竜の絵

 恐る恐るミスティの部屋のドアを叩く。

 誰かの部屋を訪れてドアを叩くなんて、今までしたことがない。

 中から気配がするのに、返事はなかった。


「ミスティ、いるわよね?」


 バロッキー邸の重厚な造りのドアを通してだって、ミスティが舌打ちをしている様子が予想できる。

 もう一度ドアを叩こうと手を振り上げると、ドアが音もなく開いた。

 中性的な服を着て、私を気だるそうに見下ろしているのはミスティ・バロッキー――私の婚約者だ。


「……なんでクララベルが呼びに来るんだよ。サリは?」

「お茶にするからって、お湯をとりに行ったわ」


 不機嫌そうに、へぇ、と顎をあげる。城で見せる愛想笑いもない。


「だからって、俺の部屋まで来るな」


 フンと鼻を鳴らし、文句まで言う。


「サリの人使いが荒いのよ。別に中に入れてくれなんて言ってないわ。どうせ、入れてくれる気なんてないんでしょ……」


 文句を言ってやろうと思ったのに、自分の口からでた声は思ったより弱弱しかった。

 何度も来ているが、私はミスティの自室に招かれたことはない。


「は? べつに……入りたいなら、入れば?」

「いいの?」


 視線を上に向け、少し考えるような顔をしていたが、ミスティは初めて私に入室の許可を出した。どういう風の吹き回しだろう。酷い悪戯でも仕掛けられたのではないかと警戒しながら、ミスティが開けたドアをくぐる。

 

 光が柔らかく差す、明るい部屋だ。

 白い壁に馴染む、淡い色で統一された家具が品よく置かれている。

 下手をしたら私の城の自室よりお姫様が住んでいそうに見える。

 猫足のテーブルには読みかけの本が伏せてあった。窓際から私の馬車が来るのを見ていたに違いないのに、そんな素振りは一切見せない。

 

(ブックカバーまで無機質な色を選ぶなんて――)


 この部屋では、ミスティの赤毛が唯一の強い色彩だった。もしかしてミスティは、自分がこの部屋にいることを考えて家具を選んでいるのだろうか?

 ミスティの目の色と同じ淡い水色が差し色として取り入れられているのに気が付いて、あながち間違っていないのかもしれないと思う。

 バロッキーの美に対する姿勢は真似しようと思っても到底叶わない。

 くやしいけれど、ミスティと並べば、私は美に対して盲目なのと変わらない。


「……いい部屋ね」

「そう? そこに座ってて」


 ふかふかのソファには、銀糸の縫い取りのクッションが品よく添えられている。

 憎たらしい言葉が返ってこないところを見ると、思ったほどは機嫌が悪くないらしい。


「少し片づけてから行くから、ちょっと待ってて」


 続きの部屋に消えようとするので、慌てて立ち上がる。


「ねぇ、そこがアトリエなんでしょ?」

「そうだけど――見たいの?」

「……見たいわ」

「えー、本当に?」


 せっかく本心から言ったのに、ミスティは疑り深く目を細める。

 私が画家としてのミスティを敬愛しているのを知っているのに、こうやって試すようなことを言う。

 ミスティの意地悪な口調に腹を立てるよりも、今はせっかくの機会を逃したくない。ミスティの目を見て真摯に願いを言う。


「ミスティの絵が見たいの」

「ふぅん?」


 ミスティは、何を思ったのか、慣れた手つきで私の手を引き、続きの間に引き入れる。

 急に暗い所に入って目が慣れずに何度も瞬きをする。


(――絵の具と油の匂い……)


 ミスティの手を頼りに、目が慣れるまで、嗅ぎなれた匂いを大きく吸い込む。


「クララベルには暗すぎるか。今、暗幕を開けるから――」


 そう言われて待っていると、ミスティが暗幕を開けて日光を入れた。

 途端に、目の前が色彩でいっぱいになる。

 私は鳥のように首ばかりを動かして、視線を部屋の端から端まで何往復もさせた。部屋には、キャンバスが所狭しと、置かれている。


「……ミスティ……これ……」

「なに?」


 想像を大きく超えていた。

 ありとあらゆる手法で描かれた絵は、統一感はないが一様に高い技巧で描かれている。

 どれも違って見えるのに、絵の全てがミスティの作なのはすぐにわかった。筆致が違うが、間違いない。

 まるで何人もの画家が一人に宿ったみたいに、ミスティは違った作風の絵を一人で描き上げているのだ。

 足元からぞくぞくとした何かが這い上がってくる。こんなことが出来る画家を見たことがない。

 

