【俺は死人になる】

「なんだよ、俺が番に対して暴走したとでも思ってる?」


 俺はすんでのところで、心の内をぶちまけるのを踏みとどまった。

 探りを入れてみれば、クララベルは口をとがらせて少し視線をそらす。


「何度も試したし、私が番じゃないのはわかってるの。番じゃないけど、私のことが好きだったら辻褄が合うなって思っただけ」

「まあ、確かに」

 

 俺が番だったほうがいいような口ぶりにそわそわさせられていると、クララベルはぐっと拳を握って、俺の方を睨みつける。

 

「私は……ミスティのこと、好きよ……ちょっとは! いじっぱりで、素直じゃなくて、意地悪で、口も悪いけど、一緒にいて苦にならないし。私がミスティの番だったらよかったのにって思うわ」

「は? それ、好きって言いながら、俺のいい所は挙げてないよな」

 

 すごく大切な事を言われたのに、俺はいつも通りに憎まれ口で返してしまった。

 だけど、好きだと言われて、さっそく竜がのたうち回っている。

 一瞬でも気を抜けばクララベルに襲いかかりそうで、睨んでくるクララベルに負けないようにと、ぐっと眉間に力を入れる。

 

 好きだと言われて嬉しいけれど、俺のは「好き」なんて可愛らしいものじゃない

 醜く凝り固まった執着だ。

 口にすればもう後戻りはできない。


(ちょっとまて、今、番だったらよかったのにって言った?)


 反芻してすっかり慌ててしまう。こいつ、とんでもないことを言った。


「――いや、ほら、俺の気持ちは、ちょっと当てはまる言葉がないっていうか……」


 暴走しないように慎重に答えていると、クララベルは耳まで赤くして拳を震わせる。恥ずかしくなってきたのか、俺の態度にいらいらしてるのか――たぶんどちらもだ。


「なによ、意地を張らないで、好きだって言えばいいじゃない! 大好きなクララベルが心配すぎて、余計なことしちゃいましたって謝るなら、少しは殴る時に手加減してあげるのに」

「おまえな……」

 

 そうか、クララベルは俺が好きなのか。言葉では理解できるけれど、どう受け止めていいのかわからない。


 もちろん俺と同じではないのは知っているけど、言葉にされるとこんなに嬉しい。

 抱きしめたいのを我慢して、生意気に胸を張るクララベルの鼻を指で弾く。


「いたっ! 痛いわよ。そうだった、私が叩くんだったわ! とにかく大変だったのよ。あんたたちが私をサンドライン家に行かせない企みをしたせいで、立ち聞きしたユーノから不倫の申し込みまでされたんだから!」

「なんだよそれ、勘違いしたユーノが悪いだろ。あとは二股野郎のダグラスが悪い。俺は俺のやりたいようにやってただけだ」

 

 そこに関しては自分の考えを曲げるつもりはない。

 心が二つあるなんておかしい。

 こんな気持ち、二つも持ってたら間違いなく狂う。


「ふーん、それって、つまり、私が幸せならそれで良いってこと?」

「いや、もっと最低だ。俺が満足ならそれでいいと思ってた。クララベルの気持ちとか二の次でさ。俺、オリバーが嫌いなんだ」


 クララベルはオリバーが話の中心に来て、鼻に皺を寄せた。


「やっぱり一度引っ叩いた方がよさそうね」

「そうだな。高尚な志をお持ちの殿下には、俺たちの気持ちはわからないだろうけど」

「分かり合えないなら仕方ないわ。歯を食いしばりなさい。じゃないと、口の中を切るわよ」

 

 クララベルはぐっと拳をにぎりこむ。俺がやった安物の石が銀の台座に嵌っている。

 

「おい、指輪をつけたまま殴るつもりかよ――もっと小さい石にしておけばよかった」

 

 まあまあのゲガをするかもしれないが、密かに計画してきた勝手な企みは、殴られてもしかたないことだった。

 俺は覚悟を決めて目をぎゅっと閉じる。

 今、痛みがあれば、クララベルの言葉に踊り狂っている竜の血も少しは冷えるかも知れない。

 

