私の騎士

 崖近くでミスティとナイカがもみ合っているのが分かる。

 私は私のできることをしなければ。

 叫ぼうとしても気道がきつく絞まって声が出ない。私は立ち止まり、縮こまった肺を無理やり開き腹に力を入れる。


「レト! 早く来て! 私はここにいるわ!」


 レトもこちらに向かっている、大声を出せば聞こえるはずだ。


「ミスティを助けて!  竜に襲われているの――ああ、もう、私、逃げる以外に何もすることはないの?」


何の兆候もない自分の腹部に手を当てて、また走り出す。


(本当に、ここに命がいるの?)


 寝耳に水だが、まずは皆の無事が先だ。レトまでもう少し。


「クララベル様!」


 レトがいつも以上にすごい速さでこちらに駆けてきた。

 ミスティの気配は、まだナイカとともにある。レトは私の手を引くと、すぐさまミスティの方角へ向かう。


「駄目よ。私を狙っているの。私がいると、ミスティが動けなくて、ヨミヤの竜の思うつぼなのよ」

「いえ。私がいて姫様が害されることなどありえません。行きますよ。案内してください」


 レトには迷いがない。絶対の自信が心強い。

 レトの判断は、いつも間違いがない。


「こっちよ。早く来て」


 レトは私が指さす方を見て、間に合わないと思ったのか、蔦の張った木を登り、奪ってきた弓矢を構える。

 普通だったらそんな長距離で弓を打てるはずがない。でも、私のレトは違う。


「姫様、方角を指差してください。敵が捕捉できません」

「あっちよ!」


 私が伸び上がって気配の方を指差すと、レトは目を眇めて狙いを定める。


「ああ、いますね。あの長髪が敵――」

「そうよ! 助けて!」


 レトなら大丈夫。レトなら。

 ぎゅっと手を組み合わせて祈る。

 レトは吐く息を途中で止めると、つがえた矢を放った。ニ射、三射と、立て続けに矢を放つ。


「レト……?」

「刃物を出したので、射ました。敵に当たりましたが、足だけでしたので、ミスティさんがうまく逃げてくれればいいのですが」


 息も乱さずに木から降りてくると、また私の手を引いて速足で歩きはじめる。


「先に行ってちょうだい。私に合わせると遅くなるわ。先にミスティの無事を確認して。もう他に人の気配はないわ」


 微々たる力しか持たないことがつらい。いつも誰かに助けられてばかり。

 これ以上、誰の足手纏いにもなりたくないのだ。


「私にも、レトのような大きな力があったのなら……」


 唇を噛み締める私に、レトはあざやかな笑顔を浮かべた。


「クララベル様は、私という最強の武器をお持ちです。この力では足りませんか? お心のままに、ご命令ください、殿下」


 私は長年、この騎士に守られてきた。父に命じられたことかもしれないけれど、そこには無償とも呼べる愛があった。

 私は寂しかったけれど、いつだって、たった一人ではなかった。



「レト、ミスティを守って。私の大切な人なの。つ、番、なのかも……」

「やっとですか。私もそう思いますよ」


 レトは力強く頷く。


「私は、竜ではありませんが、一目見て仕える主を決めました。姫様こそ、私の剣を捧げるお方。直感に間違いはございませんでした」


 レトは身を翻して、ミスティを目指し矢のように走る。


「先にまいります。お気をつけて」


 大丈夫、私の騎士は強い。




 *




 二人がもみ合っていた場所まで戻ってみると、ナイカが倒れていた。

 矢が折られている。弓も使い物にならないように破壊されていた。レトがやったのだろう。

 レトが射た矢が正確に脹脛と足首を貫通していて、足かせになったのがわかる。あの距離で足だけを狙うことができるレトは普通ではない。