「どう? 俺、器用だろ?」 


 ミスティはふふんと得意げに笑う。


 色の洪水が心地よく私を包む。ここには私が求めていた美が全てあった。

 縋るものが欲しくて、ミスティの腕をぎゅっと掴む。感受性が振り切れてしまったようで、震えがくる。 

 長年、たくさんの絵を見てきた私には、この中の一枚一枚がどれほど価値があるのか容易にわかる。

 私の婚約者は、とんでもない男だったのだ。

 

「もうひとつ見せてやるよ」


 ミスティは、ふらふらとしている私の肩を抱き、部屋の隅の暗幕の奥に連れ込んだ。

 人さらいみたいな動きだったけれど、今の私はそれどころではない。ミスティは私を無造作に置かれた一作の前に連れて行った。

 暗幕に遮られて、陽の光はぼんやりとしか届かない。


「……これが、俺がこの国から出したい絵だよ」

「……っ!」


 なにかと目が合い、私は凍り付いた。

 大きなキャンバスに描かれていたのは、蒼黒く光る竜。赤く目を光らせて身を躍らせる様は力強く、神々しい。

 竜が滾らせているのは、怒りなのか、絶望なのか、何かの予兆なのか、幾重にも解釈が湧くが、当てはまるものが無くて霧散する。


 私は、喉に何か詰まらせたようになり、そこから一歩も動けなくなった。

 この筆致はおそらく私の誕生日の絵と同じものだ。しかし、この絵には恐ろしく複雑な勢いがある。

 私の誕生日の絵が夕暮れなら、これは朝焼けだ。どこまでも伸び上がろうとする勢いに圧倒される。


「なぁ、クララベル、この国でこの絵を飾れる場所があるかなぁ?」


 ミスティの声は聞いたこともないような、酷くかすれた声だった。

 意図することに気が付いて、はっとして、ミスティを見る。


 私の婚約者になる代わりに、ミスティを国外に亡命させる約束をしたが、自分のことに精一杯で、ミスティがカヤロナの外に出たい理由を真剣に考えたことがなかった。

 これだけの情熱を抱えて、ただ待っていたのだろうか。

 苦手な社交に連れ出されたり、バロッキーを迫害してきた側の私たちに微笑んで見せたりしている間も、この竜はここにいた――。


 自分がミスティに強いてきたことを知り、冷や汗が出る。妹とのことを解決するために、二年もミスティをカヤロナに留め置いたのは私だ。


「……ミスティ……私……っ……あの……っ」


 言葉にならずに涙がにじむ。

 この絵は外に出るのを待って、じっとここで眠っている。もしミスティが国から出なければ、一生ここで眠ったままになる。

 カヤロナ国は竜の存在を他国にひた隠しにしている。

 竜の財力の流出は国力を弱めることに繋がるからだ。竜の一族は余程のことがないと国外には出られない。彼らの生み出す美術品だってそうだ。輸出は厳しく制限される。この絵を輸出品の中に紛れ込ませるのは今のカヤロナではまだ無理だ。

 

 ミスティを国に縛り付けておくのはなんと罪深いことなのか。

 その罪を負うのは、カヤロナ王家と、私だ。

 

 ぽろぽろと後から後から涙が落ちる。


「ベル、うわっ、馬鹿、泣くな! なんなんだよ、泣くなってば」


 おろおろとしゃがみこんで、私の泣き顔を眺める。


「……悔いているのよ! 二年もこの絵を世に出さなかったのは、私の責任だわ」


 自責に耐えられずに、言ってみたら、本当にその通りだと思えて、悲しくて悔しくて涙が止まらない。

 

 カヤロナ家は政策で竜をこの国から締めだしたくせに、この国に縛り付けた。文字として残すことも、絵に描いて残すことも許されないほどに竜は忌み嫌われた。こんなことをバロッキーに強いてきた王家の末裔である私の責は重い。


 ミスティは私の泣き顔を見るだけ見て、気が済んだのか、私の涙をその何だかよくわからない柄の服の袖で拭う。洟は拭かないで欲しいのに、子どものように摘ままれる。


「別に、クララベルのせいじゃないし」


 そんな、あやす様なことを言って、ゆるく抱き留め、天頂に頬を寄せる。


「ミスティ……待たせてごめんなさい。もう少しだから、あと少しだけ待っていて」

「何の話だよ。国がやった適当な政策にお前が謝るなよ。長くかかるのは最初から分かっていた事だろ――ったく、だからここには呼びたくなかったんだよ」


 ミスティが口を尖らせてぼそぼそと、ひとりごちるのが聞こえる。

 私は、泣きながら、一刻も早くミスティを亡命させるのだと誓った。

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