後釜

 ミスティは、這いつくばったオリバーのすねばかりを蹴る。それでも気が済まなかったようで、震えるオリバーの靴を踏みながら服の選び方をくどくどと指導していた。

 ミスティのひらひらの私服を基準に教えられたら不憫だと思ったけれど、そこは至極まともなことを言って聞かせていたようだ。だとしても、きっとオリバーには響かなかっただろう。

 

 天幕に帰るのには少し時間がかかった。ミスティが話すたびにいちいち怯えたしぐさをするので、天幕に帰るまでの間に、私が書いた筋書き通りに芝居を打つように脅しなおすのがたいへんだったのだ。

 私に代わってミスティが指示し始めたら従い始めたのだから、よほど竜が怖かったのだろう。


 ミスティに脅されて膝をついたオリバーはもろかった。

 ミスティは私よりも上手にオリバーの弱点をつく。特に竜のことを持ち出した途端、オリバーは腰を抜かすほど恐れ始めた。

 

 ――知らなかった。オリバーは竜がとても怖いのだ。


 ミスティが少しおおげさに竜の呪いだなんて言って脅しただけで、がくがくと震えてミスティの言いなりだ。

 そういえば、ジェームズがいる時は、絶対に挨拶に来なかったような気がする。ジェームズがバロッキーだと知って、怖くて避けていたのかもしれない。

 ミスティは意地悪な顔でオリバーを従えている。こういう顔をしている時のミスティは相手にしたくないものだと心底思う。ミスティはこちらが水に流したと思っていたことも、ねちねちと嫌味を言い続けるタイプなのだ。



 暫くしてサンドライン卿が青い顔で天幕にやって来た。

 オリバーはレトが拘束して話を聞いている。ミスティに蹴られたから少しは治療も必要だろう。

 ミスティにレトの様子を見てくるように言って席を外させて、サンドライン卿に事情を説明し終わった頃には、サンドライン卿は私の足元に平伏していた。


 気まずい。


「……殿下、それで、お怪我の具合は?」

「大事ないわ、擦り傷くらいのものよ」

「愚息のせいで……何とお詫びを――」


 サンドライン伯爵は頭を抱えて私の足元にひざまずいた。

 白髪が交じり始めた威厳も身分もある屈強な男が、地面に這いつくばって私に頭を垂れている。


(これはこれで、面倒なことになったわねぇ)


 私は揉め事など欲しくない。できればオリバーをそっとどこかに連れ去って、面倒を起こさないように監視して欲しいだけなのだ。


「いい? オリバーは罠にかかった私を助けたのよ。そうでしょう?」

「ですが、殿下……」

「それとも今からでも私が騒ぎ立てた方がいいかしら? 私は気が晴れるからいいけど、父様はどうかしらね」

「それは……」

「国が乱れることを父様が望んでいるはずがないの。だから無かったことになさいと言っています。私がオリバーを糾弾しても、何も国に利益がないのだもの。今、サンドライン家に何かあっては領民が苦しむわ。オリバーはちょっと私を吊り下げただけ。私はほぼ無傷。オリバーを糾弾してサンドライン家を潰すに値しないような、つまらない事件だったってだけよ」


 サンドライン家は大きな領地を持つ。

 そこには多くの人々が暮らしていて、税として上がる益は国を運営するために必須だ。

 それにサンドライン卿本人は土木事業に明るく、貧しい者を雇い入れたり、新しい事業を起こすことにも意欲的に取り組んでいる。

 今からサンドライン領を誰か別の者が治めることになったとして、今までと同じようにいくとは思えない。


「しかしこれは反逆罪ともとれるものです。一度ならず二度までも……我が家はどのように報いたらよいのか、わかりません」


 サンドライン卿は顔を覆って、苦しそうな溜息をもらす。

 頑強で人にこうべを垂れることなどあまりない人なのに、ここ最近でどんどん老けこんだように見える。


「まぁ、残念だけれど、オリバーを後継者にするのはやめたほうがいいわね。オリバーは諦めて、別の者を後継者にすることを考えなさい。末の弟も母君に任せっきりにするのはお勧めしないわ。私が口出しするのもなんだけれど、オリバーの縁談も当分見合わせたほうがよさそうね。今のオリバーが配偶者をまともに慈しめるとは思えないし。母君から離して療養が必要なんじゃないかしら? 取り巻き連中ともお別れさせた方がいいわ」

「直ちにそのようにいたします……」


「――そうね」


 話をしていて私は妙案を思いついた。


 ミスティが死んだことになってからのことだ。

 オリバーはサンドライン家の後継者としては失格だ。

 おそらく末の弟のシオンか、もしくは別の親戚の者が後継に立つだろう。代が変わるまではまだ時間があるだろうからそれは心配することはない。


 療養することになるオリバーは、サンドライン領での立場を失うだろう。

 では私が療養するオリバーと結婚して、サンドライン家に降りたら?

