第170話 魔王ディゼス・アトラ! 安定志向!
「〈リベンジストブレイズ〉!」
開戦の号砲となったのは、これまで俺たちの秘密兵器として活躍してきたキーニちゃんの復讐魔法。
撃ち放たれた極太の魔力レーザーは、玉座の間の闇を青白く切り裂きながらZ字に薙ぎ払われ、射線上にいた肉のサナギ三体に、等しく破壊痕を刻みつけた。
――――!!
発声器官のない肉のサナギが、手足をばたつかせて激痛を示す。
「おうらあああああ(おうらあああああ)ああああ(ああああ)!」
「どりゃあああああああああ!」
続けて飛び出したのは俺とグリフォンリース。
俺は〈アークエネミー〉戦から引き続き二重影モードであり、その攻撃も等倍率で二回!
「〈ぶどう剣〉!(〈ぶどう剣〉)!」
「〈血振り乱月!〉」
三人分の剣閃が肉のサナギを削り取る。
かつてない会心の手応えに、沸騰していた激憤が喜びに打ち震えるのがわかった。
「オオオオオオオオ!」
最後に躍りかかるのは、俺たちの中でも圧倒的巨躯と攻撃能力を誇る〈アークエネミー〉。四本の腕がそれぞれの動きを阻害することなく、絶妙な時間差で、先制、崩し、強撃、必殺までの戦闘の流れを一動作で体現する。
流麗な流れの中にも滾る怒り。それは一方的に殴られ続けた者がついに掲げた究極の反旗。すでに殺意を超え、信念にまで高まった意志の一撃だ。
手当たり次第に襲いかかる俺たちに、肉のサナギは着実にダメージを受けていく。
この〈逃げる八回バグ〉の世界――プレイヤーの全攻撃がクリティカル化するという、最終決戦に相応しい豪華な機能は、完全に俺たちの味方だった。
『ジャイサガ』のクリティカルは攻撃力二倍、防御無視の必中という鬼仕様。
さらに、このバグには恐ろしい二つの要素が追加される。
一つは、一部の技にしか存在しない〝技のクリティカル〟が、完全発生するという点。
もう一つは、存在しない〝魔法のクリティカル〟まで発生させるという点だ。
こうなったパーティーは、攻撃面においてはもはや地上最強。
なおかつ俺たちには、自動全体回復持ちの〈アークエネミー〉がいる。
もはやこの戦いは、俺たちが世界の危機である魔王を一方的に殺し尽くすだけの虐殺へと変わっているのだ!
「でやあああああ!」
グリフォンリースの怒り任せに一撃により、とうとう、肉のサナギは意志が抜けたようにくずおれる。
もちろんこれは、第一段階の終了にすぎない。
本当の魔王が姿を見せる。だが――
「そのままトドメを刺しなさい!」
玉座の陰に退避していた女神が声を張り上げる。
ノーミソがフットーしている俺でもその意図は理解できた。
そして、それが俺のチャートに反することも。
「グリフォンリース、動かなくなったヤツなんぞほっとけ! こっちを潰すぞ!」
「う゛ぁいでありまずう! ガアアアア!」
俺はグリフォンリースを呼び寄せ、まだ動いている肉のサナギへの攻撃を指示する。
まだまだ怒りたりない彼女は、砲弾のように敵に飛びかかっていった。
「……どういうつもりです。コタロー」
女神が厳しい眼差しで俺をにらみつける。いや、こいつはいつも不機嫌そうだったな。主に睡眠不足で。
「これは魔王の殻。打ち破れば、次は中から魔王の本体が現れることは、容易に想像できるでしょう。そしてそれは、この外殻よりもはるかに強い。他の殻に手を出すより、各個撃破が最善手だと気づかないあなたではないはず」
「ああ、もちろんだ。だが同時に、本体三体の方が〝黄金の律〟に対するダメージも大きくなると俺は踏んでる」
「なっ……」
俺の発想に女神は絶句する。
「俺の目的は〝黄金の律〟に最大の負荷を、一気にかけること。一体ずつ着実に倒してたら、その目論見が崩れることになる」
