仲のわるい婚約者
「俺、もう上がってもいいかな。だいぶ愛想よくしただろ? みんな遠巻きにだけど、バロッキーを見学に来てたみたいだし。俺の美貌に驚きましたって顔とか、もう見飽きたよね」
ミスティは尊大に言うが、実際そうなので口を挟まないことにする。
いや、やはり文句は言いたい。
「本当はこんな珍獣みたいな性格なのに、みんな見る目がないわ。見とれていた令嬢たちに今の姿を暴露してやりたいくらい」
「どう? 父さんの猫のかぶり方真似してるんだけど。人前に出る回数が多い分、俺の方が上手くなっちゃったかもな」
ジェームズの真似をしているのか、背を伸ばして立つ。掛けていない眼鏡を押し上げるしぐさまでしている。ちょっと似ているのが腹が立つわ!
二年経って、ジェームズが私に礼儀正しく接するのは公的な場所だけになった。
昔のように愛想笑いはしなくなったし、すぐに家に帰りたがる。
この親子、猫のかぶり方が本当に酷い。
「ジェームズの真似? 猿の真似でもしているのかと思っていたわ」
私が鼻で笑うと、ミスティは意地の悪い笑みを浮かべ始めた。もう何度も見たことのある笑い方だ。私は、これから来る暴言に備えて腰に手をやって戦闘態勢をとる。
(どうやら、何か私のことをからかう材料を手に入れたみたいね)
「ふふん、俺にはわかるぞ、お前、初恋はヒースだと言うけど、本当は違うだろ?」
「なっ……」
「お前の初恋は父さんだな? 今更隠さなくったっていいんだぜ」
私に敬称をつけて呼ぶつもりはないらしく、「あんた」から「おまえ」に格下げになった。
指を鼻につきつけられただけではなく、鼻が上向きになるほどに押し上げられる。痛い。痛いし不愉快だわ。
腹が立つことに「困った奴だなぁ」などと言ってずっと鼻を押してくる。
「もう、そんな事を掘り返して何になるのよ!」
「否定はしないってことは、やっぱりそうなんだな? あーあー、もう少しマシな奴は周りにいなかったのかよ。美貌のオジサンが好きだなんて、趣味が渋いな」
私の機嫌を踏みぬいたのを知ってか知らずか――もちろん知っているのだろうが――今日は化粧が濃いな、と私の顔をこすったりしている。
「ミスティなんか、だいっきらい!! 顔も見たくないわ、出て行って!!」
私は、うっかりミスティを部屋から追い出してしまった。
ミスティはへらへら笑いながら部屋を出て行った。
今日は姉の誕生日を祝う集まりで、脇役の私にはそれほど注目が集まるような会ではない。
それでも、ミスティを伴って参加するとなると、好奇の目で見られるのは仕方のないことだ。
それすらもう慣れたものだったが、ミスティを中座させてしまったとなれば、不仲が疑われるかもしれない。
「クララベル様、ここで仲違いは困ります」
「だってミスティが……」
「姫様が出て行けとおっしゃったんですよ」
レトはいつものことだと慌てもしないが、時間までにミスティを呼び戻さなければならないのは私の役目のようだ。
「ミスティが悪いのに」
「どちらも悪うございます」
仕方がなく、ミスティがいるであろうアトリエに向かう。
(何と言って連れ戻せばいいのかしら……)
私から頭を下げる気はさらさらないし、そもそも私は悪くない。
「ああ、気が重い……なんで私が……」
「姫様、聞こえておりますよ」
小声でぼやくと、後ろからついて来ているレトに
明るい日差しの入るガラス張りのアトリエは、私が絵を描く時に使っていた部屋だった。今はその半分以上をミスティに明け渡している。
ミスティが城にいる間、一日中ミスティの相手だけしているわけにはいかない。私にだって公務がある。国の施設を慰問したり、要人と会ったり、外交の場に呼ばれたり、我儘だといわれていても、それなりに王女としての務めは果たしているつもりだ。
アトリエが気に入ったようで、ミスティはそこで絵を描いて私を待つことが多くなった。今もきっとそこにいるはずだ。レトをアトリエの前に残して、一人ドアを開ける。
