10 周りの人
しかし悲しいかな、烏丸先生の返事はすげないものだった。
「ああ? 約束の時間まで引きこもってろっての? ヤだよ、僕仕事しなきゃなんねーのに」
「で、でも、それまでに先生が襲われるかもしれなくて」
「急ぎの手術も入ってっから無理よ。患者を我が身可愛さに見逃せっか」
「ううっ」
立派な医師である。けれど、なんとか僕らが先生の邪魔にならない程度にボディガードをするということで話を決着させることができた。
「だからあのセンセに話しても無駄だって言ったのに」
「言ってませんよね?」
後出しジャンケンで言いやがったので、曽根崎さんの尻を強めに蹴っておく。こうなりゃ急いで病院に行き、烏丸先生を見張らなければならない。
あ、でもその前に……。
「服を替えてきてもいいですか? すぐ家に帰ると思ってたんで、昨日のままなんですよ」
「いいよ。っていうか事務所(ここ)に置いてるのか、着替え」
「はい、実は急な泊まり込みに備えて普段から用意してました。下着も二着ほど置いてますし、歯ブラシの替えも……」
「知らなかった。結構景清君に侵食されてたんだな、うちの事務所」
備えあれば憂いなしと言うではないか。僕は間違ってないぞ。
スマートフォンでタクシーを手配しつつ、僕は着替えるためにそそくさと給湯室へと向かったのである。
「……そうか。私の投げた石は見つかったか」
病院の食堂にて、曽根崎さんは誰かと電話で話していた。烏丸先生は手術に入ったので、流石にその間は襲われることはないだろうとふんだ為である。
「うん、中には入らずにそこで引き返してくれ。だが念の為、昨日とは変わった場所は無いか調べて欲しい。暗号のようなものが付近に描かれていないかとか、何らかのシミとか。可能であればちょっと壁を叩いてみたりとか……あ、はい、黙ります。ごめんなさい」
なんか立場弱いな。相手は弟さんだろうか。
「……分かった。それも一応写真を撮って送ってくれ。併せて周辺の店への聞き込みも頼む。後で合流しよう。……うん、よろしく」
そして電話を切った曽根崎さんが、こちらにやってきた。「阿蘇さんですか?」と聞くと、彼は椅子にどかりと腰掛けてから頷いた。
「君が昨日見つけてくれたビルが怪しかったからな。調べてもらっていたんだよ」
「え、トマトの窓の?」
「トマトかどうかは定かじゃないが」
オムライスを前にデリカシーの欠けた発言をするオッサンに、スプーンを持ったまま固まる。……そりゃ、僕だってあれがトマトじゃない可能性ぐらい想定してるよ。でも言うな。それを。今。
「でもあのビルが人喰いスナックなんですか? あんまお店っぽくなかったですけど……」
「現段階では不確定事項だな。しかし可能性は高いと睨んでいる」
「確かめる方法は?」
「今は痕跡を探るしかない。もっとも、もし君が今すぐに知りたいと言うなら、忠助にドアをぶち破ってもらう手もあるが」
「ダメですダメですダメです」
「そうか。なら地道に調査していこう」
そう言いながら、奴は僕のオムライスについた旗を勝手に外す。こっちのタイミングでさせてほしい。
「で、忠助が調べてくれたんだがな。今回の件に反社会的勢力が関わっている可能性は低いらしいぞ」
「そうなんですか?」
「うん。むしろ彼らも不気味がってるらしい。実は行方不明者の一人がソッチ系の者でな、報復すべきか近づかんようにすべきかで組織内で意見が割れてるそうだ」
「その行方不明者って、こちらのコワモテの方ですよね」
「ああそうそう、この写真の……っておい。なんで君のスマートフォンに捜査資料が入ってんだよ」
鋭い目に睨まれる。ここでようやく僕は自分の軽率さに思い至り、「あ」と固まった。
「す、すいません。こうしておいたら外でも見られるかなって……」
