第31話 ドラゴンだけじゃ……なかった!? 安定志向!
その日は、驚くほど早く訪れた。
グランゼニスの早朝を覆ったのは、その日の平穏を約束する小鳥のさえずりではなく、草木さえも息を潜めてじっとしているような重苦しい沈黙だった。
そしていつかの日のように。
空が裂け、不気味な咆哮が轟いた。
ギイイイイイイイイイイイイイ……アアアアアアアアアアアアアア…………。
巨大な魔物が空の亀裂から首を垂らすその光景は、破滅と絶望の分娩を想起させる。
グランゼニスの人々は、逃げまどうことも忘れて、ただその姿に魅入っていた……。
よし、ポエム終わり!
俺は頭の中でモノローグを書き終えると、テーブルの上に置かれた荷物入れを肩に引っかけてアパートの外へと出た。
一階には、アパートの住人たち全員がすでに集合している。
「よし、いないヤツはいないな?」
俺がいつも通り声をかけたことで、その場にいた人々の顔から、暗い緊張が少し抜けていくのがわかった。
「俺とパニ、グリフォンリース、キーニは防衛戦に出る。マユラとミグたちは、ロイドたちと城に避難。慌てなくても、ヤツらがここに来るのは昼近くになってからだ。落ち着いて行動するように」
「ご、ご主人様……。どうしても戦いに行くのですか?」
メイド服姿のミグが、スカートを両手でぎゅっと握りしめたまま、不安げに俺を見上げてくる。普段は脳天気なマグやメグも、今日ばかりは長女と同じ表情だ。
俺は三人の頭を順繰りに撫でてやった。
「心配するな。俺は臆病だからよ、五分五分の勝負なんかしない。すでに勝ちが決まっているから戦いに行くんだ。必ず無事に帰る。おまえたちはマユラの言うことをよく聞いて、行儀良くな」
「コタロー……」
そのマユラが俺に歩み寄り、ちょいちょいと指で聞き耳を要求してきた。
「情けない話だが、我には現状が理解できていない。あれは間違いなく我の軍勢だ。しかし、指揮しているのは誰だ?」
「〈源天の騎士〉の誰か、だろうな」
「やはりそう思うか? つまり我の存在なしに、彼らが独自の意思で、独自の行動を取り始めたということか?」
「違和感が?」
「いや……。あるいは我は、これを危惧していたのかもしれん。魔界は今、最大で五つの勢力に分裂していることになる。それぞれがどう動くかは見当もつか――うにゅ」
悔しげに唇を歪めるマユラの頬に、俺は人差し指を突き刺した。
「にゃんにゃ。にょんなにょきに」
「今のおまえは魔王ディゼス・アトラじゃない。マユラという俺のアパートの同居人だ。世界の趨勢に責任を持つ義務も、資格もない。今のおまえが守らなきゃいけないものがあるとしたら、それは自分の命と、おまえに任せたミグたちの命だけだ」
「おまえ……。っふふ……。そうか、そうだな……」
それまで翳っていたマユラの表情が、微笑に華やいだ。
「ガハハハハ! 大家! オレはオレのパーティで先に行ってるぜ! どっちが手柄を立てられるか勝負だな!」
勝負メイクの〈ワイルド・ヴィクトリー・マスク・ファイナルジャングォ〉を施したローラさんが、槍を肩に乗せてのしのし歩き出したのが契機となって、俺たちは移動を開始した。
つーかローラさん、気合い入ってるのはわかるけど、一歩ごとに石畳踏み砕くのやめてくれませんかね。魔物侵入前にアパート前だけ崩壊後になりかねないんですが。
「コタロー殿、ギルドに寄らなくていいでありますか?」
町の外へと真っ直ぐ向かう俺に、グリフォンリースがたずねてきた。
探索者ギルドでは、町中の民間戦力を募って防衛隊を編成中だ。イベントの手順としても、そこで町の入り口前に配置されてバトルを行うのが正規だが、それだと探索者たちが何人も犠牲になる可能性がある。
