第51話 げきおこの日! 安定志向!

 俺たちは再びキーニの部屋へと向かった。

 夕刻の室内は、同じ暗室でありながら朝よりも恐ろしく見えて、俺はたまらずカーテンを全開にして光を呼び込んだ。


「まだ聞こえてるか? キーニ」


《聞こえてる》《朝とは違う位置》《そこの本棚》《黒い背表紙の本》


「こいつか」


 俺は指定された本を手に取る。

 本を開く前に俺はふと思いつき、キーニにたずねた。


「これは何の本だ?」


 ここは〈魔導書アトラスティカ〉と答えるのが普通だろう。しかし、


《薬草全集》《薬草のことが書いてある》《便利》《なんで唸ってるの》《怖い》


 これも魔導書じゃない。

 俺は本を開く。


「あなた様。これは……」


 肩にいたパニシードが声を詰まらせる。


 それは、〈ミズウリ薬草〉について書かれたページだった。

 精緻なスケッチと、その効能や、応用法について記されている。その文章が。


 ゆっくりとねじ曲がり、別の文章に変わりつつあった。

 何かが本の中身を書き換えている、としか思えない光景だった。

 まるで、本に取り憑く幽霊のような。


「キーニ。この本は今、何を言っている!?」


 俺は彼女の心の声に目を走らせる。


《よくぞ我が魔本を見つけた、求道の者よ。よく聞け。ここに記されしは禁断の秘術。その力を恐れ、女神によって封じられた禁忌の奥義。しかしその封印はもはや風化しつつある。今こそ、七つに分かたれたかつての姿を取り戻すとき。そなたならできる。なぜなら――》


 そこまで綴ったときだった。

 キーニがいきなり俺に突進してきて、魔導書を奪い取った。

 普段の彼女からは考えられないくらい、機敏で荒っぽい動作に、俺は思わず目を丸くし、立ち尽くすことしかできなかった。


 キーニは勢いのまま窓を開き、そこから本を投げ捨てた。

 それが庭に落ちる音を聞くこともなく、窓を閉める。


 ふーっ……ふーっ……。


 俺の沈黙の上を、キーニの荒い息づかいが滑っていく。

 な、何が起きた……んだ?

 その問いかけもできず、ただ魔導士の少女の背中を見つめる俺に、ステータス表の文字が言った。


《今日からコタローと一緒に寝る》《それなら怖くない》《本がうるさくても平気》


 いやに力のある文章だった。

 何なんだよ一体……。


 シスターたちも交えた夕食を終え、後は寝床に入るだけというまったりした時間の中にあっても、俺の戸惑いは消えなかった。

 俺の心を揺さぶっているもの。

 それはキーニの心が語る、


《(怒)》《(怒)》《(怒)》《(怒)》《(怒)》《(怒)》《(怒)》《(怒)》


 という謎のメッセージだ。

 彼女の表情はいつものジト目で、眉間にかすかなシワが寄ってるような、そうでないような変化はあるものの、それが本当にテキスト通りの怒りを示しているかはわからない。

  

《もう寝る》《先に寝てる》《後から来て》


 なんかこう、メッセージの出現の仕方が、今までのが心からこぼれ落ちた心情みたいなものだとすると、今回のはバンバン叩きつけてくるような、そんな現れ方をしているふうに思えるんだよなあ。


 やっぱり怒ってるのか? これは。

 でも、なんで……?


「コタロー、どうした?」


 俺が居間のソファでしかめっ面をしているのを、マユラに見咎められた。

 そういえばこいつ、魔王だよな。


「なあマユラ。〈魔導書アトラスティカ〉について何か知らないか?」

「なに? おまえ、今なんと言った?」


 ツリ目を見開き、驚きを露わにするマユラ。明らかに知っている素振りだ。


「〈魔導書アトラスティカ〉は〈アトラ・ベスカ〉という古代の魔法を封印した書物だ。いや、正確には書物ではない。書物の形をした結界だ」

「え、どういうこと?」

「〈アトラ・ベスカ〉ははるか古代、六つに分割されて、本に封印された。本に書かれた文字はすべてその魔力を押さえつけるための呪文であり、〈アトラ・ベスカ〉の式を示すものではない。魔法本体は、その本に溶け込んでいる」


