グリモアライターになろう

常石 及

転生編

第1話 ブラック企業に殺された私は、生まれ変わってもブラック企業に酷使されていたようです。

 いつからだったか、小説を書くことが私の趣味になっていた。小学生の頃から使っている机の引き出しには、人生で初めて書いた、小説と呼んでいいのかもわからない稚拙な……けれど無限大の夢に溢れた物語がいっぱいに書かれたノートが大事に仕舞い込まれている。

 もちろんそれだけじゃない。二〇と数年間生きてきた私の軌跡こども達が、大事に仕分けされてファイルにまとめられている。

 これらは私の大切な宝物だ。作家になるという夢はまだ叶っていないけど、ついこの前、力作を応募した公募では最終選考まで残ることができた。実力も少しずつだけど、着実についてきている。まだ諦めるのは早い。

 ……のだけど、そろそろ私の心は限界に達していた。

 とりわけ偏差値が高いわけではないけれど誰でも名前くらいは知っている中堅大学を卒業して、給料は高くもないけど低くもない普通の企業に就職したのが二年と少し前。

 それから二年間、私は一文字も小説を書けていない。

 毎朝七時に家を出て、夜の一一時まで職場に残り、家に着くのは日付が変わる少し前。月に二回は休日出勤があって、六連勤なんて当たり前。終わるわけがない量の業務に延々と追われ続け、休憩を取る暇も碌に無い。

 一言で表すならば、私が就職した会社は超のつくブラック企業だったのだ。

 明らかに労働基準法が機能していない。訴えれば勝てると思うけど、体力も気力も根こそぎ奪われる会社にいると、訴えようという考えすら浮かんでこなくなる。

 一〇人いた同期は、私ともう一人を除いて全員が辞めてしまった。一つ上の代なんか、全滅して一人も残っていなかったりする。初めの頃は同期と愚痴を言ったりして支え合っていたけれど、そんな仲間ももう誰も残っていない。もう一人の同期はといえば、いわゆるワーカーホリックと呼ばれる人種で、この環境をまったく苦に感じていないらしかった。

 そんな人間ばかりが残るので、いつまで経っても社内風土が変わらない。だから新人がすぐに辞めていってしまうのだ。新人のすぐ上の世代が三〇代という時点で、上層部は異常性に気づいたほうがいい。若手のゴッソリと抜けた会社は、どこかしらがおかしいのだ。

 そんな環境に二年も身を置いていた私は、心身ともに疲れ果てていた。何をする気も起きない。寝て起きて、味のしない栄養しょくじを摂取して、片道九〇分の満員電車に揺られる毎日。

 片親で私を育ててくれた母親は、病気でもうこの世にはいない。天涯孤独の身の私が逃げる先はどこにも無かった。


「学生時代は楽しかったなぁ……」


 あの頃は、毎日が輝いていた。高校、大学と文芸部に所属して、毎日好きな小説を書いていた。書くだけじゃなくて、読んだり、合評をし合ったりもしていた。皆がそれぞれの意見を持っていて、一つのテーマでも実に色々な読み方、書き方があるんだと、若者ながらに学ぶことができていた。仲間と海に行ったり、文化祭で彼氏と校内を練り歩いたり――――みたいなキラキラした経験は未だにゼロの悲しい身だが、私のあの日々も確かに立派な青春の一幕だった。

 卒業式の日に、後輩達が書いてくれたリレー小説なんて、何度も読み返した私の宝物だ。あの頃の輝きがまだ胸の奥に残っているから、今こんなに辛くても私はまだ頑張ることができている。


「……さ、今日も頑張ろう。嫌なことしか無い毎日だけど、人生生きてりゃきっといいこともあるさ!」


 ふと鏡に写った自分の顔が視界に入る。

 荒れた肌。曇った瞳。引き攣った頬。

 ……大丈夫。私はまだ頑張れる。頑張らないと、天国のお母さんに顔向けができないから。

 革靴を履いて玄関の扉に手を掛ける。鍵が上手く開けられない。


「行ってきま……ぁ」


 猛烈な立ちくらみを感じて、思わずその場に倒れ込む。廊下のフローリングが冷たくて気持ちいい。このまま気絶してしまえば会社に行かずに済むだろうなと考えると、この拷問のような頭の痛みすらも心地よく感じられてしまう。


