくうなずく。
「そう、私は・・・若い。まだまだイケる」
何やら変なスイッチが入ってしまったみたいだが、とりあえずは見なかったことにしておく。
「あなたの願いは私が叶える」
背中越しに宣言しミライは消えた。
「コック隊長どうかされましたか?」
隊員の一人がオレに駆け寄ってきた。
その様子からして、先ほどの少女はオレ以外には見えなかったということか。
幻覚だったのだろうか。
それでもいい。
幻覚だろうが何だろうが、オレのすることは変わらない。
「これから撤退を開始する。それと、オレが先頭を行くお前たちはオレの後に続け」
先ほどとは真逆の命令。
隊員たちは少し戸惑ったようだが、それでも「了解」とうまずいてくれた。
それからは、奇跡のような撤退が続く。
地雷原では一発の地雷を踏むことなく進み。
銃撃戦の真っただ中でも、オレにも隊員たちにもかすりもしなかった。
オレの荷物にはいつもフライパンが入っていた。
それを使って隊員たちの食事を作ったりした、これが毎回好評だった。
まあ、食材はヘビだったりカエルだったりしたんだが・・・
銃撃戦の中そのフライパンを適当に振り回したら、何発か敵の銃弾をはじき返したりもした。
死神の加護、半端ねぇ!
夜には夜襲もなく安全に進む。
撤退を開始してから三日目。オレたちはついに撤退の指示のあった最終ラインにまで到達していた。
この二日間での脱落者はゼロ。けが人もいない。まさに奇跡だ。
しかし、隊員たちは不眠不休の強行軍で疲弊しきっている。
「コック隊長には幸運の女神がついているのですね」
隊員たちは感激したように、というかもはや崇拝に近い。狂信的な信者が八名できあがっていた。
いや、女神じゃなくて死神なんだが・・・
少女の言葉が思い出された。
彼女の言葉が正しければオレは今日死ぬことになる。
そのことに後悔はない。隊員たち全員が生き残るのであれば本望だ。
「コック隊長・・・ご報告が・・前線が後退しています」
無線を聞いていた隊員の一人が青ざめた顔で報告してきた。
あと少しで味方の軍と合流できるはずが、それはまだまだ先になったということだ。
「前線までの距離は?」
「約十キロ」
決して遠い距離ではない・・・が、近い距離でもない。
一日で踏破できるかといえば、正直難しいところだ。
「とにかく今日中には味方と合流するぞ。先頭はオレ、お前たちは周囲を警戒しつつオレに続け!」
威嚇射撃を行いながらオレは走り出す。
隊員たちもおたけびを上げながら走りだした。
キン!
銃弾がヘルメットをかすめた。
オレは足を止めない。
立ち止まれば撃たれる。
死神との約束がどこまで有効なのか分からない。もしかしたら、あれは夢で、オレは妄想を信じてがむしゃらに進む狂人なのかもしれない。
そんな考えが何度も頭の中に浮かんだ。
それを振り払うかのように叫び、撃ち、飛び、走る。
後ろに続く隊員たちを信じ、振り返らずに進み続ける。
どれだけの時間が過ぎたのか、どれだけ走り続けたのか。
前方から続いていた銃撃が今は後方からになっている。
敵の包囲網を抜けたのだ。あとは敵の攻撃がとどかない範囲まで逃げ切ればオレたちの勝ちだ。
銃弾が額をかすめる。かすり傷、この三日間で初めての被弾だ。
やばい!
頭の中に警鐘が鳴った。太ももに銃弾が当たる。
「コック隊長!」
隊員が駆つけ応急処置をしようとした。オレはその手を荒々しくはねのける。
応急処置をしている時間はない。
もう時間がない。
死神の言葉が本当なら、今日オレはここで死ぬ。
「いいかよく聞け!」
隊員たちがオレの前に集まってきた。
「オレがここで敵の進軍を食い止める。お前たちは先に行け!」
「しかし・・・」
この足ではもう動けない。
ここで足止めされては助かる命も助からない。
覚悟は三日も前からできている。
「各員無駄な装備をここに置いていけ!身軽になってとにかく走れ!」
隊員たちは首を横に振った。
馬鹿な奴らだ。上官命令を聞けないとは。
「いいか、これが最期の命令だ!逃げろ!」
オレは銃を構える。
隊員たちはしぶしぶ走り出す。
「コック隊長・・・ありがとうございました!」
最後に振り返った隊員が涙を流しながら叫ぶ。
「生きろ!必ず生き残れ!」
銃を構え引き金を引きしぼった。
胸に痛みが走った。
オレは銃を握りしめたまま離さない。
今握っているのは銃ではない。隊員たちの命だ。
だから離さない。
死んでも離さない。
(あなたは幸せでしたか?)
