花火

「あの絵とは、誕生日の肖像画の事でしょうか?」


 察し良くダグラスが答える。この話は二年前のお茶会の時に途絶えたままだ。


「そう、あの絵の作者をずっと探していたわ。私、しつこく何年も探していたわよね」

「そうですね。少なくとも誕生日の時には毎回そうおっしゃられていました。結局、分からずじまいだったようですが、作者が判明したのですか?」

「……」


 さらっと告げようと思ったのに、次の句が出てこない。

 これを告白する方が、ミスティとの熱愛振りを皆に見せるよりも堪えるとは。


「えっと、あの……あれ……あれね。その……ミスティ、が描いた絵、だったの……よ」


 勢いよく拳を握るのに、語尾は小さく萎んでいく。


「え?」

「あの絵を描いたのは、ミスティだったって言ったの!」

「――それは」


 暗闇でダグラスの表情はうすぼんやりとしているが、声で驚きが伝わる。

 私だって、なんだか顔が熱い。私にとってあの絵は特別だった。どんな人格だったとしても、それを描いたミスティを心の外に置くことは出来ない。


「そうだったのですね……なるほど、ミスティ殿があれを……」


 サリに叱られるような、おかしなことは何も言っていないはずだ。

 こんな風に挙動不審になるのがそもそもおかしなことなのだけれど。


「それだけが理由ではないけれど、ミスティはやっぱり、特別なの」

 

 だから、あの絵を描いたミスティだからこそ、画家としてのミスティをこの国の呪縛から解放してあげたい。

 竜の血を忌み嫌う、狭量な国から遠い所へ。

 カヤロナから放たれた自由な土地へ。


「ええ、そうなのでしょうね。姫様はついに運命の相手と巡り合えたのですね……」

 

 違うわ。

 違うのだけれど、それはダグラスにも言えない。


「……この話は、内緒にしておいて。絵のこと、こんなに思い詰めていたなんて、恥ずかしくてミスティには言えないわ。お願いね」

「そうですね、この話は、私と姫様の秘め事にいたしましょう」

 

 ダグラスは、いたずらを共有するみたいな声で、口の端を引き上げる。

 その時、少し離れた所から花火が上がった。


 美しい大輪の火花が夜空にひろがる。


「いい場所で休憩していたわね。どこよりも花火がよく見えるわ」

「ええ、幸運でしたね。こんな近くで花火があがるなんて。クララベル様、もう少し下がりませんと。花火の煙が流れてくるかもしれませんから」

 

 花火は何発も上がり、周りに人が増えてきた。

 珍しい緑色の花火があがる。


(なんて綺麗!)


 そう思って見ていると、光の粒が輝きを増す。

 ――いや、こっちに向かって飛んでくる。


「クララベル様! 危ない!」


 箒星ほうきぼしのように尾を引く残像に見惚れていると、何事が起きたのか、ダグラスが叫んで覆いかぶさってくる。

 ダグラスに視界をふさがれて見えないが、周囲も悲鳴に囲まれている。

 火薬のにおいとは別の、何かが焦げた匂いがする。


「姫様、ご無事ですか?」

 

 遠くない所で、レトの声もする。

 ダグラスの腕の内に抱き込まれ、ダグラスのコロンの香りに包まれる。

 ダグラスに遮られても尚、様々な声が聞こえるが、それよりも自分の鼓動の方が大きい。

 周りの騒音と一緒に、猛烈な違和感に襲われる。

 

 ――何かがおかしい。

 

