いつか
いつか
作者 時雨
https://kakuyomu.jp/works/16816452219391408419
昔のバンド仲間のショウの訃報を聞いた前川千夏は、かつてのバンド仲間と葬儀に参加した帰り道で思い出話を語り合い、どんなふうに彼女が生きたか、いつか聞かせてほしいと願って明日を生きる物語。
はっきりと決められない未来のある時間を指す言葉がタイトルに付けられている。未来を限定していないため、近いのか遠いのかもわからない。別れ際に、いつかまたどこかでと交わすような話なのかしらん。読んでみなければわからない。
文章の書き方については目をつむる。
書き方が上手い。難しい表現はつかわず、セリフに方言がまじり、リアリティーを感じる。友人の告別式に参加して見送った後の主人公たちの雰囲気や様子がよく描けている。
思い出話をする形で回想を挟んでいるけれども、それがお話に噛み合っていて、彼女彼らの話を聞けてしまう。
しんみりとしながらも、思い出話に花を咲かせる彼女彼らには笑顔もあり、決して暗くない。希望を感じられる別れである。
高校を卒業していない子が、こういう話を書くのかと、しみじみ凄いなと感服する。
主人公は前川千夏、一人称「僕」で書かれた文体。自分語りであるが、端的に状況を切り取ったような印象。重い話をあつかっているので、バランスを取るように軽く描写している。行変えをし、話し言葉で表現され、漢字をひらいているせいもあって、わかりやすく読みやすい。
前半。
ある夏の夜のこと。高校一年生から五年間つづけた、かつてのバンド仲間のショウこと永田翔子の訃報が前川千夏に届いたのは、ビール片手にやり残した仕事を片付けようとしていたときだった。
仕事を自宅に持ち帰ったのだろう。
ということは、主人公は会社づとめをしていると考えられる。「ショウの生きた人生は短かった」とのちに語っているし、主人公たちが結婚しているようにも思えないので二十代くらいだろうと仮定する。
「仕事を早々に終え、ほんの少しだけ泣いて、そして、寝た」という。バンド仲間と連絡を取り、「彼女の実家近くの葬儀会場に来ている」と続く。
彼女が亡くなったのは連絡のあった日でその夜に近親者で通夜が執り行われたと推測。次の日に葬儀と告別式がなされたのだ。
「抜け目ない彼女の母親は、きっちりと彼女の昔の手帳だか何だかを探り当て、全員に連絡を取ったらしかった」主人公はかつての仲間と連絡をとったときには、それぞれすでに連絡をもらっていたにちがいない。
亡くなった彼女の顔はきれいだったとある。事故でなくなったのではないのだろう。
葬儀後、沈黙の中を歩いていると、バンド仲間のドラムをしていたデカと、ギターのスイこと峰川水歌が彼女との思い出、バンドに参加することになったいきさつを語っていく。
ショウに「昔の刑事ドラマに出てきそうな顔だから」とデカと名付けられた彼は、「大柄でこわもて」でドラムを叩くらしい。
そんな彼が現在はパティシエをしているという。
バンド時代、ショウが読んでいた雑誌に掲載されていた「スイーツ特集」記事の「パティシエ」の文言に興味を惹かれ、やってみたいなと何気なくいうと、ショウに「やってみたら」「バンドのことは後でもいいからさ」と後押しされて、バンドを辞めてパティシエの道に進んだという。
だけど辞める際、彼女に辞めないでと泣きつかれたという。
「彼女はこの声が自分から離れるのがいやだったのかもしれないと思うと、なんだか納得できた」という主人公の考えが、デカの台詞前にある。この「彼女」とはショウのことで、「自分から離れるのが嫌だった」のは、彼がパティシエになるためにバンドを辞めるとき、泣きながら引き止めた彼女の行動を指しているのだろう。
高校時代、デカはショウと席が隣だったという。
彼女は一年二組だったので、デカも二組だったのだろう。
高一の秋に彼女から突然「ドラムやらない? てかバンド入らない?」と声をかけられたとある。その後、ドラムを必死に練習し、結構しっくりして意外と楽しかったという。
デカは友達が多かったらしく、ショウは逆にそうでもなかったように書かれている。
ショウが前川千夏と会ってバンドに誘ったのは夏。参加してくれたおかげで、デカをバンドに誘いやすくなったのかもしれない。
峰川水歌――スイは彼らとは同じ高校ではなく、「ある日突然ショウが連れてきた」という。別の学校の生徒でバンドを組んでいた彼女を、おそらくショウはライブハウスに足を運んで見つけたのだろう。
