【俺を妻のところに帰してくれ】

 俺は王都にあるフォレー家の屋敷に来ている。

 ダグラスは、行事などが落ち着く初夏頃には、王都と領を行き来して過ごす。


 フォレー家の屋敷は王都風の白い石造りの建物だが、所々に赤いレンガの装飾が埋め込まれていて、柔和な雰囲気を添えている。庭の花壇もこの辺りでは珍しい暖色の花が多く、フォレー領らしさが感じられる。

 なんだかんだで、俺はフォレー領の色彩を気に入っている。素朴で柔軟な文化も悪くない。

 ダグラスが王都にいるときは、この屋敷に足を運んで銅山開発の打ち合わせをしているが、今日はいつもと様子が違った。


「ミスティ様がいらっしゃるのなら、そう言ってくれればよかったのに!」


 フォレー領から遠い王都の屋敷で、ダグラスではなくて、銅山のもとの持ち主の娘、ヘラ・ゴーシュに出迎えられていた。


 困った様子でヘラの横から顔を出した老執事が、馬車の車輪に不具合があって、帰りが遅れるとダグラスから先ぶれがあったと俺に伝える。

 それなら出直してくると、俺は帰り支度を始めた。ヘラと一緒にダグラスを待つことになったら面倒だ。


「待って! ダグラスが戻るまでここでお待ちくださいな。時間があるなら、絵を描いていればいいわ」


 俺が帰ろうとしているのに、ヘラが強引に俺の腕を引いた。ぎょっとしたが、ぐいぐいと屋敷に引きずり込まれる。

 老執事に向かって助けを請う表情を向けたが、申し訳なさそうに頭を下げられた。


「ミスティ様、狭い屋敷ですが、こちらへどうぞ。まぁ、なによ、この壁飾り、古いし田舎臭いわ。私だったらもっと明るい色のものを飾るのに!」


(は? この壁飾りって、フォレー領の房飾りだろ? 自分の嫁ぐつもりの領の文化も知らないのか?)


 ヘラはフォレー家の屋敷の壁に掛けられた厳かな佇まいの古い房飾りに対して、聞き捨てならないことを言って、俺を客間に連れ込んだ。

 壁に掛けられた房飾りは古いものだが、劣化の少ない麻の一種で編まれている逸品だ。横糸でタペストリーのようにまとめられた房の技法は独特で繊細だ。他にない編み方はバロッキーの職人たちからも一目置かれている。

 単に美しいだけではない、フォレー領がカヤロナ国に組み入れられる前からの、音楽を今に伝えるもので、歴史的な価値もある。

 房飾りを楽譜にしてロローンという弦楽器で奏で、収穫を祝う祭事をするのだと本で読んだ。

 フォレー家の女主人になるつもりで壁飾りを貶したならば、浅学にもほどがある。


 ヘラはダグラスを待っている間、屋敷のメイドたちを女主人のように働かせた。見ていて、口出ししたくなるほどの態度だ。領の統治を手助けする為の学習会をしているはずだが、効果が出ているとは思えない。


「ちょっと、私がミスティ様とお話しするのだから、あっちへ行ってなさいよ」


 お茶を入れに来たメイドにも、ねぎらいの言葉をかけることもなく、下がらせてしまった。

 ヘラの振る舞いに嫌悪感がこみあげる。なんだってこんな女が領主の屋敷に出入りしているのやら。


「ドアも閉めて行ってね」


 メイドたちが、困ったようにして閉めていったドアを、俺が慌てて開け放つ。


(こんな女と二人きりで話すことなんてないし! それに、香水が臭くて酔いそう!)


「ドアは開けておきましょう。もう暑いくらいの陽気だ。庭の花壇が美しいですね。窓も明けましょうか」


 俺はヘラに気づかれないようにして、外の空気で深呼吸した。


(はぁ、ほんとに無理! ダグラス、早く帰って来いってば!)