「魔王本体を三体同時に相手して、勝つつもりですか?」
「勝つさ! そのためのバグだ。俺たちの目的は勝利じゃない。その先なんだぜ!」
言い放つと俺は女神に背を向けて残りの肉のサナギの掃討に立ち戻る。
残り二体の討伐もあっという間だった。
ここまでの道のりと、世界に蔓延る危機を思えば、あっけないほどに。
「もう終わりでありますか!?」
「うがー!」
グリフォンリースとキーニが、怒りのぶつけ所を求めて、クマのようにうろつきはじめる。
「いや、まだだ」
世界にとっては凶報、しかし二人にとって吉報とも言える言葉を口にしたのは〈アークエネミー〉だった。彼はこれが前座であることをよく理解している。
「魔王ディゼス・アトラが来るぞ」
俺も油断なく武器を構える。
一番最初に倒れた肉のサナギに、不気味な蠕動が走った。
表面が急速に枯葉色へと変わり、目に見えて乾燥していく。
ふれただけで割れそうな外観に、深い亀裂が走ったのはその直後。
中から溢れ出たのは、黒い光と呼べるような奇っ怪な現象だった。
突き出た黒い腕は、筋肉繊維と骨格が複雑に入り交じった、奇妙な構造をしている。
天に伸ばされた手は、何かを求めるように開いていたが、すぐに力強く閉じられた。
何かを手に入れたようにも、あるいは、何かを諦め、決意したようにも見えた。
直後。
一閃!
肉のサナギが綺麗に上下に分断されたと思った刹那、その破片はすべて極小サイズの塵となって消滅する。
肉と骨と鉄でできたような歪な蛮剣を手に、ついに、そいつは、卵の殻を斬り破った姿勢からゆっくりと立ち上がった。
身の丈は人の三倍近くだろうか。
ごてごてしい〈アークエネミー〉に比べると、その姿はほとんど裸の人のシルエットと言っていいほどシンプルだ。
体表は濃淡あれど黒一色。嵐の中の木々のように荒立ち、逆立った髪もまた黒色だった。
俺はその色を、美しいと感じてしまった。
いや、その姿を美しいと見とれてしまった。
絵画やドット絵ではない。魔王ディゼス・アトラの生きた容姿に、闇の粋を集めた美学を見出してしまった。
かつて戦った魔王の死体は、迫力と禍々しさこそ強烈だったが、同時に嫌悪感も催した。
しかしこれは違う。
甘美な邪の美。咲き乱れる破滅の花の美しさを、この魔物は秘めている。
憧れてはいけない。拒絶しなければ人でいられない。しかし確実に美しい。
人間にタナトスというものが本当にあるのなら、今感じているそれがそうなのだろう。
「よくぞ我が殻を打ち倒した――」
寂びた美声が響き渡る。
こんな場所で、こんな関係で出会わなければ、神の声と聞き違えるような声だ。
「されど小さき者よ、我を倒すことはかなわぬ。我は世界の闇。我のすべてを見通し、暴き立てることなど何人にもできぬ」
知っている。ゲームで何度も目にした言葉。
「果てなき戦いになぜ抗う? 闇こそが世界を等しく照らす光なのだ。形も色も時さえも、闇の中では意味を失う。すべて貴く、すべてが美しい。――さあ迎えてやろう。この戦いで、おまえの世界の殻は破られる」
ゆっくりと天を示した指先から、黒い波が衝撃となって広がり、吹き飛ばされまいとする俺たちをその場に這いつくばらせた。
「見よ神々の傲慢を。やつらは、人に太陽を見ることすら許さぬ。見ようとする者の目を焼き、地に這いつくばらせる。だが闇は違う。闇は決して傷つけぬ。闇こそが安寧。世界の楽園である――」
こいつは……違う!
これまでの魔物とは住んでいる世界が違う。
他の魔物や〈源天の騎士〉にさえ、交わせる言葉はあった。理解し合える、同じ世界に立っていた。
しかし、ディゼス・アトラは違う!
こいつは、この世界の誰とも異なる場所から俺たちを見ている!