スイは前のバンドでいじめられていた。彼女のうまさに他のメンバーがやっかみ、暴力受けたり、水ぶっかけられたりしていたという。
バンドが解散する多くの原因が人間関係とお金だといわれている。メンバーの不仲で解散するのはカッコつかないため、「音楽性の違いで解散する」と建前を述べる。バンドに限らず、仲間内の揉め事の原因は人間関係に尽きる。
ショウは彼女がいじめにあっていることを知っていた。
勧誘をしていく内に知ったのかもしれない。うまいギターリストが欲しかったのは本当だろう。いじめられている彼女を助けたかった気持ちもあったにちがいない。自分たちのバンドならそんなことはない、と言えたのは彼女がリーダーだったからはもちろん、デカも千夏も楽器をはじめたばかりだったからだ。
敵対視されやすいのは、類似性が多く、境遇などが近く、個性が弱くて真似ばかりし、苦労が見えないなどの特徴があるときとされる。以前のバンドメンバー全員がギターだったことが要因に考えられる。また、スイは努力してうまくなってきたと思われる。だが、努力している姿をみていない他のメンバーは嫉妬し、たとえ競争心をもたず淡々とこなしても、それが帰って敵対心をあおってしまったと推測。
ショウがスイをバンドに誘ったのは、「気の強そうな、意志の強そうな、瞳。その色をショウが気に入ったから」と前川千夏が思っているところだったのかもしれない。
千夏はどうだったのか、とデカに聞かれて黙っていると、「別に言いたくなかったらそれでいいし、きいたことないなあっておもっただけだし」と言葉を聞いて、逡巡しつつも五年間バンドを組んだ仲間に打ち明ける。
高校一年の夏、学校の屋上で主人公は彼女と出会った。家の事情やいじめなどから自殺しようとしていたときだったという。
前半、受け身になりがちだった主人公が、ここから積極的に物語を動かしていく。
主人公が自ら殻を破り、打ち明けてこなかった過去を話せるようになったのは、かつての仲間が、それぞれの出会いを語ってくれたことで勇気をもらえたからだろう。
後半は、理性的ではなく感情的に読んでいけばいい。
後半。
高校一年の夏休みがはじまる前の昼休み、校舎の屋上にいた主人公はフェンスを握りしめていた。どうやってフェンスを乗り越えるか考えていると、ショウが現れる。彼女に止められると想像していたが、「君もプール見に来たの?」と予想外のことをいわれる。
主人公は「今までの人生の中で一番驚いた瞬間だった」とおもっている。ショウの訃報よりも驚いた、ということかしらん。だとすると、主人公はショウが病気か何かで亡くなることを知っていたのか、あるいは卒業するように仲良くバンドを解散して、それぞれの道へと別れたっきり会うこともなくなって仕事に忙殺されて疎遠になっているかのどちらかと考える。
どちらかといえば後者なのだろう。
歌詞が思いつかず、プールがひらめき、見にいこうと屋上に来たというショウに主人公は、「よくそんなこと思いつくね。プールなんて。ていうかバンドでもしてんの? 歌を書くって」踏み込んだ発言をする。
彼女は「バンドはそろそろ始めるつもり。メンバーはまだいない。これから探す」と答え唐突に「そうだ!」と手を叩き、「君が入ればいいんだよ」と勧誘を続けて「お試しで」と、翌日には彼女のうちへ行くこととなる。歌詞は主人公のお陰でできたようだ。
主人公曰く、「人を素直にしてしまう何かを持っている」らしい。
はたして、彼女はプールをみるために屋上に来たのかしらん。主人公の自殺を止めたのは偶然なのだろうか。
学校のプールを見るのなら、廊下からでもみえたはず。はじめは、そうやって廊下から見ていたのかもしれない。一階からでは水面は見えない。二階、三階、と上がっていくうちに障害物があってよく見えないからと屋上へとやってきたとも考えられる。
屋上にあがる前、廊下の窓から向かいの校舎の屋上にいる主人公の姿を見た可能性はないだろうか。
可能性はあっても結論は出ない。
プールから歌詞を作るという彼女の言葉に興味を持って話を聞いた主人公は、流されるように彼女とバンドを組むようになったのだ。
彼女の家はでかい家だったと話すと、聞いていた二人に笑顔が見られる。
行き先の違う電車に乗って帰っていく二人に別れを告げ、主人公も最寄り駅へ向かうべく乗車する。電車内で寝ながら帰路につく主人公。
夏の生暖かい風に頬を撫でられる帰り道、満月を眺めて歩いていると「考えること」という言葉と、高校二年冬の出来事を思い出していた。
