第66話 まず服を脱ぎます。そしてレベルが上がります。安定志向!

「囲まれただと!?」


 クリムの声で半覚醒していた両隣のグリフォンリースとキーニを揺り起こし、俺はテントから転がり出た。


 たちまち、脆く冷たいつぶてが体中にぶつかってくる。

 雪だ。

 月のない暗い世界を、色を失った白い塊が縦横無尽に乱舞している。


 だが、その風雪以上に俺の体を冷やしたのは。


 周囲に鬼火のように浮き上がった、青白い光の群れだった。


「あれは〈アイシクルロングヘッド〉の目だ!」

「完全に囲まれてるぞ! というより、退路はどっちだ!?」


 俺と同じように外に出た騎士たちが口々にわめいているのが聞こえる。

 光のない夜空に加え、吹雪が作り出す暗闇が、こちらの方向感覚を完全に狂わせていた。


「みんな落ち着け! 一番町側にテントを張ったのは誰だ!?」


 俺は声を張り上げる。


 それでようやく我に返ったか、騎士の数人が「俺たちだ」と声を張り上げる。

 しかし、その救いはあまりにも薄かった。今、冷たい系のたとえはしたくないが、まさに薄氷の上に置かれた希望。


「あっちかよ……」


 誰かがうめく。


 退路となるべき進路には、より密集した〈アイシクルロングヘッド〉の目が待ちかまえていたのだ。

 俺は誰へともなく恨み言を放つ。


「クソッ、〈アイシクルロングヘッド〉ってこんなにいたのか!?」

「し、知らないわよ。会えない可能性があるくらいなんだから、いつもは違ったんじゃないの!?」


 それをクリムが引き取って叫び返してくる。彼女の声もヤケクソに近づいている。


 マジにやばいことになった。

 ゲームに登場する〈アイシクルロングヘッド〉は一匹のみ。

 だからキーニに耐冷気装備をさせて、〈リベンジストブレイズ〉で一蹴、という計画で安心していた。


 基本理念はこれでいい。

 しかし現状と照らし合わせると、この計画には大きな穴が生じる。

 キーニは〈リベンジストブレイズ〉を、今のレベルでは一発までしか撃てないのだ。

 この大群が相手では、どう考えても弾数がたりない。


「コ、コタロー殿……」


 体にまとわりつく雪を払うことすら忘れ、グリフォンリースが俺に不安げな目を向けてくる。

 言えない。俺に任せろという言葉が咄嗟に出てこない。

 俺は焦っている。心が危機に揺らがされている。


《うそ》《ここで死ぬの?》《こんな寒いところで》


 キーニのジト目に、絶望の闇が浮く。


「この数を切り抜けられるわけがない」

「もはやここまでか……」


 騎士たちも自ら絶望の発信源となり、諦めの言葉を口にし始めた。


「コタロー、グリフォンリース、キーニ」


 そんな中、クリムが口にした言葉は、絶望をもう一段階加速させるものだった。


「わたしたちが斬り込むから。三人は、その隙にどうにかして逃げて」

「おい……!」

「クリム殿!」


《そんな》《困る》《重い》


「無理を言ったのは俺たちだしな」


 ツヴァイニッヒ配下の騎士が、絶望の底が抜けたか、かえって明るい声で言った。


「お天道様を失うわけにはいかねえか」

「グリフォンリースにはリリィ姫が待ってるしな」


 どいつも、こいつも、すでに命の使い方を決めた顔をしている。


「結局こうなるのなら、おまえの言う青臭い騎士道を掲げておくべきだった。時代に合わせて保身に走った挙げ句に屍を晒したのでは、あの世で先祖に合わせる顔がない」


 一人の上級騎士が赤裸々なため息をつくと、


「いや、胸張って言えばいいさ。最後は立派に騎士として戦ってやったって。俺らが証人になってやるから」


 普段は下にいるはずの下級騎士が彼の肩を叩いて笑った。


 執着を捨てたことで、彼らの世界は限りなく短く、狭くなり、そして快晴の空のように晴れ渡った。立場や主義の違いなどもうここには存在しない。過去も未来もなく、今を生きる自由な自分だけがいる。


「グリフォンリースがいなかったら、最後の最後ですら、こうして一つにまとまれなかったかも」

「それはあるな。だいたい、俺はあんたのキンキラの鎧が昔から気にくわなかったんだ」

「言うな。これは俺の親父殿の趣味だ。俺だってもっと落ち着いたやつを着たかった。だが、おまえのはさすがにゴメンだ。そこ、へこみ傷があるぞ。修理くらいしてやれ」

「ダメだ。金がねえ。全部アップルパイと酒に消えちまった」


 もう軽口が叩き合える。そして、もうじき叩けなくなる。そう彼らは感じているのだ。


 ああ……。

 俺はため息をつく。


 どいつも、こいつも。まったく、どいつも、こいつも……!


「気が早いッ! ヴァルハラの予約はまだ先だ!」


 俺は彼らを怒鳴りつけた。


「コタロー殿! 何か手があるでありますか!?」

「待ってろ。今確認する……!」


 こんなことになるなら、昨日にでもやっておくべきだった。

 いずれやろうと先送りにしていたさっきまでの俺が全員マヌケだ。だがマヌケなりに、少しは準備していたんじゃないか? そうだろ俺?


