どこかの恋物語

どこかの大学生

本物の恋

「君ってさ、どうしてそんなに毎日笑ってられるの? 死ぬの、怖くないの?」


 三階の教室の窓側。太陽の残滓が消えかかっている時間帯。遠くの空にはオレンジ色の空が残っているにもかかわらず、校舎には僕ら二人しかいないのかと思うほど静かだった。


「え? どうしてって言われても困るな。自然と笑みが溢れてくるんだよ。君がそばにいてくれるおかげかな?」


 いつものように君は僕をはぐらかす。その笑顔に魅了されて、いつも僕は君の嘘に乗ってしまう。


 ただ、今日だけは一緒に笑っていられる気分にはならなかった。僕が笑わないでいると、それに気づいた君が不安そうな顔を向けてくる。


 そんな表情もとても可愛らしくて、同時に苦しかった。だから僕はわざと話を変えた。


「そっか。そういえば、君は音楽と美術で美術を選んでたけど、なんで?」


「んー、なんでって言われても困るなー。だって、『これだ!』って直感的に思ったんだもん。そういうユータ君はどうして美術を選んだの?」


 適当な話でもこうして君は話を広げてくれる。


「……好きなんだ、絵を描くのが。描いているあいだは、嫌なことを忘れられるから」


 なんとなく君の顔を見るのが嫌だった僕は、君の目を見ずに答えた。


「ふーん、じゃあ、君が絵を描くのは絵が好きだから? それとも嫌なことを忘れられるから?」


 難しい質問だ。答えようがない。好きだからと聞かれても描いているときに絵が好きだな、なんていちいち考えたりはしないし、嫌なことを忘れられるからと聞かれても一概にそうとは言い切れない。


「どっちも合わせて一つだよ。好きなことしながら嫌なことを忘れられるなんて一石二鳥だし」


「まあ、そういう考え方もあるか。私は、絶対好きなことと嫌なことを混ぜたくないなー」


 いつものことだけど、僕が「どうして?」と聞くよりも君が理由を話す方が早かった。


「もし一緒にしたらせっかくの好きなことが、嫌なことを忘れるための道具になっちゃうでしょ?」


「そんなことないと思うけど、」と言う僕に対して君は「あるの!」と、有無を言わせない大声で断言した。


「なら、君だったら嫌なことはどうやって忘れるの?」


「ううん、忘れないよ」

 君は当たり前の如く言う。


「えっ? 忘れないって、それでいいの? 辛くなるだけだよ」


「うん。でも、忘れない。本当に嫌なことは嫌だと思ったことを忘れることだから。それが嫌だったんだって胸に刻んでおくの」


 右の手のひらを優しく胸に当てる。僕よりもひとまわりも小さいその胸の中にはきっと強靭な心が備わっているのだろう。


「もし、どうしても嫌すぎることがあって忘れたほうが自分のためだと思ったときはどうするの? 君一人じゃどうにもならないよ」


「ユータ君は意外と意地悪なんだね」

 君からそう言われて、言いすぎたと反省する。


「そのときは誰かに助けを求める。私一人じゃできないことなら、友達や家族を頼る」


「嫌なことの原因が友達や家族だったら?」


 立て続けにまた言う。反省したはずだが、君のことになるとつい感情が抑制できない。


「ほんとに意地の悪い質問するんだね、ユータ君は。……そしたら、ユータ君に助けを求める! だから、いつでも助けられるようにしてね」


 にっと君は笑って僕をからかう。意地が悪いなどと言っておいて、満更でもなさそうだ。


 君に頼られることを嬉しく思いながら、その気持ちを隠すつもりで僕は軽く揶揄ったつもりで笑みを浮かべる。


「いいよ。いつどんなときでも助けてあげるよ。だから、助けられる覚悟しておいてね」


「なにそれ、バカみたい」とげらげら大声で笑われ、僕は恥ずかしくなった。それから少し笑い合って、「じゃあさ……」笑い声は跡形もなく消え、静寂を取り戻したところで彼女が続ける。


