革命で両親を殺された王子、しかし彼の家族には大いなる力があって……

@nakayama1234

01 隠しごと

 走らなきゃ、もっと遠くまで、うんと遠くまで、走らないと。じゃないと殺される、父さんと母さんみたいに。広場のど真ん中、噴水前のギロチンで、父さんと母さんが殺されたみたいに、仰向けのまま生首にされるんだ! だから走らなきゃ、走って遠くに逃げなきゃ! じゃないと殺さるから、とにかく走って逃げなきゃ!


 ……今日の朝、革命が起こった。朝、目を覚まして宮殿のバルコニーに出ると、赤レンガで出来た塀の向こうでは、怒り狂った民衆が大声を上げていた。もちろん、前々からそんな予感はしていたけれど、こんなにすぐ始まるとは思わなかった。「王様殺せ! 王様殺せ!」の大合唱が聞こえる。僕は怖くなって部屋の中に戻った。


 宮殿の中は明朝から慌ただしかった。部屋の扉は閉めているはずなのに、廊下の方からひっきりなしに声が聞こえてくる。「早く持ってこい!」「何をですか!?」「地図だよ地図! さっさと持ってこい!」とか、「馬車の用意は出来たか!?」「出来ましたが、出口は民衆が塞いでいます!」とか、そんな声が、ほとんど叫び声みたいな声量で、部屋に流れ込んでくる。


 いつもなら起きてすぐ、女中が着替えを手伝ってくれるはずなのに、今日は部屋に誰も居ない。完全にひとりぼっちだ。慌てて部屋を見回すと、椅子の上に着替えが乱雑に放り投げてあった。一人で着替えろ、ということだろう。


 仕方ない、やるしかないみたいだ。ええっと、ボタンはたしかこうやって留めるんだったな……うん、これでいい。次に白い軍服を着てっと……あっ、靴はこれか。黒い革靴だ。大理石の床を歩くとコンコン鳴るやつ。これ、実はすっごく歩きづらいんだ。


 しかしまあ、大変なことになったもんだ。このままだと最悪、父さんと母さんはギロチンにかけられるだろう。さすがに僕だって子供じゃない、それくらいは分かるさ。もう十二歳なんだ。けれども、自分までギロチンの餌食になるのは嫌だ。本当に嫌なんだ。死にたくなんかない。死ぬのは何としても避けたい。


 着替えを終えて部屋を出た。多分みんな三階の食堂にいる。非常時はそこに集まるのが慣例なんだ。僕は走って大理石の階段を上った。履き慣れない革靴のせいで、途中、転びそうになったけれど、何とか耐えた。しかしこの靴、歩くだけで大きな音が出るな。コンコンって、すごくうるさい。まあ、床が大理石だからだとは思うけど。


 食堂の扉は開きっぱなしになっていた。木製の扉には天国を模した彫刻が施されている。けれども今日の朝は扉をノックする必要がなかったので、その彫刻に目を止めることもなかった。扉が開いているせいで、会議の内容もダダ漏れだ。


 中に入る。天井にはシャンデリア。床は一面、中東の国から輸入した絨毯で覆われている。家具も調度品で、棚には陶器の壺が並べられていた。壁には僕ら家族の肖像画がある。……けれどもこの品々も、明日になったら売り飛ばされるんだろうな。そう思うとすごく悲しい。お父さんが生涯をかけて集めたコレクションなのに。


「おぼっちゃま」女中が話しかけて来た。「ああっと……国王陛下! パル様がいらっしゃいましたが、いかが致しましょうか?」


「つまみ出せ」父の声が聞こえた。厳粛な低い声だ。「子供に聞かれたくはない……この国の最後は、私たち大人が責任を持って決める」


「分かりました」女中はそう返事をすると、屈み込んで僕と目線の高さを合わせた。「おぼっちゃまは、一旦部屋に戻ることね。お父様は今、大事な会議をしているから」


「そんなの分かってる」僕は会議を邪魔しないように小声で言った。「でも僕だって話の内容を聞きたいんだ。次の王様は僕なんだよ? 聞く権利があるとは思わない?」


「そうは言っても、お父様が聞くなとおっしゃったから……」


 女中が黙り込んだ。すると、椅子に座っている父――白い軍服を着ていて背すじは真っすぐ伸び、髭も整えられ、まさに威厳たっぷりといった風貌だ――が部屋の奥から僕に声をかけてきた。


