第50話 本棚からの呼び声! 安定志向!

 ヴァンパイアが現れ、そして速攻で滅びた日の翌朝。

 足下の妙な冷たさが、俺の目覚めを普段よりもいくらか早めた。


「何だ。やけに寒いな……」


 マグが丸くなってへばりついている脇腹だけは、湯たんぽ級のぬくもりがあるものの、それ以外の風通しがやたらいい。


 見れば、いつの間にかシーツがない。寝ているうちにはねのけたのか?

 そう思い、少しの間さまよった俺の目線は、ベッドのすみに丸まったシーツの姿を捉えた。


「あ……?」


 すぐにその異様さに気づく。

 丸まったシーツの中から、二つのジト目がじーっと俺を見つめているのだ。


「なっ……なん……だ……? って、キーニかよ!」


 俺の言葉に反応もなく、シーツにくるまって亀みたいな体勢になったキーニは、青ざめた顔をひたすらこちらに向け続けた。


「一体どうしたってんだ……」


 彼女のステータス表を見る。

 ん……。いつの間にかレベル19になってたのか。

 低レベルプレイだと、そろそろクリアできるくらいだな。と、どうでもいいことを思いつつ、メッセージを確認する。


《怖い》《変な声がする》《部屋の中》《誰もいないのに》《おかしい》《またおばけかも》《助けて》《お願い》《助けて》


 何だそりゃ。朝から事件だと? 昨日の今日で冗談じゃないぜ。

 しかし変だな。この屋敷のゴーストはもう完全に始末したはずだけど。


「夢でも見たんじゃないのか? 昨日は久々の戦闘だったからな」


《違う》《確かに聞こえた》《夢じゃない》《調べてほしい》《本棚の方から》《絶対》《聞こえた》


 本棚?

 本棚から変な声で、しかもキーニがトリガーっつったら……。

 あー……。あれか。あれが起こったか。


「ほっとけよ。実害はないから」


《えっ》《まさか助けてくれないの?》《そんな》《うそ》《どうして》《助けて》《これじゃ部屋に帰れない》《実害ありまくり》《困る》《困る》《お願い》《お願い》《お願い》


 メッセージ欄が一気にやかましくなる。

 いや、ホントに害はないんだって……。


 キーニが怪奇現象と思い込んでいるのは……いや、十分怪奇現象だけども、〈魔導書アトラスティカ〉というイベントの第一弾だ。


 世界各地にある七冊の〈魔導書アトラスティカ〉を集めると、〈禁呪アトラ・ベスカ〉という隠し魔法が手に入るというもの。


 キーニがパーティーメンバーにいる状態で、本棚がある部屋に入ると、十八分の一の確率で発生。キーニがいない場合はイベントそのものが発生せず、人によってはクリアまでまったく知らないということもありうる。


 なんでキーニがトリガーになってるのかはわからないが、とりあえずこの隠し魔法はクソなので、コンプリート以外の目的で魔導書を集める必要はまったくない。

 よって、当然俺のチャートでも全力でスルー。

 仮に中盤を制圧した後でも絶対にやらない。

 グランゼニスからナイツガーデンまでの旅程で、俺は旅に合わないという揺るぎない事実がすでに証明されている。


 それに今日は、昨日できなかったヴァンパイアの報告とか面倒な作業があるのだ。

 放置できるものは放置してしまいたい。

 俺の顔に変化が見られなかったことに鋭く危機を察知したか、キーニは亀状態のまま、素早く這い寄ってきた。


《困る》《本当に困る》《怖い》《助けて》《助けてくれたら結婚する》《何でもしてOK》

 

 涙目になってる。ステータス表の心の声はすでにダムの放水状態で、彼女の心の揺れ幅を思うとさすがに可哀想になってきた。俺もこんな扱いされたらつらい。心のフルスイングでハンマー投げの世界記録出ちゃう。


