第4話 電撃少女は太陽のように

「――あ。せんぱーい」

 

 俺の後輩から電撃が出ることを知った翌日の昼休憩のこと。

 突如聞こえたその声に、箸でつまんでいたウインナーが落ちて机の上でぴょこんと跳ねた。


 教室が軽くざわつくのを感じる。

 俺はまさかそんなはずはないとは思いながらも、ゆっくりと声のした方へ視線を向ける。


「……出た後輩ちゃん。お前ら早く付き合えばいいのに」


 目の前で、何故か弁当箱に入った素麺を啜っていた吉田よしだが呟いた。地毛だと本人は主張しているが、茶色い髪がどうにもチャラい。


 見ると、教室の後ろ側の扉から七海がぴょこりと顔を覗かせている。手を振るな。……なんでいるの? 休めって言ったよね俺。


「に、新村くんをあんな気軽に呼び出し……? 一体、何者……?」


 斜め後ろの辺りで高見たかみが震える声でぼやく。

 こいつは色々あったせいで俺を不良かなにかだと思っている節がある。やめろ高見。不良でヤンキーなのは俺の目の前で素麺を啜っているこの吉田の方だ。

 

 俺は弁当の残りを吉田に押し付けると、風のように教室を飛び出して七海の腕を引く。


 廊下を出来るだけ人気の少なそうな方向へと進む。昼休憩は廊下も教室も学校全体も、空気が弛緩してどこか緩やかな時間が流れている。


 大人しく俺に着いてくる七海を振り返ると、なぜか少し嬉しそうににまにま笑っていた。


「おい七海。なんでいるの? バカなの?」

「お母さんにサボりがバレまして」

「小学生かな? じゃなくて。……だ、大丈夫なのか? その、あれだ。例のやつ」

「……今は無なので。私はせんぱいに何の感情も抱いていませんよ。例えるならそう、中学二年生の夏、夏休みの宿題を全て間違って捨てて先生に職員室に連れて行かれている時のような」

「あったなそんなこと。泣いてるお前の宿題を手伝わされた俺の身にもなれ、って――」


 ぱちぱちっ。かすかに青い光が弾ける。

 俺は慌てて手を離す。


「出てるんだけど。お漏らししてるんですけど七海さん」


 教室のある棟とは反対側、二階の階段そば。

 ここならそうそう人が来ることもない。


「お、お漏らしとか言うのやめてもらえませんかね。出てませんけど。静電気ですけど」

「静電気じゃないって言ったのはそっちだろ……」

「あ、あはは……」


 俺が睨むと、七海は気まずそうに頬をかく。白い首筋がうっすら汗ばんでいるのが見えて、俺は慌ててじりじりと照りつける太陽を見上げた。夏休みを前にして、暑さも最高潮だ。


「……学校に来るのはまだいい。それは七海の自由だからな。でも俺の教室にまで来るのはおかしいだろ」

「敵を欺くならまずは味方から、ですよ」

「誰と戦ってるんだお前は」


 言うと、七海はふわりと視線を泳がせる。

 そしてこちらをおずおずと見上げて。


「教室に行けばせんぱいの好きな人、分かるかもって思って」


 そう言って、唇を尖らせた。

 夏の日差しに混じって、青い光が散る。

 俺は暑さのせいか、それとも別のものによるのか分からない汗を拭いつつ、ごくりと喉を鳴らす。


「……その話か。それはあれだ。もっと二人っきりの時とかに聞くから。学校はやめよ?」

「も、もももっと二人っきりのとき!? それはあれですか? いやらしい意味ですか!?」

「落ち着け七海! 出てる! 出てるから」


 興奮する七海をなんとか抑えようと、俺は深呼吸をする。七海もつられて深呼吸をし始める。辺りを見回すが、人の姿は無い。


「いいか……七海。このことを知られるとすごくまずい」

「……は? せんぱいの好きな人にですか?」


 一瞬、七海の目に青い光が揺れる。

 俺は冷静を装って、落ち着いた声で言う。


「違うだろ。お前には緊張感というものが足りない。電気を、電撃を出せますって誰か……悪い人にでも知られたらどうなると思う?」

「…………太陽光発電に、利用される?」

「それは太陽の仕事だから。お前太陽だったの?」

「え? 違いますけど……?」


 なんで俺が変なこと言ったみたいになってるんだろう。そりゃ時々七海は太陽みたいな笑顔で……なんて、ぼんやりと脳裏に浮かんだ彼女の顔を振り払う。


「――どうなるか分からないから怖いんだ。変な噂を流されるかもしれないし、悪いやつに知られたら危ないことに巻き込まれるかもしれない。大袈裟かもしれないけど、隠しておくに越したことはないだろ?」

「? でも、せんぱいがなんとかしてくれるじゃないですか」

「あのなあ……」


 七海の素直な笑顔に、俺は肩を落とす。

 どこから来るんだその信頼。人をなんだと思ってる。


「ひとまず夏休みまでだ。夏休みに入ってしまえば、考える時間が出来る。そこまでは絶対になんとしてもバレずに乗り切るんだ」

「わかってますよ。大人しくしておきます」


 むん、と両手で拳を作る七海。

 分かってるやつは俺の教室に来たりしないんだけどなあ……。

 

 ため息をついた俺を見て、七海ははにかむ。

 彼女の告白を断って、一度は何もかもが変わるのではないかと心配したけれど。


 こうしてまた今まで通りに話が出来る。

 それはまあ、嬉しいことで。

 変わったのは、彼女から電撃が出るようになったことだけだ。


 夏休みまで、あと一日。


 

***



 その日の放課後。

 俺は名前だけを貸している文芸部の部室へと向かっていた。放課後の閑散とした校内には、喧騒と静謐さとが混ざり合っている。


 ……七海に電撃のことを誰にも知られるなと言っておいてなんだが、俺は今からそれをバラしにいくわけだ。

 

 多少の罪悪感はあれど。積み重ねてきた信用と七海のためだという大義名分があるからこそ出来ることだ。


 俺はいつものように部室の扉を叩く。

 しばらくして、「――どうぞ」と澄んだ声が返ってきた。


 扉を開ける。

 まだ随分と高い日差しがカーテンを抜け、部室の中を穏やかに照らしていた。


「ひとつ、相談があってきたんだけど」

「……また、あの子のことだったらそろそろ怒ってもいいかな?」


 本をめくる手を止めることなく、視線も落としたままで彼女はそんなことをつぶやく。

 艶やかに伸びた髪がわずかに揺れて、まるで作り物みたいに整った顔がゆっくりとこちらへ向けられる。


「……あー。あの子のことなんだけど」

「もし幼馴染じゃなかったら、君とは絶縁してると思うな」


 そう言って微かに笑うと、椎名しいなゆいは文庫本を閉じる。綺麗な藍色の背表紙が目に映った。


「仕方ない。お昼ごはん、おごりだよ?」


 俺は椎名の目の前の椅子に腰掛ける。


「いつのだよ。今日はもう放課後、明日は終業式でお昼ごはんはない」


 椎名はそのあとでいいよ、と当たり前のように言う。吹奏楽部の楽器の音が、遠くで優しく響いた。

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