 さらにナイカは足の腱を斬られて、両腕も折られているようだった。縄を打つ時間が無かったのだろう、どこにも逃げようのない徹底的な無力化だ。

 ゆっくりと血が流れていて、ぐったりとしているが、息はあるようだ。


「ミスティをどうしたの?」


 荒く息をするナイカに遠巻きに声をかけると、ナイカはうっすらと目を開ける。いまいましげに私を睨むその目は、血を流したように赤い。

 念のため護身用の小刀の位置を確かめながら、十分に距離を取りながら話しかける。


「いまいましいカヤロナめ」

「それはもう十分にわかりました。バロッキーがカヤロナを番にして、あなた方から去ったのでしたっけ? それを恨んでいるのよね」

「よりにもよって、番が何かもしらないようなカヤロナに……我々は」


 ナイカが歯を鳴らす。竜に視線で人を殺すような力がなくて良かった。真正面からぶつけられる敵意に鳥肌が立つ。


「失礼ね。私、今は番がどういうものなのか、多少はわかるわ」

「小娘が……偉そうに。退けられた竜の苦しみが分かるものか」

「そんなのは、わからない。でも――」


 目の前の男が母の仇だということがわかっても、なんだかピンとこない。

 こんなときに私の脳裏をよぎったのは、バロッキー家の人々の顔だった。

 あきれ顔だったり、怒り顔だったり、憐憫だったり、柔らかな笑みだったり、迫害した側の私に向けられたものは敵意ではなかった。

 番いを持つ竜は、だれもが愛情深い。

 相手に向ける視線は、番の存在そのものを喜ぶものだ。あれこそが竜の番への愛だ。

 それはきっと、私の中にもある。


「――バロッキーの竜の愛は、あなた方の思う愛とは違うと思う。相手が愛するものを破壊するようなのは、愛じゃない」

 

 母がいなくて寂しかったけれど、私は一人きりじゃなかった。

 私が信じる愛だって、なんの説得力もない。ただ私がそうだと思うだけ。

 しかし、それが外れているとも思えない。


「ヨミヤの愛を否定しようというのか? ヨミヤはありとあらゆることをして、バロッキーを守ろうとした――それなのに、立ちふさがったのはバロッキーだった。我々は完全に捨てられた。それでもバロッキーを愛しいと思う」

「え……」


 ナイカの言葉に引っかかりを感じて、首を傾げる。

 ナイカがやるべきことは、今の世でカヤロナを排除することだっただろうか。

 考えがまとまる前に、ナイカはさらに苦しみを吐き出す。


「お前には町に潜み、ひたすらこの目を隠して生きることが、どれほどつらいかわかるまい。せめてバロッキーと共にあることが許されれば、先祖もやすらいだはずなのに。お前らはぬくぬくとバロッキーに守られて。バロッキーの守護までが、なぜカヤロナを……」

「うるさいわね! バロッキーが守るために王権を渡したなんて、こちらが驚いているわ。カヤロナ家だって、さっさとそんなことを止めさせればよかったのよ」


 そうすれば、父様や母様は苦しまずに済んだ。愛し愛される、ただの仲の良い家族として存在したかもしれないのだ。


「愚かな者たちめ、愛されなかった我々の深い悲しみを知るがいい」

「十分知ったわ。私だって、母様を失って、うんざりするくらい寂しい思いをしたのよ! できれば、もっと別のやり方にしてくれたらよかった。そうしたら――ちょっとまって」


 今の世で、カヤロナ家とバロッキー家が番だとは思えない。

 ナイカがバロッキーにそれほどこだわって、愛されたいと望むなら、屋敷の門を叩くだけでよかった。

 もちろんカヤロナは早く竜に対する偏見の改善に着手するべきだ。でも、カヤロナを排除するのではなくて、ナイカが望むなら、バロッキーに積極的にかかわって誰か籠絡すればよかったのだ。

 私がそうしたように。ルミレス辺りは軽薄だし、友達くらいにはなってくれたはずだ。

 