ミライの声が頭に響いた。
不思議と傷の痛みが引いていく。
銃を撃ち続けているというのに、心の中は静かだった。
どれくらい撃ち続けただろう。
意識がもうろうとしていた。
時間の感覚もほとんどない。
銃声と爆音。
それだけが今のこの世界の音だった。
(隊員たちは無事に味方の元に到着しました)
ミライが告げる。
その言葉にふっと力が抜けた。
銃が落ちる。
オレの役目は終わった。
(みんな助かりました。あなたのおかげです)
やりとげたという達成感。
目の前にミライが現れた。
「・・・時間です」
言われるまでもなく、自分の身体の事は分かっている。
「なあ、お嬢ちゃん」
ミライがオレを見つめる。
泣きそうな顔だった。
そんな顔でオレを見るな。
お前は死神だろ。
だったら、そんな顔でオレを見るんじゃないよ。
これじゃ、普通の女の子じゃないか・・・
「・・・オレってカッコよかっただろ」
ミライが泣きそうな顔のままでうなずいた。
「あなたの最期は最高でした」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「あの時、コック隊長がいなければ我々は全滅していました」
隊員たちが味方の合流してから一週間後に和平協定が結ばれ戦争は終結した。
あの最後の強行軍は味方には「英雄の行軍」と呼ばれ、敵からは「悪魔の行軍」と呼ばれた。
その後の隊員たちはそれぞれの人生を送った。兵士として軍に残る者、引退し商売を始める者、薬におぼれ自滅する者・・・
老人は退役し、小さな雑貨屋を営んでいた。今では息子たち夫婦がその跡を継ぎ、孫たちもその手伝いにいそしんでいる。
「コック隊長のおかげで、私たちはすばらしい人生をいきることができました。感謝してもしきれません」
「隊長はあなたたちが生き残ることを願った」
「コック隊長の願いが・・・私たちを生かしたと・・・!」
老人が両手で顔をおおった。
「なんということだ。彼のおかげで私たちは生き残ったというのか!」
感謝してもしきれない恩。
後退する隊の中で最後まで残り、隊長の姿を目に焼き付けた。
銃を持つ姿はまさしく、英雄の姿だった。
「私はコック隊長の願いに足るだけの人生を歩むことができたのでしょうか」
人生の価値はその歩んだ者だけにしかわからない。
尺度は自分自身。
「あなたの願いは何ですか?」
少女の言葉に老人は顔を上げた。
「もう一度・・・コック隊長に会いたいです。隊長に会って感謝の言葉を伝えたいです」
私は生き残りました。
幸せな人生を歩むことができました。
あなたのおかげで、幸せでした。
「あなたの願いは、すでに叶っています」
「・・・おお!」
老人はおたけびを上げた。
ミライの横には一人の男が立っていた。
忘れもしない。
石像と同じ姿で、あの時の姿で。
「コック隊長!!」
老人はその場にひざをついた。
あれほど会いたかったというのに、語りきれぬ思いが胸の中にあふれているというのに。
何も言葉が出てこない。
涙と歓喜の気持ちしか出てこない。
「おいおい、オレの部隊の隊員がそんな調子じゃダメだろ」
「お、おっしゃる通りです」
老人はうまずいた。
「どうだ。いい人生だったか?」
「・・・はい」
それ以外の言葉は無用だった。
「そうか」
隊長は微笑んだ。
(ああ、やっぱりコック隊長だ)
その笑顔で満たされる。
「最高の・・・人生でした」
息子夫婦と孫たちの囲まれて、ひとりの老人が静かに息を引き取った。
その顔は満足したものだった。
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