 しかし、なかなかクララベルの拳はやってこない。

 

「どうした、殴ればいいだろ……」

「ええ、覚悟なさい」


 ぎゅっと身を縮めると、ペチリとちっとも痛くない強さで挟まれるように頬を叩かれて、そのまま口付けられた。

 

「った、……な……」

 

 柔らかい唇に追い縋るように無意識に手が伸びる。全然情緒が追いつかない。

 

「どう? 本当に殴られると思った?」


 び、びっくりした。


 びっくりしすぎて目を開けられない。

 俺は仰向けにベッドに倒れ込んで、動悸を押し戻すように掌で目を覆う。


「本当に、指輪の石で殴られるかとおもった……」

「そんな暴力振るわないわよ。ミスティなんて、絵の他は顔だけが取り柄でしょ。まだフォレー夫妻の前での演技が控えているのに、顔に傷をつけられないわ。それに、ヘラが貶してたけど、私はこの石、けっこう気に入ってるの」


 いくらかおさまって、薄目を開ければ、クララベルが西日に石をかざして眺めている。

 

「ああ、そうかよ」


 憎まれ口を叩いているけれど、クララベルは俺が好きなのだ。そう思うと、頭がおかしくなりそうだ。


「私の細腕をそんなに恐れるなんて、レトが知ったら鍛錬が足りないって叱られるわよ」

 

 クララベルはひとしきり笑って、俺に覆いかぶさって、くしゃくしゃと頭を撫でる。

 犬を撫でるみたいな撫で方だといつも思っていたけれど、俺はこの撫で方でいい。これがいい。


「ミスティ、あのね。私、フォレー領に行かないわ。サンドライン領にもよ。降嫁はしない。どうにかして、城に残るつもり」

 

 クララベルは何かを決心したように俺に告げる。

 

「お前の一存では決められないんだろ。そんなんだったら俺だって、こんな馬鹿なことしなかった」

「ふぅん、馬鹿な事っていう自覚はあったわけね。――ミスティには言ってなかったけれど、私、わがままを通すために父様と取引する材料があるの。それに、父様は私の望まない結婚を申し付けるようなことはしないかもしれないわ」 

「そんなの、当てになるのかよ」


 取引材料だなんて半信半疑だが、クララベルの父親は確かに酷い結婚を娘に押し付けるようなことはしないのかもしれない。クララベルが自らサンドライン家に行かないというのなら、それはそれで一つ心配事が減る。


「今まで独りだと思ってたけど、世界はもう少し私に優しかったかもしれないなって思って。ねぇ、レトが父さまの騎士だって、知ってた? だったら、きっとジェームズを私に付けたのも父様ね。バロッキーとの結婚を推したのも、別の意味があったのかも」

「そうか? 単にバロッキーの資金を期待したからじゃないのか?」

「そうね、それは事実だと思うけど。ちゃんと父さまと話をしなければいけないかも」


 クララベルは困った顔をして、俺の髪をわしゃわしゃと撫で続ける。ついに、長いこと独りで放置された理由を聞くつもりなのだろう。

 でも、怖いのだ。クララベルの不安が伝わってきて、俺の髪を掴む華奢な手を握り込む。

 

「それでね、ミスティにお願いがあるの。私、誰にも心配されないように、ちゃんと幸せに生きるから……もう何もしないで」


 強い意志の見える眼差しで、俺の顔を覗き込む。

 俺は突き放されているのが分かるのに、遮ることもできずに、クララベルを脳裏に焼き付けつづけた。


「一人で無茶をしないわ。ミスティがいなくなった後も、バロッキーかサリに頼るし、ダグラスに相談したりする。とにかく、意にそぐわない結婚でしか生きていけないような間抜けな事にはならないから。ミスティは、後ろを振り返らないで行って」


 額に優しく唇を寄せられて、お別れの言葉を告げられる。

 