こいつの口にする言葉は、信念や美学なんかじゃない。声からひしひしと伝わってくる〝わかりあえなさ〟。どれだけ近づこうと本質を理解することはできず、また変えることもできない、完全なる拒絶と隔離の申し子だ。
こいつの言う闇は、もう、俺が知る闇ですらないかもしれない。
倒す以外、関わり合う方法はない。間違いなく……!
黒い突風に煽られ、まともに立ち上がることもできない俺たちへ、魔王が歩き出す。
逞しい肢体を持つディゼス・アトラは、骨と筋肉組織が混ざり合いつつも、確かに端整と表現できる顔立ちを俺へと――いや、その背後にいる〈アークエネミー〉へと向けた。
「何をしている、我が影よ。おまえのうつし身である我に剣を向けるとは何事か」
「――――!」
決して激しくはない叱責。しかし、マユラが手向けた必死のエールなど一瞬でかき消してしまうような、重々しい声だった。
この声はやばい。
この男の命令に従いたい。この男の要求に応えたい。そして、この男から賞賛される栄誉に溺れたい――。そう思ってしまう!
「そ……れは……」
〈アークエネミー〉が口ごもる。肉のサナギのときは抑えられていた後ろめたさに目覚めかけているのだ。
このままじゃ〈アークエネミー〉を取られる。そうなったらガチで詰むぞ!
そのとき、さらなる事象が巻き起こる。
「よくぞ我が殻を打ち倒した――」
ついさっき聞いたばかりの厳かな声が、再び耳に届く。
それは、二番目に倒した肉のサナギから聞こえてきていた。
ゆっくりと立ち上がる、二人目のディゼス・アトラ。
「よくぞ我が殻を打ち倒した――」
さらに三人目も誕生。
敵の戦力は増大。こちらは最大戦力を失いかけている。
この嵐の中では、誰かが〈アークエネミー〉を支えてやることもできない。
状況的には最悪。
無理ゲーに、入った……か!?
「わはははははははははははははははははははッ!」
突如、〈アークエネミー〉は哄笑した。とめどなく笑い続けた。
一人目のディゼス・アトラは、すっきりとした目元にわずかな苛立ちを滲ませる。
「なにがおかしい。我が影」
ひとしきり笑い終え、〈アークエネミー〉は口を開く。
「これが笑わずにいられるか。一人ならばいざ知らず、同じ顔が三つもそろって同じことを言うのだ。我こそがわたしのうつし身だと」
「…………」
ディゼス・アトラには理解できないだろう。自分がこの場に三人もいることが。そのわずかな戸惑いを沈黙という形で表現した彼に対し、〈アークエネミー〉は朗々と言い放った。
「そんなわけはない。わたしのうつし身は一つ! だが、三人とも見分けがつかぬというのなら、それらすべてが偽物なのだ! 本物は、命あるかの者! たった一人しかいないあの者こそが、わたしなのである! おまえたちは、繰り返される人形劇の役者にすぎないのだ! 死ねい!」
打ち寄せる黒い波を食い破りながら、〈アークエネミー〉がディゼス・アトラに接近する。
頭を殴打されるような轟音が響き渡り、黒い火花が飛び散った。
「私は命を得て、そして変わっていく。偽物は永遠に同じ場所で踊り続けよ」
巨人の剣と、魔王の蛮剣をつばぜり合いさせながら、〈アークエネミー〉がディゼス・アトラへと決別を叩きつける。
「命? 変わる? 光に惑わされたか、愚か者め!」
ディゼス・アトラも堂々と言い返すと、力任せに〈アークエネミー〉を押し払った。
しかし彼は言う。
「確かに光はまぶしく、時にわたしの目を灼くだろう。闇はすべてを黒く染め、あらゆるものを平等に隠すだろう。しかし、あの娘は光の中にいる。ならば私は薄目をこじ開けてでもその背に続き、共に生きることを選ぶのだ!」
〈アークエネミー〉の咆哮が、暴風となって玉座の間を荒れ狂う。
それに対抗するように、三体の魔王たちも嵐のような魔力を解き放った。
魔力と魔力が衝突し、龍のごとき紫電をまき散らす。黒い火花が咲き乱れ、宙に滞留していた石柱の破片を押し広げていく。連続する爆音と轟音は、邪悪な何かの絶叫じみていた。
もはや神にすら立ち入ることを許さない、闇と闇の食い合い。
だが。
「自分はまだ怒りたりないでありますう! 世界がおかしいのも、コタロー殿がグリフォンリースだけを見てくれないのも全部全部魔王が悪いのでありますうううう!」
「キニーーーーッ! キニャーーーーッ!」
そこへ、武器を掲げた二人の人間が駆け込んでいく!
