【俺の婚約者が変態相手に俺の所有権を主張するのは悪い気はしない】
「ひっ……」
クララベルは応接室に入ってくるなり、のけぞるようにして固まった。
マルスは、俺の
「素晴らしい。素晴らしいね、彼は! 彼を僕にくれるのかい? サリ、君を諦めたのは惜しかったと思っていたのだが、わざわざカヤロナまできた甲斐があった」
シュロ国の豪商だというマルスは、黒い目を輝かせて俺を観察している。一目見て、俺を気に入ったようだ。
しばらくカヤロナに滞在するらしく、昨日から王都で宿をとって、商売になりそうなことを探し回っているらしい。
密着したマルスから、形容し難い
黒い髪が生白い額に隙なく撫でつけられ、仕立ての良い服を着ている。シャツの
シュロ人に多い深い褐色よりも、もっと黒い瞳が、舐めるように俺の瞳を観察する。
何ともねっとりとした視線だ。まぁ、
正直いって悪寒がする。
「ちょ、ちょっと! あなた、その手を離して頂けないかしら!」
気を取り直したのか、クララベルがつかつかと俺たちの前まで来ると、尊大な態度で胸の前で腕を組んでマルスに告げる。
「それはまだ私のものです。気安く触れないで!」
目尻を吊り上げ、王女然とした命令口調で言う。
――こういう言い方に心を躍らせてなるものかと思う。
クララベルにとって本当に俺は単なる所有物で、やきもちなんて可愛らしいものでマルスを牽制しているのではないのだ。王女様らしく俺の所有権を主張している。
「それは失礼いたしました、お許し下さい、殿下。お目通りが叶い光栄です。私はシュロの商人でマルス・ハンガスと申します。お見知りおきくださいませ」
マルスはあっさり俺を離したが、するりと俺の頬を撫でていくのを忘れない。
キモいキモいキモい!!!
俺の思っていた三倍キモい!
「……俺はモノじゃないし」
一応、自己主張してみるが、どちらも聞いていないようだ。
俺が起き上がった時に、マルスはメモ書き用に握りしめていたペンを取り落とす。
中にインクが内蔵された、持ち運びができるものだ。あまりカヤロナに流通している物ではない。珍しかったのだろう、足元に転がって来たそれをクララベルが拾い上げた。
落とし物を拾ってやるなんて、姫としてはやんちゃな行動だが、クララベルの美術品に対する好奇心は強い。
珍しい材質のペンだったのだろう、飴色に漆を塗られたそれを色々な角度から観察している。
「美しいでしょう? 人の薬指に
「見たことのない品ね――ちょっと待って、何に漆をですって……?」
「はい、人の薬指です。小指は少し頼りない太さですので」
「く、くす……て……っひゃっ!」
クララベルはよくよく見るうちに、漆で塗り固められた中に人の指らしい形を見出して、放り投げるようにしてマルスにペンを返した。それから、その手を分からないように俺の服でゴシゴシと拭く。
「姫様が興味がおありでしたら、入荷を考えましょう。なかなか良い材料が手に入らないのですが……クララベル様がお望みなら、
マルスの異常性を認識したのだろう、クララベルはちょっと涙目だ。
「いえ、結構。うちの国では輸入するつもりは一切ありませんから、材料は手に入れないでけっこうよ。……ちょっと失礼するわ。ミスティ、ついていらっしゃい」
クララベルは俺を引きずって、客間からなるべく遠い部屋まで逃げた。
*****
今日の外出着もだいぶ気合いが入っている。
クララベルは何か争う要件のある時には、必要以上に着飾る傾向がある。
艶の無い濃紺のドレスはパニエで膨らませて、ただでさえ細い腰が折れそうに細く見える。
強調させるように寄せて盛り上げた胸で何と戦うつもりやら。
「それで、なに?」
じっくり観察しているのがばれないうちに、話を聞いてやる。
「本当にあの男に身を任せて大丈夫なの?」
「身を任せるとか……気持ち悪い言い方するなよ。身元は確かだよ。頭はちょっとおかしいと思うけど、俺自身を何かの材料として使ったりはしないだろ」
「わからないわよ! 人の指をペン軸にしていたわ!」
まぁ、それはなかなか流通しない品だろうなとは思う。どこで材料を調達するのかは考えたくない。
「でもさ、俺がシュロでどこに身を寄せるかなんて、クララベルには関係なくない?」
「なっ……」
クララベルは俺の突き放すような言い方に
「どうせ死んだことになるんだ。別に、その後の事は心配してくれなくていいよ」
ギリッと奥歯を噛みしめたクララベルは、目に怒りを灯す。
俺はこういう、クララベルの感情をむき出しにした顔が好きだな、と思う。もう何作かはスケッチしてある。
「勘違いしないで! 私は、ミスティの老後の心配をしているのではなくて、今現在の貞操の心配をしているのよ!」
「……ばっ、馬鹿なこというなよ!」
頬を赤らめて、可愛らしく言った内容は俺をげんなりさせるものだった。ちょっと何を言っているのか考えてしまった。
「一応、仕方なくだけど、私の夫として隣に立つ男が、変態に結婚前に
「籠絡ってどんな意味で使ってるんだよ。そんなこと、ないからな」
いくらなんでも、余計な心配だと思う。
「わからないじゃない。サリが逃げ出すくらいの変態よ! サリにもどうにもできなかった変態なのよ!」
クララベルはサリがどうにもできないという所に不安を感じているのか、言い方を変えて二度言った。
――まあ、そのくらいの変態性を感じられたのは事実だ。
なんだろう? 毎朝、新鮮な生肉だけ食べますとか、生きた鳥の目を抜くのが趣味ですとか、人の局部だけを収集してますとか言われても、そうなんだろうなと納得してしまうような気持ち悪さだ。
サリと婚約を結ぼうとしていたマルスが来ると分かり、バロッキー家はざわついていた。
ヒースはマルスが来ると知ってから、ずっとピリピリとしていたし、今朝も片時もサリから離れようとはしなかった。
俺が紹介され、マルスの興味がサリから俺に移った時に、明らかにヒースの緊張感が緩むのを
(ああ、そうかよ! サリが一言マルスと挨拶を交わすのはダメで、俺が変態に襲われるのは気にしないんだな?!)