 そういう仕組みになっていたのか。

 さすがに魔王は詳しい。それに、アトラって、魔王の名前の一部でもあったっけ。

 ……でも何か変だな。

 ちょっと相談に乗ってもらおう。


「ここだけの話なんだが、キーニがその一冊を持ってるんだ」

「何だと? あの変な娘が?」

「本が唸ってて眠れないって、俺に泣きついてきた」

「本が唸る……?」


 マユラは怪訝そうに、形の良い眉をひそめた。


「変な話だな。本が唸るわけないだろう」

「いや、そこはやっぱり魔導書なんだろ。意思みたいなものがあるんじゃないのか? 我の封印を解けみたいなこと言ってるみたいだし」

「馬鹿な!」


 いきなり大声を出したので、近くにいたシスターたちが驚いてこっちを見てくる。

 俺とマユラは慌てて笑顔で手を振って、何でもないアピールをした。


「す、すまん。つい声を出してしまった」

「いや、いいさ。で、ありえないことなのか? 魔導書がしゃべるのは」

「少なくとも〈アトラスティカ〉が口を利くことはないぞ。あれは力そのものであって意思ではない。その本、妙だな」


「妙といえば……。さっきマユラは、本の内容は全部魔法を封じるためのものだって言ってたよな。それって、一見すると魔物図鑑とか薬草の本だったりするのか?」

「しない。そのようなまやかしでは通じないほど、〈アトラ・ベスカ〉の力は強い」

「変だな。キーニが持ってる魔導書はさ、なんていうか、他の本に乗り移るみたいなんだよ」

「乗り移る?」

「その、内容が憑依するみたいな感じで、そのときだけ中身が違うんだよな。単なる薬草の本が、いつの間にか魔導書になってたりした」

「それはおかしい。〈アトラスティカ〉にそんな性質はない。もしそんな現象を起こすようなら、〈アトラ・ベスカ〉の封印はもう解かれているのではないか?」

「……それはないと思うんだが。自分で封印を解いてくれって言ってたし」


 ゲーム的にも、魔導書は七冊集めて初めて〈アトラ・ベスカ〉になる。

 古すぎて腐ってたんだか何なんだか、魔力パラメーターをいくら上げようと固定ダメージしか出ないクソ魔法。一応防御無視で、誰でも習得可能だから、戦士系のクラスにつけたら隠し技っぽいロールプレイくらいはできるだろうが、殴った方が強いのは火を見るよりも明らか。


 謎に頭を悩ませる中、俺はふと違和感を覚えた。

 さっきマユラは〈ディゼス・アトラ〉がいくつに分けられたと言った?


「なあマユラ。〈アトラスティカ〉は全部で七冊じゃないのか?」

「いや? 六冊だぞ。六は魔法の錬成段階を示しているのだ。これほどの段階がある魔法は、現代では〈アトラ・ベスカ〉だけだろうな」


 なにやら由緒正しい由来のある数字のようだが……これはどういうことだ?

『ジャイサガ』プレイヤーだった俺たちは、間違いなく七冊の魔導書を集めさせられた。

 キーニも、魔導書からの言葉の中に「七つに分かたれた」と拾っている。

 じゃあ、余分な一冊は一体……?


 俺はマユラに礼を言うと、キーニの態度と合わせて詳しい話を聞くために自室へと戻った。

 この時点で、俺の頭の中にはある一つの仮説ができあがっていた。


《早い》《もう来た》《ひょっとして楽しみ?》《今夜はお楽しみですか?》


 シーツにくるまり、また亀状態になったキーニが俺にピンク色の電波を送ってくる。つうかおまえは、いつもその姿勢で寝ているのか?

 何となくうつぶせで寝てそうなイメージはあるが……。


「あなた様。あんまり迂闊な行動は、グリフォンリース様の不興を買いますよ」

「わ、わかってるよ……」


 パニシードの忠告に素直にうなずく。

 ミグたちと一緒に寝ても彼女は怒らないだろうが、キーニは一時期ライバル視されてたこともあってヤンデレ化必至だ。今の状態を見つかっただけで、彼女の目から理性の光は失われ、俺の首が絞まるだろう。


 とっととこの話に決着をつけるため、俺は単刀直入に切り出した。


「キーニ。おまえの部屋にあったのは、〈魔導書アトラスティカ〉じゃないな?」


 ぴくり、とシーツの塊が動いた。


「〈アトラスティカ〉は全部で六冊。一冊だけ異質なものがあるとすれば、最初の一冊。つまり、おまえの部屋にあったものだ」


 キーニは動かない。ステータス表も空欄のままだ。


「…………」


 俺が視線を動かさずに見つめていると、例のメッセージが現れた。


《(怒)》《(怒)》《(怒)》《(怒)》《(怒)》《(怒)》《(怒)》《(怒)》


「俺に怒っているのか?」


《!!》《違う》《違う》《そんなことない》《あなたは》《悪くない》《どうしてわかっちゃうの》《伝わってほしくない》《こんな気持ち》《無視してほしい》


 俺はキーニが丸まるベッド端に腰掛け、シーツの塊に手を置いた。


「どういうことなのか教えてくれ。おまえはあの本の正体を知ってるんだろう? 俺も興味があるんだよ。〈アトラスティカ〉の余分な一冊の正体は何なのか」


 キーニはじっと俺を見つめていたが、やがてかろうじて聞き取れるほどの小さな吐息をもらし、かすかにつぶやいた。


「わかった」


《よくぞ我が魔本を見つけた、求道の者よ。よく聞け。ここに記されしは禁断の秘術。その力を恐れ、女神によって封じられた禁忌の奥義。しかしその封印はもはや風化しつつある。今こそ、七つに分かたれたかつての姿を取り戻すとき。そなたならできる。なぜなら――》


 キーニの心に表れたのは、あのときの魔導書からの言葉だ。以前はここで途切れてしまったが、今度こそその続きが聞ける。


《なぜなら、そなたは我らの娘。我らの夢を必ず叶えてくれると信じている》


 えっ…………!?

