第14話 魔王、てめえはもう終わりだ! 安定志向!
隠しておく必要もないからはっきり言うぜ。
魔王をバグらせる。
魔王のグラをバグらせて別物にしてやる。
道具屋のソックスハンターが王様になっちまったみたいに。
あのときは、王様が急に商売を始めたくなった、って体裁だった。
本当に道具屋の親父が王様に変身したわけじゃない。あくまで現実的な方法で入れ替わったにすぎない。
しかしだ。
魔王以外にあのマップでのグラフィックを持つ魔物は存在しない。
玉座にいるのが別の何かになれば、確実に混乱が起こるはずだ。
あるいは、軍そのものが崩壊するかも。
今は、できるだけ高い望みを期待して、心の安定を維持するしかない。
本来なら、望みは薄くしておいた方が安心するんだけど……。
グリフォンリースが鎧を着込むまで少し時間がかかるだろう。その間に、俺の方でもバグの準備を進めていく。
〈グラフィックチェンジバグ・危険度:中〉は、少々面倒くさい手順がある。
俺はパニシードをつれて表通りの店へと向かい、〈薬草〉三個。〈命のお守り〉二個。〈棍棒〉一個。〈役立たずの盾〉を一個購入する。
専門用語でいうところの〈薬命棍役立たず〉。
それから家に戻って、
「パニシード。金を三三五キルトだけ残して、全部ここに置いてけ」
「へ……? あ、あなた様、なぜそんなことを?」
「世界を救うためだよ」
パニシードに指示しつつ、俺は買ってきた商品を、慎重に荷物入れへと配置する。
アイテム欄の上から順に〈薬草〉〈命のお守り〉〈棍棒〉〈役立たずの盾〉と並べていかないといけないのだが、装備品である〈棍棒〉と〈役立たずの盾〉は明らかに荷物入れには入らない。
〈薬草〉は荷物入れの一番取りやすいところに置き、次に〈命のお守り〉。〈棍棒〉はそれらより少し取りにくい腰の後ろあたりに装備し、〈役立たずの盾〉は背中に回した。とっさに装備することは困難。完全に役立たずだ。
「こんなんでいいかな……。いや、いいに決まってる」
俺が準備を整えたところで、グリフォンリースが現れた。
久しぶりに見る全身鎧に〈魔導騎士の盾〉姿。
「グリフォンリース。俺が前衛で、おまえは後衛だ」
「えっ。な、なぜでありますか。自分、ちゃんと鍛錬はしていたので、腕は鈍っていないであります!」
「今回だけは、それは関係ない。大事なことなんだ。信じてくれ」
「はっ! じ、自分、コタロー殿のことは誰よりも信じてるであります!」
いい子だ。
先頭に俺。先頭のキャラのアイテム欄に〈薬命棍役立たず〉。所持金は三三五キルト。
あとは現地での一発勝負!
朝に見たときより、空の裂け目が広がっている。
時折、そこから黒い点が見え隠れすることに、町の人たちも気づき始めたようだった。
あれは斥候だ。
このまま何にも邪魔されずに亀裂が広がりきれば、そこから大量の翼ある魔物たちが襲来してくる。
空を飛べない人間たちには、それを見守ることしかできない。
そして王都は完全に崩壊する。それが最終盤のイベントの流れだ。
俺はグランゼニス城に向かう。
警備の兵衛たちも空の動向に気を取られ、裏庭から侵入した俺たちに気づきもしなかった。まあ、ゲーム的にも衛兵たちが設置されてない場所だからね。
たどり着いたのは、例の地下倉庫。
魔王の城へと繋がる、バグ穴があるところだ。
「くぬううううううう」
もう一回これをやるハメになるとは。
「押すでありますうううう」
「ぐえええええ……」
レベルの上がったグリフォンリースの圧力は、以前より格段強くなっていた。
すぽん。
壁を抜けて、魔界へ。
空も大地も吹き抜ける風もすべてが禍々しい。
さらに最悪なのは、一時的に世界情勢が終盤に移行しているため、魔王城の中で普通にエンカウントが起こることだ。
レベル上げをしたとはいえ、今の強さでは雑魚モンスター一匹でさえ全滅しかねない。
しかし、魔王のグラをバグらせる上で戦闘は必須。
ここが一番の頑張りどころ。……やれよ、俺!
「静かにな……」
以前と同じように裏口から入る。
中は相変わらずひっそりとしていて、他の魔物たちの気配もない。
俺は以前とは違う通路を進む。
バグについて、再度自分に言い聞かせる。
アイテム欄の〈薬命棍役立たず〉は、グラフィックバグを引き起こすための共通条件。
所持金の三三五は、バグらせる対象が魔王であることを示している。
魔王がいるマップで戦闘を一回行い、俺が勝利する。
すると、魔王がバグる。これがすべてだ。
「グリフォンリース。俺はこれから一度だけ〈ガルム〉という魔物と戦う。ただし、絶対に手出しはするな」
「そんな……ひ、一人じゃ無理であります」
「そうですよ。ここは魔王の城なんですよ。あなた様、本当に殺されちゃいますよ」
グリフォンリースもパニシードも、心から心配そうに言ってくる。
「大丈夫だ。任せろ」
もし死んだら、墓石には「あなたは死にました」と彫ってくれ。
俺はさらに奥へと進む。
いつの間にか額に汗が浮き、肌が粟立ってきていた。
いる……。近くに、魔物が。
まずい。目的の場所まで、まだ少しある。
ゴルルル……。
動物の呼気とは思えない、禍々しいうなり声を耳が拾った。
「……!」
通路のはるか先に、揺らめく四つ足の獣の影が見えた。
いた!〈ガルム〉だ!
