紅玉祭

「ふーん、紅玉祭こうぎょくさいねぇ……」


 ミスティは長い溜息と一緒にカヤロナ国の祭事をわらった。


 紅玉祭は三年に一度の祭事で、国の繁栄を願うものとされている。

 夕刻に始まる紅玉祭は異性の同伴者と共に参加することが義務付けられている。

 三年前は兄がまだ結婚していなかったので、兄と参加した。今回は婚約者であるミスティがいるのだから、ミスティと参加しないわけにはいかない。


「なぁに? 含みがあるわね。身内のお祭りではなくて国中から来客があるの。残念だけど、参加しないっていう選択肢はないわ」


 レトは寝室の暖炉の煙突の調子が悪いとかで、女官と一緒に様子を見に行った。レトはこういった仕事を女官に頼まれることが多い。他の騎士に頼むよりも頼みやすいのかもしれない。

 レトがいる時にミスティに紅玉祭の同伴を頼むのは、なんとなく気恥ずかしくて、二人きりになるのを見計らってお願いしてみたらこれだ。

 ミスティは祭に対して、何か引っかかりがあるようで微妙な表情を浮かべている。


「なによ?」

「紅玉祭ってさ、もともとは古い祭りなんだよね……カヤロナ家ができる前の」


 ミスティは、長い睫毛まつげを半分伏せて、テーブルに飾られていた花の位置を、より美しく見える位置に直しながら語り始める。


 紅玉祭はいわゆる星祭りで、収穫が終わった時期に行われる。他国でもよく行われるように、星の位置を見て国の繁栄を占ったり、女神に収穫と祈りを捧げたりする行事だ。

 その後は屋台や花火の楽しい時間が待っている。


 私にとって紅玉祭の思い出は決して悪いものではない。

 幼い私は、兄に連れられて、赤い蝋燭ろうそくが灯された屋台を見て歩き、紅い宝石のような飴をねだるのだ。赤い石の装飾品も売られる。紅玉は高価な石だから、代わりに柘榴石や珊瑚の飾りも屋台に並ぶ。

 その頃はまだ母が存命で、母が赤いかんざしを付けて星の瞬く中、父と仲睦なかむつまじく寄り添って星を見上げていた姿を思い出す。

 

 楽しい行事だったと思うが、ミスティは、いったい何が気に入らないのだろう。バロッキーから奪い取った行事に参加させられるのは嫌だっただろうか。


「そうなの? それじゃあ、紅玉祭はバロッキー家由来の祭りだということ?」

「いや、バロッキー云々より、もっと昔の話」

「更に昔なの? バロッキー家はそんな昔のことまでわかるのね」

「そうだよ。書庫にぎっしり詰め込んである歴史書で、俺たちは正史を学ぶんだ。アルノの実家にはもっと由緒正しい本があるのかもしれないけど、俺は古代文字なんて勉強したくないな。うちにあるのは比較的読みやすい本ばかりだったろ?」


 カヤロナ家には伝わっていない古い歴史はバロッキーの屋敷の書庫にある。歴史についての書物などは、カヤロナ家がバロッキー家から奪えなかった物の一つだ。

 私はバロッキー家の図書室でカヤロナには伝わっていない多くの事を知り始めたところだ。


「はぁ、カヤロナ家の末裔として耳が痛いわ。ベリル家はそれだけある竜の歴史を、公表することなく王家の酷い扱いに甘んじてきたのよね……」

「ベリル家は王座に執着がなかったんだろ。きっとそれより安寧が欲しかった。わざわざ表にバロッキー家を置いて、それと分からないように家名を分けるくらいだし、ひっそりと暮らしたかったのかもね」

「そうだったかどうかなんて、私には判断がつかないわ」

 

 ミスティがどう言おうと、カヤロナ家が王座を奪ったことは変わらない史実だ。なんだか萎れていると、頬を摘ままれる。

 指に込められた力がからに変わらないうちに払いのけると、意地悪く笑われる。


「カヤロナ王家は長く深い歴史が無いことに劣弱意識があるだろ? だから、こんな浮かれた祭りを神聖な儀式になんかにしちゃったんだ。クララベルはさ、この祭り、本当は何の祭りだと思う?」


 私は歴史の勉強を思い出していた。

 直系の王族以外が習わない、バロッキー家とカヤロナ家との秘密の国史だ。

 王家がバロッキー家の分家であることは国の機密事項なのだから。


「……紅玉祭の由来なんて習ったかしら? 国の繁栄を、というくらいだから、国の始まりを祝う日かしら? いいえ、それなら国史記念日があるわよね。紅玉って宝石だけど、本当は星のことでしょ? 星を見つけたってことだから、誰かが生まれた日?」

「不正解」


 今度は鼻を摘ままれたので、その手を叩き落とした。


「竜が自分の誕生日なんか気にするわけないだろ」

「なんでよ? ミスティの誕生日を祝ってあげた時は、喜んでいたじゃない。いちいち摘ままないでよ。話が進まないわ」


 ミスティの誕生日には匂い袋を縫ってやったのだ。

 刺繍は得意ではないけれど、図案は上手く刺繍できた。

 ヘタクソだと笑われたが、あの時は珍しく喜んでいたと思う。


「あのね、竜にとって星が降ってきたって表現は、番が現れたって事の比喩なんだよ」

「ええ? じゃぁ、結婚のお祝いってこと?」

「いや、古代ってことは俺たちよりずっと血の濃い竜だろ? ヒースでさえアレだよ。下手したら、ただ番が現れた、とか存在しているとか、そのくらいの事で祝いかねないんだよなぁ」


