「今」の旅人

「今」の旅人

作者 夢幻

https://kakuyomu.jp/works/16816452221398918530


 父親が戦死して身寄りをなくしたアスラは、昨日の記憶をなくしてしまう旅人のユアと出会い、過去や未来を心配し過ぎず今を疎かにしないことを教えてもらうと、二人は再会を約束してそれぞれ旅立っていく物語。



 面白そうなタイトルが付いている。

「現代」ではなく「現在」でもなく、「今」の旅人なのだ。昨日でも明日でもなければ、過去や未来でもない。今この瞬間の旅人、ということなのだろう。

 わざわざ今を強調するからには、この旅人には何かしらがあるのだろう。読んでみてのお楽しみである。


 本作は、ゴータマ・シッダールタまたはブッダ、お釈迦様がおっしゃられていた「過去を追うな。未来を願うな。過去は過ぎ去ったものであり、未来はまだ判っていない。今なすべきことを努力してなせ」仏教の教えが浮かぶ。

 また、葉月抹茶の『一週間フレンズ。』や小川洋子の『博士の愛した数式』などをも想起させる。他には藤子・F・不二雄の『エスパー魔美』の「地下道おじさん」を思い出す。


 三人称の神視点と少女アスラ視点で書かれた文体。昨日の記憶をなくしてしまうユアの生き様から、教訓を得るような作品。

 母をなくしているアスラは父をなくし、臆病になっている。行動には勇気が必要だ。彼女はユアに会って話すことで勇気を手に入れ、自分の旅に出ようと決意する希望に満ちた話である。

 アスラの描写があってもいい気もするけれども、ユアの描写があるところから、本作では彼を描きたかったのだろう。


 前半、海の見える断崖の上で、父親が戦死し身寄りを亡くして独りになって悲しみに暮れる少女に声をかけたのは「やせ細った身体に、痛々しい数多の傷、もはや布きれ同然のボロボロな服」を着た黒人男性のユアと名乗った旅人だった。「泣いてもいいんだよ……人はね、苦しくなったら、泣かないと壊れちゃうんだ」と、慰めてくれた。お礼に少女は、彼を家に招き入れる。

 食事を与えてもてなし、旅人である彼の話を聞く。彼は「寝るたびに記憶が消える呪いに罹って」いるという。手にしていた本には『導きと記憶の書』と書かれ、『ユウ=ティアラモンド』という名も記されていた。

 彼は「昨日のことも、家族のことも、ほとんどなにも思い出せな」いが、「全くなにも覚えていないわけじゃない」「この本を見たらなぜか読まなくちゃいけないと思った。そして開けたら、読まなくても大体の内容を覚えていた」「思い出せない部分だけ読」み、「昔から何回も見たり聞いたりした事は忘れられない」「本の中身も、最初の方だけは覚えてる」と語る。

 本のはじめには二年ほど前、「ティアラモンド家の屋敷での穏やかな生活の様子が」「百ページ以上にもわたって」記されていた。どこかに捨てられていた彼を助けたのが、ユウ=ティアラモンド。弟のように彼女が育て、世話をし、本も、ユアという名前も、人生を与えてくれたのも彼女だった。

 ページを捲ると、「街の中でいろんな人と出会った日もあれば、賊に襲われた日もあった。血が滲んでいるページもあれば、土の香りが染み込んでいたページも」あり、彼が旅をしてきたのが解る。

 少女は彼に旅をしてきて辛くないのか尋ねる。彼は辛いのかもわからないと答える。元からいなかったように感じるからだ。

 失うものがないから悲しむ必要がない、それは幸せなのか? 失うものがある方が幸せなのか? 幸せとは何で、自分と彼はどちらが幸せなのか?

 少女アスラは考えても答えは出せなかった。


 後半、海の見える断崖に行き、二人で星空を見る。少女は彼になぜ旅をするのかを尋ねる。日記に書かれたこと以上のことを彼は覚えていない。

 彼は「屋敷での生活が退屈だった」「ずっとユウ達に頼って生きるのが心苦しかった」から旅に出たといい、「過去も未来もわからないからさ……自分の好きなように今を生きるのが一番」だと語る。

 父親をなくし、幼い頃に母もなくして独りになった少女は、畑で麦を育てて暮らすことになるのかと先々のことを考えると、不安になっていく。

 そんな彼女に彼は「ゆっくり、気楽に考えたらいいと思うよ。大切なのはね、過去を振り返りすぎたり、未来を心配しすぎたりしないことだよ」「今をおそろかにし続けるのはダメだよ」と諭す。

 そして彼は眠気に襲われ、家に戻ると日録を綴って眠りに落ちた。

 翌朝、記憶をなくしている彼は日記を読み、戸惑いながら少女に挨拶する。そして彼は旅に出る。別れ際に少女は彼に五日旅に出る、その時は旅先で会おうと声をかけ、別れを告げる。

 

 読後、考え方、生き方のちがいだと思った。

 人は記憶のない状態で生まれてくる。やがて住み慣れた環境に窮屈さを覚え、自身の人生という名の旅に出る。楽しい事ばかりではない。辛いこともある。そんなとき、どういう生き方が幸せなのか、人は考える。

 過去に囚われ未来に怯え、安住の地で穏やかに豊かに過ごすのがいいのか。空と大地の毛布にくるまって眠るその日暮らしの生活がいいのか。「金持ちは嬉しかろう、物持ちは楽しかろう、でも貧乏人は眠れるだろう」という喩えもある。

 幸せとは、清濁併せ呑む偶然という意味である。空を見上げながら口を開けて、美味しいものが落ちてこないかと待つ生き方よりも、自身が満足する生き方を選ぶことが大事なのだ。

 忘れてしまう呪いに罹ったユアは、自身の満足する道を選んで旅人になったのだ。毎日食べ物にありつけるわけではない。飲まず食わずの日もあるだろう。殺される目にあうことだって。それでも「誰かに頼って生きていたあの頃よりは今の方がずっと気持ちが楽」という満足感を得るために選んだ、彼の人生なのだ。

 ちなみに、彼は毎朝記憶をなくすけれども、過去に囚われている。記憶がない、という過去に。

 記憶と記録は違う。けれど、いつも持ち歩いている本は彼の記憶代わりとなっている。「昔から何回も見たり聞いたりした事は忘れられない」「最初の方だけは覚えてるんだ」これは、私たちとそれほど変わりはないことを意味している。ただ、その後の積み上げが他の人とは異なる、つまり生き方が違うだけ。

 本作は、読者に「あなたはどう生きたい?」と考えてもらうきっかけになってほしいのかもしれない。

 

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る