輝夜姫

右左上左右右

(かぐやSF2 応募作品)

大きな大きな世界樹には、いつの頃からか『ウロボッコ』が口をポッカリと開けていました。

『ウロボッコ』はとても腹ペコで、隙有らば空気も星も光も吸い込んでしまいましたが、満腹になることはありませんでした。


「それで『ウロボッコ』はどうなったの?」

「どうもなっていないわ」

小さな子供に絵本を読み聞かせる朗読AIは優しげな声で返し、窓の外に広がる宇宙空間の一点を指差す。

「ただ、いくつにも数を増やして、あちらこちらに存在しているだけ」

指先には其処だけ切り取られた様な闇がポッカリと口を開けている。

「『ブラックホール』と呼ばれています」


絵本によると、世界樹の『ウロボッコ』は世界樹の幹に開いた穴で、世界樹の葉には一枚一枚に存在する全ての人類の産まれてから死ぬまでが書かれ、その人生を終えると葉が落ちるのだという。

何かの拍子で葉が『ウロボッコ』に吸い込まれたなら、その人は人々の記憶からも歴史からも消えてしまう、と絵本は続ける。


「でも、そんなの見たことないよ」

不満げな子供の声に、朗読AIは微笑みで応じた。

「神様が見ておりますよ」


『神様』

監視AIである。

八百万とある端末は各家庭のどこにでもあり、特に『カグツチ』と呼ばれる火元管理AIと『ミズノハ』と呼ばれる水回り管理AIは重要な役割をしている。

人は、いとも簡単にあっさりと死ぬからだ。


「やだなー。見られたくないなー」

長い長い髪の先がコンピューターへと無数に繋がっている子供『カグヤ』がわざとらしく感情を込めて返す。

絵本を放り投げると、本はそのまま掻き消えた。

「あなたは月の神の使いとして将来、天体を観測するのですよ」

星々を観測し、いつどこで人が産まれ、いつどこで誰が死に、災害が起きるか、作物の実り方はどうか、そういった予測を立てるのが、『カグヤ』達の仕事である。

その為の知識共有と教育が絵本という形で朗読AIに寄って行われる。


「やだなー。私も『ウロボッコ』に飲まれちゃえば良いのかなぁ」

「そんな事、冗談でも口に出すべきではありませんよ」

何代目かの『輝夜姫』。

彼女はAIでも人でもない、正真正銘、月の民の生き残り。クローンだった。


さて。

先代『輝夜姫』の寿命が近付いていた。

彼女らの寿命は約500年程。

寿命が近付くと新しい『輝夜姫』が自動的に生成され、代替わりに間に合うよう育てられる。

いっそAIにその仕事をさせれば良いのではと言う声も有ったには有った。しかし上手くいかなかったのだ。統計を取れば良いだけなのだから、AIの方が余程優れているだろうと当時誰もが思ったのだが、『カグヤAI』はその全てを悉く外した。まるで『アマノジャク』ででもあるかのように。仕方無く、今、現在も古臭いクローン技術に頼っているのである。神の領域に土足で踏み込み、神に見放された人類は、神を作り上げたのだ。