犬型の最上位モンスター。体は大型犬ほどで、全身が黒い気体のように波打っている。
位置は……悪くない! 目的地への通路は空いている!
「カアアアアアア……カハッ、カハッ」
〈ガルム〉がえづくような不気味な咆哮を上げた。口からどす黒いガスのようなものが漏れる。ヤツもこっちに気づいたらしい。
脇目もふらずに突進してくる。
ぐわあああっ、メチャクチャに速い!
「グリフォンリース、パニシード! もう十分だ。おまえたちは町へ戻れ!」
「なっ、何を言うでありますか! せ、せめてそばにはいさせてほしいであります!」
「わ、わたしだって〈導きの人〉であるあなた様を置いてはいけません! こ、怖いですがあ。メチャクチャ怖いですがあ!」
「言うことを聞け! いいか絶対についてくるなよ!」
おしゃべりができるのはここまでだった。俺は肩にいるパニシードをむしり取ると、グリフォンリースに押しつけて前方へと走った。
「こっちに来い、ワン公!」
すぐに角を曲がって横道へと入る。
……〈ガルム〉はついて来てるか?
「カッ、カハッ、カハッ!」
よし、こっちに食いついた。これでグリフォンリースたちは安全に帰れるはず!
おっしゃ、逃げろおおおおおおっ!
そこからは最悪の鬼ごっこだった。
犬型モンスターである〈ガルム〉は当然足が速く。俺は何度も追いつかれては、手足や尻を噛まれそうになった。
アイテム順が狂う可能性があるので、HPを回復する〈力の石〉は使えない。
「カハッ、カハアッ!」
「ひっ、ひい! わあ! 待って! お助け!」
これが世界を救う男の台詞でいいんかな。
レベル22の体力があるとはいえ、この回避率には無理があった。
やがて体力は限界。意識が朦朧としてきて、手足の感覚も怪しくなってきた。
口からこぼれる息も、どっちが獣だかわかりゃしない。
「ゼエ、ゼエ、ハア、ハア……」
「カハッ、カハッ、カフッ」
何だっけ……? 俺は何をしてるんだっけ……?
そうそう、行かなきゃいけない場所があるんだった。
場所? どこだっけ……? そもそも、何をしに行くんだっけ……?
この道で合ってるんだっけ…………?
黒く閉じかけていた視界の前方に死神が見えた気がした。
袋小路――行き止まりだ。
「ハアッ、ハアッ……!」
つきあたりの壁に手を突くと同時に、膝から力が抜けた。
体力は完全に限界を超えていた。意識がそれに追いついていないだけだった。
俺は尻餅をついたまま、背後を振り返る。
「カハッ、カハッ」
動きの止まった標的目がけて〈ガルム〉が嬉々として突っ込んでくる。
――これが、俺の、最後――
燃えるような心臓の鼓動が、途端に冷たくなった気がした。
「カハア!」
〈ガルム〉の口の中は真っ暗だった。命が何一つ存在しない、死の暗闇だった。
揺らめく牙が、俺の首筋へと襲いかかる。
その直前、俺は最後の力を振り絞って薄く笑った。
――これが俺の最後の武器だ。
〈ガルム〉の気体じみた体が痙攣した。
「カッ……」
黒々とした鼻先が、まるで揮発するように消えていく。
俺は直前で突き出した右手を確認した。
右手はしっかりとナイフの柄を握り、刃の先は〈ガルム〉の揺らめく胴体へと突き刺さっている。
〈死神のナイフ〉――突き刺した相手を即死させる、一回きりのアイテム。
さっきまで、俺の手元にはなかった最後の武器。
では、俺はどうやってそれを手に入れたのか?
「〈蜃気楼の箱バグ〉っていうんだ。覚えとけワン公」
俺が今いるマップ座標の真下には、このアイテムを収めた宝箱があるのだ。
ここが当初から俺が目指していた、決戦のバトルフィールドだった。
現状で、できる限りのドヤ顔を決めた俺は、黒々とした闇の廊下の奥から、
「ピニャー!!」
という妙に可愛らしい悲鳴を聞いた。
きっと魔王がバグって何かにグラ変したのだ。
やった。やってやった。ざまーみろ!
……それにしても、もう限界だ。疲れた……。
「ぐふっ」
最後の意識を総動員してそれだけ言うと、俺はまぶたを落とした。
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