 オリバーは嫌いだが、ここまでやらかしたオリバーはきっとサンドライン卿と私の言いなりだ。

 名前だけの結婚をしてもちっとも心が痛まないし、サンドライン卿は私に恩がある。

 

 考えれば考えるほど、悪くないシナリオだと思った。

 国内での結婚であればサンドライン家との結びつきを強める婚姻は優先度が高かったはずだ。

 バロッキーを王家へ引き入れるという契約を果たした後であれば、父に強請っても許される可能性が高い。兄は反対するだろうが、それはそれだ。


「オリバーの見舞いには私が行くわ。更生しているか見張らなくてはならないものね」


 サンドライン卿はオリバーを療養院にやると約束した。

 性格が矯正されない限りオリバーを外に出すつもりがないという誓いには嘘はないだろう。



 サンドライン卿が天幕を出て行ってから、ミスティが戻って来た。

 なんだか苦虫を噛みつぶしたような顔をしている。

 約束した通りサンドライン卿とのやり取りを報告する。


「それでね、私、いいことを思いついたのよ。ミスティがいなくなった後に、オリバーを夫にえるのはどうかしら?」

「はぁ?」


 ミスティは凶悪な表情を通り越して、表情を消した。

 私はついさっき思いついたことをそのままミスティに打ち明ける。


「オリバーはあのままでは誰と結婚しても駄目よね。よほどの手腕がないと御し切れないでしょう? その点、私なら、サンドライン卿と一緒にオリバーを権力で押さえつけることができるわ。多少の竜の脅しもきくだろうし」


 ミスティが何も言わないので、畳みかけるように思い付きを話す。しゃべりながら、今思いついたことにしてはなかなかいい案だと、頷いた。


「サンドライン家との結びつきはカヤロナ家にとっても優先度が高いの。オリバーは療養中ということにして、サンドライン卿に監視してもらうから、私はかなり自由に生活出来るんじゃないかしら? どう? これなら、ミスティがつまらないちょっかいをだしてダグラスを煩わせることもないわね」

 

 ミスティは頭を振り、私の提案を却下する。


「馬鹿なことを言うなよ、オリバーだぞ」

「じゃぁ、あんなオリバーを誰が引き受けるのよ。婚姻の話をすすめても、また別のご婦人がつらい目に合うだけよ」

「だから、なんでお前なんだよ! お前、正気じゃないだろ。今さっきされたことを忘れるほどのトリ頭なのかよ?! 後添えの夫ならもっと別にいるだろ! ダグラスはどうした?」


 またダグラスだ。もういいかげんにその話題はやめて欲しい。


「だからね、ダグラスに初婚でもない私を子どもと一緒に押し付けるのはあんまりだと思うのよ。私、本当にダグラスには幸せになってほしいの」

「はぁ、もう少しましなことを言えよ。本当に誰でもいいのか?」

「愛とか恋とか、そんなこと考えているならくだらないわよ。竜にとっては何よりも大切なことなのかもしれないけどね。王家にとって、結婚とは単に契約よ」


 ミスティはイラついて赤い髪を搔き乱す。

 竜は番う相手を決めたら真摯に一人だけに愛を尽くすのだろう。ミスティだってまだ番はいないとはいえ、竜の考え方をするはずだ。

 王家のやり方など見聞きするだけでも気分の悪いものに違いない。

 

「それじゃ、あれか? お前、オリバーの子を産むのか?」

「それが義務なら仕方ないけど、私がサンドライン家と血の繋がりをつくってもあまり意味がないわ。そこまでの癒着は必要ないでしょうね。サンドライン家には後継者としてシオンがいるし、より血統の強い子どもは争いを産むだろうから」


