運命の赤い糸は血と愛と同じ色

阿賀沢 隼尾

運命の赤い糸は血と愛と同じ色

 真夏の太陽が肌を照りつけ、蒼穹には積乱雲が浮かんでいる。

 そんな鉄板の上で焼かれる魚のような思いで私が百合恵先輩の家に行くと、お姉ちゃんと百合恵先輩が今で二人話していた。

 何か大切な話をしているっぽい。


「中学の時、百合恵ちゃんずっと遅くまで薙刀の練習をしていたでしょ」

「う、うん。何で知っているの?」

「あの時ね、馬鹿だなぁって思っていたのよ。何でこの人は夜遅くまで練習をしてなんでこんなに非効率なことをしているんだろう。コストの悪いことをしているんだろうって。アタシは一生懸命になれるものがなかったから」

「あの時の私はあれ以外に何も無かったんだよ。それしかすがる物が無かったの。だから、別に好きでやっていたわけじゃない。その時の私にはあれしか無かったから」

「そう。それでも一生懸命になれるものがあるってとても良いことよね」

「そうなのかな。朱音は無いの? 一生懸命になれること」

「そうね。一生懸命って言うか、柘榴のことはちょっと気になるかなぁ」

「柘榴?」

「あ、いや何でもない。ちょっと、妹がね」

「妹? 妹さんがいるの?」

「そう。でも、色んなことがあって今は離れ離れになっているんだけどね」

「妹さんは元気にしているの?」

「うん。元気にしているわよ。時々、様子だけは見に行っているから」


 私の話。

 お姉ちゃん、なんでその女と一緒にいるの?

 なんで。


 私が先に一緒に好きになったのに。


 私が最初に見つけた景色。

 私が最初に見つけた。

 その筈なのに……。

 私が一番最初に見つけた人なのに。

 お姉ちゃんが……。


 全て……。

 全てあの人が私から奪っていく。盗んでいく。


 運動も、勉強も、何もかも全て。


 だから、私と一緒にいられるように守らなくちゃ。

 百合恵先輩は私が守らなくちゃ。


 ――――――――――――――――――――――――

 閻堂えんどう家の地下室。

 血の鉄のような臭いと薬物の臭いが混ざり合い充満し、部屋の中には拷問用具や、色鮮やかな薬品が所々に置かれている。


 私はお父さんと二人陰鬱な部屋にいた。


「さぁ、柘榴。強くなりたいんだろう」

「はい。お父様。私は強くなりたいです。もう、私はお姉さまに負けるのは嫌なんです。私は誰よりも強くなって百合恵先輩をお姉さまから助け出したいんです。お父様、力を。私に力を授けて下さいまし」

「ああ。あげるとも。授けるとも。やっと、私を受け入れてくれて父は嬉しいよ。吸血鬼一家の一族として、やっと私の研究の集大成を後継する時がきた。さぁ、時は満ちた。今こそ、全ての人間に死を。不幸を。血は死なり。血は力なり。血は我なり」


 父は杖を取り出し、詠唱を唱え始める。


「さぁ、今こそ封印を解く時。我々の始祖たる血赤より紅きもの。血の流れより紅きもの。血の糸より強き円環の理よ。己の尻尾を呑み込む蛇よ、時の糸を紡ぎし乙女よ。時の担い手より下りし黄道十二の星々よ。我に力を与え給え」