入り口付近には、陽光を好まない絵や彫刻を置いている。
壁で区切られた奥を覗くと、ガラス張りの窓から入る光を背にして、椅子に腰かけたミスティがスケッチブックに何かを一心不乱に描いている。
私は婚約者としてのミスティは殊の外軽蔑しているが、画家としてのミスティは賞賛されるべきだと思っている。
画家の人格と作品は区別されるべきだ。性格破綻者が素晴らしい絵を描くことだってある。
憎らしいミスティの手からは天から降って来たような美しい絵が生み出される。画家のミスティが絵を描いているのを邪魔したくはない。
そっと、そっと、足音を立てないようにしてミスティに近づく。あわよくばミスティが描いている過程が見れるかもしれない。
集中している背後から手元を覗き見ようと爪先立ったとたん、とんでもないものが目に飛び込んできた。
「な、なんてモノ描いてるのよっ!!」
私は、裏返った声でミスティに掴みかかった。
驚いた風もなく、見上げるミスティの顔には笑みが浮かんでいた。
「おやおや、姫様、何か御用ですか?」
「ミスティ、そのスケッチ……」
みるみる顔に血がのぼるのを感じる。
「ああ、これですか? いいモチーフを拝見したので、忘れないうちに描いてしまおうかと思いまして。どうですか? この曲線、なかなかのものでしょう?」
スケッチブックには、先の言い争いで、ミスティにボタンをはずされ暴かれた、私の首元から背中までが緻密に描写されていた。
余計なことに、さっきつねられて赤くなっている様子までしっかりと描き込まれている。
「やっぱり、跡がついていたんじゃない! こんなくっきり!」
ミスティは悪びれずに笑う。
「そんなもの描いてどうするつもりよ?」
スケッチを奪い取ろうとしたのに、手が届かない所に遠ざけられてしまう。仕方なく座っているミスティの肩口を掴んで揺さぶる。
「おや、お気に召しませんでしたか? お姫様はご立腹のようだし、それでは、これはお姫様に差し上げましょう。破り捨てるも、暖炉にくべるのも自由です」
あっさりと、スケッチブックから切り取ると、私に差し出す。
こんないかがわしい素描を残しておくわけにはいかない。
言われたとおりに破り捨てるつもりで指先に力を入れた。
「……う、うう……」
見れば見るほど見事な描写だ。単純な線でこれ程的確な曲線を描くとは……。
私の背中はこれほど艶めかしかっただろうか。
こんな恥ずかしい絵を残しておくべきでないのに、これを破り捨てるのは美に対する冒涜だと私が許さない。
「う、うう……」
「どうぞ、どうぞ。柔らかくなるまで揉んで、鼻水でも垂らしたときにお使いになるがいい」
ミスティは、完璧に作った笑みを浮かべ、私がどうするかを意地悪く観察している。
「…………こ、これは、預かるわ」
私が絵を丸め始めると、ミスティの機嫌は見る間に回復した。
丁寧に丸めた素描を、人目につかないように別の紙で包んで紐でくくっているのをにやにやしながら見ている。
――絵には罪はないの。この絵を破ったり燃やしたりなんかできるはずがない。
「さぁ、まだ挨拶があるんだろ。二人で行かないとまずいんじゃないの? さっきみたいなド忘れをすると、サリに再特訓させられるよ」
「わかってるわよ」
バロッキー家の嫁、サリは、王都の住民からバロッキーへの偏見を取り除こうとしている。
その為に、私とミスティは良い広告塔なのだという。市井に間違ったイメージが伝われば、サリの
「エスコートよろしくね。婚約者殿」
「喜んで。僕の姫様」
手を差し出せば、ミスティは当たり前のように私の手を握り、腰を抱く。
引き摺られるように広間にエスコートされながら、私の頭の中は絵画の保管室の事でいっぱいだった。
(さて、困ったわ。 あの素描いったいどこに保管したらいいかしら)
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