「私、ミスティに守ってもらわなくても大丈夫」


 俺はクララベルを見上げた。

 背後から夕方の光が差して、輪郭をぼかしている。

 目を細めて笑う顔は、少し唇が歪んでお姫様らしくはないが、俺の知っているどの表情より美しい。


「ミスティが最初で最後の夫でもいいわ。だから、私をどこかにやろうとしないで」


 確かにそれはさっきの俺の願望通りの言葉だった。だけど、俺が欲しかった言葉のようで、まるで違う。

 

「これから先もね、ミスティが夫だって主張しながら暮らすわ。わがままで手に入れたバロッキーの夫に操を立てて降嫁もしないの。市井が好みそうな悲恋でいいじゃない? 私、城下で人気が出るかもしれないわ。その人気で後家の地位を確立してみせるから」

「それは、逞しいな……」


 クララベルが語る俺の去った後の世界は、光に満ちていた。

 クララベルが奮闘しながら未来を切り開く姿が、今度ははっきりと見える。


「今は、昔とちがってひとりぼっちじゃないわ。バロッキーに出入りするつもりだし、エミリアの仕事に混ぜてもらうこともあるかも。城にいるならレトとも離れないでいられるし。レトにベリル家に連れて行ってもらうこともあるかも」


「なんか、俺、変な気分なんだけど……」


 俺は感嘆のため息を長く細く吐く。

 幽霊になってクララベルが暮らしているのを覗き見たような気持ちになって、泣きそうになる。

  


「ミスティは死ぬわけじゃないのに、死人の気持ちになってしまったんじゃない? 残された者はどうするんだろう、その空間をどう埋めようって……」

「そうかな?」

「馬鹿ね。死人はそれを考えなくてもいいのよ」


 クララベルは心配したのか、方眉を上げて俺の頬を撫でる。 


「ミスティ無しでも世界は廻るの。ミスティのいない世界をどうしていくか考えるのは私たちで、ミスティが考えるべきは死後の世界よ。死んだ後に面白おかしく暮らすことを考えるの」

 

 俺は誰かと死に別れた事がない。

 クララベルは母を失って、それでも廻る世界を知っている。


 クララベルの言葉は重い。

 クララベルの隣にもう一つ穴があく。小さな穴か大きな穴かはわからないが、俺が埋まっていた穴だ。

 それを再び塞ぐのは俺じゃない。


「ミスティは私に充分なものを残したわ。バロッキーやフォレー領との繋がりとか、サンドラインに恩を売れたのもそう。あとは、そうね、素晴らしい絵を描いたわ。私、それを見ながらミスティを思い出して懐かしがるの」


 クララベルが泣き笑いの表情で俺の頬を撫でるから、俺はもっと死人になったような気持ちになった。


「母さまの時と同じよ。ただ会えなくなるだけ。でも、今度のほうがずっと気が楽。ちゃんとお別れを言えるもの。どこかにはいるんだなって考えることもできるし。大丈夫。ミスティが残念に思うくらい楽しく暮らすから」


「そうか――俺は死ぬんだな」

 

「そう。生まれ変わって、新しい地で素晴らしい絵を描くわ」


 そうだ。俺は後の半生、画家としての成功することでしかクララベルを喜ばすことはできないんだ。

 それがなんだから。


 俺は体を起こすとクララベルを抱きしめた。

 死人になる前に言っておくことがあった。

 

「クララベル、色々勝手してごめん。大好きだったよ……幸せでいて。出来ればずっと」


 祈るように告げると、同じ強さでクララベルも抱きついてくる。

 この温もりを失うのは、本当に死ぬのと変わりないな。


「ありがとう。さよならね。時々手紙くらい欲しいわ」

「さすがに、ちょっと気が早くない?」

「だって、手紙も寄越さないつもりだったでしょ?」

「そうだったけどさ。じゃぁ、死別するまで、もう少しよろしくな」

「そうね、こちらこそよろしく」


 夕日が地平線に沈んでいく。

 もう輪郭を照らすばかりで、クララベルの顔は影になってしまっている。

 よろしくと口にしながら俺たちは口付けを交わす。


 その一瞬で、俺もクララベルも、互いに手を離す覚悟ができたのだ。

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