「カクヨム甲子園2021」の作品を読んで:ロングストーリー部門

snowdrop

ロングストーリー部門

ひねくれた高校生男子は転校生女子に絆される

ひねくれた高校生男子は転校生女子に絆される

作者 恋狸

https://kakuyomu.jp/works/16816700426293353289


 少しひねくれたボッチ気質の高校二年生男子の僕は、何度も拒んだにも関わらず笑顔でやってくる転校生の桜庭美紅に押し切られていく物語。



 タイトルが内容そのままといっていい。

 わかりやすい。

 どんなふうにほだされるのか、「読んでお楽しみください」と伝えている。

 ひねくれていることが原因なのか、友達のいない男子高校生「僕」の一人称で書かれた作品。いわゆるラブコメである。

 これで恋狸の何作目の作品になるのかは忘れましたが、この作者さんは、ラブコメが好きで、書くのは得意なんだとおもいます。


 高校二年生の秋からはじまる。

 ただ、主人公がどこにいるのかがわからない。

 きっと、おそらく、言及されていないけれども、たぶん朝のホームルーム前の教室にいる。だとすると、想像だけれども、彼は自分の席に座って、スマホを触っている。教室のどのあたりに席があるのだろう。窓際? 廊下側? 教室の真ん中?

 わからないけれども想像の翼を羽ばたかせるなら、廊下側の教室の扉近くで後ろの席だろうかしらん。扉の近くの席なら、転校生が入ってきてすぐ話しかけやすい。前側の扉だと、登校してくる生徒が入ってきて邪魔になる。そんな描写がないので後ろの席かと推測してみた。

 もちろん、出入りが多いのが教室の後ろ側の扉かもしれないし、大学の講義室のような教室かもしれない。そういうことも断言できない。


 ひねくれた人が、ひねくれていることを自覚しているだろうか。

 主人公は厨二病をこじらせているからひねくれているといい、「客観的思考ができていながらも、その性格が治らないのも厨二病だから」といっている。おまけに「不治の病は伊達じゃない」ともいっている。「νガンダムは伊達じゃない」のノリでいっているかは不明。


 ひねくれ者の特徴は、

 一、自分の考えを周囲に相談しない

 二、警戒心が強く攻撃的に反応する

 三、相手が返答に困るような発言をしがち

 四、プライドが高く褒められても喜べない

 五、自分に対して自信が持てない

 六、感謝の言葉を口にしない


 厨二病とは、中学二年生頃の思春期に見られる、背伸びしがちな言動を自虐的に表現する言葉で、思春期にありがちな自己愛に満ちた空想や嗜好などを揶揄するときに用いられる。

 また「病」という字が入っているが、病気ではない。うつ病や無気力症候群のような精神疾患とも違う。折り合いをつけてマイルドに馴染んでいき、いずれは厨二病から卒業する。まれに中年サラリーマンになっても引きずっている人は存在するという。葛飾北斎が一つの例だ。彼は、九十歳になって『画狂老人卍』という厨二病ネームを名乗っていた。


 それはさておき厨二病の特徴は、

 一、話が長い。

 二、闇を抱えていそうな雰囲気。

 三、極端である。

 四、こだわりが強すぎる。

 五、なにげに自信家

 六、束縛する。

 七、嫉妬する。

 八、SNSが詩的。


 主人公の「僕」はたしかに少しひねくれている。でも、話は長くないし、闇を抱えていそうでもなく、束縛と詩的はわからないが、厨二病をこじらせているというより、かじっている感じ。「僕は厨二病をこじらせているんだ」といって厨二病を装っているふうにも思える。

 アニメをあれこれみてないけど、はやりのアニメを見て「私はアニメオタクなんだよ」と自慢気に語るのに似ている。

 なぜなら、転校生の桜庭美紅に話しかけられたときに、

「誰?」

「転校生」

「へー、転校おめでとう。じゃあ、どうぞ、新たにできるであろう友達の所へ向かってください」

「遠回しにあっち行けって言ってない?」

 軽い漫才のようなやり取りが交わされ、成立している。

 本当にこじれてたら、見知らぬ相手にいきなり声をかけられ、「思わず眉をひそめる」どころではなく、おおげさに体をビクッとさせて机の端っこへと身を引くか、それ以上の反応をする。あるいは相手にしないか、過剰なまでに厨二病を演じきってその場をやり過ごすか。