 俺はちょっとへこたれそうだった。



「ええと……ヘラ嬢は、もうフォレー家を取り仕切る練習をなさっているのですか?」


 俺は精いっぱいの皮肉を込めて、メイドへの行動を非難した。それなのに嫌味が通じなかった様子で、ヘラは嬉しそうに笑う。


「ふふふ、王女のふるまいには全然足りませんけれどね。クララベル様のように尊大にした方がお好みだったかしら?」


 そういって目を細めてしなを作る。

 それどころか、俺に向けて嫌な秋波を送ってくる。背筋が寒い。


「クララベル殿下は尊大などではありませんよ」


 思わずむっとして返答してしまったが、ヘラは大げさに驚いた様子を見せた。王族に対する敬意は見えない。というか、俺がクララベルの夫だということも考えていないようだ。


「まぁ、ミスティ様、クララベル様の我儘をご存じではありませんの? お気に入りのミスティ様には猫をかぶっているのね」

「いえいえ、そんなことは、一切ございませんよ」

 

 言っていて口の端が引き攣りそうだ。


「あらあら、聞いた話ですと、気に入らない結婚を妹におしつけたり、気に入った美術品を献上するように伯爵家を脅したりって噂ですわよ。ミスティ様には上手に隠しているのかもしれませんけど」


 ほほほと笑う。


(ほほほ、じゃないしっ! 俺の前でクララベルの悪口かよ、腹立つな)


 俺は笑みの顔のまま、ぎりりと奥歯を噛む。こいつ、相当に無神経だ!


 クララベルは妹の望む結婚のためにバロッキーとの結婚を選んだのだし、献上された美術品というのはきっとサンドライン卿が娘を救った感謝の印に贈ったものだ。

 めちゃくちゃな言われようで、すごく悔しい。


(あいつ、そんなふうに噂されてんのかよ。ほんと、いつも損な役回り……)


 真実を話した所で、ヘラは取り合わないだろう。曲解して面倒なことを言い出すに違いない。

 俺はどうにか愛想笑いを顔に貼り付けつづけた。


「それは全くの誤解でしょう。クララベル様はたいへん思慮深い方です。近くにいる私が一番存じております」


 ヘラは、そろそろヘラの戯言に同意しない俺に苛立ってきたようで、足をばたばたと動かし始めた。


「何よ、なんだってみんなクララベル様を持ち上げるのかしら。ダグラスも姫様姫様って、弱みでも握られているのかしら。生まれついての王女様って特よね。まあ、確かに美しい方だけど、私、美しいっていう点では姫様よりもミスティ様の方がずぬけていると思うの。いいわよね、高貴な方は好きな美形を侍らせられるんだから」


 分かった。こいつに何を話しても無駄だ。

 巻き込まれても嫌な思いをするだけだし、いっそ惚気て相手の気概を削ごうと思う。


「私がクララベル様に気に入っていただける容姿であるのなら、こんな幸運なことはございません! お慕いするクララベル様の近くに置いていただけて、たいへん光栄なことでございます」


 俺は馬鹿みたいな手ぶりつきで、クララベルの寵愛を喜んで見せた。


 まぁ、事実、見た目についてはバロッキーでよかったと思っている。

 クララベルは俺の容姿をけなさなくなった。言われなくても見た目は好かれてるのは事実だし、それは自負する所だ。

 あいつ、何が気に入っているのか、愛玩犬のように俺の髪をくしゃくしゃと撫でることがあるし、瞳の色も飽きずに眺めている。最近では俺の後頭部に鼻先を突っ込んで眠っていることもある。

 クララベルの好みの顔に生まれてきて得だった。


 だが、ヘラみたいな女に褒められても、気色悪いだけだ。

 よくよく見ると、クララベルを意識したような化粧をしている。王都で求めたのか、この赤い口紅はクララベルが外出する時に塗られる色の強いものと同じ製品だろう。

 バカ高い割に色味がべたっとしていて、似合わないからやめろとクララベルに忠告したけれど、女官の立場がなくなるからと、何も言わずにそのままにさせている。


 クララベルは自分のふるまいが他者に与える影響をよく知っている。それをわかっていて奔放に見えるようにふるまうのと、ヘラのように自分の欲望のままに無茶苦茶をするのとは違う。

