サリ・トーウェン

 馬車に揺られている。

 城からバロッキーの屋敷まではそれほどかからない。

 小高くなっている土地なので、遠くから見ると小ぶりの山か森に見えるかもしれないが、この広大な敷地は全てバロッキー家の庭だ。鹿や猪のたぐいもいるようだから、もう森といってもいいかもしれない。

 

 初めてバロッキー家を訪れた時のことを思い返すと、奇声をあげて転げまわりたい気持ちになる。頭は良くない方だと自覚しているが、あの時の私はさらに愚かだった。

 

 二年前、私は、妹の初恋の人との縁談を断りたくて、焦っていた。血は半分しか繋がっていないが、親族のように接してくれるのは侯爵家のアイリーンだけ。大事な妹だ。そのほかのどんな結婚でも甘んじて受けるつもりだったが、妹を泣かすのだけはどうしても嫌だった。

 

 慌てて父にどうにかならないものかと願い出て、出された交換条件は、バロッキー家から婿をとることだった。


 あの時、私の知るバロッキーの男は二人だけだった。

 ジェームズ・バロッキー――ミスティの父は、私の護衛として雇われていた。妻子ある身だし親子ほど年が違うので、もちろん候補には入らない。

 もう一人は私の話し相手として連れてこられていたヒースだ。ヒースは我慢強い性格で、めったに感情が動かない。不愛想だが、私に不親切だったことはなかったし、異性として嫌だと思うこともなかった。だから、ヒース以外に適する相手はいないと思ったのだ。ヒースは竜の血を濃く受け継いでいるので、結婚相手がなかなか決まらない事情があったし、バロッキー家から感謝されるとさえ思っていた。


 幼いころから竜の一族に守られて暮らしていた私には、竜に対して忌避する感情がない。知らないどこかに嫁ぐより、知っているバロッキーが身内になるのは大歓迎だった。

 しかし、バロッキー家の家長であるトムズは、王女わたしからの申し入れを、その場ではっきりと、きっぱりと、さっぱりと断ったのだ。

 髭をよじりながらにやけて私を見下ろす、あの顔を思い出すと、今でもトムズにはあまり会いたくない。


 その時の私は、どうにもならずに、愚かにも婚約の決まった二人を引き裂いて、自分の婚約者にするつもりでバロッキー家に乗り込んだ。

 そして、返り討ちにあった。

 今になって思えば、番を決めた竜をどうこうすることなんて、出来るわけがなかったのだ。


 バロッキーの竜の血の中には絶対的な価値観が存在するらしい。美しいものを好んだり、仲間を認識したりするものなのだとか。

 私にだって、一滴ぐらいは竜の血が流れているはずだ。ジェームズとヒースに、初めてあった時に何か特別なものを感じた。私はそれを恋と勘違いしたらしいのだ。

 そっけないけれど礼儀正しいヒースに、ぼんやりとした憧れはあった。

 ……あれはまぁ、恋と呼ぶには未熟だったと思うけれど、淡い希望ではあった。


 それも、今のヒースを見れば、苦い思い出だ。

 番を前にしたヒースを見れば、私の前での態度なんて全部作り物だったとわかる。


 (百年の恋も一瞬で醒めるって滑稽な比喩だと思ったけど、自分が経験するとは思わなかったわ)



「ねぇ、レト。あの時の馬車を覚えている?」


 馬車の中でも律儀りちぎに背を伸ばしているレトに聞いてみる。

 二年前、バロッキー家に乗り込む時、私は権力を振りかざしているとすぐにわかるような、装飾の馬車を選んだ。


「ドレスだって一番強そうに見える物にしたのにね」

 

 私には権力以外に力がない。

 財力で大きく勝るバロッキー家に、無理難題を押し付けに行くのだと勇んでいた。

 まったく頭がどうかしていたに違いない。


「馬車から降り立った時のジェームズさんの苦笑いを思い出しました」


 レトは肩をすくめる。

 私はあの時、妹のために権力を行使しようとして大失敗した。

 慣れないことはするものではないらしい。




 ため息をつきながら、馬車から降りてバロッキー邸に歩を進める。すると、向こうから誰かやって来る。

 自分が一国の姫だからといってバロッキー家で丁重に扱われると期待してはいけない。今日は出迎えがあるだけ良いほうだ。


「いらっしゃいませ、クララベル様、レトさん」


 これがくだんのヒースが選んだ最愛の婚約者だ。

 今日も動きやすそうな若葉色の服を着て、銅色の長い髪を隙なく編みあげ、鼻持ちならない出で立ちで私を待ち構えている。

 ヒースったら趣味が悪いのでは? と言いたくなるような性悪な女なのだ。

 

 私は口が裂けてもサリが私からヒースを奪ったなどとは言わない。だって、一瞬だってヒースが私の物だったことなんてないのだから――ああ、これも絶対にサリの前では言えないのだったわ。人をモノやコマ扱いすると、サリはネチネチと私に説教をする。細かい所にうるさいのだ。


「久しぶりね、サリ。皆、息災かしら?」

「はい、トムズさんは出かけていますけれど。ジェームズさんには城で会いましたか?」

「会ったわ。式で使う小物の打ち合わせをするとかで、城に出入りしている業者と揉めてくるらしいの」

「ジェームズさん、交渉では全然引かないですよね」

「そうね、ジェームズなら何を任せても頼もしいわ」


 ジェームズは私の護衛ではあるが、表向きは私の身の回りの物を手配する商人として雇われている。実際は私の物だけではなくて、国がバロッキーから直接買い付けたいものなどもジェームズが内々に手配することになっている。


(ああ見えて、頑固なのよね。ミスティとの血のつながりを感じるわ……)


 サリは商売がうまくいきそうな時の薄笑いを口元に浮かべる。

 サリはお金が大好きだ。執着していると言っても過言ではない。時々私が好みそうなものを見つけては、とんでもない値段で売りつけてきたりする。小賢こざかしいったらない。

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