 詠唱を唱え終わると、杖の宝石にヒビが入る。


「ほら、飲め」

「はい」


 跪き、宝石から垂れる紅き雫を飲む。

 一線を描いた血液が私の中に入っていく。


 これで私は始祖の力を得た。

 もう、誰にも邪魔させない。


「私は嬉しいよ。柘榴。やっと私の言うことを聞いてくれたんだね」


 貴方の為じゃない。

 私は私の為にこの力を行使する。


 邪魔者は誰であろうと許さない。


 私は強くなりたい。

 誰にも負けない力を。


 私の望みは唯一つ。

 百合恵先輩と一緒になること。

 唯、それだけ。


 その為なら私は何でもできるし、何でもする。


「お父様。有難うございます」

「良いのだよ。さぁ、この力を使っ――――」


 ――――ボトリ。


 頭が床に落ち、血が切り口から噴き出る。

 手刀で私が切り落としたのだ。

 やっぱり、邪魔者は消さないとね。


「ありがとう。お父様。お父様には感謝しています」


 百合恵、直ぐに迎えに行くからね。


 ――――――――――――――――――――――――――――――――

「あ、柘榴。どうしたの。こんな夜中に。それに雨の中」

「百合恵先輩…………」


 雨の中歩いて来た私を百合恵先輩は抱きしめてくれた。


 ああ、温かい。

 これはきっと、先輩の心と同じ温度だ。


「先輩、私……」

「ほら、風邪を引いちゃうから中に入って」

「はい」


 先輩の微笑みが嬉しい。


「いつもの服で良いよね」

「はい大丈夫です」


 元々は先輩のセーターだけれど、今は私のセーター。

 少し長くて手が隠れちゃう。


「これ、萌え袖ってやつね。柘榴ちゃん可愛い」

「そ、そんなことないですよ」

「ふふふ。顔紅くしちゃって可愛い。待っててね。今温かいものするから」

「はい」


 いつも通りの質素な部屋。

 置物も飾っているものも無い。


 あるのは必要最低限のものだけ。


 先輩の性格を表しているような部屋。


「今日も家出?」

「あ、はい。そうです」

「そっか」


 会話はそこで終わり。

 深く入って来ない。

 それが私にとってはとても心地いい。


 でも、もっと私を知って欲しい。


「実は、今日の家出はいつもの家出とは違うんです」

「いつもと?」

「はい。いつもはお父様から逃げる為に逃げているんですけど、今日は自分が嫌になって逃げてきたんです」

「それって、どういう……。あ、夜ご飯は食べた?」

「いえ…‥」

「そっか。それじゃ、夕飯も作るね」


「はい。ありがとうございます。それじゃ、私も手伝います」

「いや、良いよ。今日は座ってて。あ、さっきの話の続きなんだけれど……」

「あ、はい。私、自分が嫌いなんです」

「そうなの? 私はとても優しくて大人しくて一緒にいると落ち着くけれど」

「家では、お父様は私に酷いから。ダメな娘だって。イケない女だって。だから、私はダメでイケない子なんです。お姉さまにも全部負けてしまって。どうしようもない人間で。でも、先輩と一緒にいる時だけは楽しいんです。それだけが私の癒しなんです」

