4 子守唄
まあ、別にいいけどね。フォアグラ、ピータン、ローストにも温泉を楽しませてあげられたし(ヤケクソ)。
「君の優しさは、時折ファンタジー通り越してクレイジーだよな」
「誰のせいだ!」
いまいち疲れが取れなかったので、明日の朝もう一度一人で入ろうと思う。僕は肩をぐるぐる回して、ため息をついた。
「ま、あとは寝るだけだ」
なんだか浴衣姿がサマになっている曽根崎さんは、首の後ろに手をやって言う。
「明日はレンタカー借りるんだろ? しっかり睡眠を取って事故の無いようにな」
「任せてください! 僕のドライビングテクで、曽根崎さんをゲロゲロにしてやりますよ!」
「酔い止め買っとけってか? 今から運転手雇って間に合うかな」
「大丈夫です。ちゃんとエアバッグついてる車を選びました」
「それ標準搭載なんだよ」
部屋に戻ったら、旅館の人がやってくれたのか既に布団が敷かれてあった。テンションが上がって、思わずダイブする。すぐにまぶたが重くなってきたけど、なんとか体を起こして歯磨きへと向かった。
「なんだ、もう寝るのか?」
「寝ますよ。しっかり寝とけって言ったのはそっちでしょう」
「まだまだ夜はこれから。レッツパーリナイ」
「寝ーまーすーよー。ほら、曽根崎さんも寝る準備してください。いくら不眠症でも、今日みたいに思いっきり動いて温泉入ったなら眠れるんじゃないですか?」
「うーん」
「子守唄でも歌いましょうか」
「父さん、父さん、魔王が何か言ってるよ〜」
「眠る気ないだろ、その選曲!」
「景清も何か言ってるよ〜」
「あ、さてはちょっと眠いな!?」
珍しいこともあるもんである。急かして歯磨きをさせ、半ば無理矢理布団に引きずりこんだ。というか簀巻きにした。もじゃもじゃ頭も相まって、ゲジゲジ感がハンパない見た目となっている。
「ねーんねんー、ころーりーんー」
「なんか違う。微妙に歌詞違う」
「おこーろーりーんー」
「なあ知ってるか。快適な睡眠に寝返りは不可欠なんだぞ。なあなあ、こんな簀巻きにされたんじゃまともに手を動かすことすら」
「ぐう」
「寝やがった!」
本日分の任務を果たして満足した僕は、消灯と同時にあっという間に睡魔に降伏した。くるまれたゲジ崎さんが腕の下でうにょうにょしていたけど、まあいずれ諦めて寝るだろう。おやすみなさい。
深夜。曽根崎は、誰かの呻き声で目が覚めた。
(……珍しい。本当に眠ってたのか)
目を擦ろうと腕を上げようとするが、身動きが取れない。そういや布団にくるまれてたっけか。なんとか身を捩って、抜け出した。
「う……う」
声は近くから聞こえている。たとえ明かりがついていなかったとしても、正体は分かっただろう。
障子越しの月明かりの中、竹田景清が体を丸めて小さくなっていた。
「……」
悪い夢を見ているのだろう。普段なら躊躇せず該当する記憶を朧げにしてやる所だったが、今の曽根崎は景清を見下ろしたまま動かなかった。
(彼を苦しめているのは、どの記憶だろう)
記憶を操作するには、該当する部分を頭に置く必要がある。自分に殺されたことか、自分を殺したことか。はたまた天使に姿を変えられた人への感情か。いっそ全ての記憶をうやむやにするほうが手っ取り早いのは、曽根崎自身も理解していた。
だが、それをすると……。
(……)
ままならない感情を抱いたまま、充電器に繋げたスマートフォンを起動させる。何件か着信が入っていた。それら全てを無視して、メッセージを開く。知人である柊からだ。
“うまくやってる???”
それは大変シンプルな一文だった。少し考え、返信欄をタップする。恐らく、彼自身も一人で考えることに疲れていたのだろう。
“今、景清君がうなされているのを見ている。”
送信してから、文面の意味不明さにげんなりとした。前後の文脈がまるで無く、またどんな解答を望んだのかも不明である。だが、思いの外早く返事は来た。
“大変ね! 抱っこして頭撫でてやんなさい!”
二度、読み直した。読み直してから、未だうなされる景清を振り返った。……抱っこする? あれを? なんで?
しかし、一旦起こしてやるのは手だろう。曽根崎は景清の近くまで戻ると、ポンポンと肩を叩いた。
「……あ……そねざき、さん……?」
繰り返していると、うっすらと景清の目が開いた。汗でぐっしょりとしている前髪を払い、頷いてやる。
「大丈夫か? 酷くうなされていたが」
「そねざき、さん。……そねざきさん」
「ん?」
「ブルァッ!」
「がふっ」
腹部を抉り抜くようなパンチをくらった。……なんか前もあったな、こんなこと。確かなデジャヴに戸惑っていると、彼はべしべしと周囲の布団を叩き始めた。どうも寝ぼけているらしい。いや、それだけじゃなく……。
(な、泣いてる?)
よほど怖い夢を見たのだろうか。頬に伝う一筋と、鼻をすする音。声をかけるべきなのだろうが、こうも暴れられては正直どうしていいかわからない。声をかけあぐねていると、突然景清の動きが止まった。
「ぶぇ、びゃ……ばるぅぼびゅみぇ……」
敷布団と顔の隙間から、異様過ぎる泣き声が聞こえてきた。彼は極端に泣き方が下手なのである。ほんの数秒迷ったが、曽根崎はそろそろと景清の背中を撫でてやった。
「だ、大丈夫か、景清君。しっかりしろ」
「んぎゅぬぅ……」
「んぎゅぬぅ?」
「ぶぇ……そ、そね……ごめ、さ……」
謎の嗚咽を混ぜながら、ぎゅっとシーツを掴んだ景清は声を震わせる。
「いたかった、ですよね……ごめんなさい、そねざきさん……」
「……」
「ぼくのせい、で……ごめ……なさ……」
泣きじゃくる青年にしばらくポカンとしていた曽根崎だったが、ふと腑に落ちた。――ああ、そうか。彼は、私が自害する光景を夢に見ていたのか。
深く長いため息をつく。お人好しもここまで来ると呆れたものだ。その回数分、自分も殺されているというのに。
「ごめんなさい。ごめ、なさ……」
夢現の景清は、なおも謝るのをやめない。しかし曽根崎は、そんな彼を前にしてもどう慰めるべきか全く分からないでいた。そもそも「ごめんなさい」と言うのがおかしいのである。自分が決断して行動しただけのことに、よもや危害を加えられた側が謝るとは。「何故自分を殺したんだ」と怒ってくれたほうがまだ理解できる。
(……そう。理解はできない、が)
見下ろした震える背中に。完全別個の存在に、曽根崎は不思議な感情が湧き上がるのを感じていた。
(君は、そう思ったんだな)
景清の背中に置かれた手が、トントンと優しく動く。まるで、親が幼子にそうするかのように。
「――」
そうして曽根崎が口にしたのは、呪文でもなんでもない、ただの子守唄だった。
「――。――」
果てを忘れて広がる夜の片隅で、異国の歌が紡がれる。涙の混じる景清の声も段々と収まっていき、やがて静かな寝息へと変わった。
波のようなテノールの歌声は、幸いを願うたった一人へと注がれる。腕が疲れる前に歌が終わるといいが、と男は少しだけ考えた。
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