第157話 悲恋の助け! 安定志向!

〈ファイアラグーン〉の遠征を終え、帝都に帰ってきた俺は、最後の戦いに向けての最終調整に入る。


 ゲームの展開通りなら、このままラストまでは一気。

〈古ぼけた風〉との対決。

〈アークエネミー〉との遭遇。

 そして最終決戦。


〈アークエネミー〉が隠しボスなのは別としても、〈古ぼけた風〉から魔王との最終決戦がほぼ連続しているのはシナリオ通り。

 次に帝都に戻ってくるのは、すべてを成し遂げた後だ。

 あるいは、すべてを失った後か。


 これを成し遂げれば終わるという感覚は、別のところで、これより先はもうない、という恐怖感とも繋がる。ドジを踏めば取り返しのつかない結論。これまでの努力が水の泡になりうる、できの悪いクイズ番組の最後の一問だ。

 こういうとき、勝ちを確信できないネガティブ思考の持ち主は損をする。


 しかし、帝都には、そんな落ち込んだ気分を許してくれない仲間たちがいた。

 俺たちの帰る場所を守ってくれているミグたちだ。


 俺の部屋に入り浸るのは当たり前。夜なんかは、下手をすると、消灯した後にぞろぞろ入ってきてそこらで勝手に眠り出す始末。

 一人で不安に駆られる猶予すらない。それが彼女たちの気遣いであることに気づかないほど、俺は鈍感系ではないつもりだ。


 しかし――。


 もはやこなすべきイベントがないにもかかわらず、俺は最後の出立に踏み切れずにいた。

 原因は、


「名案が思い浮かばねえ……」


 まだ、例のタイムラグを埋める方法を見つけられていないのだ。


 今回のチャートでは〝黄金の律〟に極大レベルのダメージを与えることになる。不条理世界に陥らないギリギリのラインがベスト。

 しかし、魔王が消えてからも〝黄金の律〟の損傷が止まらないとなると、その限界の見極めはほとんど不可能になる。

 これでは、思い切った行動が取れない。


 もっとも重要な再現性――百回やれば百回とも同じ結果になるほどの安定性を欠くことになる。


「うううううううううむ……」


 その日の晩、離宮の自室のテラスにて、澄んだ風を顔に当てながら俺はうなっていた。


〈ファイアラグーン〉から戻ってはや十日。日夜を問わない喧噪に、ようやく訪れた間隙だ。


 眼下に広がる帝都は黒く寝静まり、パニシードもシルクローズの花弁を敷き詰めたティーカップで就寝。仲間たちも、示し合わせたかのように不在。

 落ち着いて策を巡らすにはもってこいのシチュエーションだったが、考えはまとまらない。


 答えの近くにいるような気はするのだ。

 手持ちのバグを駆使すれば、何とかできる予感はある。

 しかし、いざ池の中に手を突っ込むと、正解はぬるりと泳いで水底に消えてしまう。そんな感じ。


 いい加減、帝都を出発しないといけないのに、その日は常に明日以上の距離を保ち続けていた。

 もどかしさが俺に手を伸ばさせ、指は冷たい風を空しく掴んだ。

 どうする。どうすればいい……?


「ご主人様……」


 部屋の方から声がして肩越しに振り返ると、思い詰めた顔をしたミグが立っていた。

 帰還して以来、元気いっぱいなマグや、精力的な仕事人のクルート以上に明るく振る舞っていたのが、三姉妹の長女ミグだった。


「どうした、ミグ?」


 俺の問いかけに答えないまま、突然、彼女は俺の胸に飛び込んできた。


「ご主人様、わたしと一緒に逃げましょう!」

「またえらく突拍子もない結論に達したもんだな……。一体何がどうした? 国宝の皿でも割ったのか?」

「そんなんじゃありません!」


 俺の冗談も通じず、ミグは悲痛な剣幕で言い返してくる。


「ご主人様は何も言いませんけど、わたしにはわかるんです。次が今までで一番大きな戦いになるって」

「うん……。まあ、そうだ」


 それはキツネとしての観察力なのかもしれないし、いつも一緒にいてくれるミグという少女の勘だったのかもしれない。

 何にせよ、俺はごまかさずに正直に認めた。


「ご主人様はいつも戦いに向かうとき、すでに勝ちを収めているような自信を持っていました。だからわたしは、心配しつつも、きっと大丈夫だと思うことができたんです。でも今は違います。ご主人様は悩んでいます。答えが見つからずに苦しんでいます」


 鋭っ……。すげーなミグ。

 納得しかできない少女の言葉に、俺は押し黙る。


「そんな状態のご主人様を送り出すわけにはいきません。もう、いいじゃないですか。ご主人様はこれまで色んな魔物と戦ってきました。この世界であなただけが戦っているわけじゃないんです。他にも強くて勇敢な人はいます。もう、その人たちに任せちゃいましょう。もうご主人様は十分役目を果たしましたよ」

「……そういうわけにも、いかないんだよなあ」


 俺は頭をかいた。


「ご主人様がそう言うから……! もうわたしと一緒に逃げてもらうしかないんです。何もかもから遠い場所まで……! そうしないと、今度こそ死んでしまうかもしれないんですよ……!?」


 そこまで言って感情が抑えきれなくなったのか、ミグはしくしくと泣き始めた。


 俺は不安定な人間だ。

 そんなヤツが、自分の不安をうまく隠し通せるはずもない。


 だけども。


 共に戦いの場にいるグリフォンリースたちとは違い、ミグたちは、事態に介入することもできなければ、そのとき何が起こっているのかを知ることすらできない。

 俺の姿が見えなくなった瞬間から、不吉な予感と戦い続けているのだ。

 その唯一の支えが、必勝のバグを携えて出立する俺の姿だとしたら、今もそうあらねばならないだろう? 違うか?