「それは嬉しいわね。お姉さんがいるんだね。もう、会ってから三年近くになるのに全然知らなかったわ」

「言っていませんでしたから。もう、十年近く会っていないんですけどね。もう、顔も忘れてしまいました」


 それは嘘。

 ずっと見ていた。

 時々、姉の家にこっそり行っていた。姉がどんな生活をしているのか気になってしまって。とても幸せそうだった。

 引き取って貰った所で幸せそうに姉は笑っていた。


 私とは全然違う。

 私とは取り巻く環境が雲泥の差だ。

 最近は足が遠のいてしまっている。

 今は一人暮らしをしているっていうのを先輩との会話で知っているだけ。


 そう。

 あの時から。

 中二の冬からずっと行っていない。


「そっか。会いたいとは思わないの?」

「思います。思いますけど、どこに住んでいるのかも分からないので。唯、真紀っていう名前だけは憶えているんです」

「真紀……」

「はい。ただ、それだけの手がかりではどうしようもないですよね。あはは」


 渇いた空気が私達の中に流れ、数寸の時が流れる。


「今日はなんだか饒舌ね」

「知って貰いたかったんです。先輩に私のこと。もう、三年近くになりましたから」

「そっか。柘榴ちゃんと知り合ってもうそんなになるのね」

「はい。知っていますか。先輩と知り合う前から私、百合恵先輩のこと知っているんですよ」

「そうなの?」

「はい。あれは確か三年前の冬。先輩、薙刀部に入っていましたよね」

「あ、うん」

「ずっと夜遅くまで練習していたの見ていたんですよ。私。この人凄いなぁって。私には何も無いのに」

「それは違うよ。あの時は私にはあれしかすがるものが無かったから。唯、それだけ。努力をしていたわけじゃない。私が私としてある為に必要だった。唯、それだけなの」


 それは先輩に対する今の私の気持ちと同じだ。


「それでも、あの時の私にとって先輩はとてもかっこよく映ったんです。先輩はあの頃から私の憧れなんです」

「そっか。そう言えば、最初に会ったのは雨の日だっけ」

「はい」

「良く覚えているなぁ」

「私もです。あの頃はとても酷い目に遭っていて。でも、どこにも行先が無くて。だから、先輩に会う前は河原とかで一夜を過ごすことも珍しく無かったんです」

「最初は私の家に来ても何もしなくて。徐々に家事を手伝ってくれたのよね」

「はい。何もしないのはやっぱり駄目だなって思って」

「もう。何回も大丈夫って言ったんだけどなぁ」

「でも、そのお陰で料理も掃除も、洗濯も出来るようになりました」

「本当に。特に料理に関しては私負けてしまいそう。もう、追い抜かれているかもしれないけれど」

「ふふ。そんなことありませんよ。私なんて先輩の料理の腕にはまだまだ敵いません。もっと精進しないといけません」


 トントントントンと包丁とまな板の心地いいリズムが耳を癒す。

 いつも通りの先輩の料理風景。

 あんなことがあったのに。

 非日常から日常への安心感。


「ほら、出来たわ」


 温かいお味噌汁とご飯、鮭が出る。

 艶々のご飯粒にお味噌汁、鮭。どれも湯気が出ていてとても美味しそうだ。


 一口入れる。

 ご飯が柔らかくて甘い。何よりも温かい。


 心も体もとても温まる。

 この時間が止まればいいのにと思ってしまう。


「『逃げても良い』っていう先輩の言葉があったから。『いつでも家に来ても良い』って言う先輩がいてくれたから。この鍵があったから。だから、今の私がいるんです。ここは私の家なんです」

「私ももう柘榴ちゃんがいてくれないとだめだからねぇ。ご飯も洗濯も。服とか化粧品とかも柘榴ちゃんの物が増えているから。もう、家族も同然よ」

「嬉しいです」


 セーラー制服のポケットから鍵を取り出す。

 先輩から初めて貰った物。


 私だけが持っている先輩のもの。


 ずっと、ずっとこの時間が続けば良いのに。

 でも、このまま先輩のことを好きでいたらいつか私は人を殺してしまうかもしれない。そうなったらきっと、先輩は私を捨ててしまうかもしれない。


「先輩………」

「ん?」

「先輩は私が罪を犯してしまったら、例えば人を殺したりしてしまったらどうしますか」

「そうねぇ」


 ――――数秒の思案。


「私が赦すよ。叱って、怒って、そして赦す。世界中の誰も柘榴ちゃんのことを許さなくても、私は怒るよ。誰を傷つけたとしても絶対に」

「先輩……。良かった。先輩が善人で。先輩に叱ってくれるなら私、とても嬉しいです」


 この人にちゃんと、善と悪がある人で良かった。

 そうでなくちゃ私はきっと壊れてしまう。

 どこまでもどこまでも暴走を続けてしまうから。

 壊れ続けてしまうから。


 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――

 それから数日が経った。


 最近、喉が渇く。

 喉が渇いて渇いてしょうがない。


 頭がなんだかぼうっとして何がなんだか分からなくなっている。


 血が……。

 血が欲しい。


 こんなことをしたらきっと私は先輩に嫌われてしまう。

 でも、私が先輩を守らなくちゃ。

 例え、これがダメな事でも。イケないことでも私が先輩を守らなくちゃ。

 でも、こんなことをしたら先輩は、先輩は、わた、わた、わた……わたしをきら、きら、きら……きら……きらきらきらきらきらきらきら嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌……嫌って……………………。