「…でも…」


勉強の時間を終え朗読AIが消えると、『カグヤ』はコンピューターに繋がれた髪を、頭を振って乱暴に引き剥がした。

「見てみないと本当かどうかなんてわからないよね」

窓に貼り付き、外を眺める。

宇宙空間には空気が無い。

空気がなければ生き物は生きられない。

しかし、月の民は神の傍系である。

その限りでは無い。筈である。

この後は、湯浴みの時間、食事の時間、そして睡眠。

彼女はそれらを無視して、世界樹を、その『ウロボッコ』を探そうと決意していた。

全てを飲み込む『ウロボッコ』。

飲み込まれたら何もかもから自由になれる『ウロボッコ』。

消えてしまうだけなのか。

それとも……。

目下に青く光る地球には『輝夜姫』に運命を託す多くの地球人が居ると言う。

それすらも本当かどうかなんて『カグヤ』にはわからない。

「そういえば、今の『姫』ってどこに住んでるのかな?」

答えが帰ってこないのはわかり込みで、そう、呟いた。


子供というのは総じて気が短いものである。

それは、生きてきた時間が短い為、彼らにとっては充分な時間だと感じるのだろう。

そしてそれは『カグヤ』にとっても同じ事であった。

思い立ったが早いが15分もしない内に彼女は船外へと出ていた。

1つ間違えば命の危険すらも有ったと言うのに、宇宙空間で生きていられる保証も無かったと言うのに、衝動的に宇宙の真ん中へと自ら飛び出したのである。

AIが何もしなかったわけではない。必死に止めようと試みた。だが月の民の力を未熟ながらもふるう彼女がその気になればAIなど何の障害にもならない。

本物の神の力には偽物の神の力はどうもしようもなく無力だ。

はたして、幼き月の民は宇宙空間へと自らの身体を放り出した。


するすると宇宙空間を滑るように動いていく。

初めての解放感に面白がって手足をバタつかせている、と、すぐ後ろを追いかけてくる追尾式無人小型機に気付いた。

恐らく「止まれ」とか「戻れ」とか言うのだろう。

小型機からアームが此方へと伸びる。

『カグヤ』は渋面を作り舌を出して見せた。

「ヤ、だよ!」

瞬間、小型機は、全てのコンピューターは、彼女の姿を見失った。

太陽系に所狭しと張り巡らされたネットワークを、その画像を、物凄い勢いでチェックする。

が。

その何処にも。太陽系の何処にも、幼き月の民の姿を見る事は出来なかった。


『カグヤ』が、あっかんべをしたその時、彼女が望んだのは「神様に見られたくない」だった。

AIによる監視を拒んだ。

が故のソレは、地球では瞬間移動と呼ばれるモノ。

絶えて久しい本物の神の力の一部。

彼女が跳んだのは、それこそ無意識だったのだろう、ふかふかの葉でできた大地へと、落ちた。

重力が、あった。

葉の中からじたばたと這い出ると、目の前に大木があり、見上げれば、長い白銀の髪の老婆が葉を一枚一枚丁寧に拭いている。

『姫』だ。

『姫』がゆっくりと振り返った。

『カグヤ』の身に緊張が走る。

ここでAIに報告でもされたら連れ戻されてしまう。

が。

『姫』は舞うように降り立つと徐に口を開いた。

「いらっしゃい、小さな私」

「『姫』?」

「私はあなたが来る事を知っていました。そしてあなたが何を恐れているかを知っています」

「なぜ?」

「私は、私達はあなただからです」

『姫』の言うことは幼い『カグヤ』には難しい。

『カグヤ』を抱き上げると、『姫』はふわりと浮かんだ。

「葉は落ち、落ちた葉を養分にして木は育ち、また葉をつけます。落ちた葉の情報が吸い上げられ、似た情報を持つ葉をつけます。これが輪廻です」

「むー?」

「私達の関係と似ています。私はあと50年ももたないでしょう。そして、その頃にはあなたは一人前の月の民になっている…しかし…」


『姫』は深く深く溜め息をついた。


「私達は歪み過ぎてしまった」


世界樹の周囲は、何も無かった。

ただ、世界樹と『姫』、そして今は『カグヤ』だけがその世界に存在しているようだった。


「『ウロボッコ』が見たいのでしょう?」

見たくないと言えば嘘になる。

『姫』は、服を掴んだ『カグヤ』の手にその手を重ねる。

『輝夜姫』はその死ぬ直前に記憶を受け継ぐのだ。

まだ存命の『姫』の記憶は、連綿と受け継がれた膨大な記憶は未だ、幼い『カグヤ』には分け与えられていない。


「私達は死後、『ウロボッコ』へと飲み込まれます」


暗く、黒く、口を広げた虚無。

あれ程見たかった『ウロボッコ』が今、目の前に広がっていた。

「アレはずっとずっとお腹を空かせているのです。お腹を空かせて泣いている可哀想な子なのです」

永遠の飢餓とは一体何なのだろうか?

『カグヤ』にも『姫』にも空腹の観念が無い。

食事の真似事はした事があるが、そも必要が無いのだ。

彼女らに空腹の故の飢餓は理解できぬ。

できぬが、どうにも憐れに思い、自らの身を投げ続けてきた。

その歴代『姫』の心が、歪みが、今の幼い『カグヤ』を突き動かすのだろうか?

「『姫』、『カグヤ』を『ウロボッコ』に落としてほしいの」

懇願する幼い『自分』を老齢した『自分』が見下ろす。

そうだ。

長い間、ずっとずっとあの『ウロボッコ』に飲み込まれたかったのだ。

あの『ウロボッコ』に飲み込まれ、この輪から逃れたかった。

あの『ウロボッコ』に飲み込まれ、少しでもあの子の飢餓を癒したかった。

「『輝夜姫』の記憶の無いおまえを?」

「『輝夜姫』の記憶の無いわたしだから」

邪魔をするものは何も居ない。

幼い『カグヤ』は『姫』の腕を逃れてするりと『ウロボッコ』へ吸い込まれて行った。


真っ暗な真っ暗な光も届かぬ穴の中、不意に多くの『輝夜姫』達の姿が入れ替わり立ち替わり現れては消える。

と、何時間、何日、何年経っただろう?

落ち続ける足元に、小さな小さな獣がいた。

泣きじゃくり丸まる黒い獣が。

「おまえはなに?」

声をかけると、獣が顔を上げた。

「おまえはなに?」

丸きり同じ言葉を返してくる。

「おまえは『ウロボッコ』?」

「おまえは『ウロボッコ』?」

「わたしは『カグヤ』」

「わたしは『カグヤ』」

今まで死んだモノしか吸い込んで来なかった『ウロボッコ』の初めての『生きたモノ』。

ウロボッコが吸い込む時の圧縮に『物質』は耐えられない。

寂しくて空腹で切なくて吸い込んでも誰も辿り着けなかった『ウロボッコ』へ。

「やっと逢えた」

「やっと、あえた」

闇しか無い世界に、月の光がほのかに灯った。


『カグヤ』が飲み込まれた後、世界は次の『カグヤ』を目覚めさせていた。

歴史から消えたあの幼い『カグヤ』の事は既に何処にも記録が残っていない。

ただ、『輝夜姫』の記憶にだけ残り、そして連綿と受け継がれて行く。


あと50年。


『姫』はひっそりと溜め息をついた。

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