第154話 翡翠の亡霊! 安定志向!
深みのあるグリーンの輝きが、死者の部屋を淡く照らしている。
刀身は分厚く、柄は長い頑強な拵え。刃の表面に何かの加工があるからなのか、内部の輝きは一定間隔で動いているように見え、それがよりこの剣を美しく際立たせていた。
死者たちが魅入られるはずだ。
きっとこの美しさは、何万年見続けても飽きない。
「こんな綺麗な剣がこの世にあるなんて……」
「ここはあの世なんだよなあ」
俺のツッコミが、うっとりするグリフォンリースに届いたかは不明だ。
《でも綺麗》《魔性の輝き》《よしコタロー》《結婚指輪はあれにする》
重さで指の骨を折られたいのかキーニ?
「コタロー、あれこそ僕がずっと探していたものだ。こんな場所にあるなんて、どこを探しても見つからなかったわけだよ。さあ、あれを取ってきてくれ。刺さった剣を抜くのは、英雄の役目だ」
「こんなけばけばしいものが寝所にあったなんて、いい迷惑だヂュ。さっさと外に持ち出してほしいヂュ」
「さあ、あなた様! さあさあ!」
テュルフィとヂュラと、ついでに欲に目がくらんでいる悪いパニ公の三方に促され、俺は剣に近づいた。
近くで見れば見るほど、本当に美しい。
ゲームでは攻撃力と覚えられる技くらいしか価値はないが、現実で目にすると、その姿も重要なステータスだとわかる。見た目性能とはよく言ったものだ。
この〈ヒスイの魔剣〉と〈ガラスの魔剣〉を手にすることで、《源天の騎士》は本来の姿を取り戻す。
しかし、〈ガラスの魔剣〉が〈ガラスの民〉の都市に安置され、設定的にわかりやすかったのに対し、死者の寝所にある〈ヒスイの魔剣〉は謎に満ちている。
ここ〈冥道〉は、死生観がはっきりわかる非常に重要な場所なのだが、この剣の由来については何のヒントも残されていない。ここには本来何も持ち込めないから、しかたのないことだとわかってはいるのだが。
俺は剣の柄を両手で握りしめた。
手のひらを弾くような硬い感触があった後、柄の方から肉に吸い付いてくるような一体感に変化する。見た目の美麗さだけでなく、武器としても一流であることの証だ。
抜く――が。
「んん……?」
抜けなかった。
さらに力を込める。
それでも抜けない。
何かに刺さった聖剣を抜くのは、テュルフィの言うとおり英雄の見せ場の一つとなる。それが抜けないとなると、彼は英雄ではなくモブである。
「何やってるんですか、あなた様。さあ、さあっ」
パニが欲に引きつった顔でせかしてくる。
いや、確かに俺は自分を英雄だとは思ってないけど、この間抜けな場面はひどくない? ここまで来て剣を回収できないとか、そんなオチはないよなあ?
「コッ、コタロー殿っ……! それは……」
《コタロー》《それ》《それっ……》
何やら仲間たちが真っ青な顔で叫んでいる。
どうも、剣の刺さった根本あたりを指さしているようだが……。
視線を落とし、俺は固まった。
地面から突き出た白い腕が、剣をしっかりと掴んでいたのだ。
「おっファあああう!」
「ひっっぴゃあああああう!」
俺とパニシードは弾かれるように後方に転がった。
ゆっくりと、地面から白い腕の主が姿を現す。
高い地位を連想させる、豪奢な長衣に身を包んだ亡霊だった。
顔は半ミイラ化しており、骨格に辛うじて皮膚が張りついているような状態だが、今まで見た死体の中ではもっとも生者に近い。
眼球のない眼窩を俺に向け、亡霊はかすれた声を発した。
「この剣を盗もうとしたのは、おまえか?」
ぶるぶる震える妖精に頬肉を掴まれながら、はっとなる。
こいつ、驚かせやがって!
いつものおまえじゃないか!
予想外の登場の仕方にビビってしまったが、心配はいらない。こいつはゲームにも登場する〈ヒスイの魔剣〉の持ち主だ。
剣を調べると現れ、今の台詞と同じことをプレイヤーに問うてくる。
ここで選択肢、
・そうですが、なにか?