 昨日までの自分にかすかな期待を抱きつつ、俺はパニシードに預けているアイテムを確認する。

 二十一種、三十一個。

 よし〈幸運の石〉もちゃんと確保してある。……悪くない。


 確か〝あれ〟をやるには〈旅立ちの服〉と〈幸運の石〉の他二十種、二十五個でいいんだったよな。

〈旅立ちの服〉は今俺が着てる。こいつを脱いで、装備欄からアイテム欄に移行……。


「ひゃっ。コタロー殿、何をしてるでありますか!」


 手で顔を覆いつつ、目はしっかり指の隙間にあるグリフォンリース。


《そんな》《ここで?》《人前では困る》《新しい世界にも限度がある》《暗い部屋でがいい》《最中に凍死したいの?》


 キーニのメッセージも興奮気味の速度だが、かまってられない。パンツ一丁の俺は、吹雪によって一気に冷凍人間化しつつある。


「どういう趣旨だ?」

「俺たちを鼓舞する腹踊りでも見せてくれるのか?」

「この痩せた腹でか。いまいち期待できんなあ」


 うるせえ騎士ども! 今はツッコめねえってんだろ!


 次は、パーティーの手持ちアイテム……十種十一個……!


「くっ……た、たりないっ……!」


 やはりそう上手くはいかないか。

 俺もグリフォンリースもキーニも、アイテムとして使えるようなものは回復系を数個しか持っていなかった。パニシードが道具管理をしてくれるから、普段から手持ちは少ないのだ!


「おい。何をしてるんだ。さっさと斬り込もうぜ」

「体が冷えたら、逃げ足もそれだけ遅くなるんだぞ」

「覚悟が揺るがないうちに突撃させてくれよ」


 騎士たちが命なき退路へ体を向けて言う。


「んなことはどうでもいい! おい、全員、手持ちの道具を全部出せ! 今すぐだ!」


 俺が叫ぶと、騎士たちは訝しげな顔で、荷物入れからアイテムをどさどさと雪の上に放り出した。

 やはり――回復アイテムが中心だ。数はあっても種類がない。

 クッソ……!! 俺らのものと合わせても九種七十三個!


「形見分けにしちゃ多すぎるんじゃねえか?」

「逃げるかアホが! 俺は起死回生狙ってるんだよ!」


 胃が痛くなるような軽口を叩いてくる騎士に言い返し、八つ当たり気味に近くにいたクリムに顔を向けた。


 そこで。

 気づく。


「……クリム……。その髪飾りは?」

「え? あ、これ? 今気づいたの? お守りよお守り。やっぱりハレの舞台だから、ちょっと見栄えのいいものをね」

「それって……〈アサギの治癒薬〉だよな? 使うと、毒と麻痺を同時に治すっていう。同時にかかることあんまないから、イマイチ使い勝手が悪い……」

「よく知ってるわね。いいでしょ。細工屋に持っていって、髪飾りにしてもらったのよ。使い捨ての薬のくせに、蝶みたいな瓶のデザインがいいのよねー」

「おまえ神か!? それ貸してくれ!」

「え、ええ。いいけど」


 これで十種七十四個!

 六十三個は余分だ。捨て!


 絶対に個数を間違えないよう気をつけながら、余った分を闇夜へと放り投げる。


「グリフォンリース、キーニ! 俺の後ろに一列に並べ! ああ、ついでにクリムもキーニの後ろにつけ! 並んだら前のヤツの両肩に手を乗せてトレイン!」

「トレインって何よ……」

「と、とにかく言われたとおりにするであります」


 俺たちは一列に並び、トレイン状態となった。

 ここで先頭の俺が、次の戦闘でもらえる経験値が上昇する〈幸運の石〉を使うッ!


「準備良し! いいか歩くぞ! 出発進行!」


 きーしゃーきーしゃーしゅっぽーしゅっぽー……って子供の頃やらなかったか?

 あれを吹雪の中でやってる。

 大まじめにな!


「何だこりゃ」

「遊んでる場合かよ」

「何だか死にたくなくなってきたな」


 笑ってろ。そのうち、大笑いさせてやる。

 無事にみんなでナイツガーデンに帰って、不合格記念の大残念祝賀会でな。


「どういうことでありますか……」


《何か、変》《こんなの》《知らない世界》


「どうなってるの? 何だか……一歩ごとに力が溢れてくるんだけど……」


 ふざけた空気の中、俺の後ろにいる仲間だけが、その異常に気づいていた。


 説明しよう!

 これぞ最強に怠惰なレベリング。〈歩くごとにレベルアップバグ・危険度:中〉だ。


 まず装備されていない〈旅立ちの服〉と〈幸運の石〉を用意する。そしてパニシードのバックヤードの中身を、それ以外のアイテム二十種二十五個で埋める。

 そして、手持ちのアイテムを十種十一個にし、それ以外を捨てる。

 最後に〈幸運の石〉を使う! これで完成!


 バグの効果の解説はいらないだろう。読んで字のごとく一歩歩くと一つレベルが上がり、リセットでもしない限り、上限値99になるまで止まらない。


 中盤以降でレベルリングをしなかったのは、これで一気にカンストまで持っていく予定があったからだ。

 まさかこんな鉄火場で使うハメになるとは追わなかったが……。


 こんな便利なものがあるなら、最初から使えばよかったのでは? と思う人もいるだろう。


 確かにそうだ。安定チャートを名乗るなら、このバグは最序盤から使うべきだった。

 だが、心の平穏第一主義の俺ですらためらってしまう、恐ろしい弊害が、このバグには存在するのだ。場合によっては、危険度は中どころか特大にまで上昇する!


 その恐ろしい弊害バグとはッ……。


「タタロー殿! これは一体何なのでありましょうか!?」


《タタロー》《説明してほしい》《今までにない力を感じる》《世界がゴミのようだ》


「タタロー! あなた、わたしに何をしたの? 教えてよ!」


 俺の名前が、一列と一文字、ずれてしまうのだ!!

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