 あ、そっか。

 もう、私のものにしちゃえばいいんだ。


 だって、どの世界の先輩も全部、全部私のものなんだもの。

 私は誰にも負けないんだから。


 先輩の全部を私のものにしちゃえばいいんだ。


 あんな、あんな女なんかに私はもう負けないんだから。


「先輩、ちょっと良いですか」

「ん、どうした? 柘榴、顔が紅いけど大丈夫なの?」

「あ、大丈夫です。心配しないでください」


 地下へ。

 もう、誰にも私達の愛を邪魔なんかさせたりしないんだから。


 地下に降りると、扉の鍵を閉め先輩を拘束する。


「柘榴ちゃん? 何をしているの?」

「先輩。私はずっと先輩のことが好きだったんです。でも、でもでもでもあのあの女があの女が女があのあのあのあのあのあのあのあの女が私と先輩の邪魔をするからああ先輩の髪やっぱり綺麗好き好き先輩好きずっと一緒にいようね先輩血を血を私先輩の血を飲みたい沢山飲みたい良いよね私先輩の血を飲んでも良いよね先輩も私の血を飲む飲みたい飲んでくれたら私嬉しいな嬉しいな嬉しいな嬉しいな嬉しいな嬉しいな嬉しいな嬉しいなななななななななななななななななななななnnnnnnnnnn

 nnnnnnnnnnnn」


「ごめんね柘榴ちゃん。私が柘榴ちゃんの気持ちに気付いてあげられなくて」

「良いんですよ先輩。これから私達ずっと一緒にいるんですから。それにしても、私喉が、喉がとても渇いているんです先輩。あああああああああ!!!! 焼ける。喉が焼けるうううううううぅぅぅぅぅ」

「その反応。その赤い眼。もしかして、柘榴ちゃん吸血鬼になっていたの?」

「先輩、今頃気づいたんでしたか。ずっと、私ずっと我慢していたんですよ。先輩以外の血なんて飲みたくないですから。あんな。あんな雑種共の血なんて。私は先輩の血以外は飲みたくないんです。先輩の血以外は必要ありませんから」

「なんで、なんでそれを言ってくれなかったの。そんなの幾らでも出したのに。それじゃ、ずっと我慢してきたってことでしょ。そんなの自分で自分を傷つけているだけじゃない。そんなの柘榴ちゃんは幸せになれないわご飯を食べるのも苦痛だったはず。吸血鬼は血以外は飲めない。地獄の思いだった筈よ」


「そんなことないです。私はとてもとても幸せですよ。。私は先輩さえいればとても幸せなんです。それよりも、なんで先輩がそんなこと知っているんですか」

「それは、私が吸血鬼ハンターだからよ」

「え……」


 まさか。

 まさかまさかまさか。

 先輩が吸血鬼ハンターだっただなんて。


 でも、そんなの私たちは関係ない。

 宿敵でも私達の愛の間には関係ない。


「それじゃ、先輩は私を殺すんですか。何で、今まで私を殺さなかったんですか」

「それは、吸血鬼を殺すだけが吸血鬼ハンターの役割じゃないからよ。もうそんな時代は終わったの。吸血鬼は少なからず現代社会に存在する。だから、一緒に幸せになる為に。共に生きる為にサポートする。それが今の吸血鬼ハンターの役割なのよ」