「わかった。今日の用事が済んで帰ってきてから何とかするから、ちょっと待ってろ」


《今すぐやって》《お願い》《部屋に戻れない》《やってくれないと居座る》《ストーカー化する》《危険》《シーツにくるまってつきまとう》《お願い》《助けて》


「その姿で外に出たら、逆に自分を追い込むことになるぞ……」


 という俺の忠告にも意見を曲げなかったので、仕方なく今からキーニの部屋に向かうことになった。


「うーん、むにゅ、むにゃ。ご主人様、だいすき……」


 自室を出るときにマグの寝言が聞こえ、俺の脇腹を抜ける冷たい風が身に染みた。


 キーニの部屋は、人通りの少ない屋敷の二階の端にある。

 時刻を問わず暗幕が引かれ、常に薄暗い環境が保たれているため、彼女の住まいであった〈魔導士の塔〉の雰囲気をそのまま引き継いでいた。


 本人曰く、日の光は自分をさらし者にして虐げるサドらしい。太陽もひどい言いがかりをされたもんである。


 こいつだって変な挙動をのぞけば結構可愛い女の子なんだから、そんなに自分を卑下することないのにな。


 カーテンを開けて、俺にとっては暗すぎる部屋に朝日を招き入れると、キーニはそれが弱点のヴァンパイアみたいに暗がりへコソコソ移動した。


 部屋の壁は本棚で埋め尽くされており、キーニが持ち込んだ本がびっしり並んでいる。

 これはパニシードに頼んでグランゼニスから運んできてもらったもので、この国で新たに揃えたものではない。

 そういえば、あんまりキーニの部屋をよく見たことなかったな。


「あれ……。これ、〈封じのヒモ〉じゃないか。魔法の実験に使ったのか?」


 椅子の背もたれにかけてあった、かつてキーニを縛り上げたアイテムをひょいと拾い上げて俺は言った。すでに使用済みのようで、道具としての能力は失われている。


 すると。


 部屋の隅から脱兎の勢いで飛びかかったキーニがそれを奪い取り、対角線上の隅へと滑り込んだ。

 無駄に速……。


《違う》《これ違う》《新しい世界》《関係ない》《新しい世界》《あなたと初めての》《新しい世界》《たまたま置いてあっただけ》《関係ない》《見ないで》《見ないで》


 ジト目のまま涙ぐみ、顔は真っ赤だ。心の叫びの表示速度も今までにないほど速く、とても目で追いきれない。何だかよくわからないが、ふれてやらないのが優しさのようだ。


「まあいいや! それよりうなり声の謎を解かないとな!」


 そうはっきりと言ってやると、キーニはようやく落ち着いた。


「それで、どこの本棚だ?」


《壁から三つ目あたり》《そう、そのへん》《聞こえるでしょ》《今も唸ってる》


「いや、俺には何も聞こえない」


《……やだ》《怖がらせないで》《本当は聞こえてる》《やめて》《わたしだけじゃないはず》《本当なの》《本当に唸ってる》《よく聞いて》《ウソじゃない》《見捨てないで》


 キーニのメッセージ速度が必死になる。

 これはきっと、ホラー映画とかで、一人だけ幽霊を見て、まわりから信じてもらえず、悲惨な最期を遂げる登場人物の状態だな。


「その心配はいらないから不安になるな。寿命が縮むぞ。声は聞こえてないが、おまえの言うことは信じてる。どの本だ? 悪いが、こっちに来て指示してくれ」


 俺の言葉にほっとしたのか、キーニは恐る恐る隣まで来ると、震える指先で一冊の書物を示した。


「こいつだな。わかった」


 棚から分厚い一冊を引き抜き、気まぐれに開いてみる。


――よくぞ我が魔本を見つけた、求道の者よ。よく聞け。ここに記されしは――


「ひっ……」


 キーニののどが引きつった音を立てる。

 ぱたん、と俺は素早く本を閉じた。


 多分、このイベントの概要を説明してくれている最中だったんだろうけど、やっぱり俺には何も聞こえなかった。

 このあたりが、キーニがイベントに必須な理由なのだろう。


「じゃあ、この本は俺が預かっておくからな。ちゃんと寝直せよ」


《ありがと》《コタロー》《優しい》《優しいな》《わたしのこと大事にしてくれる》《嬉しいな》《嬉しいな》


 熱烈な彼女の感謝メッセージを一瞥だけして、俺は部屋に戻った。


 ※


 予想したとおり、その日は忙しかった。

 俺たちがツヴァイニッヒに勝利の報告をしにいくと、


「すでにその話はクリムから聞いてるぜ。騎士院で夜通し会議をしてたから、他の騎士たちも把握済みだ」


 やや眠そうな彼からそういう答えが返ってきた。

 そこまでは話が早くて良かったのだが、


「今の騎士院はグリフォンリースの処遇をどうするかで割れてる。ヴァンパイアなんて大物を倒せば、本来なら表彰されて中級騎士に昇格なんだが、難癖つけて現状維持ってこともありえる。まあ、単なるやっかみだ。ただ、独断行動を理由に処罰するような腐った真似は死んでもさせねえから、そこは大丈夫だと本人にも言っとけ」