ヤツらが町に来る前に、俺たちだけで叩くしかない。
幸い、イベントボスであるドラゴン以外は序盤の雑魚だ。
グリフォンリースはもちろん、俺にだって余裕で薙ぎ払える。
《帰りたい》《逃げたい》《どうしてそんなに前に行くの?》《お城の地下を防衛しよう》《そうしよう》《それがいい》《ねえ》《ねえ》
「ダメ」
うるさいキーニのステータス画面は一言で黙らせた。
青空にできた赤黒い亀裂から、まだドラゴンは完全には姿を現していない。
ゆっくりと、人々の短い余命をあざ笑うみたいに、現在腰の当たりまで露出してきている。
後ろ足が抜けたらあとは細い尻尾だけだし、スポッと落ちてくるだろう。
ヤツはあの巨体で相当素早く動くから、接敵までに見た目ほどの猶予はない。
俺たちは草木がまばらに生えた、岩だらけの荒野で待ちかまえることにした。
えーと、ボスの前哨戦はどうなるんだろ。
ゲームでは、三回雑魚戦をはさんだ後に、ドラゴンが町の城壁前にやって来ることになってる。
しかし、それは他の探索者たちと協力してのことだ。
戦闘は三回どころでは済まないかもしれない。
だが、どのみち。
「狙いはドラゴンだ。他の雑魚は町の探索者たちでも何とかなるが、ヤツだけは俺たちでないと……というか、キーニでないと倒せない。それ以外は無理に相手はしなくていいから、ここを突破されても動揺はするな。もう一度言う。狙いはドラゴンだけだ」
俺は仲間の精神を安定させるため、できるだけの情報を知らせておく。
これは作業だ。勝つための、至極単純な、一つの作業なのだと思わせるために。
そして……前方に見える地平線が土煙で濁り始めた。
これはかなりの数だ。
俺は昨日調達したばかりの〈銅の剣〉を握りしめる。
グリフォンリースは、どうせならもっといい装備を買えばいいのにと言っていたが、今のレベルならこいつでどいつもワンパンだ。同時に、ドラゴンには何を叩きつけても無意味。
もちろん、あの〈赤い部屋〉にまた行けば、これを最強装備のデータと書き換えることも可能だったが、あれ、実際しんどいんだよ! あの日の晩、俺夢に見ちゃって全然眠れなかったし、そのたびにゲロ吐きそうになったんだ! あそこはやっぱり人間が入っていい空間じゃない!
「雑魚戦はグリフォンリースがメイン! 俺は〈力の石〉で回復役をするから、キーニは俺たちの間で防御に徹しろ」
「はいであります!」
《怖いよ》《帰りたいよ》《だまされてる》《食べられちゃう》《こんなの無理》《無謀》
そしてついに、魔物側の先鋒と激突!
ヒャッハー的突撃状態にあった魔物たちとグリフォンリースの〈カウンターバッシュ〉戦法の噛み合わせは最適で、彼女が盾を押し出すごとに、数匹の魔物たちが面白いように弾き飛ばされた。
俺も殿で〈力の石〉を握りしめながら、〈銅の剣〉を振り回し奮闘。
グリフォンリースのおかげで、魔物の群はモーセが叩き割った紅海状態なので、俺への負担はそれほどない。グランゼニスに向かって突進する魔物のうち、俺たちに気づいて方向転換したヤツだけを、あっさりと返り討ちにしていく。
とにかく忙しいので、〈力の石〉は周囲を確認せずに使いまくりだ。
ドラゴン前に、HPは常に満タンを保っておきたい。
ギイイイイイイイイイ…………。
「コタロー殿!」
「来たか!」
ドラゴンの咆哮は、それ以外の雑多な魔物たちの雄叫びとは格が違った。
それ自体に攻撃力があるみたいに、大地を振動させ、骨の芯まで震わせてくる。
ピイイイイイイ……。
ん……何だ……?