「分かったよパル。聞きたいならここに残れ。ただし、口を挟むんじゃない」


 父はそう言うと、すぐに別のことを喋り出した。どうやって亡命するかについて話し合っているらしい。でもそんなの不可能だ、と僕は思った。この宮殿はもう民衆に囲まれているし、軍も寝返ったらしい。もう僕たちには味方なんていないんだ。完全な孤立無援さ。


 僕は父に言われた通り、食堂の隅っこで、立ったまま話を聞いた。会議では、難しい言葉や知らない地名がたくさん出てきた。何が何だかよく分からない。でも、一つだけ理解できることがあった。父さんと母さんは、まだ亡命を諦めていない、ということだ。でもどうやってこの宮殿を抜け出すんだろう? 民衆を轢き殺してでも馬車を進めるとか? いや、そんなの無茶だ。もしそんなことをしたら、隣国にまで噂が広まって、父さんは”轢き逃げ王”とか呼ばれて、歴史に悪名が残るだろう。それともあれか、名誉なんてもうどうでもいいってことか。とにかくどこでもいいから、同盟国に逃げ込んで、あとは長いこと隠匿生活、って策かもしれない。


 まあどちらにしろ、僕に未来はないだろうな。僕には何となく分かる。父さんも母さんも、そして僕も、今日、この日に、殺されるんだってことが。


 バンッ――突然、銃声が響いた。廊下のガラスが音を立てて割れる。食堂の誰もが息を呑んだ。何事かと思ったら、火縄銃を抱えて食堂に入って来る軍人が一人。軍部大臣、ハルク・カーソンだ。驚かせるためだけにわざわざ廊下のガラスを撃ち割るなんて、なんて性格の悪い奴なんだろう。


「まったく、亡命など腑抜けたことを」と、彼は食堂に入るなり言った。


 僕は慌てて食堂の奥へと逃げ込んだ。椅子に座ったお母さんの横だ。お母さんは、銃を抱えたハルクの方を見て体を震わせていたけれど、その白く細い手だけは、僕の頭に優しく乗せてくれていた。


「どんな面をしてここにやって来るか、楽しみにしていたよ」父はそう言って立ち上がった。「この裏切り者め」


「まったく、往生際が悪い。潔く外に出たらどうですか? どうせそのうち、民衆が怒り心頭に達して塀を乗り越えてきますよ。そうなったら民に銃を向けるおつもりで? ……おっと失礼、例えあなたがそう命令したとしても、軍はもう寝返っておりますから、むしろあなたの方に銃を向けるでしょうね」


「なら今ここで殺せばいい。お前が腕に抱えている、その銃で」


「まあ、それも捨てがたい案ではありますが……あいにく、民衆が広場のギロチン前で、処刑の瞬間を楽しみに待っているもので、今すぐ殺すというわけにはいきません」


「そうかい、じゃあ君はあれか、私を広場に連行しに来たのか」


「そうですとも。市民を代表してここにやって来たわけです」


「クソったれ、何が市民だ! ついこの間まで私に忠誠を誓っていただろうが!」


「うるさい! 国王のくせに、よくもまあ、そんな汚らしい言葉遣いを!」ハルクはそう叫ぶと、銃口を父の方に向けた。「もうあんたらの圧制にはうんざりなんだよ! 大人しく手を上げて、俺の後ろについて来るんだ……逆らったら撃つからな!」


 父さんの顔が真っ青になった。僕はそれを下から見上げていた。父さんが、一歩一歩、慎重にハルクへと近づいて行く。信じられない、あの父さんが、こんなにも汗だくになっているなんて。


 父さんはそのままハルクと対峙すると、落ち着いた口調でこう言った。


「分かったよ、広場に行けばいいんだろ」


「……やけに素直だな。どこか怪しい」


「馬鹿言え、怪しくなんかないさ。お前が付いて来いと言ったんだろうが」


「それはそうだが……まあいい、だったら大人しく付いてくるんだ。ほら、両手を上げろ」


「……しかしだ、ハルク。その前に一つお願いがある」


「なんだ、手を上げたら聞いてやるよ」


「ほら……手はもう挙げたから、これでいいだろう?」


 父はそう言って手を上げると、ハルクのことを見上げた。ハルクの方がちょっと背が高いのだ。この軍部大臣はとても体格が良い。


「それで? お願いってのはなんだ?」


「大したことじゃない」父はそう言うと、母さんの方を振り返った。そして母と目を合わせ、穏やかに微笑むと、再びハルクの方へ向き直る。「……あの二人は、しばらくこの部屋に残しておいてくれ。妻とパルだ。頼む。二人に罪はないはずだ。せめて、最後の時間を静かに過ごさせてやってはくれんか」