 だけど主人公の「僕」は、相手のことをおもんばかって、自分には関わらなくていいですからと他の生徒を勧める気配りすら見せている。これまでにも、似たような経験があったのだろう。

 コミュニケーション能力は低くないし、対応力もある。


 転校生は、どうして彼に話しかけたのだろう。

 ほんとうは、だれでも良かったのではないだろうか。

 主人公の性格を知っているクラスメイトや同じ学校の出身なら、用がない限り話しかけない。だけど転校生はちがう。彼女の目には、学校にいる生徒すべてが知らない他人。どういう人間なのかなんて、区別がつくはずがない。

 彼に声をかけたのは、「彼のことを知っていた」「担任かだれかに頼まれた」「手近で話しやすかった」のどれか。

 きっと彼女は校内を見てまわっているとき、ついでにこれから自分が勉強する教室を覗くと、教室の扉近くの席の彼がスマホをいじりながらブツブツ言っていたのだ。


 厨二病がこじれてコミュニケーションが出来ないような相手だったなら、二度と話しかけはしなかっただろう。でも彼はそうではなかった、彼女にとって。

 だとすると、彼女もまた厨二病をこじらせているのだろうか。共通するものがあれば盛り上がれるだろうけど、仲良くなるのは難しい気がする。


 二人のやり取りは、まさにコントのようだ。

 このまま吉本の檜舞台に駆け上がれ、とでもいいたくなる。それゆえに、楽しい。

 二人はどちらも知識と語彙が似ていて、レスポンスが早くコミュニケーションできている。まさにボケとツッコミ。ノリとフィーリングが合ったのだろう。


 二人は「哲学的思考」で対決することになるのだけれど、なぜ彼女は彼が哲学的思考が好きとおもったのだろう。

 出会ったときの、「僕」が人とは何かを、「人間とは非常に傲慢な生き物である」と結論づけたからだ。


 厨二病の特徴は、自意識過剰である。ゆえに思考がいびつ。

 疑うことを目的とし、否定のための否定がくり返されることで否定したいはずの既存の価値観への依存となっていることに気づいていない。 

 否定することが自己実現になっているので、それを注意されると自分という存在を否定されたとおもい、癇癪を起こす。自分の主張と自己は別なのに。思いつく限りの思考の下支えが乏しいため、結論が端的で紋切り型になりやすい。

 指摘されると、自分を否定されたと思ってまた怒ってくる。結果、「俺ってすごいやつだよ」と自己肯定感を満たそうと、ますます厨二病的になっていく。


 哲学者の苫野一徳氏の書籍『はじめての哲学的思考』によれば、哲学的に考えることとは「さまざまな物事の本質をとらえる営み」だという。絶対の真理があると考えるのではなく、辞書を調べて意味を調べることでもない。

 身のまわりの様々なものの本質を問い、同じ問いを共有する人達と対話して互いの経験に即した意味を掘り下げながら、それが本質かもしれないと互いに納得して理解に達することを「本質をとらえる」というそうです。


 なので、ひょっとすると主人公の「僕」は、こじれた厨二病とおもいこんでいるけれども、はじめから「哲学的に本質をとらえることが好きな子」なのかもしれない。

 なぜなら、「美紅と哲学対談や雑談をするのは面白い。普通にない価値観を持っているからだ」と彼は思っているから。

 転校生の彼女は、そんな彼と仲良くなるために、彼の好きなことで仲良くなっていこうと彼に話しかけていくようになる。

 しかも彼のことを気遣って、教室で話さないようにしている。

「クラスメートにはかろうじて血祭りにたげられていない」は、血祭りに虐げられていない、あるいは血祭りにあげられていないの誤りかもしれない。


 哲学的思考のやりとりから彼女は、「絶対に君に恋の素晴らしさについて教えてあげる! 私の時間をかけて!」半ば告白のような、「絶対お前を好きにさせてみせる」といわんばかりの宣言をしている。

 そんな彼女に「僕」は真顔で「友達いない僕にそんな宣言されても困るんですけど」と答えている。

 友達がいなくても、彼女はできるかもしれないので、そこは問題ない。

 つまらない「このやり取りに例え意味がなくても」意味が合っても彼は「それでも良い」と思っているということは、まんざらでもないということだ。

 それを恋と呼ぶかどうかは、二人が決めることだろう。


 

 

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