「そうですか。みんな。みんな……。それじゃ、先輩は私を結局は愛してはくれないんですね」


「嘘だ!!!!」


 部屋中に私の怒号が響き渡る。


「先輩は私のことを見てくれていないじゃないですか。いつもいつもいつもいつも『みんなの為』って。まぁ、いいです。これから私の虜にしてあげますから」


 愛しているから。

 私は百合恵先輩のことを愛しているから。


 百合恵先輩の首筋に歯を立て、表皮を食い破る。

 生温かい液体が先輩の血管を伝って私の口から喉を通って体内へと入っていく。


 先輩が私の中に入っていく。

 ああ、これが愛。先輩から私への愛。

 この温かさこそが先輩から私への愛の証。

 これこそ至福の時。


 永遠のように思えた時間が過ぎる。


「先輩?」


 返事はなく、指一本も動かない。

 どうやら、血を吸い過ぎて死んだと理解した時にはもう遅すぎた。


 でも、今の私には力があるから。

 それは、時間逆行の異能。


 始祖の力から受け継いだこの力。

 今こそ使うとき。

 先輩が私を愛してくれるまで。


 私達が愛し合える時まで。


 ―――――――――――――――――――――――――――

 淡い希望。

 先輩と幸せになるのが私の唯一の夢だから。

 だから、何度も繰り返す。


 吸血鬼ハンターと言えど、所詮人間の先輩と吸血鬼の私。

 生命力が全く異なる。

 だから、いつの間にか死んでしまったり、上手くいったと思ったら先輩の方が死んでしまったりして。


 吸血鬼の私と人間の先輩が付き合うことはできないの?


 私に先輩を救うことは出来ないの?

 なぜ神様は私達を救ってくれないの?

 私達を見放すの?


 例え神様でもそんなの私が許さない。


 異なる世界線では先輩を眷属にした時もあった。

 一緒に死ぬことが出来てとても幸せだったのに。

 それなのに血が、始祖の血が私と百合恵先輩の邪魔をした。


 もう、救えないの?

 私は先輩を救うことは出来ないの?


 10回、30回、50回、100回、150回、300回、348回、693回、888回、1000回、1445回――。


 私はとても嬉しかった。

 だって、色んな世界線の百合恵先輩を見ることが出来たから。

 そりゃ、邪魔者は登場したけれど、毎回色んな方法で消してやった。

 爪で切り裂いたり、刺したり、火で体を焼いてやったり。


 まぁ、そんなことはどうでも良い。


 色んな百合恵先輩を見ることが出来たのはとても嬉しかった。

 この世界で百合恵先輩を知っているのは間違いなく私。

 もう、百合恵先輩が死んでいる所を見ても最早何も感じない。

 決してあのクソ女なんかじゃない。


 一つ難点なのは、一定の時間より以前には戻ることが出来ないということだった。

 いつも戻るのは恋の原初風景。

 全ての始まり。


 月が雲間から覗く雪の夜。

 月光と漆黒の天空が陰鬱だ。

 白い粉は地面に募り積もっていく。

 それは人の想いの欠片一つ一つのようにも見える。


 彼女はいつ見ても思い出して惚れてしまう。


 私は何度も貴方に恋をして何度も繰り返す。

 何千回でも何万回でも。


 そして、3497回目の時。

 いつも通り地下で私たちは愛し合っていた。

 心も体も愛し合っていた。


「また、先輩は私を愛してくれないんですね」

「また?」

「そう。またですよ」


「柘榴ちゃん」


 後ろから声。

 振り向くと、知らない人が二人。


「柘榴、助けに来たわよ」

「え? 誰ですか。なんでここを。どうしてここに入って来られたんですか」

「はぁ。少し見た目が変わったくらいで分からなくなるだなんて……。言った筈よ。柘榴ちゃんが何か悪いことをしたら私が叱る。怒る。例え、世界中の悪い奴が柘榴ちゃんを恨んでも、憎んでも、私だけは許す。約束をした筈よ。家出をしたら、私が絶対に見つけるって。私が絶対に見つけるって」


「もしかして、百合恵先輩……と、お姉ちゃん?」

「やっと、私のことを姉と呼んでくれたね」


 見つめ合う。


「でも、なんで二人が…………ていうかどの世界線の」

「柘榴が元いた世界線の私達よ」

「え……?」


 思考が停止した。


 どういうこと?