高二の冬に屋上で、弁当を食べながら主人公は、陰口をいわれているのを知っているのに崩さない彼女にどうして平気なのか尋ねる。
彼女は「真面目に生きていない奴のいうことなんて聞く必要ないよ」と答え、真面目に生きるとは「考えること」「なんで自分は生まれたのか、何をするべきか、何をしたいのか、そういう答えのない問いをひたすら考え続けること」「深く、考えて、考えて、考えること。人生に必要ではないけれど、自分なりの答えを出すことは、きっと素敵な人になるために、必要なことだと思う。それで……」と持論を語っていたのを思い出す。
ショウには、主人公がどうみえていたのだろう。
家庭の事情やいじめに対して、真面目に考えて、なんで自分は生まれたのか、何をするべきか、何をしたいのか、そういう答えのない問いをひたすら考え続けた結果が自殺だったのかもしれない。「自分なりの答えを出すことは、きっと素敵な人になるために、必要なこと」なのだけれども、主人公は一度、自殺という答えをだした。
それは素敵な人になるために必要なことだったのかしらと、ショウは考えたのかもしれない。素敵ならば、それを止めて否定した自分の行為は矛盾するのではないかしらん、と自問したかもしれない。
だけど、素敵な人になるというのは、素敵な人として生きること。自殺は前提が誤っているのだ。
バンド勧誘のほうが素敵な人になることだとショウは思い、主人公に声をかけたのかもしれない。
彼女は真面目に生きている人を応援したかったのだろう。
デカはパティシエに興味を持ち、応援した。でも辞めるとなると、自分のバンドからいなくなる。それは寂しいし嫌だと真面目におもったから、泣きわめいたのだろう。
スイの目がまっすぐで、真面目に生きている人だったから、バンドに引き入れたのだろう。
「 彼女の薬を全身にいきわた らせるようにして、僕は願う」とある。彼女の薬とは比喩で、彼女の「考えること」を指していると思われる。
深く考えて考えて、自分なりの答えを出す。
主人公は考えて、「でも。それでもまた、いつか会えたなら。聞かせてくれるだろうか。その続きを。彼女なりに生きた、人生の答えを」と、彼女がどんな生き方をしてきたのか、亡くなったからもう聞けないけれども、もしも自分が死んであの世とやらがあって、そこで再会できたなら――。
あるいは、生まれ変わりなんてあるかわからないけど、もう一度会うことができたときに彼女から聞きたい、と願いつつ、彼は彼の人生を歩いていくのだった。
読後、さわやかさをおぼえる。友達が亡くなって葬儀に参列したのに落ち込み嘆く悲しさがないのは、主人公たちが泣いていないからだろう。
読者を泣かすには主人公や登場人物を泣かせるのだけれども、作者は悲しく見送る話ではなく本作のような形を敢えてとったとおもわれる。悲しい話を悲しく書くのはできるけれど、悲しい話を無理なく別な印象を与えるものにするには、意図して書かなくてはいけない。そこが書けているのがすごいなと感じた。
友達の葬儀に参加した後の帰り道のことを、ふと思い出した。口数は少なかったし、思い出話はいくつか出たかもしれないけれど、爽やかさはなかった。
ショウの「深く、考えて、考えて、考えること」というセリフに親近感を覚える。
全く同じことを言っていた時分を思い出す。
「人生に必要ではないけれど、自分なりの答えを出すことは、きっと素敵な人になるために、必要なことだと思う」と彼女は言っている。充分、考えることは人生には必要だ。自分で考えて、自分で決めることも大事だけれども、困った時は一人で悩みつづけるのではなく「誰かに相談する」という選択肢も大切なのだ。そういうことも含めて、「人生に必要ではないけれど」と彼女は言ったのかもしれない。
本作がいいなと思えてしまう要因は、そんなとこにもある気がする。
読み終わって、KARAKの『いつかまた生まれた時のために』とか、鈴木彩子の『ピアニシモのように』とか、松村香澄の『THE PAIN』や他のいろんなバラード曲をたくさん思い出してしまった。
ところで、ショウはバンドを解散した後、どうすごしていたのかしらん。大きな家に住み、楽器も家にあったようなので、親が音楽をしているのかもしれない。彼女もその道に進んだのだろうか。そこは読者の想像に委ねられている。
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