うみごみ
王生らてぃ
本文
「ほーら、どうよ。初めて見た海は」
愛華は自慢げに笑う。
波の音が聞こえる。
わたしは、鼻から思いっきり空気を吸い込んで、喉がえぐれるような匂いにむせかえる。
「これが潮風の匂い?」
「そうよ」
「お魚屋さんの匂いがする」
「ちがーう。お魚屋さんから、海の匂いがするの。逆よ、逆」
内陸県から引っ越してきたわたし。生まれてこの方、海を見たこともなかった。それを聞くと、海沿いのこの町にくらす人たちはすごく驚いて、じゃあ見に行ってよ! 見に行こうよ! と、しきりに勧めてくる。
そこで転入先のクラスメイトの愛華が、ベストなスポットがあると言うので案内してもらった。
そこは砂浜と、テトラポッド? と、いうのだろうか。そんなコンクリートの塊が何百個も並んだ、さらにその向こうにある。
海岸から、海に向かって橋のように伸びる白いコンクリートの道。全長は百メートルくらいだけど、途中で途切れていて、特に何もない。
「昔はここに灯台があったの」
愛華とわたしは、その道の終点に腰掛けて、脚をぶらぶらさせながら海を見ていた。
「わたしが小さい頃。よく秘密基地って言って、こっそり忍び込んで遊んでたなあ。だけど老朽化がひどくて、倒れる危険があるからって取り壊されちゃったんだ。だから、ここはもう特に何もない場所。あんまり魚も釣れないから、誰も寄り付かない」
「ふうん」
「だから、逆に秘密基地? みたいな感じなの」
足元に、コンクリートに打ち付ける波のしぶきが飛んでくる。
ゆらゆらと水面が揺れている。半透明な、濃い青の中には、藻が生えていたりして不思議な色合いを呈している。海の底が見えるような気がするけれど、それは気のせいで、実際はもっと深いのかもしれない。
前に視線を向けると、遠くまでずっと海。
塩辛い匂いがする。
さざーん、さざーん、と海が寄せて引いて消えていく音。
これが海。
初めてみるけど、なんだか落ち着く場所だ。
「いつも、ここにいるの?」
「ん?」
愛華は、口に白い紙の筒をくわえて、煙をふーっと空に吐き出しながら、わたしの方を見た。
「なに?」
「あの、なにして……」
「煙草吸ってるの。ここなら誰にも見つからないから」
にかっと白い歯を見せて笑う。
わたしは、空いた口が塞がらなかった。
「いや、あの……」
「誰にもチクんないでね? あんたは余所者なんだから、その気になればいつでも潰せるんだから」
「つ、潰すって何?」
「でも、あんた可愛いから好き。別に金取ろうとか、そういうわけじゃないんだからさ、いいでしょ。ただ秘密を一個守って欲しいだけ」
そう言ってもう一度すーっと、思い切り煙を吸い込んだ愛華は、吸い殻を何食わぬ顔で海の中にぽいと落とした。小さな火が音もなく消えて、吸い殻は波にさらわれて、あっという間に見えなくなってしまった。
「いつも、そうしてるの?」
「ん? そうだよ。吸い殻溜め込んでたり、まとめて捨てたりして、誰かに見られたらおしまいでしょ」
「……、」
「こんなの誰でもやってるんだから。みーんな、ペットボトルとか、読みおわった雑誌とかさ、海に投げていくの。わたしひとり、いい子になったってバカらしいでしょ?」
よいしょ、と愛華は立ち上がって、スカートの砂埃を払った。
「じゃあ、そろそろ戻ろうか」
「あ、うん……、」
「なに? なにか言いたいことがあるなら言ってよ。わたしたち、もう友達でしょ?」
わたしも立ち上がって、愛華に言った。
「ありがとう。案内してくれて」
「いいってことよ」
「わたしも、時々ここに来ていい? 一人の時も」
「なんでわたしに許可取るの? 変なやつ。別にいいんじゃない?」
愛華はまた笑った。
目がきゅっと細くなって、口を大きく開く、なんというか豪快な笑顔だ。わたしは愛華の笑顔を見るのが好きだった。
海の匂いがする。
それと別の匂いも。
わたしはもうしばらく、この町で暮らすのだ。
うみごみ 王生らてぃ @lathi_ikurumi
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