 ミスティは掌を見せて肩をすくめた。

 一瞬、サリのまわりで百面相をしているヒースの姿が浮かんで、げんなりする。


「……なんだか、すごく独りよがりなお祝いね。非常に腹立たしいわ」


 竜の番に対する態度は度を越していると思う。

 番を中心に世界が回っているみたいに見える。いや、実際そうなのだろう。色惚いろぼけともまた違う、異様な習性だ。

 番が笑えば幸せだし、番が困ったり苦しんだりする事は忌み嫌うべきことなのだ。


(ヒースもジェームズも、番といちゃいちゃするにしても、少しは人の目を気にしたらいいのに……)


 以前は、二人とも私の前で取り繕っていたようだが、二年前の一件以来、すっかり隠す気がなくなったようで、暇があれば番の事ばかり考えている。二人ともすぐに家に帰りたがる。

 特にジェームズはミスティが参城するようになってからは、今日はイヴから離れたくないと堂々と宣って仕事をさぼるようになった。さらに、仕事が暇なときには惚気のろけを聞かされる。

 婚約者の父親の惚気……勘弁してほしい。


「竜にとっては、それこそが喜ばしいことなんだろ」

「番ってそこまでのものなの? なんだか一人の相手に縛られているみたいでぞっとするわね。バロッキーの男たちが哀れに見えてきたわ」

「ほっとけ。少なくとも、うちの父さんとヒースを見てみろよ。相手がそこにいるって事だけでケーキを焼いて一人で祝いそうだと思わない?」

「――い、祝いそうだわ。嫌だけど、想像できるわね。理解はできないけど」

「どう? もう次からは粛々とした雰囲気で紅玉祭はできなくなるだろ?」


 それ見た事かと笑い転げる。


「ご先祖さまも、ろくでもないことをしてくれたわね……」


 もうどんな顔をして国の繁栄を願ったらいいのかしら。

 浮かれた竜が、番が現れた! と皆に言って回っている姿が浮かんでしまって、どうにも締まりのない雰囲気になりそうだ。


「カヤロナ家のご先祖様は、どうしてバロッキーから覇権を奪おうなんて考えたのかしら。王権なんて大変なだけなのに」


 私は溜息交じりに答えの無い質問を口にした。


「何百年も昔の事を悔やんでも無駄無駄。案外、番を見つけて、二人でむつみ合うのに国の仕事が邪魔だった、とかつまらない理由で王座を譲ったのかもしれないし」

「だったら、余計嫌だわ」


 本当にそんなことが起きたのだとしたら、王座を突き返したい気分だ。


「つまり、紅玉祭は竜の浮かれたところだけを取り除いて、祭りだけ残したのね。何か薄っぺらい話になって来たわ」


 ならあの紅玉祭りの思い出は、国王と妃と王太子と姫ではなくて、両親が乳繰り合っているから気を遣ってやる兄妹といった構図の、普通の家族のようではないか。


 ――そんな頃もあったのだろうか。


 母が亡くなって、家族としてのカヤロナ家はいろいろなことが変わってしまった。


「この国は宗教画も無いだろ。宗教的な行事があるにはあるけど、厚い信仰とまではいかない。神をげ替えたせいだね」

「挿げ替えたの?」

「そうだよ。あの古い教会の真ん中の女神の像が置かれている所、あれだけ建物より新しい。あそこには別の像が置かれていたんだ。古い本の挿絵で見たことがある。もともと二体の竜が向かい合うように置かれていたんだ」


 国の行事を行う教会の建物はとても古い。

 カヤロナ家が政権を執って、せいぜい百五十年くらいだが、その間に色々な史実が無かったことにされた。教会に祭られていた竜の像もきっとその流れで取り壊されてしまったのだ。


「その像を見てみたかったわ。きっと見事な彫刻だったのでしょうね。――あの神殿に女神なんて、そもそもいなかったのね」

 

 カヤロナ家の薄い、急ごしらえの歴史の上に腰かけさせられて、王族だなんて威張っていることが億劫に感じられる時がある。

 もちろん歴史から学ぶものはあるけれど、後ろばかりも見ていられない。もうすでに変えてしまったこと、失われてしまったことを元に戻すのは、とても大変なことだ。

 どうしたって私は王女だし、王である父は国を動かさなければならないのだから。


「結局、紅玉祭は、古来の竜が、番を得たのを祝う軽いノリの祭りで、カヤロナ以前は竜たちが番を探す出会いの為の祭りだったってわけ」

「お見合いみたいなものね。一気に下世話な話になってきたわね」

「そう。男女の秘め事が許される日ってことだよね」


 ミスティはにやにやと下品に笑う。

 城では猫をかぶっているが、ミスティは本来こういう下世話な話が好きなのだ。

 恋愛の話には必ず首を突っ込んでくる。この間は私に付いている女官と騎士の恋愛事情を勘ぐって、アドバイスを授けたりしていた。


「もういいわよ。由来はともかく、もう今は国の繁栄を願うお祭りなんだから」

「えー、それって、子孫繁栄ってこと?」

「もう! 下品な話にしないでったら」

「そういう下品な祭りに俺を誘うお姫様のほうが下品じゃないわけ?」

「うるさいわ!」


 ミスティとまじめな話をするのは難しい。 


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