 いくら競っても、俺もダグラスも、ヘラには票を入れないだろう。


 ヘラは今日も赤いドレスを着ている。

 若者に流行っている重ね着のドレスだが、赤を着合わせていてくどい。顔がきつく見えない黄みの強い色を選べばまだ見られただろうに。毒々しい色の主張に、悪いものを食べたような気持ちになる。


 何かと不平不満の多い時候の挨拶をしながら、ヘラがくねくねと俺の隣に移動してきたので、気が付かないふりをしてソファから立ち上がった。


「ミスティ様は絵を描くのよね。ねぇ、ちょっと私にも描いてもらえないかしら。得意なんでしょ? 少しなら描かせてあげてもいいわ。それともこの格好じゃダメかしら」


 ヘラは、もったいをつけて外に着ていた上等な生地の上着を脱いで、薄いサマードレス一枚になる。

 透ける素材の赤いレースをふんだんに使ったドレスは、下着のようにも見える。


(うっ、なんか、下品……)


 毒蛾のような姿から目をそらして、我慢できずに顔をしかめる。

 すると、開け放たれた窓から、ダグラスの馬車が屋敷の庭に入ってくるのが見えた。

 

 こんなにダグラスの帰りが待ち遠しいと思えたのは初めてだ。思わず手を振る。

 必死で手を振る妙な俺を見つけたのか、ダグラスの口角が下がるのが見えた。


「ほら! ダグラス様がお戻りですよ!……ええと、ヘラ嬢、何の話でしたっけ?」


 とぼけて笑顔で振り返ると「いいわよもう!」とヘラが癇癪を起こした。そうだ、出ていけ!

 俺はヘラがどすどすと足音も高らかに応接室から出て行くのを笑顔で見送る。


 ……なんだか、めちゃくちゃ怖かった。





「早く帰りたい!」


 ダグラスがやってきて、開口一番、思っていた事を口に出す。


「なんだ? 待たせたから怒っているのか?……おい、やめろ、何をしている?」


 なんだか腹立たしくて、ヘラに掴まれた腕の所をダグラスになすりつける。

 あんなのに迫られたら、女性恐怖症になりそうだ。ヘラの不快な歓迎を受けて、クララベルが恋しい。


「今からでも、変装して展覧会に潜り込めないかな。クララベルが展覧会に行っているんだ。俺も無理してついて行けばよかった……」

「なんだ、惚気のろけか……」


 ダグラスは、もう俺の惚気に反応してくれない。

 面倒そうに俺が持ってきた書類に目を通している。


「違うし。いやらしい目で見てくる変な女がいる屋敷より、クララベルのところに帰りたいって話」

「ヘラか?」


 ダグラスは客間に運ばれたまま、振る舞われなかった茶器を見て眉を顰めた。ヘラは客の迎え方も知らないらしい。


 俺は茶葉を確認して、適当にお茶をいれて自分のカップに注ぐ。ついでだとダグラスにも注いでやる。

 別に親切にしたわけじゃない。本当についでだ。


「あのさ、王都の屋敷にも来るなんて、あの子が結婚相手として決まりそうなの?」

「いや、王都を見たいといって、ついてきただけだ。こちらも迷惑して……なんだ、やけに茶が美味いな。うちの茶葉でいれたのか?」

「そうだけど?」

「なるほど、竜とは器用なものだな。茶まで美味くするとはな」


 何が不満なのか、美味いと言いながら、難しい顔をして何度も茶に口をつける。


「そう? 普通だと思うけど。フォレー産のお茶は甘味があって美味いね」


 俺が茶葉を褒めれば、仏頂面に笑みが浮かぶ。

 俺はすかさずダグラスの表情を脳裏に描きつけた。

 気に食わないが、ダグラスは時々描きたくなるような表情を見せることがある。


「そうだろう。……それで、僕の留守中、ヘラに何かされたか?」


 俺は思い出して身震いする。


「ヘラは、ダグラスと結婚したいのに、俺にも気があるの? さっき、姿絵を描いてくれって、だいぶ薄着になってさぁ。俺、貞操の危機を感じたよ」

「なんだそれは。はしたないことを……」


 二人で渋い顔をしてお茶をすする。


「そんなこと言うくせに、あんたからはヘラとは別の女の気配がするけどね。そういうはっきりしない感じ、竜とは全然相入れないな。ダグラスはクララベルが大事なくせに、ユーノも気になって困っているって、そういうこと? 女二人を振るくらい頑張れよ」