 何かにぞっとして、ダグラスの胸を押す。

 状況を確認したいのに、ダグラスの胸を押してもなかなかその腕の力は緩まない。

 思った以上に筋肉のついた腕や胸板は私の動きを阻む。

 放してと命令すればいいのだが、味わったことのない違和感に支配されて、声も出ない。


「火を消せ!」


「やだ、ドレスが焦げたわ!」


 誰かが叫んでいる。

 ざわざわと周りの音ばかり聞こえる。

 ミスティの気配もする――こちらに近づいてくる。


「クララベル!」


 その声にダグラスの腕が一瞬ゆるむ。


「ミスティ!」


 ダグラスの腕からミスティの居場所を確かめもせずに、やみくもに走る。目をつぶってできるだけ速く足を動かすと、ドンと何かに鼻をぶつけた。

 

 鼻を押さえて上を見上げれば、ミスティが心配そうな顔でのぞきこんでいる。

 厭な心音が一時ぐ。こういう時はミスティといた方が安全なのを、なんとなくこの身が知っていた。


「なんだ、どうしたんだ?」


 周りを見れば、屋台の屋根で小さく赤く燃える火を一生懸命消している人や、服に火の粉で穴をあけて大慌ての人もいる。

 私の方にも火の粉は飛んできたようだが、ダグラスがかばってくれたお陰で、なんともない。


「ミスティ殿、姫様にお怪我が無いか確認してくれ。花火がこちらに飛んできたようだ」


 周りを見渡せば、火花によって小さな穴があいているだけで、大きな被害もなさそうだ。

 

「……なんともないようだな。鼻はつぶれたかもしれないけど、元から大した鼻じゃないし」


 後半は私だけに聞こえるように耳元でささやく。

 ミスティの憎たらしい顔をみたら、少しだけ余裕が戻った。


「私は大丈夫よ。ダグラスがかばってくれたから傷一つ無いわ。それより、レト? レトはどこにいるの? 無事かしら」

 

 大声で呼ぶと、令嬢のドレスのすそをパタパタと叩いているレトから声がする。


「はい、こちらは問題ありません。服が焦げた人もいますが、屋台の屋根が少し燃えただけで延焼はなさそうです。ダグラス様は、お怪我はありませんか?」

「ふぅ、見栄を張って上等な上着を着ていて正解でした。火の粉がかかって少し焦げてはいますが、姫様をお守り出来てよかった」


 服に焦げた跡があるが、厚い布地だったようで、ダグラスも無事のようだ。やれやれと肩をすくめている。


「ダグラス、かばってくれてありがとう。おかげでどこにも怪我が無いわ。レト、服を焦がしてしまった人と、屋台の損害を把握して。怪我人は?」

「怪我をされている方はいないようです。火の粉で服が焦げた方が数人おりますが。屋台の損害は、そこの菓子屋の屋根と、商品の一部が落ちて駄目になった分でしょうか」

 

 めでたい祭りの夜だ。私がここで成すことは分かっている。

 私は大きく息を吸った。


「皆さまご無事で何よりです。美しい花火からおすそ分けを頂いてしまいましたわね。紅玉祭での火花は縁起の良いものですから、今後三年、皆様の幸福が約束されたようなものですわ。今日の記念に、新しい服を私から贈らせて頂けませんこと?」


 慌てていた人々が、落ち着きを取り戻していくのが分かる。

 服を贈る話を聞いて、表情を明るくしていく令嬢たちの様子に、私もひとまず胸をなでおろす。


「さあ、パートナーとの次の逢瀬おうせの日取りを今すぐお決めになって! それまでに新しいお召し物をお贈りするわ。紅玉のお守りも必要ね。レト、屋台の商人には私が店の商品を全て買い上げると伝えて。それから、ここにいる皆様にお配りして」