グリフォンリースとキーニ。彼女たちには微塵の躊躇もない。
まったく命知らずもいいところだ。こんな人外の戦いに、易々と割り込むべきじゃない。
けれど、それに続く三人目は、そんなことを毛筋ほども考えていない俺自身だった。
「これで終わりだァ! もう二度と戦わねえ! 何かも終わりにしてやるううゥゥゥ!」
くしゃみすらクリティカル化する俺たちが加わったことで、戦いは一層激化した。
ディゼス・アトラが空間を爆裂させれば、吹っ飛ばされたグリフォンリースが盾でその衝撃に波乗りし、別の魔王に襲いかかった。
キーニの〈リベンジストブレイズ〉が火を噴けば、その中を泳ぐようにして〈アークエネミー〉がディゼス・アトラを急襲する。
俺はそんな異質の戦いに怯んだ個体を、ヒキョウにも背後から狙い打ちにした。
破壊が破壊を呼び、力が力を呼び寄せる。憎しみが憎しみを高め、唱和する絶叫が空間を歪めた。
世界の力の中心がここにある。
この破壊を上回る力はどこにも存在しない。
そして、世界を歪める力も、ただ一点に集約された。
〝黄金の律〟が悲鳴を上げるのを俺は聞いた。
世界の摂理がねじ曲げられ、のたうち回る。
因果が、条理が、道理が、理屈が、あらゆる正しい道筋が砕かれ、へし折れていく。
「ハハハッ! 苦しめ〝黄金の律〟!」
敵と味方で世界を歪めながら、不条理の王様は叫んだ。
「思い知れ、おまえは完璧なんかじゃない! 受け入れろ、おまえの疵を! 認めろ、自分の不完全さを! そこから、ようやくおまえの世界は始まるんだ!」
どれくらい戦ったかわからない。
ひょっとすると、二、三度くらいは首を吹っ飛ばされていたかもしれない。
それくらい、覚えていないことが多すぎた。
信じられないほどの混激戦。
これが自分の痛みなのか、ディゼス・アトラが受けた痛みなのかすらわからなくなる。
巨人の武器が折れた。
〈天魔〉から受け取った武器も砕けた。
パニシードが次から次へと武器を取り出し、俺たちに持たせる。それも次々に壊れた。
魔王に破壊されたものもある。
こちらの技の威力に耐えられずに、自壊してしまったものもある。
何もかもを吐き出した。力だけじゃなく、これまで培ってきたもの、育んできたもの、受け取ったもの、生み出したもの、守ってきたもの、全部全部使い尽くした。
そんな戦いに――終わりが来る。
「最後の――一発……!」
ボロボロになったキーニが、へし折れた杖を振りかざす。
「全員キーニに合わせろォ!」
最後に手にした、銅の剣に闘気を込めて俺は叫ぶ。
「これで終わりでありますうううああああああ!」
「さらば生死なき人形たちよ。汝らが目覚めることは、もう、ない!」
『いけえええええええええええええええ!!』
〈リベンジストブレイズ〉に合わせて撃ち放たれた全員分の闘気と魔力が、螺旋のように絡み合って、一つの大きな彗星となる。
それは通過の余波だけで玉座の間の床を抉り飛ばし、魔界そのものを激震させながら、三体のディゼス・アトラを丸呑みにした。
盛り上がった爆裂と爆光が、魔王の断末魔のひとかけらすら残さず、すべてを噛み砕いていく。
衝撃と、弾丸のように飛び交う魔王城の破片から、〈アークエネミー〉が身を挺してかばってくれた。
俺たちの死力を込めた破壊が収まるまで、ゆうに数分を要する。
すべてが終わった後、
空が見えた。
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