 だって、だって先輩は私が殺したはず。

 それなのに、なんで――。


 それに、百合恵先輩の背中まであった黒髪が肩近くまで切られているの。


「なんで私が生きているのかっていう顔をしているわね」


 百合恵先輩はしてやったりと口角を上げ、種明かしを私にし始めた。


「あの時私は確かに死んだ。でも、本当はまだ死んでいなかったのよ」

「どういうこと」

「そうね。順を追って話していきましょうか。まず、私はあの時吸血されて吸血鬼になっていたの。それに、体内の血は完全に吸われていなかった。少しだけ残っていたの」

「そこをアタシがギリギリのところで見つけて吸血パックで緊急措置を取って百合恵は一命を取り留めたんだ」


 そうね、と百合恵先輩は頷き、


「そこからは閻堂家に行って手がかりを探したわ。そこからがとても大変だったわ。時空コンパスを見つけて、世界軸の位置を特定して色々人を頼ってここまで来たってわけ。もう、本当に大変だったんだから」


「なんで、なんで朱音まで来てるの。なんで、なんで……」

「そんなの、貴女の姉だからに決まってるじゃない。何を当たり前のことを言っているのよ」

「そんな、そんなの……だって、貴女は、あんたは私から、私から全部奪ったのよ。才能も、愛している人も全部、ぜんぶぜんぶぜんぶ!!」


 どろりと、体内から血の触手が数十本生え、彼女たちに襲い掛かった。


「口ではどうしようもないようね」

「ええ。でも、これは姉妹のケンカよ。部外者は口を挟まないで」

「あ、ああ」


 後ろに束ねた髪を解き、一振りの刀を手に取る。

 鞘から白銀の刀身が姿を現す。


 ――芸術。


 そう表現するのが相応しい程に完成された刀だった。

 油断したら魂までも切り裂いてしまいそうな程に。


 募っていた心の泥が口から吐き出る。


「姉さんは。お姉ちゃんは何も、何も分かってない!! 私がお姉ちゃんのことをどう思ってるか!!」 

「貴方が私のことをどう思っているのかなんて私には分からないしどうでもいい。でもね、今の貴女は唯の子どもよ。だから、これは姉としての私の責任なのよ。だから、ここで終わらせてあげる」


 そう言い放つと、刀身がじとり、と深紅色へと染まっていく。


 触手が全て切り裂かれていく。


「この、このこのこのこの!!!! 私の、私の方が強いんだから!! お姉ちゃんよりもずっとずっと強いんだから!!!!」


 触手の先は蛇の頭へと形が変化していく。


「私はね、柘榴。ずっと、ずっと考えていたことがあったの。実は貴女は私のことを恨んでいるんじゃないのかって。貴女を一人お父様の所に置いた貴方を置いてきた私をずっと、ずっと憎んでいるんじゃないのかって。覚えている? 一緒に暮らしていた時、夏になると向日葵畑で一緒に遊んだ時のこと」