今、聞き覚えのない鳴き声を聞いたような……。
ピイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイ……。
「きっ、聞き間違いじゃない! 何かいるぞ、このでかい鳴き声……!」
「コタロー殿! 地面が揺れているであります!」
「なにっ……! ドラゴンの鳴き声のせいじゃ……ないのか!」
そのとき、轟音と共に前方で大地が爆散した。
突き上がった土煙が、目の前に小山がいきなり現れたと錯覚するほどの高さまで届く。
その黄色がかった煙の中、ちらりと見えた異形の断片に、俺は思わず叫び声を上げていた。
「〈タイリクワーム〉だあああっ!?」
〈タイリクワーム〉は、大陸のようにでかい(誇張)、黄金色の巨大ミミズだ。
なぜ、こいつがここに……!?
その問いかけは俺の頭の中の時間を駆け戻り、ある答えを電撃的に閃かせた。
〈ドラゴンの王都侵攻〉は色々と力の入ったイベントだ。
そのうちの一つが、戦闘の背景画面が、崩れかけたグランゼニスの町並みになっているという演出。
そしてそこに、〈タイリクワーム〉らしき黄色いミミズの死骸が描き込まれているという小ネタを、どこかで読んだような……。
まさか、それがこの個体なのか?
ゲームではすでに誰かが倒した後だったけど、俺たちは先鋒として飛び出したから、元気なそいつと鉢合わせすることになったってことなのか!?
《ぎゃあ》《ミミズ怖い》《うねうね》《てかてか》《大きすぎる》
キーニが、地中から鎌首をもたげた〈タイリクワーム〉を見ながら硬直している。
戦力的には、このミミズはドラゴンの足下にも及ばない、中盤前半くらいで出てくる雑魚だ。俺とグリフォンリースにとってはそれほど脅威ではない。
しかしキーニには……まずい! こいつ確か、全体攻撃の〈地震〉を……!
思ったそばから、足の裏を突き上げるような衝撃が俺を襲った。
「うおおおっ!?」
衝撃は足、膝、腰、と伝って、最後にボディブローに変化する。体が数センチ浮き上がり、肺から押し出された息が漏れた。
これが〈地震〉かよ! 地震大国出身者でも味わったことがない一撃だ!
だが、俺へのダメージなんて大したものじゃない。それより、
「キーニ!」
俺は急いで〈力の石〉をキーニに使う。
HP38/58
が一瞬にして全快する。
憑依させた防具のおかげで20ダメージで済んだが、それがなければ一撃で瀕死もありえた。
《だめ》《死ぬ》《死んじゃう》《助けて》《殺される》
「慌てるなキーニ! 回復は余裕で間に合う!」
俺はジト目から光が消え、死んだ魚眼になりつつあるキーニを励ましながら、「それよりも問題は」と心の中で続ける。
問題なのは、こいつのでかさとタフさだ。
〈地震〉以外は通常攻撃しかしてこないが、グリフォンリースの〈カウンターバッシュ〉戦法でもすぐに倒すことは難しい。
こいつがうろうろしていたら、ドラゴンとの戦いに集中できないし、何よりキーニが常に危険に晒される。
「目標を正面に見据えてカウンター! カウンター! カウンターであります! あれ……?」
〈カウンターバッシュ〉を使う機械となって雑魚を散らしていたグリフォンリースの盾がスカった。
見れば、〈タイリクワーム〉の攻撃に巻き込まれるのを恐れて、他の魔物たちが俺たちから離れていっている。
〈タイリクワーム〉の攻撃頻度はそれほどでもない。
時間の猶予が生まれた。
今なら〈地震〉への備えができるか!?
「パニシード! バックヤードから〈封じのヒモ〉を取り出せ!」
頼む、うまくいってくれ!
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