・いや、きょうみないね
が表示され、肯定を選ぶと敵対し襲ってくる流れ。
しかしこの幽霊、戦ったとしてもまったく強くない。
グラフィックも通常の〈ゴースト〉と変わらず、ナイツガーデンの屋敷の地下にいたのとまったく同じ。今の俺の強さならワンパン。懐かしのキーニちゃん盾を活用してもいい。
ただ今回は、戦闘すら必要ない。
実は、選択肢で否定を示すと、「そうなのか。それはすまなかった……」と、彼はあっさり引き下がってくれるのだ。
そして、もう一度調べると、幽霊は現れずにすんなりゲットできてしまう。
台詞などから判断するに、どうもこの幽霊は、長い年月がたちすぎてもうろくしてしまっているようなのだ。
〈ヒスイの魔剣〉を持つような達人でも老いには勝てず死んだし、その魂もまた老いてボケる。時の流れは必殺である。
というわけで、ここは無駄な戦闘を避けるため、はっきり否定しておこう。
「いや、興味ない――」
言おうとしたときだった。
「あ」
亡霊が奇妙な高音を上げる。
「へ?」
俺からも素っ頓狂な声が出る。
「ああ……あ、あ、あ、ああああアアアアアアアア」
小さなため息に似た声は、やがて全身を震わせるような叫びに変わった。
「アァァァァァクエネミィィィィィ!」
「なっ……何いッ!?」
白痴のような緩慢さだった挙動から一変。亡霊は〈ヒスイの魔剣〉を猛々しく引き抜くと、一番近くにいた俺へ猛然と襲いかかってきた。
「う、うおおっ……!」
咄嗟に、転がって身をかわす。
エメラルドグリーンの剣閃が三度、俺の体の外側すれすれを通過していった。
剣が閃くたびに、夢のような輝きが墓所の内部を染め上げる。平素ならそのデモンストレーションにうっとりするところだが、それが命を刈り取る光なら話はまったく別だ。
「くっ……!」
強引な回避がたたったか、体勢が悪い形で止まってしまった。次は避けられない。
攻撃をまったく予期していなかった自分の間抜けさに呆れかえる間もなく、亡霊の追撃が視界を緑に染め上げる。
やばい、斬られる!
焦りの感情が熱ではなく冷気となって全身を駆けめぐった瞬間、衝撃のかわりに俺に押し寄せたのは濡れたものが爆ぜる音だった。
一瞬、斬られた傷から盛大に出血したのかと錯覚した。
だが違う。
目の前に大きな膜が発生し、そこに打ち込まれた〈ヒスイの魔剣〉が、膜の表面を強く波立たせている音だった。
「コタロー殿!」
《コタロー》《無事?》《危なかった》《どこかけがしてない?》
グリフォンリースとキーニが慌てて駆けつける。
しかし、俺を守ってくれたのは彼女たちではない。二人ともこんな技は使えない。
「間一髪だったね、コタロー」
二人から遅れて、悠然と歩いてきたのはテュルフィだった。
俺を救ってくれたのはこいつだ。
魔法の水を絶妙な角度で配置することにより、斬撃の入射角を狂わせ対象を防御する〈水鏡の盾〉(攻略本より抜粋)。まさか俺のために使うとは!
「た、助かったテュルフィ。ありがとう」
「フフッ。素直な君は本当に助け甲斐があるよ」
微笑から中性的な色気を漂わせるテュルフィ。しかし、〈ヒスイの魔剣〉を携えた亡霊へと兜面を向けた瞬間、これまでとは違う、どこか陰惨な空気が鎧の内側からにじみ出るのを、俺は見逃さなかった。
「なるほど……。僕らと巨人の戦いに混じっていた〈ヒスイの民〉の亡霊か。〈アークエネミー〉を分断したその剣が、どうしても手放せなかったと見える。栄光か、それとも恐怖からか……。何にせよ、その剣には僕らの魔力の多くが封じ込まれている。今日こそ、それを返してもらうよ」
「あ、あの亡霊を知ってるのか?」
俺がたずねると、テュルフィは亡霊を見据えたまま言葉で肯定してきた。
「〈ガラスの民〉と同時期に栄え、僕らによって共に滅ぼされた〈ヒスイの民〉さ。その生き残りは〈ガラスの魔剣〉と〈ヒスイの魔剣〉を携えて巨人と共闘し、〈アークエネミー〉を五つに分断した。もっとも、数々の遺跡を残した〈ガラスの民〉に対し、彼ら〈ヒスイの民〉は、長い時間の経過のうちに、その文明を跡形もなく消されてしまったみたいだけどね」
「……!」
〈ガラスの民〉に〈ヒスイの民〉! 共に魔王発生時期の古代文明だって!?
〈ガラスの魔剣〉と〈ヒスイの魔剣〉は何となく名前が似てるし、関連性はあるんだろうなと思っていたが、まさかそんな裏設定があったとは……!?