俺はヒースに適当に扱われて面白くない分を、クララベルから取り戻そうと思った。
「じゃぁさ、クララベルが俺の所有権をもっと主張しておけばいいんじゃない? 人前でいちゃつくのは慣れてるだろ?」
(俺は天才か?!)
この状況でクララベルといちゃつく方法を思いついた。
ダメ元で提案してみると、クララベルは難しい顔で腕を組む。
それをやると胸の谷間が強調されるからやめろと言うべきか、言わざるべきか……。
「馬鹿みたいだけど、そうね……それが確実かしら?」
呑んだ!
俺の馬鹿みたいな提案をクララベルが呑みやがった。
アホだ。
最近のチョロさはちょっと考えられない。
俺に好きなように貪られているのに、嫌がりもしないで受け入れている。
俺はついにクララベルの体の黒子の数を数え始めて、見える範囲を広げようとさえしている。無防備なものだ。
応接室に戻った時、クララベルは俺の真横に座った。
密着して。
ヒースが愉快なものを見るような顔をしている。笑いたければ笑えばいいのに。
確かに、俺としても、これはかなり愉快なものの部類に入る。
気持ち悪い香水でダメにされた鼻をクララベルの清潔な体臭を吸って癒しているのはヒースにしかばれてないだろう。
――せっかくだし、直に吸うか。
俺は片腕をクララベルの腰に絡め、自分の方に引き寄せる。慣れたものでクララベルは抵抗もせず俺にされるがままだ。
そのまま近づいたつむじに唇を寄せる。
クララベルはたくさん香水を持っているくせに、自分ではごく薄くしか身につけない。バロッキー家に来る時はそもそも付けてこない。竜が香水が苦手な事を誰かに聞いたのだろう。
柔らかくて砂糖菓子みたいな匂いのクララベルが、ぎゃんぎゃんと吠えるのが愛おしくて、うっかり目が光りそうだ。
俺は
胸いっぱいに、いつものクララベルの香りを吸い込む。
何をされているのかわかっていないコイツは、ツンと顎を上を向け、マルスを
クララベルが馬鹿でよかった。
少し向きを変えてうなじも嗅いでやるかと視線をあげると、サリが残念なものを見るような目で俺を見ている。
俺は未だに外交上の演技以外、クララベルに愛を告げたことがない。死ぬまで告げるつもりはない。サリはそのことに気を揉んでいる。
結婚したって言ってやるものか。俺はカヤロナ国から出て行く身なのだ。
クララベルのものはなんだって奪うが、自分のものをクララベルに残す気はない。
まぁ、絵の一枚ぐらい置いていってやってもいいとは思っているが。
「ふふふ、殿下にライバル視されてしまったようですね。恐れ多いことです」
マルスは恐縮して見せるが、本心は全く見えない。
さっきのペンの材質を思い出すと、あのきれいに磨かれた白いカフスの材質すら気味の悪い物に見えてくる。
「ずいぶん御執心のようですのに、手放されるのですね」
クララベルはマルスのぬめぬめとした口調に、既に劣勢だ。
「私の夫として立つまでよ。それまでに変なものに手をつけられたら困るわ」
牽制するように俺に腕を絡める。腕がクララベルの柔らかさに包まれ、腹の底がジリッとする。
当たってる、当たってるからな。
お前、そういう所だから!
サリにクララベルの押し付けられる胸をガン見しているのを視線で咎められる。
また残念な物を見るような顔をされた。
いいんだよ。俺は、クララベルから
「予定は今の時点では未定だということを、両者肝に銘じておいてださいね。仮にとはいえ、ミスティは王女の夫として偽装ではなく本当に婚姻を結びます。クララベルの立場でミスティが必要である限り、ミスティはクララベルのものです。今後レトさん以外の警備がつけば、自由に行動することも出来なくなるかもしれませんし」
「かまわないよ、サリ、楽しそうな計画に巻き込んでくれてありがとう」
マルスがサリに笑顔を向ければ、落ち着いて茶をいれていたヒースから嫌な圧迫感がにじみ出る。
竜の血の濃い者の感情は周りに影響を与える。俺も変な圧迫感に顔をしかめた。
竜は嫉妬深い。
……にしても、ヒース、落ち着けって。
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