「捜査に尽力する姿勢は褒められるべきだが、勝手に資料を外部端末で持ち出すのは感心しないぞ。無論、こういった類の取り扱いについて君への説明を怠っていた私にも非はあるがな。以後は事前に許可を取るように」
「はい、ごめんなさい」
「ふふん、そうしょげるな。君はこれからもうちにいるんだ。一つずつ学んでいけばいい」
オムライスの旗を指に挟んで、ふんぞり返る曽根崎さんである。……この人、僕が将来的に事務所で働くからって上司風吹かしてるな。そう思ったけど、やらかしてしまったことには違いない。ため息をつきつつ、早速スマートフォンの画像を消そうとした。
だけど、「あれ」と夕菊さんの資料に目を止める。
「例の幽霊さん、僕と同じ高校出身なんですね」
「おやそうなのか。知った顔か?」
「いいえ。歳は向こうのが七つ上ですし、接点はありませんけど」
「なんだ」
「でもこういうことを知ると親近感が湧いてきません? なんか遠かった人が身近になるっていうか」
「全然」
「あー、アンタに言っても無駄でしたね。ほんとそういう方面の情緒無いんだから」
ぱくぱくとオムライスを食べる。向かいの曽根崎さんは、ずずずと味噌汁を飲む。彼のトレイには、スープだのゼリーだのお腹に溜まらなさそうなものばかりが選ばれていた。
「しかし、今回の君は何かと気がつくよなぁ」
「何がです?」最後の一口を口に放り込みながら、尋ねる。
「“幽霊”が部屋に来たことに気づいたり、トマトのビルだったりだよ。つくづく君を連れていて良かったと思う」
「そ、そんな。どっちも偶然ですよ。特に幽霊さんの方は、曽根崎さんも話し込んでましたし」
話していると、僕の二つ隣の席のおじさんが立ち上がった。まっすぐ食器返却所まで行くその人を、曽根崎さんは何故かしばらく目で追っている。
「どうしました?」
「……君、さっき席を立っていった人の特徴を言えるか?」
「え? えーと……四、五十ぐらいの男性ですよね? 黒のポロシャツを着ていて、そんで角刈りで……」
「おー、よく見てるもんだ。上出来上出来」
「なんですか一体」
「ん、ちょっとな」
思わせぶりなオッサンである。だがテーブル下で僕に蹴られる事を危惧したのか、すぐに質問の意図を教えてくれた。
「いや何、君がどれほど周りの他人に気を払っているのか知りたくてさ。試してみたんだ」
「気を払ってる? でもついさっきまで近くに座ってた人ですよ。ざっとした容姿ぐらい覚えてませんか?」
「私はそうでもない」
曽根崎さんは、コップの水を一気に飲み干した。
「同じ空間にいるというだけの他人だろ? ンなもんに割く脳のリソースなんざあるか。どうしてそこまで考えなきゃならない? 彼らが自分に危害を加えるわけでもなし、それどころか二度と会わない者が大半だろう。なのに、君は……」
「?」
「……そういう生き方は、疲れやしないか?」
「……」
曽根崎さんの真っ黒な目が、不思議な色を帯びたように見えた。一方僕は彼の言っている意味がよく飲み込めなくて、何も言えないでいた。
「や、すまない、忘れてくれ」そして先に目を逸らしたのは、曽根崎さんの方だった。
「限られた視界から情報を多く得、それを留めておけるのは誰にでもできることじゃないってことだよ。君の利点の一つだ。……私も、大いに助けられている」
……それは、アンタが本当に言いたいことじゃないだろ。そう思ってもう少し深く突っ込もうとしたけど、烏丸先生の手術が終わる時間が来てしまった。
立ち上がった曽根崎さんに、トレイを持ちながらあわあわと続く。それでも僕は、彼に言われた言葉をずっと脳内で反芻させていた。
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