 娘!? キーニが……!?

 ってことは、このしゃべってるのは、キーニの両親なのか……!?


《このような形で再会することを残念がらないでほしい。我らは遠い地にあり、そなたと会うことはできない。しかし変わらぬ信頼と愛情を約束する……》


「キ、キーニ……!」


 思わず名を呼んだ俺に、魔導書からのメッセージは一時中断され、


《伝言の魔法。本に書かれた文字の力を利用して、遠くにいながら言葉を残せる。わたしの両親はこれを使った》


 グランゼニスでこいつは一人暮らしだった。ゲーム内にもキーニの両親を示す情報は存在しない。こいつくらい極端なコミュ障でも、親なら別のはずだ。つーかコミュ障は両親とかとは普通にしゃべれる。


 そんな特別な人たちとの再会。嬉しくないはずがない。これは感動のイベントの予か……あれ? でもこいつ、さっき怒ってなかったっけ?


「続き……」


《我らは魔導士の端くれとして、この古代の魔法の復活に尽力した。そして、七つの書に封印されたことを知った。それをすべて集めるのは途方もなく、偉大な仕事だ。もはや我らにその力はない。しかし、かの大魔導士に師事したおまえならそれができるはず。どうか、この書物を、残りの六冊と引き合わせてほしい》


 両親も魔導士だったのか。そして彼らの夢を、キーニが引き継ぐ。

 キーニも古代の魔法を研究していたから、これは彼女の家が代々行っている行為なのかもしれない。

 彼女が魔導士なら、この夢を無下に断れるはずがない。

 どうしよう。チャートを変更してでも、彼女の魔導書探しを――


《ちなみに》《わたしは》《師匠に》《五〇〇キルトで売られた》


 安ッ! やっすッ!

 五〇〇キルトって、靴下の売値と同じくらいじゃねえかよ!

 つか待て! 売られた!? えっ、ちょっと待って!

 いきなり話の軸がズレた。どこ行ったしんみり路線!?


《師匠が助手を募集してた》《ので》《両親が酒代ほしさに売った》《それ以来会ってない》


 ええ……!? 魔導書の話と内容違くない? それに師事したのって、なりゆきでそうなっただけじゃないのか? 下手したら、路頭に迷ってた可能性もあっただろ。なにそのクソ親。人の親にこんなこと言いたくないけど、クソでカスだわ。


《クソで》《カスで》《ゴミ》《あのクソ虫は世界中の親に謝るべき》


「そんな親から、いきなりうちらの研究やっといてねって言われたら、ぶち切れるのも無理はないな……」


 キーニはこくりとうなずいた。


《しかもあの本》《魔力の式を転送する特殊な仕掛けがある》《魔導書が集まったら》《あいつらにもってかれる》《残りカスしかなくなる》《きっとひどい魔法》


 あ……?

 あああああああああああああああ!?

 キーニからの重要なメッセージに俺は心の中で絶叫していた。


 まさか〈アトラ・ベスカ〉がクソ魔法なのって……キーニの両親に大半を持ってかれてたからなのか!?


 や、やろおおおおおおおおおおおおおおおおっ……!

 俺たちの……すべての『ジャイサガ』プレイヤーの苦労を横取りだとっ……!?

 このイベントの完走がどれだけ大変か……! そしてそれが徒労だとわかったときの少年がどれほどの虚無感に落ちていったか……!


 全部、全部こいつのせいだったのかよ……!

 許さん……おまえだけは……!


「キーニ……! おまえ、絶対負けるな……!」


 俺は目の前が真っ赤に点滅する錯覚の中、うめくように言った。


「全面的に協力する。何でも言え。絶対にその両親に負けるな」


《一緒に怒ってくれるの?》《わたしのことなのに》《あなたは何もされてないのに》《どうして?》《でも》《嬉しい》《ありがとう》《わたしを大切にしてくれてる》《嬉しいな》《嬉しいな》


 どこか潤んだ目でうっとりとこちらを見つめるキーニの姿をまもとに認識できないまま、俺は怒りのあまり涙目になって、自室の本棚を睨み続けた。


 ちくしょう……!

 俺のプレイ時間と、少年の夢を返せ。

 一日一時間という呪いのような制約の中、手がかりも無しに世界を駆け回った俺たちの想いを返せ。


 絶対に禁呪探しなんかするもんか。


《泣いてる?》《わたしのために》《泣いてくれてるの?》《うそ》《うそ……》


 いや、位置はすべて覚えてるから、いっそ全部燃やしてやろうか!?

 そのときキサマは、全プレイヤーの怒りの深さをようやく知るのだ。

 俺たちの涙で溺れ死ね!


 ファファファ……ファファファファ……!


 

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