 王族としての義務を果たした後の私が、領地の後継者以外と結婚するなら、単なる繋がりの強化として世間に映る。私は難なく表舞台から下り、子育てに専念したり、新しい芸術家を育てたりする機会がもてるかもしれない。


「やめてくれ、義務だとか血統だとか、俺の倫理観が崩壊しそうだ。竜の血が流れてないやつは、みんなそう考えるのか? 利益の為に嫌な相手とだって子を成せるとか、おかしいだろ」 

「なによ、乙女のような事を言うのね。爛れてようが、それが王家の結婚よ。バロッキーだって過去にはカヤロナ家のせいで血を繋ぐために同じことをさせられてきたんじゃない。結婚相手が見つからないバロッキー家が娼婦や貧しい家の娘に金を払って子を産んでもらうしかなかったのは、カヤロナ家の悪政のせいだった。今、その報いを受けているだけよ。ミスティが悩む必要はないわ。王家には王家のやり方があるの。第一、この結婚は私だけのものではないのよ」

「だからって……」


 知れば知るほど、カヤロナ家がバロッキーにしてきたことが身に染みる。

 王家には、ミスティには打ち明けられない不文律がある。


 カヤロナ家は腐っても王家だった。

 王座から追放したバロッキー家に厳しい政策をとってきたことは近年の王族にとって悩みの種だった。政策を廃止した後も、市井とバロッキーの溝は思った以上に埋まらない。

 それを恥じたカヤロナ王家では、私情に流された婚姻が認められずにきたのだ。

 王家の者は、それをバロッキー家にカヤロナ家がしてきたことの報いだと、わきまえて受け入れている。

 

 別の言い方をするのなら、本来カヤロナ家では配偶者を愛したり愛されたりすることを望んではならないのだ。そういった流れで、兄の結婚は異例中の異例だといえる。


 ここ最近、私もだいぶ竜に毒されていたようだ。

 二年前のように初恋の相手との結婚を淡く望んだり、ミスティに唆されて幼馴染との平和な日常を夢想したり……そんなの、カヤロナ家では許されないのに。


「嫌な相手とだって子を成すのが王女の務めよ。それにね、棚に上げてるかもしれないけれどね、嫌な相手にミスティだって入っていることを忘れないで頂戴。私、バロッキーの子を産むためにミスティと結婚するのよ。カヤロナ家から薄くなりつつある竜の力を強め、バロッキーに流れた資金力を取り戻す。私とミスティの結婚はそういう意図があって結ばれるものなの」


 私は王女として課された務めを果たすだけだ。

 それなのに、ミスティはひどく驚いたような顔をした。


「――お前、俺の子を産むつもりでいるのか?」


「当り前じゃない。まぁ、ミスティが死ぬまでに間に合えばだけど」

「……冗談、だろ?」

「大丈夫よ。ミスティに触れられるのはだいぶ慣れたわ。そっちこそ覚悟しておいてよね。竜だから番とじゃないと子を成すのは無理だと渋っても、義務はしっかり果たしてもらうから」


 ミスティは珍しく少年のような顔をして、耳まで真っ赤になって頭を抱えた。


「いや、待てよ、待てって……」 

「はっ、竜ってこういうのに弱いのね。初々しくって腹が立つわ」

 

 バロッキーの男たちのこういうところ、本当に大嫌いだ。

 血を繋ぐことにどれだけ美しい幻想をいだいているのやら。


「もし、期限までに俺と子が出来なかったら?」

「さぁ、バロッキー家からミスティの他に誰か私の婿になるつもりがある人がいるのなら、受け入れる他ないわね。それはそれで、オリバーよりはましかもしれないわ」

「いや、いない。他の竜は無理だ」


 ミスティは即座に否定した。竜にはこの倫理観は受け入れがたいことなのだろう。

 ミスティに国の外に出るという強い目的があってよかった。少しぐらいの無理は通してくれそうだ。

   

「じゃぁ、もう、つまらないことに口をはさまないで」

「だからって、次がオリバーはないだろ……」


 確かにオリバーは嫌いだ。

 汚い言いかたが許されるなら、なんて言うんだっけ? 反吐が出る?

 だからオリバーに迷惑が掛かろうが何だろうが、利害以外を見ないふりが出来る。

 私は悪い王女様の顔をして笑う。


「馬鹿ね。オリバーだからいいんじゃない?」

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