 ハルクはそれを聞いて、最初悩んでいた。しかし、父の声の切なさに胸を打たれたのか、観念したかのようにこう答えた。


「……わかった。なら二人はこの部屋で待っているように。……おい、そこの財務官!」


「はいいっ!?」


「お前が二人を見張れ。もし逃がしたら、お前もギロチンにかけてやるからな」


「はいっ! 分かりましたとも!」


「ありがとう、ハルク」父はそう言うと、なぜか笑った。「これぞまさに、軍人らしい誠意ってやつだな」


「ふんっ、あんたに言われても嬉しくないさ」


 この後、父はそのままハルクに付いて行った。ハルクは後ろ歩きをしながら、ずっと父さんに銃口を向けたまま、廊下の方へと歩き出て行く。やがて部屋から二人が消えると、女中がそれを追いかけに行った。結果として、僕と母さん、そして偶然居合わせた財務官だけが、食堂に残った。


「ど、どうしますか?」財務官が母に問いかける。「お逃げには、な、ならないんですか?」


「いいの?」母は驚いたのか高い声で言った。


「そりゃまあ、国王陛下にはお世話になりましたから……私ももう高齢ですし、苦しんで死ぬよりかは、ギロチンにかかった方が……」


「やっぱダメよ!」何を思ったのか、母が、椅子から立ち上がって突然叫んだ。あまりに勢いよく立ち上がったので、椅子が後ろに倒れてしまった。「うんダメ、だってあなたには関係のないことだわ! これは私たちメルトン家の問題なの。あなたはただの官僚さんでしょう?」


「そうですが……でもほら、足元にいらっしゃるお子様は、大変怖がられているようですし」


「だからなんだって言うの?」


「ええっと、ですから、お子様のためにも、お逃げになったらどうかと……」


「ねえ、あなた正気!? 私はもう決めてるの、死ぬのよ、自分は、今日、あの広場で! もう覚悟は出来てるわ! 今更逃げるなんて、卑怯者のすることよ!」


「まあまあ、落ち着いてください、王妃殿下。国王殿がくださった最後の時間です。もっと落ち着いて過ごしたらどうですか」


「それもそうね……」母はそう言って椅子を立て直すと、それに腰を掛けた。そして僕を膝の上に乗せた。「ねえパル……」


 僕は母さんの膝に乗って、母さんの顔を見上げた。このまま抱き着くこともできた。でも、もうそんな歳じゃない。僕は十二歳なんだ。


「なあに母さん」こんな近くで母の顔を見たのは久しぶりなので、少し恥ずかしかった。「言いたいことがあるなら言ってよ」


 母はなぜか口をぱくぱくさせた。多分、喋りたいことがあるんだろう。でも、その内容を上手く言葉にできないらしい。


「あのねパル」ようやく気持ちの整理がついたのか、母は深呼吸をしながら言った。「あなたに隠していたことがあるの……」


 ――隠していたこと?


 僕は驚いて母さんをぐっと見つめた。でもちょっと、強く見つめすぎたみたいだ。母さんは僕の目力に気圧されたらしく、また口をパクパクさせ始めた。


「ねえ、黙ってないで早く言ってよ」


「そうね……まあ、平たい話が、魔法のことよ」


 ――魔法?


 ……おいおい、馬鹿言え、魔法なんて、この世にあるわけがないだろう。今は科学の時代なんだ。ちょうどこの前、蒸気機関車が開通したばかりじゃないか。


「何言ってるの母さん、魔法って、どういうこと? ねえ、説明してよ」


「私たちは魔法が使えるのよ」


「……本気で言ってるの?」


「本気よ」


「ちょっ!」口を挟んだのは財務官だ。「その話、本当だとしたら、私は死のうにも気になって死ねませんよ!」


 母は困った顔をした。「でもこれが真実なのよ」


「そんな、馬鹿な」財務官は焦って食堂の中をぐるぐる歩き回り出した。「魔法って、冗談か何かでしょう? あ、あれだ、お子様の気持ちを落ち着かせるためのユーモアだ! ね、そうですよね!?」


「本当のことよ。私たちメルトン家には、魔法の能力があるの」


「だ、だったら証明してくださいよ! じゃないと私は死ねないです! こんな話を聞かされた後じゃ、墓場に行くのにも二の足を踏んでしまう!」


「じゃあ……」と言うと、母は僕を膝に乗せたまま、目をつぶった。そして、その白く細い手を、僕のおでこにかざした。


 次の瞬間、僕は宙に浮いていた。母さんと財務官が、首を曲げて僕のことを見上げていた。


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