 こういう、人を安心させることを言えるヤツが、俺はとても好きだ。


「それと、良かったな、チビどもが無事で」


 最後の一言が、ツヴァイニッヒが一番言いたかったことのような気がして、俺は思わず口元が緩んだ。


 続いて、今回の事件の発端でもあるフランクさんの宅へ。

 ここへは、昨日途中で終わってしまった掃除も兼ねての訪問だった。

 俺とマユラは止めたのだが、三姉妹が意地でも仕事をやり遂げると言い張ったらしい。いやはや、彼女たちのプロ根性には参った。


「わたしたちのかわりに、ごめんね」


 フランクさんの娘さんたちはできた子で、何も悪くないのにミグたちに謝罪し、そして髪を切られてしまったマグに同情して、髪飾りやヘアピンをプレゼントしてくれた。

 どれが似合うか、六人できゃあきゃあ盛り上がる姿は、ほとんど友人同士のそれだった。


「この〈聖雷の槍〉はすぐに手放そうと思います。こんなものがあっては、またいつ魔物に家族が狙われるかわかりません」


 と、フランクさんは俺にそんなことを打ち明けてきた。

 ここで、


 ・それがいいでしょう

 ・なら、くれ


 とか出るのが物欲にまみれた『ジャイサガ』の選択肢システムだが、ミグたちがあそこまでよくしてもらった手前、慎ましく辞退するのが人の道だろう。


 ヴァンパイア退治の一件はまだ町に広まっていないが、噂が人の耳を駆けるのは早い。ただ人気者になるのなら悪くないが、そうすると騎士院からはますます嫌われるというジレンマがもどかしかった。


 霊廟もどきから拾ってきた初代騎士公の装備が正式に認められれば、そのあたりも緩和しそうだが、結果はまだ出ないらしい。騎士院の思惑も絡むから、気長に待つしかなかった。


 結局、掃除に行ったはずが、小さなパーティーまで開いてもらってしまい、俺たちが屋敷に戻ってきたのは夕方頃のことだった。


「ふう……。人付き合いは大変だ」


 自室でひとりごちた俺に対し、


「あなた様もずいぶん友好関係が広まりましたねえ」


 と、襟元から這い出してきたパニシードが言った。


「そうだな。おまえとグリフォンリースと三人でいた頃が懐かしいよ」

「あの頃のあなた様は、わたしのサポートなしにはその日の生活すらままなりませんでしたが、今はそんなこともなく……」

「過去をねつ造すんな」


 過去、と口にして俺はふと郷愁に囚われた。

 俺がこの世界に来たのはいつだったっけ?

 他人との付き合いは心の平穏を奪われるから好きではなかった。


 しかし今、自分の家の中にも大量の他人がいて、それが日常になっている。

 以前なら片時も心が安まらず、ノイローゼにでもなっていたことだろう。だが、そんなことはない。むしろ、逆に安心できる。なぜか?


「まあ、俺の心臓もだいぶレベルアップしたってことだろう。フフ――」


自画自賛しつつ、部屋の隅にふと目をやって、


「フドゥあうふッ!?」


部屋の隅からじっとこちらを見つめるジト目に、のどから変な息を吐き出すことになった。


「今までで一番変な声で鳴きましたね……」


 誰の目かなんて今さら聞く必要もないだろう。


「キーニ、おまえ、俺の部屋で何して……」


《また出た》《助けて》《また声が聞こえる》《お願い》《助けて》《助けて》


「何……!?」


 俺はナイトテーブルの上に置かれた魔導書を見やった。キーニの部屋から持ってきた時のままだ。ひっ掴んで、ページを開く。


 違う。これは……キーニが以前から持っている魔物の図鑑だ。〈魔導書アトラスティカ〉じゃない。


なぜだ? 朝、俺が屋敷を出るときは確かに魔導書だったのに。

 誰かがすり替えた? しかし、そんなことをするヤツに心当たりがない。

 キーニの自作自演? いや、心の声が読める俺にそんな手は通用しない。現に、今もキーニは恐怖の体験談をつらつら綴り続けている。


「…………?」


 そんな彼女を見ながら、ふと、一つの疑問点に行き着いた。


 ゲームやってるときは気にしなかったが、そもそもこのイベント、何で確率で起こるように設定されてるんだ?

 魔導書があるなら、そこをイベントの開始地点にすればいいのに、なぜ?


 人から人の手を行き交っているという演出? 

 それとも、イベントを見逃さないようにする親切心?


 本の位置がランダムなのは一冊目だけ。これも妙な設定だ。二冊目以降は場所が決まっているのに。

 そして、二冊目以降はキーニがパーティーにいなくとも収集できる。


 一冊目。それだけが変。

 考えれば考えるほど謎が多い。


〈魔導書アトラスティカ〉は今回、キーニの蔵書の中から現れた。

 つまり、少なくともこの世界では、彼女は前からこれを保持していたことになる。

 なら、なぜ今までこの何も起こらなかったのか? なぜ突然呼びかけてきた?


 この魔本は……一体何なんだ?

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