「……なんのために、生きてるんだろ。私……」


 享年二四。死因、過労。

 こうして私の人生は、四半世紀にすら届くことなくあっさりと幕を閉じたのだった。


     ✳︎


「リゼットちゃん、どうしたんだ? なぁ、リゼットちゃん!」

「……はっ」


 幼馴染のカーヤが心配そうに私を見つめている。どうやら少し意識が飛んでいたみたいだ。

 手元には半分ほど魔力の込められた魔石が二、三個、転がっている。……そうだ、今は魔石に魔力を込める作業の途中だったんだ。


「なんでもないよ、大丈夫」

「そう……? まあリゼットちゃんがそう言うなら大丈夫だな!」


 相変わらず私への信頼が最大値のカーヤは、私の返事を聞いて安心したように表情を緩めて作業に戻っていく。

 まあ、本当に何か問題があったわけじゃないから大丈夫だ。

 ただ、少しびっくりしているのは事実だ。

 幼い頃から、朧げながら誰かの記憶のようなものが自分の中にあることには気づいていた。それもただの知識としてではなく、明確に自分の過去の記憶と認識している――――絶対に経験したことが無いのに、だ。

 傍(はた)から見たらかなり怪しいんだろうけど、不思議と違和感は無かった。むしろ、年齢の割にはやたらと自我の確立が早かったりとか、年齢不相応の大人びた思考回路に恵まれた分、私にとっては良い影響があったくらいだ。

 それもその筈。だってその記憶はなんだから。

 平成から令和の時代を生きて、過労によって夢半ばでたおれてこの世界に転生した。それが私の辿ってきた道程のようだ。そのことを今、思い出した。

 思えば、知らない知識をある時ふとたり、夢の中に聞いたこともない国の言葉が出てきたりしたことがあったけど、あれは少しずつ前世の記憶を取り戻していたんだろう。そして魔石に魔力を込める仕事をしていたたった今、その記憶が完全に復活した――――。


「……私、生まれ変わってもこき使われてるのかぁ」


 生まれながらに魔力だけは他人ひとよりも多かった私は、その特技を活かして……利用されて、魔石に魔力を充填する町工場まちこうばで働いていた。

 単純な仕事に思えるが、こう見えて意外と利回りの良い産業なのだ。魔石が必需品ということもあって、需要が絶える心配も無い。

 魔石の魔力は波形が一つ一つ違うから、これまで魔石というものは使い捨ての貴重品だった。ところが最近になって隣国で魔石に魔力を充填する魔道具が開発されてから、魔石をめぐる市場の様子は激変した――――ということらしい。らしい、というのは、その魔道具が開発されたのが何年か前のことで、まだ幼かった私は後になってその話を人てに聞いたからだ。

 隣国とは緊張関係にあるようだけど、どこの世界にも上手いことやる商人はいるらしい。第三国を経由してその魔道具が持ち込まれた結果、今こうして私は魔力充填工場で働いている。

 合法的なルートで魔力充填用の魔道具が手に入らない以上は、当然その価値も希少になる。だからここの町工場にはひっきりなしに注文が舞い込み、従業員はてんてこ舞いになって働き、工場主は左団扇うちわというわけだ。

 ……ただ、従業員わたしへの還元率は異常に低い。前世ではブラック企業に使い潰された私だが、生まれ変わった先のこの世界でも相変わらず搾取されていたみたいだ。

 それでもこうやって真っ当な仕事にありつけるだけマシというものなんだろう。世の中には何の仕事にも恵まれずに、飢えて死んでしまったり、死なないにしても身売りせざるを得ない人達もいるのだ。親も親戚もいない天涯孤独の身で、こうして子供が一人生きていけるだけのお金を稼げている状況は奇跡に近い。

 まあ、やっていることは児童労働そのものなんだけど。これが福祉先進国なら、私はまず真っ先に保護される対象なんだろうけど、あいにくとここは異世界だ。社会福祉そんなものなんてある筈がない。

 とりあえず今すぐに死ぬ心配は無さそうだ。でも、こんな生き甲斐の無い生活を送っていたら、生きる意味を失うという意味で、いつかは死んでしまいかねない。

 そうならないためにも、できるだけ早くこの状況から脱却しなければ!


「そうと決まれば、善は急げ、だよね」


 私は超特急で、目の前の箱に山盛りに積まれた魔石に魔力を充填し終えると、力仕事に駆り出されていたカーヤを捕まえて言った。


「カーヤ」

「なんだー? リゼットちゃん」


 艶の良いカントリースタイルのツインテールを揺らして、カーヤが振り返る。


「この仕事、辞めよう」

「えええっ!?」


 カーヤのツインテがぴーん、と逆立った。




[あとがき]

 定時ぴったりに投稿です。



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