しかも〈アークエネミー〉を分断したというなら、この亡霊こそがその英雄なのだろう。
〈ヒスイの魔剣〉をひたと構えた佇まいからも、肌に噛みつくような気迫が伝わってくる。
レベル99ならふれただけで消し飛びそうなザコだったのに、どうしてこうなった!?
考えられるのはただ一つ。
〈アークエネミー〉の一部である〈源天の騎士〉テュルフィを見て、彼は一気に活性化してしまったのだ。
もちろん、こんなイベントはゲームにはない。しかし〈落冥〉に失敗し、テュルフィに〈ヒスイの魔剣〉を奪われたとき、舞台裏では毎回繰り広げられていた戦いなのかもしれない。
神に与えられた役目に背き、独自のルート進む俺だけが、それに直面することになった。
つーか何だよそのレアイベント!
嬉しくねえ! 全っ然嬉しくねえ!
ギャアアアアア!
悲鳴じみた叫びを上げつつ、亡霊が空中を滑るように斬りかかってきた。
狙いは俺からテュルフィに移っている。
全身に殺気をみなぎらせた亡霊は、生者が見ればそれだけで足がすくむような異形だ。しかしそれで悪魔の騎士が怯むはずもない。
俺たちから離れ、真っ向から迎え撃つ。
一つ、二つ!
オーロラのように美しい剣の軌道が、死者の国に大きな十字を描く。
テュルフィは柔らかく身を屈めてこれをやり過ごすと、右腕をしならせるような予備動作の後、指先で空を真横に切った。
シュッ、という噴出音が俺の耳をかすめたとき、〈ヒスイの魔剣〉の光が、テュルフィの指先と同じ動きの線を虚空へと映し出す。
「グアアアアア!」
その軌道上にいた亡霊が重苦しい悲鳴を上げ、よろめいた。
空中に煌めく光の粒を見て、俺はそれが無数の水滴であることを察する。
水の斬撃だ。
超高圧の水は鉄すら両断する破壊力がある。ウォーターカッターと同じ原理だ。
テュルフィは怯んだ亡霊に、間髪入れず次の一手を編んだ。
鋼の手のひらから放たれた無数の水の矢が、過たずに亡霊の顔面を貫く。
恐ろしいのはここから。これは〈枯渇の矢〉と呼ばれる魔法で、貫いた相手から水分を抜き取り、脱水状態に陥れる(攻略本より抜粋)。
生物は空腹でもしばらく平常通りに行動できるよう設計されているが、水分抜きではほとんどまともに動けなくなる。
動きの鈍った獲物がどう狩られるかは、もう狩人の趣味の問題だ。
標的から水気を吸った矢羽根が風船のように変形し、次々に破裂する。しかしテュルフィの声に滲んだのは苦笑――。
「さすがに、亡霊相手には効きが悪いか」
そう。相手はすでに命のない死者。生体組織を直に打撃する手法との相性は悪い。
ましてや、〝死〟を象徴するテュルフィならばなおのこと。
「アアアアアアアアクエネミイイイイイイイイ!」
理性すら消し飛ぶような絶叫を放ち、亡霊は〈ヒスイの魔剣〉を大きく引いた。強烈な突きを放つ姿勢から亡霊が撃ち出したのは、網膜を緑に焼き尽くす膨大な光の波だった。
光に呑まれる直前、テュルフィは再び〈水鏡の盾〉を張った。
盾の表面を時化させながら光の波が拡散し、隠し部屋の壁や天井に深いひっかき傷を作っていく。
轟音に紛れて俺にははっきりと聞こえた。
おおお、おお美しい……あああ苦しい……。
この光……。ああああこの光がほしい……。
〈ヒスイの魔剣〉に魅せられた死者たちのうめきだ。
生まれ変われない苦痛の中に混じる恍惚の吐息。しかし、それは光の終息と共に再び悲鳴へと戻っていく。
〈ヒスイの魔剣〉が美しく、妖しく輝くほど、死者たちの眠りを妨げるのだ。
それにもっとも憤慨するのはこの場にいる誰なのか、俺は失念していた。
彼はキーニの頭上にいた。
「これ以上、冥道の静寂を乱すことは許さんヂュエ!」
ヂュラはそう言い放つと、キーニの頭から飛び降り、地を蹴って亡霊へと迫っていた。
剣からヒスイ色の魔力放出を終えた亡霊も、それに気づいたらしい。
「ヂュラ、だめ!」
珍しく張り上げられたキーニの声でも、彼の足を止めるにはいたらない。
亡霊に食いつこうと跳躍したヂュラの小さな体を――
〈ヒスイの魔剣〉の色鮮やかな剣閃が縦に割った。
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