 私の少し偉そうな声は、朗々と響き渡り、場を支配する。

 わっと、歓声が上がる中、レトに後始末を任せ、私は皆を背にして城への道を急ぐ。


「ダグラス、ごめんなさいね、本当に怪我はない?」


 ダグラスは気づかわし気にミスティと逆隣に立ち、私を守るように慎重に城まで寄り添う。


「クララベル様こそ、私が付いていながら、こんなことになって……」

「あらいやだ、私が夜店を見たいと言ったのよ」


 何でもないように振舞ってはいるが、ミスティの手を固く握っているので、ミスティには私がひどく動揺しているのが筒抜けだろう。


「本当にびっくりしたわよね! せっかく一番いい場所で花火が見られると思ったのに」


 コロコロと笑って見せる。王女はこうあるべきなのだ。


「ダグラス、実はね、私、ほんの少しだけドレスを焦がしてしまったの。恥ずかしいから着替えてくるわ。エスコートしてくれてありがとう。リンジーによろしく伝えてね。そうだわ! ダグラスには特別にリンジーと一緒に全身仕立ててもらうように注文しておくから、うんといい服を作ってね」

「そんな滅相もない。本当にご無事で何よりです」

「いい夜だったわ。ごきげんよう」

 

 衛兵が立つ通りを、城に向かい戻る。

 ミスティに身を寄せて楽しそうに微笑みを浮かべながら、小走りになりたい気持ちを抑えてゆっくりと歩く。

 どこにでも衛兵が控えているので、気が抜けない。

 レトが来たらすぐに休憩室に来るように告げ、部屋に入ると内側から鍵をかける。

 とたんに、自分のドレスから火薬の臭いがして、身震いが帰ってきた。


「いったい、何が起きたんだ?」

 

 命綱のようにミスティの手を握っていて、ミスティの手が白くなりかけていた。まだこの手を離せる気がしない。


「なんだかわからないのよっ! いったい何が起きたの?! こっちが聞きたいわ!」


 何かとても怖い事がこの身に起きているような気がした。


「私、狙われていたの?」


 私の混乱はそのままに、ミスティは首を傾げる。

 今までだって命を狙われるようなことは何度もあった。しかし、こんな異常な違和感を感じたことはなかった。


「それらしい気配はなかった。火花がクララベルに向かってきたのは偶然ってこともあるよな」

「なんでわかるのよ! 何かわからないけれど、私、一瞬なんだかとても変な感じがしたの」


 私が感じた違和感を否定したミスティにすごく腹が立つ。


「それって、どんな?」

「わからないわよ! ぞわって……」

「わからないと言われても、俺だってわからないんだけどさ」

「もう! 全部、ミスティのせいよ!」


 ダグラスではなくてミスティが近くにいれば、もう少しましに振る舞えたはずだ。

 ミスティといるときは、気に入らないことは全部ミスティのせいにすることにしている。しかし、八つ当たりをしても、今日のミスティはなだめるように背を撫でるだけだ。


「花火についてはレトさんに調べてもらおう」


 いつになく優しい声で言う。


「……つまり、花火が飛んできて怖かったんだろ?」

「そうよ! 吃驚びっくりしたわよ! 悪いわけ?! でも、それだけじゃなかったんだってば!」


 思わず語気が荒くなるのを聞いて、ミスティがケタケタと笑う。


「やせ我慢も大概にしろよな。あんな太鼓の音を聞いた猫みたいに走ってきてさ、鼻が低くなるぞ」

 

 ずっと眉間に力の入ったままの私を、泣いた子どもにするように、抱き寄せる。


 私が泣きそうな時に、こんな風にできるのはミスティだけだ。

 前に竜の絵を見て泣いてしまった時もそう思った。ミスティと自分との育ちの違いを感じる。

 バロッキーの子どもたちはきっと、何か恐ろしい目に遭った時はこうやってイヴに慰めてもらったのだろう。

 私にだってレトがいたけれど、レトは家臣だ。こんな風に触れ合うことはできない。

 ミスティは気に入らないけれど、ミスティとの近い距離は嫌いじゃない。

 香水をまとわないミスティの清潔な香りも好きだ。


「だって……びっくりしたのだもの……」


 ミスティにすっかり慰められた風になって、釈然としないが、驚いたからという馬鹿みたいな理由でも良いような気になってきた。少し鼻声だったのが情けないけれど……。

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