 安定しろ俺。

 たとえ形だけでも。

 彼女が少しでも安心できるように。


「なーに、大したことないさ。ちょっと最終決戦に着ていく服の色で悩んでただけだよ。でも決めた。ミグの目と同じ青い服にしよう。これで問題は解決だ」


 俺はヘッタクソな空元気を振りまいて、ミグの背中を優しくさすってやった。


「ぐすっ……。神様は……意地悪です」

「そうだな」


 特定の神を思い浮かべて同意する。あいつは性格が悪い。


「ご主人様を〈導きの人〉なんかに選ばずに、自分で全部やってくれればいいのに」

「ああ、まった……く……」


 ……………………。

 ……………………?

 あ……。え……。え……!?


 俺はミグの両肩を捕まえると、ぐいっと引き剥がし、濡れた彼女の両目をのぞき込んだ。


「ミグ、今、何て言った?」

「えっ? えっ? わ、わたしご主人様を怒らせるようなことを……?」


 こちらの真剣な目つきに怯んだのか、ミグがしどろもどろになる。


「違う。今ミグは俺にすごく重要なことを言ったんだ。俺がこれからすべきことの、答えとなるようなことを!」

「ご主人様はわたしと一緒に遠い国に逃げて、ひっそりと、でも末永く幸せに暮らします。子供は五人。鳥を飼って、花壇には花が咲き誇り、庭には小さな小川があって、あなたは休みの日、そこに自前の橋を……」

「そんな長台詞は決して言ってない!」


「……神様が全部やってくれればいいのに、ですか?」

「……! そうッ! それだよミグ!」


 俺は叫んだ。

 思考の歯車に挟まっていた異物が吹き飛び、すべてがフル回転を始める。


 そうだ。あいつがいたんだ!

 裸族の女神!

 さすがはご都合主義の神だ。ここに来て名前が出てくるなんて、デウス・エクス・マキナは伊達じゃない!


 これでいい。これですべて解決する。なぜなら――


 あいつにはバグが効かない!!


 これが重要なことだ。何より重要なことだ!!


 あのバグを使えば、すべての時間は、等しくゼロになる!


「勝った! ミグ、おまえのおかげで、俺はこの勝負、勝ったぞ!」


 俺はミグの両手を掴むと、帝都で習った下手くそなステップを踏んだ。しかしミグは目をパチクリさせて、


「えっ? えっ? どういうことですか? わたしとの逃避行は? 一緒に逃げてくれないんですか?」

「なぜそこにこだわる!?」

「それに関しては悪いことをしました」


 突然割り込んできたウィスパーボイスにぎょっとして部屋の方へと目を向けると、クーデリア皇女が立っていた。隣にはお付きのカカリナの姿もある。

 いや、というか、さっきまで誰もいなかったのに、いつの間にかグリフォンリースもキーニも、マユラも、マグもメグもクルートも勢揃いしている。


 クーデリア皇女が再び口を開いた。


「あなたの留守中、ミグが悲恋ものの物語を読みたいと言ったので、カカリナに頼んだのですが、どれも駆け落ちを描いた内容だったのです」

「面目ない。わたしもよくわからず、本なら図書館のクラリッサだと思って頼んだら、そういう本ばかり集めてきたんだ」


 カカリナが困ったように頭を下げた。


「ちっ、違います! 本に感化されたわけじゃありません!」


 ミグが慌てて否定するが、


「〝神様が全部やってくれればいいのに〟も、本の台詞なんだよなー?」

「騎士と~、その国のお姫様の駆け落ちの話だったよね~。切ないストーリーだった~」

「マグ、メグ! 違います違いますご主人様!」


 追撃の姉妹の証言により、ミグのダメージはさらに加速する。


「わっ、わたしは本当に心配したんです! 本当にご主人様が心配で、不安で……。もう一緒に逃げるしかないって……わあああああん」


 とうとう泣き出してしまった彼女を、俺は慌てて抱きしめた。


「よーしよしよし。わかってる、そこはわかってるよミグ。本の真似事がしたかったわけじゃないよな。本当の気持ちを正直に言ってくれたんだよな」


 俺の胸に顔を埋めたまま、ミグはこくこくうなずく。


「おまえの言ったことは何から何まで正しかったよ。正直驚いた。よくそこまで俺を見てくれてたと感謝したいくらいだ。それにな、おまえは本当に俺に重要なことを教えてくれたんだ。これはもう世界を救ったのと同義だ。巨人に頼んで、しっかり物語に書き込んでもらわないとな」

「わたし、役に立てたんですか?」


 泉のように涙を落とし続ける瞳が、上目遣いに俺を見た。


「ああ。完璧な仕事だ。さすが俺んちのメイドさん」

「嬉しいです」


 天使のような微笑みとは、こういうものを言うのだろう。もっとも、その天使は後でこっそり神に恨まれるかもしれないが。


「おまえが何かを探しあぐねているのは気づいていた。しかし、おまえが何の相談もしてこないということは、答えを持っているのは我々ではないと思って、何も言ってやれなかった。我々にできるのは、ふさぎ込まないよう接し、そして冷静に考える時間を作ってやることだけだと」


 就寝用の枕を抱えたままのマユラが言う。

 この示し合わせたような静寂は、やはり彼女たちの意図したものだったのだ。

 ミグの暴走がそれを中断させてはしまったが、しかし、結果としては最良の形になった。


 思い通りにいってないのに、なんとかうまくまとまっている。

 うん! いつも通りだな!


「もういいのか?」


 マユラの問いかけに、俺はうなずいた。


「ああ。待たせたな。明日、出発する。準備はいいか?」

「いつでもだ」


 そして俺たちの最後の旅が始まる。

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