 脳内に一瞬、映像が浮かび上がる。

 それは、いつの日かの記憶。


 姉と一緒にかくれんぼをしたあの夏の憧憬。


 私がどこにいても姉は私を見つけてくれた。

 隠れている時私は不安で。でも、楽しくて。


 姉に見つかった時はいつもホッとして泣いてしまって。


「もう、泣き虫ね。柘榴は」

 と、嘆息をした後いつもこう言った。


「柘榴がどこにいても私が見つけ出すから」


 泣きじゃくる私の手を握り、一緒に家に帰った。

 どれだけ汗に手が滲んでも私の手を離さないでいてくれた。

 同じ速さで歩いてくれた。


 でも、いつの間にか遠く、遠く。繋いでいた手はいつの間にか離れて背中だけを追いかけていた。

 時が過ぎるとその背中すらも見えなくなって。

 翼を背中に生やしているかのように遠く飛んで行ってしまって。


 私の憧れのお姉ちゃん。

 憧憬はいつか、蒼い空へと消えてしまった。


 でも、繋いでくれていた手はいつも側にあった。

 それに気づかなかったのは私だ。


 姉は、お姉ちゃんはいつも私の傍にいた。

 その温もりをいつの間にか私は忘れていた。


 遠くに行ってしまったと思っていた背中は本当は直ぐ側にあったんだ。


「柘榴。愛している」


 背中に両手が回される。

 もう、何年も。十何年も。何十年も感じていない温もりの感触だった。


 ああ、この一言が私は欲しかったんだ。

 このたった一言が。


 それが無いだけで、それを感じないだけで人は簡単に壊れてしまう。

 心はガラスのように透明で、壊れやすい。

 それでも、確かな柔軟性と強度を持っている。


 赤い糸は紡ぎ終わったと同時に、私の人生は一歩踏み出した。

 小さな、それでも確かな一歩だ。


 でも、自分がどこに行くのか。

 どこへ向かっているのか。

 それすら私は忘れてしまって。見失ってしまった。


「私、どこに行けばいいんだろう」


「どこに行くのかなんてそんなの分かりきっていることだよ。さぁ、一緒に帰ろう。私達の家へ。言ったはず。私は」


 伸ばされた手。

 それはもう一人の私の尊敬する人の声と掌。


 視線の先には笑顔の百合恵先輩だった。

 彼女と向き合う。


「その首にかけている鍵はなに? 柘榴ちゃん」


 自分の首元に手を当てる。

 硬い鉄の感触。


 思えば、触り慣れたこの形はここ数十年間の私の心の形でもあった。

 向かう場所は、向かうべき場所はすぐ側にあった筈なのに、全く気付かなかった。


 原風景がここにあった。


 私達はどこから来て、どこへ向かい、どこへ行くのか。

 それは自分ですら分からない。


 来た道が間違っていたのかもしれない。

 これから向かう場所は地獄かもしれない。


 それでも、歩みを止めてはいけない。


 最初から私の向かうべき場所はここにあったのだ。


「柘榴ちゃん。覚悟は良い?」

「はい」


 ぺチン、と冷たく乾いた音と痛みが頬に走った。


 溶けていく。

 今まで感じていたわだかまりが溶けていく。

 きっと、私はこの瞬間を待っていたんだろ思う。


「痛い……」

「そりゃ、ぶったからね」

「でも、ありがとう」


 その後、私達は何も言わずにその場を立ち去った。


 ――――――――――――――――――――――――――――――


 庭に咲いている二輪の向日葵。

 いつも輝きのその先を向いている。


 向かうべき場所は分からない。

 けど、帰るべき場所は、戻るべき場所は確かにここにある。


 これまでの道のりも、考え方一つでガラリと景色を一瞬にして変えてしまう。

 だから世界は色んな色をしているのだろう。


 過去も。

 現在も。

 未来も。


 一つ。

 帰ることが出来る場所が。


 原風景があるとしたら、きっとそれは私達の思い出の中に、記憶の中にあるのだろう。


 どんな道を歩んだとしても、想起する事が出来る。

 戻ることが出来る場所。


 安心して帰ることが出来る場所があるのなら、きっと、私達はどんな道でも歩むことが出来る。


 だって、『私』の道は既にそこにあるのだから。

 振り返ればそこに『私』がいる。


 迷った時は振り返って休んで。

 そこからまた歩き出せば良い。


 光のある方向へ。


 道はいつでも私たちの目の前に。


 一番の幸福はきっと、そこにある。

 過去にある。

 けど、そこにいる時は気付かない。


 振り返ればそこに『幸福』がただ、存在するだけだ。

 やつは神出鬼没で幽霊みたいなやつだ。


 でも、確かにやつは存在する。

 わたしたちの道はいつもそこに。


 僕らの頭の中にある。

 反芻する記憶の中に。


 そいつとは会話が必要だ。

 僕らはそいつに縛れて生きてやがるんだから。

 時々解いてやらないといけない。


 それが人と話すって事の一つの意味なのさ。


 やってきた道は分からない。

 けど、それは確かに存在するもの。


 帰る場所があるのなら、きっと、私達は何処へでも行けるはずだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

運命の赤い糸は血と愛と同じ色 阿賀沢 隼尾 @okhamu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