「明日、助けてもらってもいいですか?」


•*¨*•.¸¸☆*・゚


 次の日、君は学校を休んだ。担任によると、病状が悪化したらしい。これから手術を行うそうで、当分の間入院するそうだ。


 てっきり今日も放課後話をするのだと思っていたので、入院と聞いた時はショックだった。結局、君を何から助けたらいいのか教えてもらっていない。昨日は「明日学校で詳しく話す」と言って、君は帰ってしまった。入院するなら、助けるにも助けようがないじゃないか。


 次の日も、また次の日も君が学校に来ることはなかった。


 君が入院してから一週間後、美術の宿題で自然をテーマにデッサンすることになった。


 週末、僕は深大寺に行くことにした。家から一番近い自然溢れる場所がここだったのと、歴史的建造物に興味があったからだ。興味があった割に今まで赴くことがなかったのは、それほどの行動力がなかったからだ。だから、君の行動力は僕から見たら鬼みたいなものだった。


 そんな僕が一人で出かけた深大寺で、君を見た時はまぼろしかと思った。


•*¨*•.¸¸☆*・゚


 スマホのナビに従って歩いていくと、すぐに目的地に辿り着いた。こんな一人で都会まで来たのは初めてだった。休日だからか昼どきだからか、深大寺周辺にあるそば屋はどこも満員だった。


 しかし、そっちに人が吸われていったおかげで、デッサンしようと考えていた場所は運のいいことに人はいなかった。階段を上り、デッサンに相応しい位置を模索していた。正直、どの景色から見ても満足のいく景色が描けそうだった。


 本堂が一番よく見える場所をと考えていたが、僕は本堂に背を向け、手前の賽銭箱の前に腰を下ろした。集中力を高め、目に映る景色を完璧な色合いで描いていく。下から描いていくのが僕のポリシーだ。


 地を描き終え、空を描き始めようとしたとき、ふと、君のことが脳裏に浮かんだ。いつも明るい笑顔を見せてくれて、未来に向かって真っすぐ進んでいるような君のことだ。きっと病気なんて乗り越えてまた元気に学校に来るだろう。


 そこでまた、僕は君の隣にいて、君が笑えば僕も笑う。笑い合うだけじゃなく、あるときには睨みあったり、またあるときには君の涙を受け止めてあげたり……。


 だから、早く学校に来なよ。君にはもっと話したいことが山ほどあるんだ。考えれば考えるほど、君のことで頭がいっぱいになる。


「あれ、いつのまにこんなの描いたんだろ?」


 僕の自然を描いたデッサンに一人の少女の姿が描かれていた。その少女が君だということは分かりきっていた。描かれた君はまるで直前までその場所に、僕の目の前に立っていたかのような現実味があった。君はそこでも幸せそうに笑っていた。


 その笑顔を見て、僕は君がもうこの世にはいないことを感じたような気がした。


 僕はずっと、嫌なことを忘れずに生きている君が羨ましかった。


 でも、君の言う嫌なことを忘れたくないという気持ちが今の僕と同じなら、確かにそうだね、って共感できるよ。


「僕は君を失うのがずっと嫌だった。だから、ひたすらそのことを考えたくなくて、忘れようとして、絵を描いていた。そんなのなんの救いにもなりはしないってわかってたのに。大人になりたくなかった僕を、早く大人になりたがっていた君に変えられた。君の気持ちを最後まで汲み取ってあげられなかったけど、きっと君は気にしないと思う。だから僕だって、ずっとぐずぐずするのはやめるよ。だけど、今日だけは胸を貸してほしい」


 今まで抱いていたあらゆる感情が、僕の胸に現れた。辛くて、痛くて、苦しくて、暖かくて、柔らかくて、優しくて。そして、涙となって出てきた。


 明日からは、また、君のいない学校生活が始まる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

どこかの恋物語 どこかの大学生 @ka3ya0boro1221

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る