勝ちヒロインの橘さんに、残念主人公の俺は落とされない。

勝ちヒロインの橘さんに、残念主人公の俺は落とされない。

作者 おふろしてぃ

https://kakuyomu.jp/works/16816700426506518741


 幼馴染の成瀬三郷に告白して振られ、もう恋愛はしないと決めた柊すぐるは学校一美少女、橘ゆかりからアプローチされていく中で、彼女を好きになる物語。



 作品内容を教えてくれる長いタイトルがつけられている。主人公は、橘さんに落とされないよう奮闘する話なのかしらん。やはり「読んでのお楽しみ」だ。


 文章の書き方については目をつむる。


 高校一年生、柊すぐるの一人称「俺」で書かれ、モノローグのある文体。漫画を活字にしたような、そんな趣きがある。冒頭数行で読み手の目を引きつけ、タイトルにもインパクトを与えている。

 ある意味、ラノベラブコメのテンプレで王道の形をとった成長作品。

 主人公は欠落感をもってはじまり、それが物語の目的となる。オープニング時に無理だったことがクライマックスで達成し、成長していく。いわば主人公が不足している能力を露呈させるための訓練場面を描いている。

 

 十年も片思いをしてきた幼馴染に告白するも振られ、数週間後には彼女は彼氏を作ってしまう。しかも振られたことが学校中に広まり、学校で唯一会話ができた幼馴染と疎遠になってしまった主人公は笑い者にされ孤立し、彼は恋愛に奥手になってしまう。

 いわゆる、喪失からはじまる物語。

 それがどういうわけか、「『勝ちヒロイン』と称される」「学校一の美少女の橘ゆかり」から告白をされるのだ。本作のメインヒロインの彼女には容姿の描写はあるが、幼馴染の容姿の描写はない。この物語でだれがヒロインなのか、わかりやすくしているのだろう。


 主人公は冒頭で告白という度胸があったが、失恋して人間性を失ってしまった。

 失恋したことで勇気もなくし、臆病にもなっている。

 主人公が行ったことだけが描かれていくので、読み手は彼の行動を追っていくことになる。


 世の中には前向きな姿勢で生きる「積極的な性格」の人と、内気で生きる「消極的な性格」の人が存在する。

 橘ゆかりは間違いなく前者であり、十年片思いしてきた幼馴染に振られ、全校生徒に知られて笑いものにされ、恋愛に萎縮した現在の主人公はあきらかに後者である。

 普段の彼だったら、学校一の美少女に告白されたら喜んだかもしれない。だが失恋したあとでは、どんな美人が告白に来ても受け入れられないのは至極当然。

 恋愛を望んでもいないし、橘ゆかりと付き合いたいわけでもない。

 橘ゆかりが、彼を一方的に好きになったのだ。

 その理由は、普段からいろいろな男子から告白されてきたが、「メールだったり、ノリだったり……誰も本気の人は居なかった」そんなとき、主人公が幼馴染に告白する姿を見て、「とても一生懸命で、どれだけその人のことが好きなのかすごく伝わ」り、「こんな人がいるんだなあ」と気になって「目で追っていた」ら好きになっていたのだ。


 ラブコメに限ったことではないが、主人公キャラに特徴づけて相手に惚れさせることで、生身感が出る。そのためには主人公の性格を、具体的なアクションで見せ、本人以外で語らせなくてはいけない。

 柊すぐるは冒頭で、勇気を持って幼馴染に告白するという度胸を、橘ゆかりにみせている。(偶然見ていた)だから彼女が主人公の性格を、自然に語れるのだ。


 積極的な彼女は、昨日振った相手だろうと話しかけ、「一緒に帰りましょう」「あなたにアプローチがしたいの」と言って行動に移してくる。しかも、彼女は思っていることを素直に話してしまう性格なのだ。「多分私は一般的に見て可愛いから、仕方ないのだけれど」とか「ありがとう柊くん。ここが私の家よ」とか「柊くん、一緒に組みましょう」とか「いいえ、私が一緒にやりたかっただけだから」とか「明日……デートに行きたいの」などなど発言がストレートで、物怖じしない。