 ダグラスは渋い顔をもっと渋くした。


「ヘラはともかく、ユーノに何の気も無いなら、こんなに悩まん」

「ふーん、やっぱり……そうなんだ」


 俺はダグラスがクララベルだけでなく別の女にも心を分けようとしていることが気に入らない。

 竜じゃない奴にまで、俺のようにクララベルだけを見て、クララベルだけを愛したらいいのにと願ってしまう。


「クララベルへの気持ちと、ユーノへの気持ちは違うのだ。ユーノは僕がクララベルを敬愛するのを知っていても、なお健気に俺を好いてくれている。ミスティは捧げられ請われる愛に惑ったことがないからそんなことが言えるんだ」

「分からなくてもいいよ」

「ユーノには僕しか頼る相手がいない。領地に対する思い入れも、努力も申し分ない。それなのに気のないヘラの方が領地では妻候補として優位なのだ。山が売れて大金が入ったからな。調子に乗ってユーノに辞退するようにヘラが圧力をかけている。ユーノがヘラの圧力に負けてしまっては領民が困る」


 想像がつかなくて腕を組んで考えてみる。


(種類の違う愛か……そういえばクララベルの初恋は父さんだったか。その後はヒースだし。気に食わないけど、それがいけないことだと思わない)


 想像はつくけれど理解までは及ばない。

 どちらにしても自分がダグラスと同じようになることはないのだから。


「なんとなく、想像がつくようなつかないようなって感じ。クララベルにだって初恋はあったわけだし、ってことか?」

「なんでもクララベルを出してきて話をするな。まぁ、竜には難しかったか……」

「もう、どっちでもいいよ。クララベルがよければ俺は何でもいい!」


 ダグラスは短慮だと眉間を押さえた。

 俺は密かに、いつかこういうダグラスを描こうと思っている。モデルがばれないくらいに嘘を交えて――題はそうだな「悩める軍神」とかなんとか。素描はだいぶ出来ている。

 俺がじっとダグラスを観察し続けていると、視線に気が付いたのか、じろりとこちらを見る。


「ミスティ、お前本当に国を出るつもりなのか? 無理なんじゃないのか? お前、公務で自分がどんな顔でクララベルに寄り添っているのかわかっていないのか? 今までだってそうだったが、最近はさらに酷い」

「……どんな顔だよ」

「最高に幸せですって顔をしている」


 俺は口に含んでいたお茶で盛大に咽た。咳込んで涙目だ。


「うるさいな、そうなんだよ! 俺は今、最高に幸せなの。あと少しなんだから、ほっといてくれよ」


 なんとでも言えばいい。俺なんて、外で目を光らせないだけの番狂いの竜だ。


「盛大なやせ我慢大会に、僕を巻き込まないでくれ」

「いいや、最後まで付き合ってもらう。この幸せを譲るっていってるんだから、そっちもちゃんと身辺整理しておいてよね……難航しているみたいだけど?」

「それはバロッキーの働き次第だ。フォレー家の財力が上がるとなれば、妻候補からヘラを除くくらいの自由は得られる」


 それはかなり深刻な問題だ。これはダグラスの気持ちになって考えられる。ヘラは嫌だ。絶対に嫌だ。


「銅山に関してはこれからが本番だよ。ヒースが山に来る。あんたも来るだろ? 本物の竜の力を見せてやるぜ」

「自分のことでもないのにやけに自慢げだな。ヒース……クララベルの初恋の相手だったか? ミスティの恋敵ではないのか?」


 竜同士では恋敵になんてなりえない。

 そんなこともダグラスには分からない。俺たちは似たような手足をしているが、その実もっともっと遠い生き物なのかもしれない。


「安心しろよ、番もちの竜だ。竜は番以外には何者にも靡かないんだ」

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