「そうよ! あなたも、バロッキー家に招いて貰えばよかったのよ! 押し掛けて無理難題をもちかけても、お茶ぐらい出たわ! そうじゃなければ、ヒースみたいにバロッキーに保護して貰えばよかった。遠くから見てないで、手土産でも持って、こんにちはって挨拶すればよかったの。バロッキーは外から来るものを、誰も拒んでいないわ」


 口に出してみて、我ながら噴飯ものの解決法だとは思った。

 でも、わかりやすい好意をバロッキーの竜たちが、邪険にするはずがない。


「なん、だと……」


 ナイカの竜の気配が急にしぼむ。


「とにかく、どんな理由があったとしても、あなた方には罪を償ってもらう。ことを公にして、バロッキーの汚名をそそぐわ。これからは竜に悪評がつきまとっては困るの。ヨミヤだって、闇だなんて言って隠れていられないようにしてやるんだから!」


 私が叫んでいる間に、ナイカはぐったりと意識を手放した。ギリギリ死んでいないのはレトらしいやり方だ。


「もう、カヤロナはバロッキーに守られる存在でいるわけにはいかないのよ。こんな馬鹿な事、もうやめないと」


 レトとミスティが見当たらない。

 見ると崖の方に血の跡が続いている。

 

 地面に染み込む赤に、身がふるえた。


「大丈夫、二人の気配はあるわ。レトと居るのだから大丈夫。あなたのお父様は無事よ。大丈夫だから……そこにいるなら、力を貸して頂戴」


 実感はないけれど、いたら心強いと、お腹に話しかけながら、崖下を覗き込む。

 

 崖下を見てみれば、ミスティを助け起こすレトの姿がある。

 どうにかして下まで降りなければ。ミスティが伝って降りようとしていた梯子は片方が切られていて、私の力ではどうにもならない。

 レトだって下まで降りたのだ。どこからか降りられる場所があるのかもしれない。


 私はミスティの気配めがけて走り出す。

 本能的に崖とは逆の道をいく。ミスティの所へ向かうのだと思うと、草や木々が私を避けて道を作っているようにみえる。

 自然と足さばきが冴え、これがミスティに続く道だとわかった。

 


(ミスティの気配ばかりが際立つ――そうか、これがミスティが私の護衛に付けられた意味だったのだ……)


 今更知っても、今は苛立ちしかない。

 一刻も早く、ミスティのもとへ――。




 茂みから飛び出してきた私に驚いて、レトは目を丸くした。

 レトの傍にはミスティが横たわっている。私が来たのが分かったのか、うっすらと目を開けて、また閉じる。


「ミスティ!」

「姫様、国境を越えてしまいましたね。すぐに戻らなくてはいけません。ミスティさんは軽症ですから、治療はマルス殿に任せましょう」


 そうだった、身分のある私やレトが断りもなく国境を侵せば国際的な問題が生じる。

 王女の私がここにいてはまずい。

 ミスティの安全を考えると、シュロとどんな話をすればいいのかすぐさま頭に浮かぶ。


「いいえ、私はここにいるわ。何かあれば私が責任を取ります。フォレー家にも怪我人がいると知らせて」


 大丈夫だ。私が引き起こしたことだ。問題となっても、自力でシュロと交渉する用意がある。


「わかりました。では、私は一度戻って賊を連行できるようにして参ります。あの竜に話を聞く前に死なれては困ります」


「わかったわ、行って――ねぇ、ミスティはこんなに血だらけで……本当に軽症なの?」

「大丈夫です。多少折れたようですが、頭は打っていません。姫様、少々預かっていただけますか? もう少しするとマルス殿がやってくるはずです」

「でも、血がたくさん出ているわ」

「ミスティさんが無事かどうかは、姫様の方がお分かりになるでしょう?」

「……そうだけど」


 レトは瀕死のナイカに縄を打つために、片方が外れて、細く頼りなく垂れ下がる縄梯子を握ると、するすると登っていく。

 私はあの日のように、ミスティと二人残された。

 


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