 ちなみに、本作ではこのような場面において、描写よりもセリフと主人公のモノローグで表すことが多いのが特徴だ。なので、場面ごとで主人公はどう考え、どのように思ったのかが読み手に伝わりやすい。反面、一人称作品共通のデメリットである、どうしても主人公がおしゃべりにみえてしまう。

 とはいえ、本作には適した語り口であり、このおしゃべりが作品の面白さを決めている。

 

 主人公が望んだわけでもない中、彼女と遊園地へ行き、観覧車に乗り、告白を断った理由を聞かれて「フラれたんだ。その噂が変に広がったせいで、色々思うところがあって」恋愛しないと決めたことを告げる。これで諦めてくれるという気持ちは彼の中には多少なりともあったかもしれない。

 しかし、そんなことで橘ゆかりは引き下がらない。それどころか「それなら良かったわ」と安心してみせ、「私になんの魅力もないのかと思ってたわ。けれど違って良かったわ」と微笑んで魅せるのだ。

 しかも別れ際に「キス、してもいいかしら」と問われて好きじゃないからと拒むも、「やっぱり無理よ」と彼の頬に口づけをするのだ。

 このままでは、彼女に落とされる日も近いのでは……というところで現れるのが幼馴染の三郷である。いまの主人公には、まだ欠落しているものがあるからだ。


 橘ゆかりとも仲のいい三郷の忠告により、一緒に下校することをしなくなる主人公だが、断る度に「どうしようもなく罪悪感が残って」いく。

 恋愛恐怖症を抱いていた彼は橘のおかげで人間性を取り戻し、この頃には脱している。ただ勇気が足らない。だから三郷の話に変わったのだ。

 このあと、幼馴染の三郷とその彼氏と会った場面で、主人公は「男が繋いでいる三郷の手を見て」「震えている」のを見逃さなかった。しかも「恐怖心とかからくる精神的なもの」と見抜く。

 もし、主人公の彼が未だに恋愛恐怖症を引きずっていたら、幼馴染を優男から助けることは出来なかっただろう。

 どうして、幼馴染を助けなくてはいけなかったのか。

 それは主人公が殻を破るためである。いままでは失恋した過去から逃げ続け、心にブレーキを掛けて殻に閉じこもっている状態だった。その殻を破るには、勇気が必要。また、その相手は、原因となった幼馴染の問題でなければならない。

 このシーンが本作のいいところであり面白いと感じるところだ。


 主人公は「恋愛はしない」と自分の意見を貫き通しながらも、積極的な橘ゆかりと折り合いをつけていく中で、再び恋愛ができるまでに回復し、幼馴染を助けることで勇気を取り戻した。だから、「俺は、橘さんのことが好き、なんだと思う」といえるように成長したのだ。

 そこまで言っておきながら、この主人公は、「俺の気持ちが、その……バレるのが、なんか恥ずかしくって」「やっぱり俺は橘さんとは付き合えない」「この気持ちも、もしかしたら尊敬かも知れない」と子供が駄々をこねるようにグダグダいって逃げようとする。

 あと彼に足らないのは、恋愛の成功経験かもしれない。そんな様子を見て橘ゆかりは悟ったのだろう。だからストレートに、彼に気持ちを伝えるのだ。「やっぱり私、柊くんが好き。好きよ」と。

 

 読後タイトルを見て、たしかにヒロインに彼は落とされていないと思った。

 彼は冒頭で幼馴染に失恋し、勇気をなくし、ある意味どん底に落ちた状態から、橘ゆかりの積極的なアプローチを受けつづけ、彼女の告白を受けそうになるまでに上がってきたのだ。

 柊ゆかりがいなければ、主人公の彼は孤独のまま、恋愛恐怖症から立ち直ることも出来ずにいただろう。

 まさに柊ゆかりは、勝ちヒロインである。

 

 

 

 

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